「三人の勇者達」-7
魔王軍の破壊部隊を倒したという勇者様が目をお覚ましになられた、という伝令がアルカディア全域に広まった。漸く勇者様たちを歓迎する宴を開始できる、と人々は明日を恐怖して待たなくても良いのだと盛大に喜んだ。
自給自足で貿易にあまり頼らないアルカディアでは戦力よりも資材や食材の方が多く存在し、神殿前の大きな広場では夕飯に合わせた宴の準備がされていて久方振りの賑わいがあった。
ノブナガは既にフレイルを連れて酒を飲みに宴の一端で騒いでいるし、アーサーは律儀に宴の様子をマリアスに説明されながら回っていた。
そんな二人の勇者を、アサギは屋根の上で見ていた。否、二人だけではない。アサギは宴の全てを見ていた。
胸に込み上げる感情は、懐かしさと哀しみ。
このような宴で引率めいた位置に居たアサギは、かつての仲間との思い出を頭の中で描いては裏切りという罰印でそれらを塗り潰す。
右手を見やればゴツゴツとした長旅で鍛えられた掌が、三箇所に別れて血で塗れているように見える。仲間たちが裏切り、村が焼かれ、国を滅ぼした日からアサギの右手は血濡れのまま。拭っても洗っても消えない血が、アサギの心を締め付ける。
もしかしたら、と思えば思う程に幻覚の血は掌から溢れて行く。
「……世界は残酷故に美しい、か。皮肉だな、魔王。お前と俺は違えた筈なのに、この言葉が胸にストンと落ちてくるんだ」
魔王の死に際の「一緒に美しい世界を見たい」という願いを叶え、取り替えた魔王の左腕はアサギの左腕として馴染んで生き続けている。
ーー我という残酷さが消えた世界はさぞ美しかろう。
アサギにとって、もはや世界は残酷でしかない。
辛そうに左腕を右手で握り締めたアサギは、嘆息と共に屋根へ背中を任せた。視界いっぱいに拡がる夜空というキャンパスに散らばる星の輝きが幻想的に見えた。
左手を一番輝く星へ向けてアサギは黄昏れる。
「……なぁ、魔王。もしかしてお前、こうなるって知ってたんじゃないのか。全力の殺し合いをしているというのに、互いの理想を語り合うなんて馬鹿げた問答をしたよな」
ーー勇者イオリよ、勇者とは何だ。
「……分かんなくなった。今の俺はアサギ・イオリでしかない。不屈の勇者だなんて讃えられる程偉くも無いし、地球に帰りたいが故に勇者という肩書きを背負ったガキでしかないんだ。なぁ、魔王。お前から見て本当に俺は」
ーー勇者だったのか?
虚空へ問い掛けても返事は返って来やしない。そう分かっている筈なのに、アサギは左腕へ問い掛けてしまう。未だに左腕に魔王の残滓が残っているのは分かっている。
けれど、左腕は何も語らない。
語るまでも無いだろう、と言っているのかも知れないがアサギには届いていない。
「……また勇者の肩書きを背負って、俺は何をすれば良いんだ。誰かの笑顔を護る事がーー」
脳裏に映るのは、長閑な村の風景の写真だ。
子供たちが笑顔で遊び、男たちは畑仕事に精を出し、女たちはそんな光景に微笑んでいた。
そして、それが端から燃えて行く。
写真に映る子供たちが槍に串刺しにされ、若い男は見るも無惨に殺され、女たちは夫や子供の名を叫びながら犯されて殺されて行く。
ーー誰のせいでこうなったと思っているんだ!
悲痛な叫び声が幻聴で聞こえた。
「ーー使命だった筈なのに、俺は護れなかった。目の前の命を、助けられなかった俺が……」
ーー本当に勇者で居て良いのか?
落ち着いたと思っていた心の傷が開き、頬に涙が流れた。行き場の無い感情は自分を傷付ける事しか出来やしない。
聖剣デウスエクスに勇者と認められている筈なのに、アサギはアサギを信じられなくなった。
アーサーに片手で助けられる人は少ないと言ったのは、助けられなかった後悔からの自嘲だった。あんなにも真っ直ぐに、助けを求める人たちのためだと全力を尽くせるアーサーの在り方が眩しかった。
勇者アサギ・イオリを知る者はこの世界には居ないと、アサギは考えていた。アーサーはノブナガというアーサーを知る者が近くに居る。
けれど、裏切られて伽藍堂になったアサギの隣には誰も居ない。
孤独という心の傷が夜風に引っ掻き回され、アサギという剣を傷付けて行く。化物のように強いアサギが苦しむ姿は、痛々しくも人間味溢れるものだった。
流れた涙を拭い、アサギは涙で滲む視界で宴の準備を見渡した。もしかしたらウィンクルが自分を探しているかもしれない、そんな些細な事に期待していた。
瞬間アサギの姿は屋根から消えて、宴の一角に座っていた。まさか、そんなふうに宣誓の加護を使うとは思っていなかったアサギの前には、現れたアサギに驚いた顔のウィンクルが居た。
辺りを見渡してみればワインボトルがそこらに落ちていて、甘いワインの匂いとアルコールの匂いが充満するノブナガの設けた酒飲みの集う場所にアサギは転送されたらしい。
「……ウィンクル。後で通信のやり方教えるから、無言転送は止めてくれ。心臓に悪いから」
「ご、ごめんなさい。アサギさんを見つけたんですがわたしでは行けそうになかったので……」
トイレ中に転送されるのは勘弁願いたいからな、とアサギはグッと出掛けた言葉を飲み込む。今回はやり方を教えてなかったアサギが悪いのだから、ウィンクルには罪は無い。
目を隠すように左手で顔を覆い、魔力で無理矢理涙の跡を消した。
「いや、教えなかった俺が悪い。だから、次から気をつけてくれ」
「分かりました。凄いですね、これ。椅子に座る感じで出て来てください、ってお願いしたら本当に出来ました」
「……そんな操作が出来るもんなのか。初めて宣誓なんざやったからあんまり言う言葉が無いが、まぁ、適度に練習しても良いぞ」
「……え? 初めて、なんですか?」
やんややんやとギャラリーが騒ぐがアサギは何故騒いでいるのか見当が付かず、ウィンクルを見る。ウィンクルはウィンクルで事の重要さに気付いて頬を染めている。
「その宣誓ってのは何ぞや? いきなり小僧が椅子に現れたが」
ノブナガは敢えて分からぬ振りをしてアサギに尋ねる。それに気付くギャラリーは笑みを浮かべて酒の肴にしようと視線が集まる。
視線が集まる理由を物珍しさと判断したアサギは何の躊躇い無く説明を始める。
「ウィンクルの右手首には、勇者の宣誓っていう加護を付与してる。それを使うとウィンクルの周辺……いや、今回のを見る限り場所を指定して俺を転送できるみたいだな。前回の魔王討伐は初めは一人だったからな。紆余曲折あって仲間が……」
仲間の部分で急激にテンションが下がるアサギに周り、特にノブナガは失言を悟る。アーサーは隣のノブナガを睨み、気を遣え、と視線に込める。
「……まぁ、できてだな。今回もそうかなーと思ってウィンクルに宣誓の加護を渡したんだよ」
ぶっちゃけウィンクル以外護る気がしねぇし、とは流石に続けなかった。
「そ、そうか。……む? 今の口振りだと魔王を討伐するのが今回で二回目という事か?」
ノブナガは恐らく討伐に成功しているのだろうと当たりを付け、ギャラリーに盛り上げさせようと考えた。
褒められて喜ばない奴は居ないだろうという微妙な根拠であるが、最悪な事にそのチョイスはアサギにクリティカルを叩き出す。
「まぁな。魔王は俺の手で倒した。魔王は……出会いが違ったら親友になれたかもな……」
地雷を踏んだ音が幻聴えたのはノブナガだけでは無かった。辺りが冷え込むくらいに絶望した雰囲気を醸し出すアサギは淡々と語る。
「……魔王倒して王国に凱旋したら何故か国賊認定されてて、な。…………頼れる仲間は出世と金銀財宝で裏切って、流石に人とは戦えないし逃げたんだよ。山近くの辺鄙な場所を選んで村に匿って貰ったら、……王国の奴等追手出してて俺が水汲み行っている間に村の人たちを虐殺してた。俺は聖剣を魔剣化させるくらいにキレて追手皆殺しにして、村の人たちの墓を作った。俺のせいで死んだようなもんだからさ……。それから怒り狂うままに刺客全員ぶち殺して、向かって来る“敵”を全て返り討ちにして、化物と罵られながら王様を殺して国を滅ぼしたら、また勇者として召喚されてた。目の前に攻め込もうとする魔物居たから魔力全部使い切るくらいに塵に還して、二日寝て起きたらウィンクルに癒されて正気に戻って……」
ウィンクルの話題になると、アサギの雰囲気が穏やかになったため、同情して泣いていたウィンクルが限界になり、優しくアサギの顔を抱き締めた。
アサギもされるがままにウィンクルに抱き締められ、柔らかい胸の中で静かに涙を流していた。
ホット過ぎるトラウマを抉った原因たる悪逆無道と呼ばれた事もあるノブナガですら悲惨なアサギに同情し、天界の勇者で良かったとアーサーは心底同情した。
楽しい宴の前の余興が木っ端微塵と化し、ノブナガの周りで酒を飲んでサボっていた者たちは、酔いが吹っ飛ぶ程にアサギの過去に胸を痛め、すぐにでも宴が開始できるように、と迅速に手伝いに戻った。
取り残された六人の内二人は泣いているし、四人はどうにも出来ないため座り尽くすしか無かった。
しばらく泣いた二人は落ち着いた様子で恥ずかしさ交じりの気まずい雰囲気で離れ、アサギは再び魔力で涙の跡を消した。
「……と、まぁ、二回目だから役に立つよ、うん」
「もう良い……ッ、休め……ッ。小僧、いやアサギ。おぬしは頑張った……ッ!」
ノブナガの優しさが胸に効いたアサギは、ウィンクルと一緒に宴が始まるまで自室に戻り、再び泣いた。
十九歳のアサギには色々と衝撃的過ぎて脳が今の今まで深く思い出す事を拒否していたらしく、皆の前で語った事で傷が開き、心の防波堤が決壊した。
最後の拠り所であるウィンクルが居なくなったらアサギが精神的に死ぬかもしれん、とノブナガとアーサーは極力気を遣う事に決めた。




