「三人の勇者達」-5
エーテルが勇者三人のために作った勇者宿舎は外見の見栄えが良く、中もスイートルームレヴェルの繊細さと上品な部屋が備え付けられている。内装は男女の好みが別れぬような間取りをし、あらゆる調理道具のあるキッチンや執務室に巫女が寝泊まりする個室が備え付けてあり、何れも最上級の貴賓の備えがある。架空の勇者の身長が分からなかったためか、天井はやや高く設計されていて、二メートル半のトロールでも入れる大きな部屋になっている。美麗かつ機能性のある調度品は幾つか存在し、使い勝手が良いためノブナガもアーサーも別に部屋の家具に対して異論は無い。
魔力貯蔵庫から出した酒のせいで、ノブナガの部屋はフレイルが換気せねば入った瞬間に酔っ払いかねない甘い匂いが染み付いており、アーサーの部屋は食う寝る鍛錬の日課から寝泊まり程度にしか使用されているためあまり変化は無い。
ノブナガの右側の部屋は未だに名前が分からず便宜上「風の勇者様」となっている少年が眠り続けていた。
部屋はウィンクルの考えにより花瓶や観葉植物を適度に置かれていて、その和風なチョイスに日本人たる少年は文句は言わないだろう。
ウィンクル曰く「大地の物にはリラックス効果があるんです!」という森林浴的な効果を期待して少年を気遣う優しさが込められており、毎日キチンと手入れがされていて美しい状態で花々は飾られている。
「…………ここ……は」
ぼんやりと瞼を開いた少年は焦点合わぬ視界でピントが合うのを静かに待つ。何処からかぱちゃぱちゃと水の音が聞こえ、可愛らしい鼻歌も少年の耳に入ってくる。それは民謡のような優しい抑揚の曲で不快に思う事は無かった。
見知らぬ天井がはっきりと見えてきた少年は首を少し動かし、水の音がする方へ視線を向けた。そこには翡翠色の穏やかな長髪を窓から入る爽やかな風になびかせて、鼻歌を交えながら木の桶でタオルを水に浸しているウィンクルの姿があった。
女性特有の甘い匂いが乗った微風が額を撫で、ひやりとした感覚に少年は額が少し濡れている事に気付く。
部屋には目の前の椅子に座る少女しか居らず、額に乗せていたタオルを替えてくれていたのか、とまで思考して固まった。
何気無く雰囲気がまったりしていたので少年もそれにつられてしまったが、門の前で誰かと会話してから寝てしまった事を思い出す。自分はあの後どうなったんだ、と少年は沈没した記憶をサルベージして段々と浮かび上がらせ、ウィンクルに己を任せるという暴挙に出た事を完全に思い出した。
「……そうだ、君に任したんだった」
そのか細い呟きを耳にしたウィンクルはふとタオルから視線が上向き、無意識に返事をしていた。
「……はい? あ! お目覚めになられたんですね! お体は大丈夫ですか?」
「寝起きでやや頭が重いくらいだ」
「そうですか! 二日も寝ていたから心配してたんです」
そう慈愛の天使のようにほにゃっと笑顔を浮かべたウィンクルの何の裏表の無い笑みに、少年は何処か気まずそうに視線を逸らして上半身を起こした。
身動きしやすいラフなシャツとズボン、そして、ゴムの所を紐にしたようなトランクス型のパンツを着ている事に気付いた少年は錆び付いた螺子の如くぎぎぎとウィンクルを見た。笑顔のまま小首を傾げたウィンクルに少年は事態を察し、右手で顔を覆い項垂れた。
マジか、と小動物チックなウィンクルに色々と見られた事に激しく落ち込んだ。次に、選りに選って可愛らしい少女に男の体を任せた誰かを恨みながらも、役得であっただろう二日間に意識の無い自分を哀れんでいた。
「……その、なんだ。俺が二日寝たのは分かった。取り敢えず……、名前を聞いても良いかな」
「あ、申し訳ありません! わたしはウィンクル・アレイクトです。勇者様の従者で風の巫女をやってます」
そうハキハキと言われたが、巫女と言われても神社の巫女さんしか思い付かぬ青年が「ん?」と訝しむのも仕方が無いだろう。
外見からして自分の方が確実に上だろう、と童顔低身長なウィンクルを見て、一先ず疑問はスルーする事にした少年は右手を顔から下ろした。
「……そうか。ウィンクルな、覚えた。俺は……イオリ。朝霧庵だ」
一瞬だけ偽名を語ろうとしたが、ウィンクルの向日葵のように優しい笑顔で色々と諦めたアサギは本名を教えた。案外すんなりと受け入れられたのが嬉しかったのか、ウィンクルはぱあっと表情を明るくした。
「これからよろしくお願いしますねアサギ様!」
「……その、様っての止めてくれ。様付けされんのは違和感しか感じないから」
「そ、そうなんですか?」
そう再び可愛らしく小首を傾げるウィンクルに、アサギは「そうなんだ」と頷く。そんな大それた呼び方をされたのは最初だけで、後は呼び捨てか勇者様の何方かだったため、硬い呼ばれ方は性に合わないとアサギは思っていた。
「ではアサギさんとお呼びしますね」
「ああ、そっちの方が楽で良い。ところで、さ」
「はい、なんですか?」
「……俺の剣は何処に?」
小動物にも負けそうな華奢なウィンクルに暗殺されるとは思っていないが、知らぬ場所故に得物は近くに置いておきたかった。そして、アサギは自身の得物に対してウィンクルがどう扱うかを見たかったのが本音であり、聖剣はいつでも召喚できる故の問いかけだ。
「アサギさんの剣は凄い事になっていたので……」
しかし、疑う事なくあっさりとウィンクルは椅子から立ち上がり、木の桶をベッドのサイドテーブルに置くと、着ているエメラルドグリーン色のローブの端をゆらゆらさせて隣の個室へ入ってしまった。やんわりと拒否されると思っていたアサギに“純白”な鞘に収まった剣をウィンクルはしっかりと手渡した。
確か黒く染まってたような、と記憶違いの愛剣を受け取り、色々問い質したい事はあれども一先ずアサギは柄を握って剣身を見る事にした。
美しい銀色の白刃が鞘から抜かれ、業物である故に抜き身だと威圧感があるが、禍々しい感じは全く無かった。
それは、アサギが唯一大切にしている戦の女神から手渡された聖剣デウスエクスそのものだった。一瞬贋作を疑うが、手に馴染む魔力通りから本物であると確認した。
「頑張って磨きました!」
「呪われた魔剣を聖剣に戻すって……、凄い頑張ったんだな」
「はい! 凄く頑張ってみました!」
それだけこの娘の心が綺麗なのか、とアサギは目の前でニコニコ顔のウィンクルに半ば驚愕しつつ、聖剣に戻って美しい愛剣を鞘に戻してベッドに置いた。
魔剣は持ち主の心を覗いて憎悪や疑心等を助長させる働きを持つため、聖剣と言えど魔剣化したら何ら変わらない。むしろ、更にドップリと呪ってくる。
しかし、ウィンクルのように心が純粋無垢で綺麗な者が持つと、心を覗いた際に魔剣化の原因たる悪霊等が浄化されてしまうのだ。
魔剣祓いは赤子を犠牲にする等の方法で行なわれるため秘匿され公にされていないが、こうした純粋無垢な少女の何気無い気遣いで浄化されるケースは地味に多い。
愛の力というよりも少女の処女性による浄化であるため、魔剣に取り憑かれて〜という時は大概初々しい彼女や片想いの乙女の頑張りにより何とかなるケースはもはや御約束である。
アサギを裏切る可能性が零に近い、とウィンクルは知らず内に身と心の潔白を証明してしまったので、疑う立場だったアサギ的には乾いた苦笑を浮かべざるを得ない。
「……ありがとう」
だが、手元近くにあるデウスエクスの鞘を撫でて、アサギは哀しい瞳で礼を言った。
ーー自分は斬ったのだ、この剣で彼らを。
怒りと憎悪により魔剣化したデウスエクスに飲まれ、国と共に仲間を斬り捨てた事をアサギは後悔していない。
勇者としてやらねばならなかったのだ。
とある村の人たちへ黙祷を捧げた意味が無くなってしまうから。
自分が勇者になった意味が無くなってしまうから。
ーー誰かの笑顔を護る事こそが勇者の本懐なのだから。
腐敗した上流貴族の身勝手な争いに巻き込まれて逃亡した勇者のアサギを、笑顔で匿ってくれた優しい村人たちの無念を祓わねばならなかった。
勇者アサギではなく、朝霧庵として。
この怒りを無視したならば、自らが掲げる勇者道に背中を向ける事になる。村人たちがアサギへ対し向けてくれた笑顔を踏み躙る事になる。
ーー今の俺は勇者を名乗る価値はあるのか。
魔剣に巻き込まれた、ではない。
聖剣をアサギの憎悪と嫌悪により巻き込んだ、が正しいのだ。
聖剣デウスエクスはそれでもアサギを見放さなかった。それは主と認めた者にしか抜けぬ聖剣の美しい剣身を、再びアサギに魅せてくれたから十分に分かっている。
ウィンクルが抜けたのはアサギが許可した相手だからだ。魔剣化していたとしても聖剣はアサギを主と認めていてくれた事の証明に他ならない。
ーー聖剣は再び俺に勇者を名乗る事を赦してくれた。
ただそれだけでアサギは自分を再び勇者と呼べる。
例え、中身が底から抜けた伽藍堂の身であれど、アサギは今も尚勇者だと信じて行ける。
「……本当に。ありがとう」
魔剣では無く聖剣を手渡してくれたウィンクルにアサギは深々と頭を下げた。敬愛する勇者に頭を下げられているウィンクルは軽いパニックを起こし、「え? え? え?」とクエスチョンマークを大量に浮かべていた。
「……なぁ、ウィンクル。君だろう、俺をこの世界へ呼んだのは」
「は、はい。……そうです。わたしがアサギさんを担当しました」
アサギの真剣な問いにより混乱から覚めたウィンクルは、森林の砦での慟哭めいた咆哮を思い出した。
あの、哀しみに満ちた声を。
しかし、目の前のアサギは清々しい表情で爽やかな笑みを浮かべていた。瞳の奥は未だに濁りが見えるが、重々しい様子がなくウィンクルは安堵した。
「我、“神々の試練を越えし不屈の勇者”アサギ・イオリは聖剣デウスエクスの名に誓いを立てる」
その詠唱は勇者が然るべき者へ宣誓する際の誓いの言葉だ。それに従い、聖剣デウスエクスは白銀の輝きを鞘から放ち、宣誓を受け入れた。
突然のアサギの行動にぽかんと小さな口を開いたままのウィンクルはその輝きに見惚れていた。
「我、勇者の名に誓う。ウィンクル・アレイクトの剣と成る事を」
「……へ?」
ぽぅと聖剣デウスエクスの輝きと同じ白銀の魔力にウィンクルは包まれ、それは彼女の右手首に収束した。白銀の細い腕輪が魔力により生じ、ふっと消えた。
いきなり現れて消えた腕輪にウィンクルは首を傾げたが、アサギは飄々とした顔で説明した。
「今のは勇者の宣誓という契約だ。ウィンクルが俺に来て欲しいと願うと、俺はウィンクルの前に転送される仕組みの魔法だ。勿論逆も出来る」
「……そ、そんな凄い魔法をわたしに、ですか?」
「まぁな。聖剣デウスエクスを磨いてくれた礼だ。それに、これから俺は単身で魔王を討伐しに行かないといけないだろ? そしたら、ウィンクルに何かあった時護れないし」
「え?」
「ん?」
二人はお互いにきょとんと顔を見合わせた。
ウィンクルは、単身で魔王を討伐、という所に反応し、アサギもまた当たり前な事と感じている事に首を傾げられたので反応し返した。
「あ、アサギさん? 一人で魔王討伐なんて駄目ですよ!?」
「え? ち、違うのか? 前回はそんな感じだったんだが……」
「違うに決まってます! そんなのアサギさんが可哀想じゃないですか! 駄目ですからね。そんな事をしたらわたし呼んじゃいますからね!」
ガツンと会心の一撃を頭にモロに食らったような衝撃がアサギの頭の中を突き抜けた。ぷんすかと可愛らしい怒り方をしたウィンクルにアサギは心底驚いた様子だった。
ーー誰かに心配された事が今まであったっけ?
勇者に成り人々を救う側だったアサギを心配した者なんて一人も居やしなかった。
縋り、頼り、感謝し、笑顔を向けられた。
だが、アサギを。朝霧庵を心配した者は、誰一人として居なかった。
魔王を倒す救世主である勇者を誰が心配する?
「もうっ! 聞いてるんですかアサギさん!」
「ごめんごめん。ちゃんと聞いてるよ」
そんな当たり前の事を初めてしたウィンクルにアサギはもう駄目だった。
ーーこの娘は伽藍堂な俺を裏切らないでくれるかな。
諦めていた希望に縋り付いてしまった。
空っぽな自分に何かを積み込んでくれるんじゃないか、とアサギは目の前の小さな少女に祈ってしまう。
伽藍堂な勇者は踏み外した道を正し、聖剣片手に向き直した。
隣に向日葵のように笑顔を向ける少女を伴って。




