「勇者達の休息」-9
「ーー敵を殺せ」
アサギとアレイクト家へ向かう馬車に乗り込んだ数時間後から記憶の無いウィンクルは、再びアサギの記憶に触れていた。
聖剣を握り締めるその背は視界にあった。たった一人で城の前に立ち尽くすアサギ。黒い聖剣を握り締める狂気と憎悪に染まる風貌を見やれば、ああこれは裏切りの後の事なのか、とウィンクルは時代背景を思い浮かべる。
振るわれた残酷な一振りにより、厳格な城門は砕け散るのと同時に切り捨てられた。その余波に巻き込まれた衛兵の散り様は無惨の一言に尽き、彼が隠していた勇者の責務への、彼を召喚し酷使した王国への、憎悪の犠牲者の一人となった。吹き飛ばされた肉片が城壁を血と共に赤く染め上げた瞬間に、ウィンクルは息を飲んだ。
「魔を、敵を、殺せ。殺せ、殺せ、殺せ」
誰かに囁かれた言葉をそのまま口にしているらしいアサギは禍々しい魔力が逆巻く暴風と成し、城門から堂々と侵入し、待ち構える王国兵士たちを殺すべく黒い聖剣を振るう。
凄まじい疾駆により生み出された衝撃波により壁の染みに成る者、振り抜かれた聖剣の斬撃により前に居た兵士ごと腑をぶちまけた者、叩き付けられた盾の側面により頭を破裂させた者、臓腑を抉られ切り払われて床に朽ちた者。それらは全てアサギが敵と判断した者たち。例えそれが人間であろうがもはやアサギは、いや、勇者だった者は気にしない。敵を殺す、それだけのために聖剣を振るう。
ーー正しくそれは化物の所業。
国滅ぼしの勇者とも考古学者が呼んでいた事実が今目の前にあった。それは、村人を殺されて激昂する正義感溢れる勇者の姿では無く、魔王を殺した事で使い道を無くした玩具を捨てた者たちへの復讐に狂った殺戮人形だ。己の憎悪に狂ったアサギがただ八つ当たりめいた復讐劇を齎しただけだ。
「助けてくれ! 上から言われて仕方が無かったんだ!」
命乞いをしに前に出た兵士にアサギは「そうかい」と返しただけでそれを考える事すらなく切り捨てた。そう、もはや殺戮がしたいがために聖剣を振るっているだけなのだ。
アサギはこの世界の全てを信用していなかった。旅を終えた後にゆっくりと慣れる努力をするつもりだった。この世界で生きているというだけでアサギは信用を止めた。正直に言えば仲間を連れたのも役に立つ道具としてしか見ていなかった。
ーーイオリさん猫被ってたんだ。
勇者という運命の奴隷として笑みを見せていただけで、上辺でしか彼らを信用していなかったのがアサギの心を通じてウィンクルは知る。今のアサギは中途半端に勇者と朝霧庵の仮面を被ってしまっている壊れた人間なのだと理解してしまった。
ウィンクルに対する全てが朝霧庵という良い面を見せているだけに留まり、本来の残酷な顔をする一面を見せた事は一度足りとも無かった。二周目の、今の世界でアサギは怯えたままだった。また、誰かをも信用できずに魔王を殺す道具にされるのだろうと、心の中で隠し込んでいた。
ウィンクルが彼の全てになるまでは。
ーーイ、イオリさんわたしの事をこんなにも愛してくれてるんだ……。
場面は変わり始め、ウィンクルと初めて会話を成立させたベッドの上でのアサギの気持ちがウィンクルに流れ込む。ただひたすらに誰かを信じたい思いと、偶然な奇跡による指し示しからアサギがウィンクルだけを信じている気持ちが丸分かりになってしまった。
本当は仲間を信じていて最高の友人として若干美化している事も、理不尽な目に合う弱き人たちの救いになりたい事も、勇者としての責務を終えた誇りと満足感がある事も、全てウィンクルは知ってしまった。勿論アサギがウィンクルを心から溺愛している事も、だ。
勇者の宣誓は実は勇者が愛した女性へ渡す加護であり、その女性が勇者に対する知りたい情報を知るためのものだったりするのだが、渡した愛の女神側が実は使われないだろうと思って説明を省いた結果、此度繰り返すアサギの記憶の覗き見を引き起こしている。主に勇者の安否等を知らせる類のものなのだが、アサギがウィンクルに対する心の壁が存在しないためアクセスし放題な状況に陥っているというのが現状である。また、裏を返せばウィンクル側にも心の壁が無いという訳であり、真実を他者が知れば砂糖を吐くに違いない。
「うひゃうっ!?」
ガタンと馬車が跳ねた衝撃で目を覚ましたウィンクルは奇声を上げてしまった。きょろきょろと辺りを見れば現実であり、膝には何故かアサギの頭があり若干足が痺れていた。先程の奇声に危険性が無かったからかアサギは目を覚ましていないようだ。
「……ふふっ、イオリさんも寝ちゃったんだ」
さらさらと黒髪を手櫛で梳くウィンクルは微笑を浮かべ、心地良い重さと温かさに足の痺れに対して目を瞑った。最近アサギからのスキンシップが増えていて、ウィンクルは此度の記憶からそれが甘えから来るものだと知ってしまったために愛しくて仕方が無い。アルカディア兵士団隊長としての任を十二分に完了させてから、誕生日を祝ってくれる優しさと生真面目さにウィンクルは感謝と誇りを見出した。最近はアレイクト領地の情報も集めているようで、知らない間に頑張り過ぎている未来の夫にウィンクルは胸を高鳴らせる。
「……本当に頑張り過ぎですよイオリさん。だから、今ぐらいは……」
そんなウィンクルのふんわりとした声を聞いて気を利かした老骨は、少しだけ馬車の速度を緩めて若き婚約者たちの未来に幸を願う。それから休憩地点に着くまで二人はそうしたままで送られ、数刻程馬車の馬を休憩させた後、漸くアレイクト領地の門と呼べるアレイクト平野の道を抜けた。
生い茂る若々しく元気な草花に道を彩られた馬車道を進み、東の辺境より少し手前にあるアレイクト領地の村へと馬車は向かう。アレイクト家の家紋のある馬車を見て領民は手を振って歓迎し、アサギはアレイクト家の公正無私の貴族らしい統治に目を向けていた。これと言って野心の無いアサギは領民が飢えぬよう取り計らう領主になろうと予め考えている。それは、現代人的な視点から見る効率性を見出しているためで、真っ先に領民の事を考えた結果では無い。悪徳貴族と言えばギリギリまで納税をさせて領民を奴隷の如く使い利益を得るものだが、アサギは何故そんな馬鹿げた効率性の悪い手段を取るのか甚だ疑問であり、不可解極まりない事と思っている。納税なんて全体を増やせば必然的に増えるのだから、領民が儲かる政策を取れば納税もまた底上げされ、更には領主たる者の手腕の見せ所となり領民たちからの信頼に繋がる。
そんな事を考えながらどうしたもんかなとアサギは緊張をしていた。アサギにとって貴族の夜会でのマナーなんて付け焼き刃のものでしか無く、アレイクト侯爵夫妻のご厚意により、並行して行われる婚約のお披露目場の主賓側として失礼の無い様子で無ければならない。何事も結果オーライでは示しが付かない上に、頼りなく見えてしまう。
迫るアレイクト侯爵屋敷の門にアサギはちょいとだけ勇者モードになり、ごり押しで誤魔化すと腹をくくった。
「お待ちしておりました。アサギ様で御座いますね。わたくしはアレイクト家の執事長をしておりますバーグ・ヴァンと申します」
「ええ、アサギ・イオリです。先日は機会が合わなかったようで。本日はよろしくお願いします」
「アレイクト家使用人一同、心より御奉仕させていただきます。お嬢様をよろしくお願いします」
アレイクト侯爵家の玄関先に立っていた老人は深々とアサギに頭を下げる。その姿は年季の入った美しい礼であり、アサギに良い印象を与えた。彼の魔力に澱みが無く、嘘偽りの無い言葉と確信できたからだ。アサギは血に巡る魔力の流れから相手の動揺や考えを見抜く技術があるため、以前にもハイルの思惑を蹴り飛ばした件のようにその補正率は大変重要なものだ。つまり、アサギが信用に足る人物であると判断する条件の一つをクリアした事になる。
「ええ、世界を敵に回そうともウィンクルを護ってみせます」
「い、イオリさん!」
「ほっほっ、どうやらお嬢様は大変良き方に巡り合えたようですな」
老骨の戯れと言わんばかりに破顔したバーグは「では、此方へ」と先を促した。ずらりと並んだ使用人一同に頭を下げられて迎えられたアサギは、自分の場違いさに少し唖然としたが、次期領主になる器と気概を見せんと歩む。その威風堂々とした勇者モードのアサギに使用人たちは内心感嘆した。この方にならば、と仕えたい気持ちが芽生えたのだ。
バーグはそんな若造たちの内心知ってか皺の深い笑みを浮かべる。アサギたちの到着はアレイクト侯爵の公務時間内であったため、一度貴賓室へと足を運び、暫し休憩を入れた。
「お茶は如何でしょうか?」
久々に馬車に乗ったウィンクルは道中寝ていながらも疲れが溜まっていたようで、メイド長のエリアの言葉に嬉々として頷いた。アサギは疲れた素振りは無いがウィンクルに続けて頷く。
本来ならば尋ねる必要は無く例え飲まれなくともお茶は出されるのであるが、エリアの言葉はお菓子を添えるか否かという気遣いだ。それを知古のウィンクルは是非と子供のように頷いて、まるで変わっていない事を晒してしまう。エリアは和かに一礼して部屋の隅にあった白い布を取り去り、既に用意されたパウンズというバウムクーヘンと紅茶セットを乗せた台車を露わにした。
ハッとして小さなサプライズに引っかかった事に気付いたウィンクルは「もぅ……」て小さく恥ずかしがる。二人の間柄がよく分かったアサギはくつくつと笑みを抑えながら笑ってしまう。
「素敵なサプライズだな。分かってる」
「ええ! 私はお嬢様の専属をしておりましたので」
「成る程、そうでしたか。ならば、後でこっそりとウィンクルの幼い頃のお話を聞かせていただこうかな」
「ちょ、イオリさん! 駄目! 駄目だからねエリア! 話しちゃ駄目!」
自分でも心当たりが沢山あるらしいウィンクルは酷く慌てた様子でエリアに口止めをお願いする。そんな様子のウィンクルが微笑ましいとアサギは笑みを深め、エリアもまた爪の甘いウィンクルに悪戯な笑みを向けた。
「アサギ様は次期領主様で御座いますから命令されたら私ではとてもとても……」
「もぉ……、エリアったら! わたしで遊ぶの止めてください! イオリさんもです!」
ぷんぷんと頬を膨らませたウィンクルに二人は可愛いなぁと思い浮かべ、アイコンタクトで悪ノリを止めにする事にした。それからウィンクルはアレイクト侯爵の入室前の応答まで二人に甲斐甲斐しくご機嫌を取られた。




