「勇者達の休息」-7
ふと、ウィンクルはまた自分の体がふわふわと浮いている感覚に気付き、再びアサギの過去の夢に飛ばされているのだと察した。
しかしながら、目の前に映る景色は見た事も無い壮観な光景。高い長方形の建物が聳え立ち、道を鉄の塊が何かを尻から吐き出して凄い勢いで走る不可思議な光景だった。
「……栞、僕はバイトに行ってくるからぐっすりと寝ていてくれ」
そんなやや幼げな声が後ろから聞こえ、ウィンクルは振り返る。すると、そこには木製の質素な椅子に座り、穏やかな瞳をするアサギの姿があった。長く伸びた髪は切る暇が無いというよりも、切ってお金に変えるために伸ばされているように見えた。逞しい筋肉は見る影も無く失せていて、頬もやや痩せこけて目の下の隈が酷く強調されていた。
「……貧乏でごめんな栞。兄さん頑張るから、だから、もう少しだけ我慢してくれ」
そっと簡素なベッドで眠る黒髪の少女の頭を撫でたアサギは、使い古された毛布を一枚重ねた。明らかにそれはアサギの分の毛布だと分かり、その優しい様子を見てウィンクルは心を暖かくした。
ーーわたし、アサギさんの事を余りにも知らない。
ウィンクルはふとベッドに眠る少女がアサギの妹であると思い出し、アサギの家族や前の生活等の事を尋ねた事が無いのに気付いた。
今やアサギはウィンクルにとって家族と同列に大切な人だ。それ故にアサギの事を知りたいと思った。もしかするとこの夢はそんな願望を誰かが叶えてくれたからではないかと思い浮かべる。
「……本当に後少しだ。後少しで、僕らは普通の生活ができる。こんな寂れた場所で飢えなくても済むようになる」
立ち上がるアサギの瞳の奥は今と変わらぬ混沌とした憎悪と信念が燃えていて、ウィンクルより少し高いだけの身長だというのに頼り甲斐のある背をしていた。
「……行ってきます」
小さな寝息が聞こえるだけで、返事は無い。ただ、それだけの事でアサギはホッとした安堵の息を吐いた。そして、木製の扉をゆっくりと開けて、またゆっくりと閉めてその場を去った。
「……ウィンクル?」
「ふゃ!?」
突然場面が変わって、普段見慣れたアサギの心配そうな顔で視界が埋まっていたウィンクルは素っ頓狂な変な声を出してしまった。状況を見やればどうやらソファで寝てしまっていたようで、アサギが起こしてくれたらしい。
何でも無いです、とはにかみながらウィンクルは首を振りながら、今さっき見ていた夢を思い出していた。ウィンクルがアサギを好いているのは今のアサギだ。だから、同年代なイオリさんもまた良いなぁ、だなんて惚気てしまっても問題は無い。
何処か余所余所しいウィンクルの挙動不審な狼狽え方にアサギは内心首を傾げる。男の勘で何かを察し、幼い自分に対し変な嫉妬は覚えてはいないのは偏にウィンクルを信じているためだ。幾ら他を見ようが自分の隣に寄り添ってくれる、と信じて止まない。
だから、愛するウィンクルの心を疑わない。
やや上気した頬にアサギが手をやれば、ひんやりとした右手を快く思ったのか頬擦るウィンクルが愛しい。そんな感情にアサギは狂いそうに成る程に溺愛しているのを再認識する。
ーーこの笑顔を失いたく無い。
知らず知らずにアサギはそのままウィンクルの柔らかな唇にキスをしていて、溶けて行くような感覚に身を任せる。ウィンクルもまたやけに熱烈なアサギに蕩けていてそれを拒む事も無い。
数分ぐらいの時間であるが、二人には数時間のように長く感じてしまう。それ程までに二人はお互いを愛していて、それ以上先の関係へと本能が猛るのはアサギが先だった。
啄ばむキス故に離れる際に銀糸は伸びない。頭が蕩け切り目をとろんとしたウィンクルをアサギは愛おしく抱き締めた。ウィンクルの甘い匂いがアサギの猛る本能を抑え込み、大切にしたい、優しくしたい、護りたい、と保護欲に走らせる。一生このまま腕の中に居て欲しいとアサギはウィンクルの頬にキスを落とし、正午の鐘すらも無視して見つめ合う。
そんな雰囲気をぶち壊したのは「きゅぅぅ」という可愛らしい腹の声だった。
「……お昼にしようか」
「……は、はい」
上気した頭が覚醒し、何と無く先程までの遣り取りが恥ずかしくて気まずくなった二人は、そんな気まずい表情をしてしまうのも同時だった。となれば、破顔するのも同時だった。
幸せ過ぎて目の前の相手以外何も要らなくなった気分になり、二人の心は暖かい気持ちで溢れそうになる。ウィンクルはアサギの手に小さな手を添えて立ち上がり、テーブルへエスコートされた。
「これもニホン食なんですか?」
「ああ。猪の肉を使った鍋で牡丹鍋という料理だ。まぁ、此方風に言えば地方料理ってとこだな」
「ボタンナーヴェ?」
「んや。ナベ、な。間を伸ばさないぞ」
焼けた石皿に乗った土鍋の中でぐつぐつと並ぶ食材を見てウィンクルは、煮込み料理かな、と思った。だが、それにしてはぐつぐつし過ぎではないか、と思ってしまうのはアサギとの常識の違い故に、だ。
アサギはある程度此方の都合や知識等の常識を知っている。だが、彼の故郷はここでは無いため彼方の常識を通すのが常だ。今行っている軍部騎士団合同訓練のメニューもアルカディアでは眉唾ものの内容であるが、地球では確かな裏付けのある理のあるものである。文化を壊さない程度に持つ物を使うというのがアサギの基本方針である。アサギのみが行使可能な無属性の魔法技術たる概念魔法を誰にも教えていないのが例に上げれるだろう。始まりと結果のみを点と点で繋げ、その過程を全て省略する馬鹿げた魔法をアサギは概念魔法と呼んでいる。だが、万物を可能とする概念魔法は、アルカナに生きる魔法師一人当たりが人生で生み出す魔力と同等の量を必要とする大魔法を超えた、過ぎたる力の象徴たる禁術に分類されるため安易に使う事は出来ない。異常な体質であるアサギのみが西の地のみで使える概念魔法の存在を知る者が居ないからこその切り札だ。
余りにも常識外れの規格外であるアサギがそれを意識していないのが幸いな事だろう。意識していたら戦時中だというのに魔法革命が起きたに違いないからだ。
「似たような食材はあるけど似せたもんしか出来ないのが残念極まりないな」
「そうなんですか? 美味しそうですけど……」
「あー……、何と言うかだな……。木彫りの出来具合を妥協した、みたいな気分なんだよ。専門的にやるには時間というよりも時期が最悪だしな……」
「魔王軍との戦争中……でしたよね」
「……ああ」
両思いになり更には婚約という熱烈な恋愛をしている二人は特に戦時中というのを忘れつつあり、いつしか魔王軍の襲撃<今日の晩御飯という図式が成り立ちつつある程だ。
「……今夜のパーティー駄目、なのかな……」
「駄目じゃない。今日はウィンクルがこの世に産まれてくれた大切な日だ。……もし、襲来したらデウスエクスの真名を解放して灰燼に還すから問題無いぞ」
「真名?」
「んー、実はな。神様が万物を造ったから、この世における全てに神様が付けた名前がある、らしいんだ。これを真名と言って、この聖剣、戦の女神から手渡されたデウスエクスみたいな神武装には真名を封じた堅牢な封印がされてるんだ」
「へぇ……? その、真名っていうのを使った事はあるんですか?」
「いや、無いな」
すっぱりと断言したアサギからは何処か得意気な雰囲気が垣間見れた。そんな様子に小首を傾げたウィンクルにアサギは続けた。
「確か、運命すらも引っくり返す力を得る、だったかな? 正直に言って絶体絶命な危機にあっても意味無かったから使わず終いだったんだよなぁ」
「そうなんですか?」
「ああ。なんせ、死んだら即座に生き返るんだぜ? 全ての傷やら修復されて生き返るから延々と立ち向かえたしな。絶体絶命の後にも命があるんだからピンチですら無いし。あー……、でも邪竜の時には辛かったな。猛毒で何度も苦しんだし……アレはマジで勘弁して欲しいな」
「それは……大変でしたね……」
「ああ、本当にな。何回蘇生したか覚えてねーしな。だが、アレが無きゃ助けれなかった人たちも多いし、今じゃ勲章みたいな思い出だな」
「……イオリさんはイオリさんです。あくまで勇者様の肩書きはそんな勲章みたいなものなんです。だから、イオリさんだけが辛い目に合わなくても良いんです……」
ウィンクルはキュッとアサギの手を握り、自分が心の痛みを分かち合う恋人だ、と悲痛な面持ちで伝えた。そんな暖かな優しい気持ちに触れたアサギは苦笑して、自分の代わりに嘆いてくれるウィンクルを抱き締めた。
「ウィンクル……。そうだよな、もう一人の問題じゃ無いんだからな。俺に乗っかるもんは一度落ちたが、今はウィンクルが居る。だから、一人で無理はしないよ。どんなに前に立っても、必ずウィンクルに戻ってみせる」
「……はい」
そっと触れ合うキスをして二人は抱き締め合う。
毎日飽きもせずに一心同体の運命共同体になったのだと深く心に刻み込み、甘々な雰囲気を作り始めた二人だが「きゅるるぅ」という切ない音に再び台無しにされた。ウィンクルはぷるぷると羞恥に震え、アサギを抱き締める力が強まる。
そんな恥ずかしがり屋なウィンクルを可愛らしいと頬を緩めたアサギは、シリアスを足蹴にして、昼食へ腹ペコなお嬢さんをエスコートするのだった。




