日没の帰還と、牙を剥く師弟
セレスは冷ややかな笑みを浮かべつつも、レイジの洞察力にどこか満足そうな眼光を走らせた。
「あの馬鹿弟子はな、極限まで追い詰められて初めて『火事場の馬鹿力』を出す。ぬるま湯に浸からせれば、一生へっぽこのままだ。あのアクシデントも含めて、あいつがどう絶望を乗り越えて足掻くか……それを見極めるための組み手(お仕置き)だよ」
「なるほどな。時間オーバーは確定だが、逃げずに帰ってくれば『組み手』という名の地獄の特訓でしごき直す、と」
レイジの言葉に、セレスは「話が早くて助かる」と不敵に口角を上げた。
道場に戻る頃には、空はすっかり濃い群青色に染まり、山の端に最後の夕陽が沈もうとしていた。
――約束の日没の刻。
「ひぃぃぃぃぃはぁぁぁぁぁっ!! 間に合わせるぅぅぅ! 遅れたら死ぬぅぅぅ!!」
山道の奥から、猛烈な土煙を上げて爆走してくるフィン。
その手には、蜂蜜――ではなく、激怒した盗人ザルを丸ごと一匹、羽交い締めにして強引に抱え込んだ凄まじい光景があった。
「し、師匠ぉぉぉっ! 蜂蜜を持っているサルごと連れて帰ってきましたぁぁぁぁっ!! 時間ピッタリですぅぅぅ!!」
時間的なハードルを超えたのは、レイジの計算式をぶち壊すほどに、師匠との組み手が嫌だったからだ。
畳敷きの部屋の奥で杯を傾けていたセレスは、地面に滑り込んだフィンと暴れるサルを冷ややかな目で見下ろすと、妖艶に口角を吊り上げた。
「……ほう。サルごと連れてくるとは」
「は、はいぃぃっ! これで! これでお仕置きは免除ですよね!?」
息を荒げて縋り付くフィンに、セレスはゆっくりと立ち上がり、手にしていた杯をコトリと置いた。
「条件は『蜂蜜を持ってくること』だ。生きたサルのおまけ付きとは……よし、とりあえず合格だ」
「た、助かったぁぁぁぁっ!!」
歓喜の叫びを上げて突伏するフィンだった。
安堵の涙を流して畳に突っ伏すフィンの頭上で、セレスの妖艶な笑みは一層深まっていた。
「……だけどな。お客様方も、お前の本当の実力には興味があるはずだ。魔闘祭の短い期間だけじゃ、お前の底の底までは完全に計りしれていないだろう?」
「……え?」
ピタッと、フィンの歓喜の涙が止まった。
セレスは、鋭い眼光でレイジたちへと視線の流す。
「どうだ、お前たち? この馬鹿弟子の実力、もっと深く見てみたくはないか?」
急に話を振られたレイジは、あくびを噛み殺しながら首の後ろを掻いた。
「そりゃまあ、あの異常な環境魔力同期の底がどうなってるのか、技術的な興味はあるな」
「えっ……と、私は、フィンくんがこれ以上ボロ雑巾になるのはちょっと可哀想かなって……」
エレナは苦笑いしながら遠慮がちに手を振ったが、その隣ではリリアーナが腕を組んで目を輝かせていた。
「ふむ! レイジの言う通りなのだよ! 我が商会の精鋭を破ったのだから、その真の実力、是非ともこのリリアーナ様に見せてもらう必要があるな!」
「ほら見ろ。客人の強いご要望だ」
セレスは満足そうに頷き、フィンに向かってゆっくりと足を踏み出した。
「お仕置きの組み手は『免除』してやる。だが、客人の前で不甲斐ない姿を晒すわけにはいかんだろう? だからこれはお仕置きではない。ただの『実力披露のための特別な組み手』だ」
「話が違うぅぅぅ!! 理由が変わっただけで結局組み手じゃないですかぁぁっ!!」
フィンが顔面を蒼白にして後ずさるが、セレスはもはや逃げ道を一切塞ぐような圧倒的な威圧感を放ち始めていた。
「さあ、構えろへっぽこ」
「いやだぁぁぁ! 誰か助けてぇぇぇ!!」
フィンの悲鳴が道場内に木霊する中、セレスは軽く片手を差し出した。
「死にたくないぃぃぃぃっ!!」
フィンは全能器官の如く本能を剥き出しにし、体内の「気」と「魔力」を極限まで同時展開させた。エレナの連打すら防ぎきった重厚な防衛障壁が、彼の周囲に幾重もの多重層となって出現する。
それに対し、セレスは武器すら取らず、ただ静かに一歩を踏み出した。
(素手でいく気か……? あの防御壁は、ただの魔力打撃じゃ破れないぞ)
レイジが思考を巡らせた、次の瞬間。
ドツンッ!!
短い、だが腹の底まで揺らすような重低音が響いた。
セレスの掌がフィンの展開した多重障壁に触れた瞬間、波紋のような衝撃波が空間を走る。弾き返されるはずの攻撃が、まるで熱したナイフがバターに吸い込まれるように、フィンの多重障壁を「通過」した。
「ぐはぁっ!?」
接触面に発生した極小の爆風がフィンの二重装甲を内側から食い破り、フィンは一撃で背後の壁まで吹っ飛ばされた。
「な……っ!?」
エレナが息を呑み、リリアーナのツインテールが驚きで跳ね上がる。
最も強い衝撃を受けていたのはレイジだった。目はあくび混じりの眠気を完全に失い、眼前の現象に釘付けになっていた。
(なんだ今の動き……!? 併用じゃない。気と魔力が単に混ざり合っているだけじゃないぞ。分子レベルで完璧に編み込まれて、ロスゼロの単一エネルギーに昇華されている……!)
二つの相容れないエネルギーが拒絶反応を起こすことなく、完璧に「融合」し、一つのエンジンとして駆動している。セレスの体内で循環するそのエネルギーは、彼女の魔力量からは考えられない密度の熱量と物理的な質量を生み出していた。
(出力の無さを『融合エンジン』で補っているのか。……ハハッ、イかれてるな。どれだけの修羅場をくぐれば、こんな狂気じみた精度に辿り着くんだ)
圧倒的な技術の美しさに、レイジの胸の奥でエンジニアとしての知的好奇心が猛烈に加速する。
レイジは目を細め、高まった自身の感覚を研ぎ澄ませた。
実は、異世界に来て魔力という概念に干渉し始めてからというもの、レイジ自身の「霊力」の基本スペックそのものが地味に上昇し続けていた。かつて本家で「出力不足の欠陥品」と切り捨てられた極細の霊力は、空間の魔力と日常的に摩擦・干渉を繰り返すことで、その純度と干渉能力を高めていたのだ。




