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伽藍堂の勇者  作者: 不落八十八
二章「ティアール城奪還作戦」
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「ティアール城奪還作戦」-5

 左腕を顔前に置くようにして片膝をベッドに立てて座り込むアサギは絶賛自己嫌悪中だった。未だに己に刻まれた心の傷が治っていない事を知れたどころか、初対面の人物に対し脅迫めいた拒絶を宣言してしまった事を悔いているからだ。

 ーー弱くなったな俺。

 勇者として護るべき人を限定し、更には凱旋の際にニヤニヤとしていたでっぷりとした貴族共と同じような目をしていた人物にとんでもない釘の刺し方をした。

 ハイルから逃げるように屋根を伝ってショートカットしたアサギは、鍛錬場から少し離れた自室へ辿り着いた。本来の必要時間を大幅カットした速帰宅である。

 現在のアサギは人間不信になりかけを修復中の不安定な思考でありながら、勇者としていつ来るか分からぬ敵に怯えた頃に培った自己防衛反応を行う精神に板挟みされていた。それ故に、自身に近付いた悪意等を察知しては過剰反応を起こす事となった。


「……情けない、それでも勇者かお前は、ってか」


 剣の師として己の我流の剣技を見てくれたライルの口癖を真似して自嘲したアサギは、皮肉な事に心中を穏やかにしていた。アサギがここまで壊れかけたのは偏に三人の仲間を信頼していたからだ。だからこそ、裏切られた悲しみは深く、また、こうして自分を慰める虚しさを癒すのは彼らの言葉なのだろう。

 ウィンクルの暖かさがぽっかり空いた穴を塞ぐ板ならば、仲間との確かな思い出は深い穴を埋める土だ。埋めても埋めても足りないから、埋めるのを諦めて塞ぐしか無かったのだ。

 アサギが信頼できるのはウィンクルを筆頭に、ノブナガ、ウィンディ、次点にアーサーだった。アーサーは何と無く頼りにならないと考えているために次点に置かれたが、他の人物は評価にすら入って居ない。ハイルは評価されながらもどん底であるのは言うまでも無いだろう。


「ははは……、本当に俺は何も無いな。選りに選って縋り付くのが彼奴らだ。馬鹿馬鹿しい……。女々しいったらありゃしねぇ……」


 ーー日中に一人になるんじゃなかった。

 アサギはそう涙の流れぬ己を嘲笑い、生きる理由を探して、ふとウィンクルの笑顔を脳裏に浮かべた。あのふんわりとアサギを包んでくれる暖かさと、鍵を掛けた感情を慰めてくれる優しい声を思い出した。

 ーーウィンクルに拒絶されるまで生きていよう。

 あの柔らかな暖かさを、あの小鳥が囀るような甘い声を、あの可愛らしい仕草を、あの健気に咲く花のような美しさを持つ女の子の隣に居られなくなる時までは生きよう。

 残った感情が縋り付く恋心に突き動かされ、死んでいた心が起き上がるのを感じたアサギは無意識に左腕を摩ってハッとした。


「……すまん。お前との約束もあったな。精々みっともなくとも生きるとしよう。最悪旅にでも出て世界を見て周ってみるか」


 ーー俺も美しい世界を見たくなった。


「生憎に皮肉ながら、俺には腕っ節しか取り柄が無いからな。無様な様を見せて悪かったな。二周目だし何とかなるだろ」


 旧知の仲のように語る姿は汚泥に泣き寝入る少年の顔では無い。やるべき事を漸く咀嚼し終えた勇者の顔だった。

 

「我が剣は嘘を語らず、我が剣技は愚を行わず、我が剣先は未来を騙らずーー」


 それはライルと共に誓った剣の誓い。人の心のように揺れる事の無い愛剣へ誓う言葉だ。ライルという人間を切れど、ライルという武人を貶めないアサギの最低限の師への礼。


「ーー我、揺らがぬ我が剣に誓う」


 一度決めた道を今度こそ歩め、そうアサギは心を震わせた。再び間違いを犯さぬように自分を戒めた。仲間との思い出を過去として受け止めたアサギは、漸く一人で地に足を付けた気がした。

 癒えぬ傷は無い。今はまだ裏切られていない。


「アサギさんッ!!」


 そして、こうして心配をしてくれる人が居る。アサギは朝霧庵として地に足を付けて踏み締めたのだと思った。

 ーー後ろを嘆くばかりでは前へ進めない。

 足踏みすらしていなかったのだとアサギは苦笑する。自分に飛び込んで来た小さな愛しい片思い人を受け止めて、アサギはその小さな暖かさに心を燃やした。

 ーーまだ、俺は生きていられる。

 心の傷から流れる血は漸く止まったのだとアサギは感じた。いつその傷が癒えるかは分からないが、その傷を癒してくれるのはきっと腕の中の少女だと思った。


「ウィンクル、俺は君が好きだ。君に隣に居て欲しい。一生一緒に居てくれないか」


 ウィンクルは一瞬アサギに言われた言葉を受け止められなかった。

 それがアサギからの愛の告白であると徐々に漏斗で心に差し込まれたウィンクルは、ボッと両頬を点火した。自分でも驚く程に鼓動が高鳴り、燃え盛る火山地帯のように頬が熱く感じた。ウィンクルを見つめる磨かれた黒水晶のように透き通る瞳には濁りが無かった。

 勇者として自分を偽り続けたアサギだが、この瞬間だけは朝霧庵としてウィンクルに告白していた。その真剣な、そして、優しい瞳に吸い込まれそうだと感じて、見つめ合って強張る体は弛緩した。ふんわりと抱き締められたウィンクルは顔を真っ赤にして言葉を選んでいた。

 ふっとアサギは笑って拘束を緩めた。


「ウィンクル。俺さ、勇者として最低な奴なんだよ。今でも勇者と呼ばれる事を疑問に思うくらいにさ。たった一人で勇者になって、仲間に裏切られてまた一人で勇者になったと思い込んでた。俺は目の前の人たちに同情していただけだった。さっき改めて考えて気付いた」


 ーー弱音を吐ける人が側に居なかった。

 ウィンクルはそれを本音で弱音を吐くアサギの震える声で悟った。アサギは裏切られる瞬間まで担がれた勇者の名に甘んじて、いや、自己防衛のために自己暗示して押し込んでいた。ウィンクルが勇者の絵本の最後に疑問を抱いたように考えなかった事を考えて、自分の本音と向かい合った答えを導いたのだと理解した。


「どうして俺が勇者として死地に向かなきゃならないんだっていつも思ってた。魔物に襲われた人たちの、俺の勇者という肩書きで皆が安堵してくれた顔を見て舞い上がってたんだと思う。だから、魔王を殺した後に気付いたんだ。……俺には最初から居場所は無かったんだ。仲間に言われたよ。相討ちになれば良かったってさ。魔王を殺した時点で勇者の役目を果たしていた。なら、その後は? 誰にも殺せなかった魔王を殺した男は愛着も無い国のために死ねない。けれども他国に行かれては困るから凱旋をして油断した所を殺しに来た。俺が魔王を殺すなんて考え更々無かったんだろうな。だから下手を打って俺に殺された」


 ーーこれはアサギさんの懺悔だ。

 ウィンクルは相槌を打たずにそっと聞いていた。愚痴を、本音を、弱音を吐きたい勇者にされた少年の言葉を聞き続けた。今直ぐにそんな事は無いと言ってあげたかった。けれども、アサギはそんな同情を求めてはいない。ウィンクルに恋したからこそ聞いて欲しかったのだと痛む心を理解しようとした。

 

「……なぁ、ウィンクル。俺の居た世界じゃ殺人は御法度なんだ。盗賊を含めて俺は右手が血で染まる程に人を殺めた殺人鬼でしかない。今日だって初対面のハイルに怯えて遠ざけた。騎士団の奴らを脅迫に使ってここに逃げたんだ。俺はもう……人を殺す事に罪悪感を覚えない人間になっちまってたんだ。それが堪らなく恐ろしい。自分が自分で無くなる気分はもう嫌なんだ」


 ーーこんな俺は本当に勇者なのかな?

 自己否定の刃で自身を傷付けながらもアサギはウィンクルに尋ねた。

 ーー今まで自分を見てくれたのは勇者だからか?

 ウィンクルはそう尋ねられているのだと感じて息を飲んだ。飲んでしまったのだ。アサギはそれを答えだと受け止めて抱き締めていた腕の力を抜いた。支えが無くなったウィンクルはベッドにアサギを押し倒すように前へ倒れてしまった。胸板に乗る柔らかな感触がアサギのシリアスゲージを削ったが、内容が内容なのでアサギの性欲は自重してくれた。


「アサギ……さん」


 潤んだ瞳は嘘を吐けなかった。弱音に同情めいた返しをされて悲しむのはアサギだとウィンクルは分かっていた。もやもやする気持ちも今はからりと晴れていたからこそ、アサギの気持ちをキチンと受け止めたいと思った。


「……ごめんなさい。最初はそうでした。わたしたちを助けてくれる勇者様だと思って接してました。けど、あの日、アサギさんが吐露してくれた日からわたしはアサギの事を勇者様とは見てませんでした」


 いつもはふんわりと笑う顔は真剣さを帯びていて心から語っているのだとアサギにも伝わった。水と油のような関係に苦しんだ自分をキチンと理解して接してくれているのだとアサギは心から喜んだ。


「……この気持ちが恋なのか未熟なわたしには分かりません。けど、アサギさんを支えたいのは確かな気持ちです。だから」


 ーーごめんなさい。

 その言葉をアサギはすんなりと受け入れられたのは、ウィンクルが知らず内に流した涙を見ていたからだ。形容し難い己の心中に真剣に問い掛けてくれたのだと察したからだ。


「……そっか」

「あの、その……」

「朝霧庵」

「え?」

「俺の世界だとファミリーネームは先なんだ。此方風に呼ぶならイオリ・アサギ。だから、今日から俺の事をイオリと呼んで欲しい。ウィンクルだけには勇者じゃなくて一人の男として呼んで欲しいんだ」

「…………い、イオリさ……んっ!」


 ファーストネームを呼ぶのは当たり前な習慣であったが、何故かウィンクルはアサギの名を呼ぶのに恥ずかしさを覚えた。初めて男性の名を意識して呼んだからだろうか。キュッと小さな掌を閉めて腹に乗っかるウィンクルは格別に可愛らしい表情をしていた。

 理性を縛る鎖が一本千切れ、アサギはその小さな唇に己の唇を重ねてしまった。ぎこちない触れるだけのキス。ふっくらとした麗しい桜色の唇、熱に溶ける蕩けて潤む愛らしい瞳。アサギはもうウィンクルへの愛しさが爆発寸前だった。魔力である一点をガチガチに抑えて、滾る気持ちを押し込める程にギリギリだった。

 蕩けた顔をしている自分の顔が映る瞳に、身を委ねたくなったウィンクルは再び赤面した。


「あっ……」


 恥ずかしがりながらも不意に離れた唇が切なく感じてしまい、名残惜しそうな声を漏らしたウィンクルに再び理性の鎖が千切れたアサギは二度目を奪った。

 ぼぅっとする頭でキスが嬉しいと感じたウィンクルは無意識にアサギの腕を掴んでいた。離れ際に繋がる銀糸を見て正気に戻ったウィンクルは、堰き止められていた恥ずかしさに再びアサギの胸に突っ伏した。

 ーー俺の理性を飛ばす気かっ!?

 十四歳の少女の肢体に欲情した禁忌めいた感情を必死に抑え込んだアサギは、意識が唇に向かぬように顔を上げて窓側を見た。


「……その、なんだ。同意を得る前にキスして悪かった」

「……え、えっと……ちゅ、ちゅーは嫌じゃなかったですから、その……」


 明らかに好意を持っているウィンクルにふわふわとした甘い声で言われたアサギは理性を必死に抑えた。甘いミルクのような匂いが理性崩壊を後押しするが、ここで手を出したら間違い無くヤバイ、と年齢差を浮かべては、五歳差でも大丈夫じゃね、と囁く本能を打ち消して苦悩した。


「ウィンクル。頼むからこれ以上言ってくれるな。我慢が出来なくなる……ッ」


 結局恥ずかしさとアサギの匂いで蕩けたウィンクルは眠りこけ、煩悩の進軍を抑え切ったアサギは自分のベッドにウィンクルを寝かせて終始無言で端に座っていた。想像以上にウィンクルに溺れているのだと理解して、アサギは苦しみの言い訳を呟いた。


「……好きな子がロリだっただけで、俺は決してロリコンじゃない……ッ!」


 前にシスコンを指摘されて鼻で笑えた頃の自信が羨ましいとアサギは頭を抱えた。もはや仲間の裏切りの事等頭から離れ、ウィンクルの事だけを悶々と考え込んでいた。右腕と組まれた左腕が苦笑しているような気がして、アサギは顔の赤みを魔力で消した。

 暖かさを帯びる心までは魔力でも消せなかった。


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