第四章 ナナの手紙①
「ゴ、ちょっと話しがあるんだけど・・・」
同じクラスのナナは、僕の隣の席に座っている。ナナはクラスの女子グループに入っていく性格ではなく、いつも1人で本を読んでいたりスマホで何かの音楽を聞いている比較的大人しい女の子だ。かと言って暗い性格という訳でもなく、クラスの中では『不思議ちゃん』というキャラクターだった。
「後で学校の屋上に来てくれない?」
ナナとは学園祭の演劇でしばらく一緒に練習をしていたから、前よりは親しくなったつもりだった。だけど改めてナナと2人だけで話しをするなんて、たぶんあの時が初めての事だったと思う。いや、僕にはナナと2人だけで話することなんて出来なかった。
実は僕、ナナのことが好きなんだ。
「ゴ、おはよう。 今日は天気がいいね」
毎朝挨拶をしてくるウグイスのようなナナの優しい声は、野球部で疲れている僕の体を癒やしてくれた。ナナのその挨拶を聞きたくて、朝が苦手な僕でも学校に楽しく来ていると言っても過言ではない。
どっかの誰かさんのように、毎朝玄関先で怒鳴っている大声とは全く比較にならない。
「ゴォ、早く学校に行くよ! 鈍臭いんだから」
でも岡山への引っ越しが決まって神奈川から離れてしまうのが分かっていたから、僕はナナに告白できないままモヤモヤな日々を過ごしていた。
そんなある日、クラスの皆んなの前で岡山へ転校することを発表した後にナナから「屋上に来てくれない?」と呼び出された。他の友達からは転校についていろいろ聞かれたけど、まさかナナまでそんなことを言われるとは思ってもみなかった。
ちょっとドキドキしながら屋上へ行くと、ナナは鉄柵に捕まりながらどこか遠くを眺めていた。
「ゴォ、岡山へ転校しちゃうんだね」
「うん、そうなんだよ。 なんか急に決まってね」
「5月の修学旅行もゴと一緒に行けないなんて、私なんだか寂しいなぁ」
「え?」
普段は大人しいあのナナから「寂しい」なんて言われるとは思ってもみなかった。その時の僕は、胸の奥からドクッドクッという重低音の振動を感じていた。
するとナナは爽やかな笑顔で僕に言った。
「あのさ、岡山へ転校する前に2人だけで遊ばない?」
え? もしかしてナナは僕のことを?
ひょっとして遠距離恋愛もあり?
そんな男子特有の妄想の世界が、僕の頭の中をグルグルと駆け巡る。しかしその喜びの感情をグッと抑え、冷静を保ったふりをしながらスマートに言った。
「うん、いいよ。 遊ぼ!」
「ありがとう。 じゃあ、時間と場所は後で連絡するね」
ナナはニコッと笑いながら、まるで3月の春風のように走り去って行った。ナナとのこの短い会話の時間は、僕にとって至福のひとときとなった。
ちなみに屋上からナナの姿が見えなくなった後、大きくガッツポーズを取ったのは言うまでもない。
「よっしゃあぁ! ナナとデートだぁ!」
それからずっとニヤニヤしながら学校から家に帰ると、隣に住んでいるイチが玄関の前でスマホを見ながら座っていた。
そして僕の顔をジロリと睨みながら、
「お前、なぁにニヤけてんだよ。 キモい」
「あれ? イチ、どうしたの?」
ナナからデートに誘われて少し浮かれ気分になっている僕を、あの感の鋭いイチが見逃すわけがない。
「お前、なんかナナと屋上に行ったろ?」
「別にいいだろ? ほっとけよ」
「なぁんか怪しい、その間の抜けた顔」
僕の顔は単純で分かりやすいのだろうけど、イチの直感は恐ろしいくらいによく当たる。そしてイチはあの力強い声で僕の心に突き刺した。
「あのねっ! ナナはやめた方がいいよ!」
「なんだよ、いきなり。 イチだってサンのことを諦めて、すぐに佐々木先輩と付き合ったじゃん」
「佐々木先輩とは・・・もう別れました!」
「あ、それは失礼。 でも俺だって少しくらい浮かれてもいいだろ?」
「あ、そ。 別にいいんだけど」
機嫌を悪くしたイチは「さよなら」も言わず、プリプリしながら自分の家に入って行った。それからイチはナナの件について何も言わなくなった。