薬草の香りと、青白い発光
人通りの少ない区画へ差し掛かったところで、エレナが意を決したように足を止め、レイジの少し前へと回り込んだ。
「あの、レイジさん。……今夜、泊まるあてはありますか?」
レイジは足を止め、面倒そうに眉をひそめた。
「ないが、それがどうした」
「もしよかったら、私の家に来ませんか? ちょっとした恩返しです」
「……飯と宿の提供か。だが、俺は怪我もしていない。あんたに手当てされる義理もないぞ」
レイジが冷淡に牽制すると、エレナは図星を突かれたように少しだけ視線を泳がせた。
確かにレイジの身体に目立った外傷はない。仮に戦闘の余波で傷があったとしても、ゴブリン戦の直後、彼が初級ヒール以上の治癒を無詠唱かつ一瞬でやってのけた事実がある 。そのため、「傷の手当て」を口実に家に誘うことは不可能だった。
彼女の常識では物理的な用途に限られるはずの「気」で、生命力を操作する高度な術式をあっさりと代替されたという事象は、今も彼女の頭の中で常識を崩壊させるエラーとしてくすぶり続けている。
「手、手当てなんておこがましいこと言いません! ただ、夕食をご馳走したいんです。それに、この清鳴草の調合もありますし……」
エレナは必死に理由を並べ立てた。恩返しという名目以上に、彼女の心の奥底には、魔法の法則を逸脱するレイジの技術に対する強い警戒と、抑えきれない関心が渦巻いていた 。
レイジは小さく溜息をつき、思考を巡らせた。
(……一宿一飯には興味がない。だが、エレナは落ちこぼれとはいえ、魔法の知識を持つ家系だ)
彼の脳裏に、自身の出力不足と、先ほどの干渉でリソース(石)を使い果たした事実がよぎる。この世界のローカルな魔法理論を解析し、自分専用の堅牢なハードウェアを確保するためには、魔法使いの作業環境にアクセスしてログを拾うのが最も論理的だった。
「……長居はしない。飯より、あんたの持っている魔法の資料や、使い古しの触媒を見せてもらうのが条件だ」
「えっ? は、はい! 全然構いません! ちょっと散らかってますけど……!」
条件を呑んでもらえたことに安堵し、エレナは跳ねるような足取りで先導し始めた。
案内されたのは、街の西側に位置する古びた住宅街の一角だった。築年数の経っていそうな石造りの二階建てで、一見するとごく普通の民家だが、レイジの目にはドアノブや窓枠にごく薄い魔導回路の痕跡が残されているのが見えた。
「どうぞ、入ってください」
鍵が開けられ、中に入ると、室内には乾燥させた薬草の甘酸っぱい匂いと、古い羊皮紙の独特な香りが充満していた。壁際の棚にはびっしりと本が詰め込まれ、机の上にはフラスコや研磨途中の鉱石、未完成の魔法陣を描いた紙が散乱している。落ちこぼれと言われつつも、彼女がどれほど必死に勉強を重ねていたかが窺える部屋だった。
「今、お茶を淹れますね。あ、その前に……さっきのウルフの素材、早く処理しないと」
エレナは慌ただしく動き回り、台所のテーブルに清鳴草を広げた。
だが、その手つきは危うい。ナイフで草の根を切り分ける際、指先から無意識に漏れ出た魔力が、作業台の上の魔導ランプに干渉し、チカチカと不規則な明滅を繰り返している。
(……パケットロスが酷いな。出力が安定していないどころか、周囲のノイズにまで干渉している)
レイジは黙って見ていたが、やがてエレナが「保存用」だというガラス瓶に手を伸ばした時、ついに限界が来た。
彼女は、瓶の内部を殺菌するために指先から熱を出そうとしていたが、その波長は熱に変わる手前で乱れ、ただの破壊的な振動となってガラスを震わせていたのだ。
「あ、あれ? おかしいな。いつもはもっと、こう……熱くなるのに。……きゃっ!」
瓶に細かな亀裂が走り、エレナの手から滑り落ちる。
床に叩きつけられる直前。
レイジは椅子から身を乗り出し、空中で瓶をひったくった。
「貸せ。見ていられない」
「え、レイジさん……?」
レイジはエレナの困惑を無視し、瓶の底に右手の指を添えた。
懐から取り出した新しい石の欠片。そこへ、レイジは自身の細い霊力を「論理演算」として叩き込む。
「魔力はある。だが、実行ファイル(術式)が壊れてるんだ。……ポートを開放しろ。無駄な同期を切れ。熱源だけに固定する」
指先が青白く発光する。
次の瞬間、瓶の中は眩いほどの熱光に満たされ、一瞬で内側の湿気が蒸発した。完璧な殺菌。エレナが数分かけても出来なかった工程が、わずか五秒で完了した。
レイジは、熱を帯びた瓶をテーブルに無造作に置いた。
「……出力不足じゃない。あんたの制御が雑すぎるんだ。これじゃ、魔法を撃つたびに周りの寿命を削ってるようなもんだぞ」
静まり返った部屋。
エレナは、瓶から立ち上る微かな湯気と、レイジの指先を交互に見つめた。
「……やっぱり。レイジさん、あなた、魔法が『視えて』ますよね?」
エレナの問いに、レイジは舌打ちをして顔を背けた。
隠し通すべきだった。だが、彼女のあまりにも非効率な「エラー」の連続が、エンジニアとしての彼の神経を逆撫でしすぎたのだ。
「……視えてるんじゃない。構造を読んでるだけだ」
「……コードを、読んでる?」
エレナの声は上擦っていた。彼女はテーブルに置かれた瓶の熱を確かめるように、指先を恐る恐る近づける。均一に、完璧に処理されたガラスの肌。彼女がこれまで「感覚」と「祈り」で制御してきた魔力の残骸とは、明らかに質が違っていた。
レイジは丸椅子に深く座り直し、組んだ指の隙間からエレナを冷淡に見据えた。
自ら吐露した言葉の重みが、胃の奥で苦い鉄の味となって広がっている。
「あんたたちが『魔法』と呼んでいる現象は、この世界の基底にあるエネルギーを燃料にした、ただの実行プログラムだ。あんたの使い方は、OSの仕様も理解せずに、ただ闇雲にキーボードを叩いてるに等しい」
「プログラム……OS……? 専門用語、ですよね。聞いたこともない言葉ばかり」
エレナは丸椅子を引き寄せ、レイジの正面に座った。瞳には、恐怖よりも、底の見えない好奇心が宿っている。




