「勇者達の休息」-5
「こ、これがハシですか……。難しいですね」
「まぁ、普段使わない筋肉を使うからな。最初は慣れないが……ほれ、この通り」
「細いマノモス草を掴めるようになるんですか……、イオリさん凄いです」
箸を子供らしくバッテンに交差して漸く掴めるようになったウィンクルは、人差し指と中指の間に箸を親指で押さえて動かすアサギに感嘆の声を漏らした。少し得意気ながら褒められて嬉しいアサギはニンマリと笑みを返し、オーガ肉じゃがのじゃがいもを掴み、ウィンクルの口元に差し出した。
「恋人同士だとよくある習慣でな? 口を開く際に「あー」と声に出して、食べた時に「ん」と途切れる事から「あーん」と呼ばれる食べ方なんだ」
「そ、そうなんですか? ……あー」
親鳥に食事を強請る雛のようにウィンクルはやや頬を赤らめながら口を開いて、至極満足気なアサギからじゃがいもを口で「ん」と可愛らしく受け取った。ほくほくして柔らかいじゃがいもを美味しいと感じたウィンクルは笑みを浮かべる。そんなウィンクルにアサギは微笑み、実はな、と前置きした。
「箸ってのは大概先端が唇に触れるもんなんだ。だからこれを客観的に言うならば」
「……言うならば?」
「意図的な間接キスって奴だな」
パクッとじゃがいもを口に入れたアサギを見て、確かに箸の先端が唇に触れている事にウィンクルは気付いて自分の箸を見た。
そんな初々しいウィンクルが愛しくて堪らないアサギはくつくつと笑う。ハッとしたウィンクルはやや膨れっ面でからかわれた事に文句言いた気な様子であるが、それもまたアサギには可愛らしく見えてしまう。
「まぁ、表向きには恋人に食べさせて貰うってのが一番な理由なんだろうけどな」
屈託の無い少年らしい笑みにウィンクルもくすりと笑みを溢し、陽だまりのような雰囲気で二人は笑い合う。何時迄もこうしていたい、そう惚気た気分を隠す事無く見つめ合う。ちょこんと啄ばむようなキスをして二人の瞳が蕩けた。
「……おじゃがの味がする」
「くくくっ、まだ食事中だったな。一年の内の最高の日だからといって呑気過ぎたかな」
「ふふっ、かもしれませんね」
お互いに食べさせながら朝食を終え、食後の珈琲を飲むアサギの横顔を度数が低く甘い葡萄酒をちびちびと飲むウィンクルは見ていた。最初の頃に何の色も見えなかった瞳の奥に、生気が渦巻いていてアサギが今を楽しんでいる事が感じ取れる。
ーーイオリさんは優し過ぎる人だ。
熾烈な過去の話は今や思い出話としてアサギが三人へ思う姿を名状し、懐かしい日々だと彼らの裏切りを一つの過ちとして噛み締めるようになった。それは、毎晩のように小柄なウィンクルを背中から抱き締めている際にぽつりぽつりと語る脚色の無い真実の武勇伝から知っていた。
ウィンクルに召喚されてからアサギが悪人に手を掛けた事は噂では無くアサギから聞いていた。アサギはどうしようもなくその手の輩が嫌いで仕方が無く、手を掛けた後にハッとするように自分の行いを自覚するのだと心で泣いていた。
ーー勇者とは誰かの笑顔を護るためにある。
アサギの信念はそれに尽き、最優先順位の頂にウィンクルが居るのに関わらず誰かの笑顔を護らなくてはならない無意識な行動に出てしまう。それは、アサギが自己を保つために勇者に成り切った証でありながら、逃れる事すら疎まれる首輪めいた呪いだ。
ウィンクルはアサギが何かしら理由を付けながらも、最終的には「落ち着く」という単語を口にして抱き締めているのを知っている。自分がアサギにとっての宿木であり、居場所なのだと自覚したのはその時だ。
アサギがウィンクルを理由にしたがるのは、そうしなければ勇者として動き出してしまい、勇者という存在に自己を奪われそうになるのを防ぐためだ。勇者は唯一の存在に対してだけ動く事は出来ない世界の循環器の一つであり、魔族を狩る事で人類を護る防波堤としてしか生きる意味を持たない。それを二周目と呼べる現状からアサギは悟り、出来るだけ勇者から離れたがった。
「愛してる」
ウィンクルという護るべき大切な人を得たアサギは、勇者では無く婚約者としてウィンクルを護る理由を得た。アサギはウィンクルの婚約者という肩書きを得て、“伽藍堂の勇者”という肩書きだけに執着しないように抵抗が出来るようになったのだ。
勇者として理不尽な奴隷めいた運命を歩く事を拒否する気持ちは、ウィンクルに愛情を捧げる事を情熱的に煽った。勇者である事を恨むアサギの必死の抵抗をウィンクルは少なからず気付いていた。勿論、策略のためにアサギがウィンクルを騙している、等とは考えてはいない。
「はい、わたしもです。イオリさん」
勇者様に救われるお姫様に憧れていたウィンクルは、アサギという恋人の理由になれる事を喜んで引き受けた。アサギが必ず自分を護ってくれるのだと信じて止まないウィンクルは、勇者という呪いに立ち向かうアサギの心を支える唯一の人になりたかった。
ーーイオリさんの笑顔をわたしが護る。
勇者アサギ・イオリに惚れたのではなく、朝霧庵に恋をしたウィンクルは決意していた。過酷にして凄惨な戦場から帰って来たアサギに「おかえりなさい」と言える居場所になろう、と。
アサギを愛し、支える唯一の人になろう、と。
「夜までゆっくりしようか」
「そうですね。夜会は久しぶりだから頑張らなきゃですし」
「と、言っても身内だけなんだろう?」
「アレイクト家は意外と親戚が多いんです。鉱山を私有しているから金属業関係が盛んなんですよ」
「ああ、鉱山か。んな事言ってたな」
普通ならばアレイクト侯爵家が持つ鉱山を奪いにウィンクルへ迫る男性貴族が多いが、アサギはウィンクルのみに興味がある恋愛婚約のため特段旨みを感じる訳では無い。そんなさらりとした反応にウィンクルは笑みを深める。アサギが自分だけを見てくれているのが良く分かるからだ。
アレイクト侯爵夫妻に婚約の持ち掛けをした際に鉱山の私有を知ったアサギに、夫妻も好印象的であり、特にウィンクルに好かれている事が決定的だった。
将来的に侯爵領地を運営する領主になるアサギは、段々と事の大きさを知り内心かなり困惑したが、ウィンクルの夫になるための試練だとその場で決意を固めた。
最新の召喚魔法の解析により元の世界に帰れるアサギだが、その元の世界というのがこのアルカナの地であるため実質帰還は不可能である。戻ったとしても数百年は前の最悪な瞬間の直後に帰りたい訳も無く、憂い無くこの地に骨を埋める決意が出来た。
心残りと言えばもう二度と会えなくなった妹の安否くらいで、幸せに生きていて欲しいと祈るしか無かった。実質、勇者の呪い以外に枷は既に無く、自由に暮らせる環境が出来たのは幸いな事だと感じている。
「アレイクト領を治めるのも数年後だしな。……最近忘れがちなんだが魔王軍との戦争中なんだよなぁ。あんまりにも動きが無いんで日和っちゃうぜ」
「魔族間の繋がりが薄いため伝達が遅い、だとか言われてますがどうなんでしょうね? もしかして魔王の座を狙って内乱しているとか?」
「んー……、どうだろうな。俺が知る限り魔王は魔族でも随一の力を持った変異種だからな。性格によっちゃ内乱も有り得るかもな」
「魔王にも性格があるんですか?」
「ああ。魔族の中級から人並みの知性を持つから、魔王は最たるもんだ。俺が倒した魔王は……」
続けようとする様子は見て取れるが、口からその先を出さないアサギにウィンクルは小首を傾げた。対してアサギは困惑していた。魔王を倒したのは自分で、そして左腕の交換までした人物な筈なのに思い出せなくなっていたからだ。
「イオリさん?」
「……思い出せないんだ。確かに俺の手で葬った筈なのに……」
茫然自失な表情でアサギは戸惑う口調で頭を押さえた。その部分だけを悪戯で隠されてしまったかのような喪失感が胸を埋める。
まるで、先代の魔王を語る事を憚れているような気分になり、ますますアサギは困惑した。勇者の加護を筆頭に多彩な加護を持つアサギに魔法的なバッドステータスは抵抗の範疇である。忘却めいた記憶の欠け落ちにアサギは色々な可能性を浮かべるが到底有り得ないものばかりだ。
「……悪い。ド忘れしちゃったみたいだ。ここ最近ウィンクルと居られて幸せ過ぎたからかな?」
「そんな事ありますかねぇ?」
「あるんじゃないか? まぁ、何にせよノブナガさんたちの意向に従って待ってれば良いのさ。今なら一人で魔王軍を壊滅させれるかもしれないけど、その間にウィンクルが危険な目にあったら元も子もないしな」
「あ、あはは……。ヴィラ家の変な人みたいな人も居るかもしれませんからね。そ、それにイオリさんと離れたく無いですから……」
恥ずかしさからか尻窄みなウィンクルは上目遣いで見やり、その破壊力のある表情に心臓を持ってかれたアサギは即座にウィンクルを抱き締めた。
「当たり前だ。俺だってウィンクルから一生離れたく無い。……勇者やら兵士団隊長辞めたくなる」
「け、結婚までは辞めちゃ駄目です。お父さんが許してくれたのは貴族的な釣り合いが合うのも理由の一つだと思いますから」
「ああ、分かってる。生活資金も貯めなくちゃならんしな。……あ」
アサギは生活資金という単語で隠し財産の事を思い出した。アサギがこの世界に召喚された際にインベントリ魔法を得ており、冒険の道中はこっそりながら財布代わりに使っていたのだ。その中に前の冒険の際に手に入れた様々なアイテムや金貨等がある。
ウィンクルから腕を外したアサギは空中に魔力を込めた指先ですっと空間を裂くように横に線を引く。すると、ズラッと横線から中身の一覧が書かれた魔力文字が列を成した。
全て日本語で書かれた一覧内容なのでウィンクルは読む事は出来ないが、アサギが何かを読んでいるとだけ分かる。
「……旧時代の金貨やらって高く売れたりすんのかな?」
「どういう事ですか?」
「いや、勇者として召喚された時に持ち物を保存できる魔法を貰っててな。今、ここにその中身の一覧があるんだが……」
数百年も前の品々が綺麗な形で残っているため歴史的価値はかなり跳ね上がる。スクロールすればまだまだ終わりの見えない一覧にウィンクルは目をぱちぱちさせて唖然としていた。
「金貨七百三十ニ枚、銀貨二千二百四枚、銅貨四千七百十二枚、邪竜の素材に、神殿の番兵の欠片に、ドラゴンやらその他色々ってとこだな。んー、もしかしてこれだけでかなり贅沢出来ちまうかな」
「邪竜も神殿の番兵も希少価値高過ぎです! 御伽噺の中の生物ですからね。本当なら国宝以上の価値ですよ?」
「伝説級か……。まぁ、いざとなったら、だな。暫くは旧時代の貨幣をコレクターにでも売るか」
「そうですね……。数枚出ても希少価値の高い物が数千枚ですからね……」
実は武器や防具もあったりするのだが、大概聖剣デウスエクスしか使っていなかったアサギには宝の持ち腐れである。アサギのインベントリは一種の古代遺跡であり、しかも全てが当時の綺麗な状態で残った上等品。
突然な金策のあてに二人は苦笑し、やがて暫く笑った。




