外部ストレージ試作品
淡い、ほとんど透明な光がレイジの手のひらを覆う。
次の瞬間、エレナのふくらはぎにあった傷口が、まるで映像を早送りするかのように塞がってゆき、数秒後には傷痕ひとつ残さず綺麗に消滅した。
「よし。これで歩けるだろ」
レイジは立ち上がり、何事もなかったかのように歩き出した。
「……は?」
彼女は自分の右足と、レイジの背中を交互に見比べる。
(えっ!? 嘘でしょ!? 治った!? しかも一瞬で、傷痕もなく!?)
エレナの頭の中で、常識という名の処理系が盛大なエラーを吐き出していた。
(待って待って待って! 『気』って、身体能力を高めたり、武器に纏わせたりして物理的な攻撃力を上げる技術じゃないの!? なんで初級の治癒魔法より綺麗に、しかも無詠唱で治ってるの!?)
魔法使いであるエレナの知識が正しければ、他者の傷を癒すのは「神聖魔法」や特定の属性魔法の領域だ。生命力そのものを操作する高度な術式が必要になる。
(『気』がここまで便利だったら、わざわざ長ったらしい呪文を覚えて魔法なんて発展させてないはずなんだけど!?)
内心で激しいツッコミを展開しながらも、エレナは恐る恐るレイジの背中に声をかけた。
「あ、あの……レイジさん? 今の、本当に『気』……ですか?」
「あぁ。傷口の血の巡りを良くして、自己治癒力をちょっと活性化させただけだ。大したことはしてない」
「自己治癒力の活性化で、数秒で傷が塞がるわけないじゃないですかぁぁ!」
ついに口からツッコミが漏れ出たエレナに対し、レイジは振り返りもせず、淡々と答える。
「……俺の田舎じゃ、これが普通だ」
「どんな魔境ですか、そこ!」
(……まぁ、間違ってはないか。化け物揃いの『メインサーバ』から見れば、俺の技術なんてただのバグ利用にすぎない)
道中、エレナはこの世界のこと、魔法のこと、そして近くの街のことを話した。レイジは適当に相槌を打ちながら、彼女から漏れ出る魔力の波長をじっと観察していた。
やがて、木々の隙間から石造りの門と、活気のある街の輪郭が見えてきた。
「ここが私の住む街です。助けてくれてありがとうございました。気をつけてくださいね」
エレナは門の前で頭を下げると、雑踏の中へと消えていった。
一人、街へと続く街道に残されたレイジは、往来の激しい門を避け、人気のない城壁の陰へと足を向けた。
(……魔力、か)
地面に座り込み、目を閉じる。一族で叩き込まれた霊力を練る呼吸法。内にある、細い霊力が指先に向かってゆっくりと動き出す。
だが、彼が意識を向けたのは内側だけではない。空気中に漂う、微かな、しかし確実に存在する魔力の流れだ。
(現代の電子ノイズは、俺の霊力を弾き、狂わせる一方だった。……でも、こいつは違う)
指先に薄く霊力を纏わせ、周囲の大気を撫でるように動かす。「調律」。東京で電子機器の構造に干渉し、ノイズを避けるために磨いた技術だ。
(捕まえるんじゃない。周囲の魔力の周波数を、俺の霊力の波長に同期させ、誘導するだけだ)
本来、魔法使いは内なる魔力を放出して奇跡を起こす。だが、レイジの霊力はあまりに細い。
(自分に力がないなら、外に溢れているリソースをかき集めて、俺の指先の延長として使えばいい)
レイジの指先が、空中で複雑な回路を描く。周囲に漂っていた魔力の粒子が、磁石に吸い寄せられる鉄粉のように、指の軌跡に沿って淡い光の筋を作り始めた。
現代文明の重量に物理的に粉砕された男は、今、この世界のエネルギーという名の「システム」に、自分だけのバックドアを見つけ出そうとしていた。
城門をくぐり、活気に溢れる街の喧騒に紛れ込んだものの、レイジの懐には使い古した小型ナイフと、ただの板切れと化したスマートフォンしかなかった。
「……金がねぇな」
当然だ。異世界の通貨など持っていない。レイジは街の端、放置された荷車の影にある路地へと身を潜めた。石造りの壁に背を預け、地面に腰を下ろす。
(……さっきのゴブリン戦で分かった。俺の霊力そのものは、この世界の住人と比べても下限だ)
この世界で生き残るには、自前の出力に頼っていては話にならない。幸い、大気中には「魔力」が垂れ流されている。
(予備を作っておくしかない。こいつに、外の魔力を『外部ストレージ』として叩き込む)
レイジは道端で拾った石の表面に指を置いた。理論と実践の間には、物理的な壁が立ちはだかっていた。
まず微弱な霊力を針のように練り上げ、石の内部構造にある「隙間」をこじ開けようとした。現代の電子基板をショートさせてきたノイズ技術を応用し、分子結合に干渉する。だが、外の魔力を引き込んだ瞬間、石がその圧力に耐えきれなかった。
「……チッ、過電流か」
パキッ、と乾いた音がして、石が粉々に砕け散った。石の強度が魔力の膨張に負けたのだ。ただの石ころでは、高密度のエネルギーを閉じ込めるセクタとして脆弱すぎた。
レイジは二つ目の石を拾い上げた。今度は慎重に魔力を流し込む。
石は砕けない。だが、指を離した瞬間に魔力が霧のように抜けていく。
(回線が繋がらない。内部構造がスカスカで、魔力を保持する保磁力が足りない……!)
注ぎ込んでは漏れ出す無力感。現代で「不具合」を起こしていた彼の繊細な力は、荒々しい魔力を繋ぎ止めるには強度が足りなかった。
三度目の試行。レイジは冷や汗を拭い、別の石を手に取った。
強引に押し込めるのをやめる。石の内部に、霊力で微細な**「回路図」**を書き込んでいく。
「逃がさない。構造を組み替え、出口を塞ぐ(クローズ)」
指先を滑らせ、石の内部にある結晶の並びを、霊力という名のノイズで強制的に歪ませる。魔力を閉じ込めるのではなく、魔力が**「循環し続ける構造」**へと石そのものを最適化した。
石の表面が、一瞬だけ青白く、回路図のような光を帯びて明滅した。
周囲の魔力を指先の霊力で絡め取る。自分の中を通さず、外から外へ。霊力を介して、大気中の魔力が石の内部へと凝縮されていく。
「……ハッ、ようやく一個か。即席の『魔力バッテリー』。見た目は相変わらずゴミ同然だな」
だが、これがあれば自前の出力が底を突いても「外部電源」として術を起動できる。
現代社会で疎まれたハッキング技術が、異世界のシステムを侵食し始めていた。
石に触れると、微かな温もりが指先に伝わる。
レイジはそれを懐にしまい、夜風を凌ぐようにフードを深く被った。




