熟練冒険者の忠告と、廃棄寸前の古弓
切り立った岩肌から噴き出す硫黄の臭いと、肌を焼くような熱気が周囲に立ち込めていた。北の山脈、その奥地に位置する『絶炎鉱脈』へと続く険しい道行きは、高ランクの魔物だけでなく、過酷な自然環境そのものが冒険者の体力を削り取る。
道なき道を進む一行の前に、巨大な岩の陰で携帯食料をかじりながら休憩を取っている人影があった。
年季の入った革鎧に身を包み、顔に深い傷跡を持つ大柄な初老の冒険者だ。
警戒して大剣に手をかけたバリスだったが、相手の顔を見るなり、小さく舌打ちをして手を離した。
「……チッ、何だ。おっさんか」
「よお、バリスじゃねえか。お前さんが誰かと組んで、しかもこんな山奥まで来るなんて珍しいな」
初老の冒険者は人懐っこい笑みを浮かべ、立ち上がって泥を払った。
「俺はもう引き返すところだ。この先は変異種の巣窟でな。俺みたいなロートルじゃ、これ以上進むのは危ねえと判断した」
そう言いながら、冒険者はレイジとエレナの姿をじっと見つめ、歴戦の勘で心配そうに目を細めた。
「……なあバリス。お前、口は悪いが実力に見合わねえ足手まといを連れて行くような甘い主義じゃなかったはずだ」
冒険者はレイジを指差す。
「そこの兄ちゃん。魔力量はどう見ても一般人の三割程度……底辺クラスのすっからかんだ。まともな防御魔法はおろか、初級の攻撃魔法すら一発撃てるかどうか怪しいぜ」
エレナへと視線を移す。
「隣の嬢ちゃんは、魔力量こそ一般人より少し上ってところだが……なんだ、その魔力の流れの硬さは。技量も練度も、とても実戦レベルには見えねえ。そんな不器用な魔力操作じゃ、あそこの魔物のスピードには絶対についていけねえぞ」
冒険者の指摘は、この世界の常識に照らし合わせれば極めて正確だった。レイジの力の源は異世界のシステムを書き換える「霊力」であり、それをOSとして世界に干渉している。この世界における純粋な「魔力」の保有量など、そもそも最初から持ち合わせていないのだ。エレナの極限まで最適化された生体回路も、既存の魔法理論に基づいたベテランの目には「不器用で硬直した魔力操作」にしか映らないらしい。
「後ろのレオンやセリアは一目でわかる凄腕だが、流石にその二人を抱えて絶炎鉱脈を突破するのは無茶だ。……バリス、何か理由があるのか?」
真剣な顔で尋ねる冒険者に対し、バリスは何とも言えない複雑な表情で顔を引きつらせた。
レオンとセリアも、遠い目をしながら気まずそうに視線を逸らす。
(いや、その魔力すっからかんの男が、一瞬でAランクの魔物を消し飛ばして、専門職以上の治癒をやってのけたんだが……)
(不器用に見える嬢ちゃん、極太のレーザーで大角イノシシの群れを殲滅してたわよ……)
(もしかしたら、お荷物は俺たちのほうかもしれねぇ!)
内心の叫びを必死に飲み込み、バリスは深いため息をついて冒険者を睨み返した。
「……おっさん、あんたの目が節穴なだけだ。こいつらはお前が思ってるような弱小じゃねえ。俺が認めて連れてきてんだ。足手まといどころか……まあ、とにかく規格外なんだよ。心配すんな」
バリスの言葉に、冒険者は少し驚いたように目を丸くし、やがてふっと息をついて笑った。
「へえ……。あのバリスがそこまで言うなら、俺の勘違いなんだろうな。お前が他人の実力をそこまで高く評価するなんて、明日は雪でも降るかもしれねえ」
冒険者は自身の背負袋からゴソゴソと何かを取り出した。
「とはいえ、どうしても俺の目にはその兄ちゃんが丸腰に見えて心配でな。お前が認めるだけの何かがあるんだろうが……ほら、これを持っていきな」
差し出されたのは、一本のひどく古びた弓だった。木製のリム(弓幹)部分にはヒビが入り、あちこちが欠けている。どう見ても実用に耐えうる代物ではない、ただの廃棄寸前のガラクタだ。
レイジが面白くもなさそうに受け取ると、冒険者は苦笑しながら頭を掻いた。
「俺が昔、迷宮の奥で拾った『集魔の古弓』って代物さ。俺の魔力の波長とは絶望的に相性が悪くてな。その上見ての通りボロボロで、ギルドの鑑定士に見せても『壊れていて売り物にもならない』って突き返されたガラクタだ」
「じゃあ、なんでこんなものを?」
「こいつはな、使い手の魔力をほとんど必要としないんだ。弦を引くと自動的に周囲の空間から環境魔力をかき集めて、魔力の矢を形成して放つことができる。威力は環境に依存するが、魔力すっからかんに見える兄ちゃんでも、これなら自衛の武器くらいにはなるだろうと思ってな」
レイジの瞳の奥で、技術者特有の冷たい理知の光が鋭く閃いた。
レイジは弓の構造を霊力で即座にスキャンする。
(なるほど……。使用者自身の内部バッテリー(魔力)に依存せず、外部環境のエネルギーを直接コンパイルして物理的な出力(矢)に変換するハードウェアか。しかも、壊れているように見えて、エネルギーを収集・変換するためのコアの論理回路(術式)は完全に生きてやがる。この世界の魔力というアプリを走らせるための、独立した外部実行デバイス……)
レイジの唇の端が、ニヤリと吊り上がった。
「……ありがたくもらっておく。悪くないおもちゃ(デバイス)だ」
レイジが弓を無造作に肩へ担ぐと、冒険者は「おもちゃじゃないぞ! 大事に使えよ!」と笑って手を振り、そのまま山を下って行った。
周囲の岩陰へと足を進めると、レイジは立ち止まり、手にした古弓を無造作に構えた。
自身の霊力も、体内の微量な魔力すらも一切流し込まず、ただ純粋な物理動作として弦を限界まで引き絞る。
カチリ、と内部の古いコアが起動する音が響いた。
次の瞬間、周囲の熱気を含んだ大気中の環境魔力が一気に吸い寄せられ、半透明の光を帯びた矢として弦の上に形成される。
パンッ!
小快音とともに放たれた光の矢は、十数メートル先の岩肌へと吸い込まれ、拳大の穴を穿って弾けた。
レイジは弓を見つめ、短く息を吐いた。
霊力によるシステムへの割り込み(ハッキング)も、ノイズによる上書きも介していない。デバイス自体の論理回路が、そのまま正常に環境魔力を吸引して機能した結果だ。




