「ティアール城奪還作戦」-4
その姿は正しく聖女だった。
アルカディアを守護する騎士団の一人であるハイル・ミケイラは、頭を垂れ両手の指を合わせて片膝立ちで祈るアーサーに見惚れ、一目惚れした。彼女の特徴たる金色の髪は窓から差し込む月光に輝き、星を散らしたかのような美しさを齎していた。
ーー嗚呼、僕はあの人に惹かれている。
ハイルは騎士団の中でも随一の努力家で、魔法に秀でない家系ながら剣一つで副騎士団長の肩書きを得た。騎士団でも剣では誰にも負けない自信があり、それを今もアーサーの訓練で唯一最後まで立った人物として証明して見せている。
ハイルは美しい聖女が月光に映える姿をアーサーの第一印象としており、ノブナガとの酒飲みに混じろうともその印象を変えなかった。いや、変えなかったというよりも、それすらも美しいと美化しているだけなのだが、それでもハイルはアーサーに恋い焦がれていた。
そして、きっかけは直ぐに来た。
アーサーと同じ勇者であるアサギに完全敗北した日だ。負ける筈が無いと思っていたアーサーが、化物染みたアサギにあっさりと負けた。
ーー嗚呼、聖女もまた一人の女性なんだ。
逆効果であり、ハイルを心底本気にさせるきっかけになってしまったのだ。誠実な性格でありアーサーの信念たる弱きを救い悪を挫くを自でやる男だったハイルは、軽々しいナンパのような真似はせずに自分のやれる全力で堂々と言った。
「一目惚れでした。お友達からお付き合いしてくださりませんか?」
「……え? わ、私か?」
「はい」
「…………(漸く私にも春が来たかッ)。こほん! 私のような武者女を好いてくれるとは酔狂な奴だ。名は確か、ハイル・ミケイラだったな。無骨な女だがよろしく頼む」
前半をボソリと呟いた言葉は聴き取れなかったが、歓喜に震えながらハイルはアーサーに差し出された柔らかくも逞しい手を握った後、片膝を着いて不貞を働かぬ事を剣に誓う気概も見せた。
益々気に入ったアーサーは訓練の他に個人鍛錬にハイルを誘うようになり、二人きりで模擬戦をする仲となった。それはどうなんだと同僚の騎士に呆れられたが、ハイルは二人きりで居られるという事に頬が緩む始末。心底ベタ惚れしたハイルを見て同僚は何も言わなくなり、応援だけするとだけ言葉を頂戴した。
「あれ、ハイルじゃないか。久しぶりだな」
「……ウィン姉様?」
ハイルの故郷はアルカンシェルであり、ウィンディは彼の幼馴染だ。六歳上の姉分としてウィンディはハイルを遊んでやったし、幼い頃を知り合う仲だ。と、なるとウィンクルを交えてまた弄られるのでは、とハイルは幼い頃からの危機感に襲われた。
ハイルは誠実である性格の裏に弱虫を飼っている小心者だった。それは魔法に秀でない家系故に見下される家族の姿を知っていたからだ。彼らのように泣き寝入りするのではなく、ハイルはウィンディの教えにより剣を極め始めた。すると、自分の家系が魔法ではなく体術に秀でる家系なのだと気付いた。幾度も剣術大会で優勝し、騎士になる前の大会で現隊長に敗北を知って、ハイルは己の心の弱さを克服した。
「御無事で何よりですウィン姉様」
が、幼い頃に刻まれたウィンディには勝てない事実がハイルの体を硬直させる。嫌いという訳では無いが、何故か意見を突っぱねる事が出来ないのだ。気になる人に気に入られたいという無意識な初恋のせいだが、その手に疎いハイルは気付きもしない。
「ああ、ハイルも健康で何よりだ。と、言ってもアルカディアにはアサギが居るからな。心配はしなかったぞ」
「……アサギ様と仲がよろしいので?」
「いんや。仲が良いのはウィンクルだよ。ベタ惚れだねありゃ。そういや、ハイル」
話の流れからしてアーサーとの一件をおちょくられるとハイルは身を強張らせたが、見当違いの言葉が発せられた。
「また強くなってるんだってな? 今からアサギと鍛錬するんだがちょいと来なよ。弟分の成長を見てやるよ」
ーーそういえばウィン姉様は戦闘狂いだった。
バトルジャンキーなウィンディがアルカンシェルから冒険者として出て行ったのが、ハイルがアルカディアで騎士になる事を決意させた一件だった。ウィンディの求める強い者に成りたいと、強さを求めていたからだ。冒険者で級を上げる事がどれほどまでに過酷かをウィンディは楽しそうに語ったのをハイルは思い出す。
八段階の三段目。B級冒険者に上り詰めたウィンディと鍛錬してみたいと思う。
「なら、是非に」
アーサーを降したアサギの力を計りたかったのが大きい。純粋に強者のそれを見たいというのもあるが、恋したアーサーを倒しやがった憎いあんちくしょうに一太刀叩き込みたいというのもあって、ハイルはウィンディと訓練場の横に設置されたいつもはアーサーと鍛錬する鍛錬場に足を踏み入れた。
アサギは待つのが暇過ぎたのか審判の座る椅子で眠りこけていた。その姿を見てハイルはムッとした視線を向け、ゾクリと背筋を跳ねらせた。
肉食獣に背後を取られたかのような錯覚に陥り、アサギが警戒する範囲に入り視認された事を察した。獰猛な狼のような雰囲気にウィンディはゾクゾクしていて滾っていたし、ハイルはアサギに対する嫌悪感を一瞬で捨てざるを得なかった。
強者だなんてちっぽけな立ち位置ではない。彼は絶対強者の英傑であると判断を改めた。アーサーが負けるのも分かる気がしてしまう。
「……ウィンディさん。そちらは?」
アサギの視線が重なり、ハイルはその瞳の奥を見てしまった。
その真っ黒に澱む濁った瞳を。
ハイルは小心者であるが故に誰かの瞳から感情を察するのに長けた人物だ。それを戦闘でも用いて勝利を掴んできた自慢の観察眼だ。だが、今日この日だけはそれを恨んだ。
ーー絶望し切る寸前の危うい瞳だ。
乱暴をされて男性に怯えるいつかの少女の瞳よりもその濁りは深く、まるで深淵を覗くかのような気分にハイルは息が詰まった。
ーーどうしてこの人は生きていられるんだ?
発狂して可笑しくない精神状況であるのに関わらず、アサギは普通の人のように行動できている。それがハイルには不思議で堪らない。そんなハイルの心中を察するつもりも無いアサギはゆらりと立ち上がり、鍛錬場の中央に立つ二人へ近寄る。
「私の弟分でな。アルカディアの騎士をしているハイルだ。こいつも剣には自信があるらしくてな。アサギに合わせれば良い刺激になるかな、と」
「……いや、刺激というレヴェルを超えている気がするんだが」
ウィンディに苦笑するアサギにハイルは同感した。猟犬に餓狼をけしかけるようなもんだ、とそんな冗談を言うアサギにハイルは苦笑した。それに対し、まな板の上の魚に切っ先を突き付けるようなものだと返せば、アサギもまた苦笑した。
ーーこの人も辛い鍛錬をした日々があるのか。
ふとそんな感情が芽生えたハイルは自分の感情に驚いた。既にアサギの事を認めていた事実に驚愕したのだ。唯一度の邂逅でこうまでも変わるか、と人の印象の移り変わりに内心で戸惑う。
「ハイル。聞いて驚け! アサギはかの有名なガーランドの勇者様だ。此れ程の武人は世には居ないだろう!」
「が、ガーランドの勇者様ッ!?」
「……いや、“伽藍堂の勇者”なんだが」
歴史的偉人たる勇者が目の前の少年であると知ったハイルは歓喜と驚愕に心を埋めた。今や勇者という存在は英雄視される人物だ。それが、年若い少年であるとは思えない。
しかし、アーサーとの一件がそれを裏付けた。格の高い人物であり、アーサーを下したアサギが普通の少年で無いならアーサーの名誉も護られる。そう即座に勘定したハイルはアサギを見る目を変えた。だが、その瞳はアサギが一番嫌悪する視線であった。
見るからに不機嫌となったアサギはハイルを露骨に視界から外し、ウィンディのみを己の視界に許した。
「……ハイル・ミケイラ。今後貴様から俺の正体を知った奴を一人でも見かけたら貴様以外の騎士を例外無く皆殺しにする」
そう明確な殺意と嫌悪の混じる拒絶の言葉を低い声で放ったアサギに、ハイルは戦慄し恐怖を覚えた。
「なッ!?」
「すまないウィンディさん。手合わせは明日にしても良いですか?」
「……此方こそすまないなアサギ。どうも私の弟分はアーサー殿に夢中でな」
「…………ああ、あの時のギャラリーは騎士団だったな。成る程。ハイル・ミケイラ、俺の敵に成りたいなら一人で来い。振るう手間が増えて煩わしい」
「そんな僕はッ!!」
ハイルが誤解だと詰め寄った瞬間に白刃が虚空を斬り裂いた。右頬の薄皮一枚を切られたハイルは、瞬時に己の首に添えられたアサギの聖剣を、頬から流れる小さな血の線が落ちるまで気付きもしなかった。そして、今一度重なる視線でハイルは再びアサギの瞳の奥を見た。
逆巻く殺意を抑える真っ黒な瞳を。
放心したハイルを一瞥する事無く聖剣を仕舞い込んだアサギは、ウィンディに今日と同じ時間を告げてから去った。
「……う、ウィン姉様。僕は何を間違えたのですか?」
「……そうだな。今のは私のせいでもあるからな……。アサギが国に裏切られた事は古事の座学で知っているだろう。つまりはそういう事だ」
前にアサギを裏切った者の理由が自分のような欲を出したそれの事だと気付いたハイルは、その場に膝を屈した。嫌われたどころでは無い。勘当レヴェルの拒絶である。それを今更に知ったハイルはアサギの心の闇を垣間見た。
ーー誰も信じられないなら拒絶するしか無い。
アサギは宣言通りハイルが欲を出した場合、躊躇い無く騎士団を潰すだろう。しかし、それは今直ぐにではないのだ。アサギもまた人として良心を痛めているのだと推し量るに、ハイルに見逃されたという事実が残る。
聖剣を振るう機会を作ってくれるなよ、と裏返しな意味合いを暗に言うように。
「……アサギ様に謝らねばなりませんね」
「ああ、恐らくながらそれが良い。今から膝を震わせてでも頭を下げて来いハイル。アサギはそのような人物を求めているんだからな」
「……ウィンが可愛がられる理由はそういう事でしたか」
「まぁ、そういう事だ」
純粋無垢故に穢れを知らないウィンクルが、自らの欲で誰かを困らせる事はしない性格であると幼馴染故に二人は理解している。そして、傷心で警戒心の高いアサギがそんな人物を求めるのは必然の理のように感じるのも確かだ。このままだと今後ウィンクルと居るアサギと出会った時の気まずさはとんでもない物になるだろう。
疾く速くと走って行ったハイルにウィンディは溜息を吐いた。それは何も気のきかない弟分だけでなく、未だ傷心癒えない勇者様にも通じる事だ。取り敢えず愛槍の矛先を向ける先が無くなったウィンディは、弟分の愛しい恋人とやらに責任取って貰うか、と騎士団の訓練場へ足先を向けた。
「……まだ子供じゃないか」
ウィンディは手持ち無沙汰に人が居ない事を良しとして、愛槍をクルクルと遊ばせていた。まるで幼い子供の癇癪だとアサギの変貌を形容したウィンディは、遣る瀬無い気持ちで歩いていた。
実際、その手の子供を見る機会が多かった冒険者生活で、アサギのように望まない環境に放り出されて命懸けで魔物を狩る少年少女は多い。飢饉や流行病、最悪は盗賊や魔物の蹂躙。挙句の果ては奴隷だろう。
ウィンディはアルカンシェルからアルカディアまでの強行軍の際にウィンクルと一緒にアサギの冒険譚を聞いていた。
ーー剣すら持った事の無い俺が勇者だぜ?
何の冗談だ、とアサギの言葉に共感した。
誰も頼りの無い異世界に拉致され、挙句の果てには護衛やお供を付けずに魔王討伐に行かせたという古代の王は死んで当然だった。
日夜一人で魔物に追われて闘い続け、ひょんな縁で仲間が出来ても闘い続け、村人を救えども自分は救われずに闘い続け、初めて盗賊を殺して絶望しながらも闘い続け、時には恐怖されて怯えられても闘い続けたアサギ。
彼を労わるのは皮肉な事に魔王だけ、挙句の果てには異世界に帰れない上に殺されかけて、終いには共に背を任せた仲間にすら裏切られた。
ーー“伽藍堂の勇者”、か。ぴったりじゃないか。
そう自嘲するアサギの瞳には自分の身を労わる程の気力が無く、空の鍋を回すかのように笑う姿は痛々し過ぎた。もう誰にも頼る気は無いし、信じる気も無い。そうアサギはウィンクルとウィンディが居ない場所では目が死んで濁っていた事を先日ふと見かけて知ってしまった。
ーー四歳年若い少年がこんな瞳をするか?
断じて否だろう。ウィンディとて、アサギが異常過ぎるのは分かっている。まるで誰かに操られる傀儡のようにアサギは心を保っているのだから。
ウィンクルの話からアサギの持つ聖剣が一つの檻だと分かった。つまりは、自分は勇者であるから信念を貫き通さねばならないという脅迫概念で雁字搦めの自己暗示を掛けている可能性がある。
今のアサギが抜き身の錆びた剣である事を分からぬ馬鹿は居ない。そして、人類滅亡の間際でアサギを勇者では無いと糾弾する愚者も居ない。国を動かす軍議に参加する人物を貶める愚か者は居ないだろう。
自身の持つ勇者としての超越した力のみしか持たないアサギはそのせいで一度壊れかけていて、二度目、つまりはもう一つの檻であるウィンクルからの拒絶や不信から壊れるのは間違いない。
ーーそもそも、そんな少年に人類の命を護って貰う事が既に可笑しいだろうがッ!!
「自分の無力さに腹が立つッ!!」
そう内心叫びながらウィンディはアーサーが居ると使用人から聞いた場所を蹴り開けた。突然の来訪と轟音に中の人物らは、きょとんとした数名と勇ましいウィンディに呵々と笑うノブナガに大別された。
「突然の来訪失礼。我が愚弟分の恋人殿は居られるか」
ウィンディは突き刺すような鋭い睥睨をアーサーに向け、当の本人は「わ、私か?」とこの世界に来て大分威勢が削られた唖然とした顔をしていた。ウィンクルは久々に大激怒しているウィンディの姿を見て萎縮しており、フレイルとマリアスに抱き締められていた。
「ハイル・ミケイラ騎士がアーサー殿の名誉のために、とアサギ様の名を持ち上げようと画策し、瞬時に看破され拒絶されました。彼がアサギ様の正体を吹聴したらアルカディアから騎士団の人数分減るようですのでお気を付けなさるとよろしいですよ」
淡々とした口調で殺意無き恐ろしい笑顔をアーサーに向けるウィンディの言葉に、ノブナガすらもピシリと固まり頬を引き攣らせた。その面々の顔を見て溜飲が下がったウィンディは嘆息して言葉を続けた。
「ハイル・ミケイラ騎士がアサギ様に謝罪をしているようですが、上手く行くとよろしいですね」
完全に凍り付いた部屋へ追撃したウィンディは、八つ当たりを完遂し気分を良しとして、失礼しました、とその場を去った。
ーー後でウィンクルだけには詳細伝えておくかな。
そう気まぐれな事を内心呟いたウィンディは、その横を全速力で通り過ぎるウィンクルを見てぽかんと口を開いた。風の魔法で廊下を駆けるウィンクルは数部屋先のアサギの部屋の前で止まる。
「アサギさん!!」
小さな暴風を消して扉を開き、これまた丁寧に閉めて戸締まりのために鍵を掛けた。そんな手際の良い男性の追い詰め方を素でやった可愛らしい従妹にウィンディは苦笑せざるを得ない。
「……随分と真っ直ぐに育ったなウィン」
けれども傷心の男性は手負いの獣だぞ、とは言えないウィンディはクルクルと愛槍を回して肩を竦めた。
昔からウィンクルは唯我独尊めいた早とちりで心配する娘だったな、とウィンディは優し過ぎる従妹に悪い虫が集るのでは無いかと心配していた頃を思い出した。可愛い可愛いと目に入れても痛くない程に可愛がられたウィンクルはウィンディを筆頭にフレイルとマリアスに護られ、ハイルに勉強を習いながらも皆に笑顔を振りまいた根っからの良い子だ。そんなウィンクルが好んだのはウィンディの集めた本であり、勇者物語だった。数ある武勲を立てた名将や武人の逸話ではなく、御伽噺という可愛らしいジャンルを好むウィンクルにウィンディはいつも読み聞かせをしていた。
「……ほんと、勇者様が好きだなウィンは」
口癖になるんじゃないかと危惧したくらいに口にした言葉をウィンディは紡ぎ、慈愛めいた笑みを浮かべた。だが、ウィンディの歩みは止まらず、アサギの自室へ向かい合う。
「だがな、これとそれは別だぞウィン」
挑戦めいた口調で唇を舌先で舐めたウィンディは女豹の顔であり、気に入った獲物を逃がさぬ女性のそれだ。
ウィンディは地位や名声や金には無頓着な冒険者として名を馳せており、実はA級に値する戦闘力のある女性である。武勲を立てる武人と武器を交えるのが趣味で冒険級が上がらぬ変人とも言える。
ーー狙った獲物は逃がさぬよ。
例え修羅場であれど堂々と闊歩する気概のあるウィンディは、アサギの自室の鍵を開けようとして、脳裏を掠めた従妹の顔で躊躇った。愛娘のように可愛がった従妹が泣く姿を浮かべてウィンディは伸びた手を下ろし、嘆息してからその場を通り過ぎた。
「……ウィンには甘いな私も」




