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#98 聖女

 




「……はぁ?」



 クーの宣言した言葉に私はマヌケな声を上げた。


 あんな大軍を引き連れて、戦いに来たのではないと。話をさせろ? 誰と。魔将軍。つまり私。



「お嬢、あんなことぬかしてやすが、あれはアホなんですかね。馬鹿正直に死にに来たようなもんだ」


「舐められているのかもしれませんわよ。ココット様? これは好機ですわ。サクっと殺しましょう」



 ゾフとツォーネがひどく神経を逆なでられた様子で武器に手をかけて進言してくる。


 だが私は握った拳を震わせ手で制する。



「ダメだ」


「へ? ココット様?」


「話し合いに応じる」


「姫!?」



 案の定不服の声が上がったな。無理もない。私は彼らを向き直り、腰に手を当てた。



「……エルクーロ様は我々は蛮族ではないと私に仰った。武器を構えない相手を殺しては私が怒られる」



 いまさら何を、とクォートラ達が思うより先に私自身がそう思った。


 これまで幾度も逃げ惑う無抵抗の人間を殺害してきたのに、急に何を言い出すのかと。


 これは単なる下手な口実に過ぎないと自分でもわかっている。




「どちらにせよこのまま戦えば我々の不利だ。話だけでも聞いてやるうちに援軍が来るまでの時間稼ぎができる」



 もっともらしい理由を自分でこじつけて、それを部下たちに押し付けた。彼らは未だ疑問の表情をしていたが、私の言葉にも納得する部分があるとして頷いた。


 事実として時間稼ぎは必要だ。聖女に何の意図があるにせよ、我々はまだ戦う準備が整っていない。




「クォートラ、あれに伝えてこい。軍はこの場に置き、我々の駐屯地まで聖女のみで来るならば話してやると。渋ったら多少は譲歩してやれ」


「……はっ」



 クォートラは竜態となり、クーの下へと飛翔する。何も言わずにいてくれるのは、助かる。


 その風圧で土埃が舞う中、ツォーネとゾフが私に詰め寄ってくる。



「お嬢、やっぱりわからねえ。なんで戦わないんです? 数が不利だろうがどうにでもなる。たかが二倍じゃねえですか。こっちには銃ってやつもあるし、それに例の()()を使えば数は問題じゃねえ! みんな覚悟してまさあ!」


「ココット様の事だから臆病風に吹かれた――なんてことはないでしょうけれども? わたくしたちを信用してほしいですわ」


「信用していないわけではないよ」


「なら何故!」


「……」



 私はゾフとツォーネの剣幕に、ただ押し黙るしかなかった。大きな理由は今言った通り、まだ我々は戦えない。だが、もう一つ……。


 二人は私が何も語らずと察して肩を落とした。


 やがてクォートラが戻って来ると、渋い顔をして私の前に立った。



「信じられませんが……聖女は承諾しました。駐屯地まで来ると。ただ、聖歌隊のみ同行させよとのことですが」


「許可しろ。どうせ周囲の騎士の入れ知恵だ」


「お嬢、マジで聖女を招くんですかい!? ……あ! 成程な、つまり駐屯地に引き入れて聖女を殺っちまうってわけだ!」


「ダメだ。聖女を殺したことが知れれば結局あの軍勢は攻撃を仕掛けてくる。頭を潰せば終わりという訳ではないし、聖女は頭ではない。そのうちの一つだ。故に我々が今すべきことは、時間稼ぎだ」



 私はそう言ってトグーヴァに跨る。言っておいてなんだが、聖女を殺す事は大きな意味を持つだろう。結局何を言っても言い訳なのだ。そう自覚している。


 とにかく今は応対が必要だ。動いた事態には対処する必要がある。クォートラに空から連中を見張るよう伝え、魔剣士達を聖女のお迎えに出す。


 そして私は、魔族たちに号令を出してこの場で待機を命じる。


 そしていくらかの魔族をつれ駐屯地へと引き返す私を、やれやれと言った様子でツォーネが追った。


 だが、ゾフは訝しむような眼で私の背中を見たままだった。








 ♢








 魔族軍駐屯地。


 戦いに出たはずの私がすぐに帰還したので、駐屯地に残した魔族たちは顔を見合わせていた。


 そして、その後に聖女率いる一団が駐屯地に現れた事で混乱はより一層強まった。


 帰った私を真っ先に出迎えたのは、キエルだった。



「ココット……様。どうしたんですか? あの人たち……バルタの騎士じゃないですか」


「キエル。ミオを見ていろ。絶対にテントから出すんじゃない」



 私はキエルに短くそう告げた。キエルは私と騎士たちを交互に見た後、テントに走っていくとちょうど顔を出そうとしていたミオの手を取って中に引っ込んだ。


 何があるかわからない。キエルはともかくミオの事は絶対に知られるわけにはいかない。ミオもまた、悪魔の相を持つのだから。


 聖女付きの護衛……聖歌隊は武器に手をかけたまま魔族達を見やっている。取りまとめるものには覚えがある。聖歌隊副長のレーヴェもそこにはいた。そして彼女に並び立つ者は直接見るのは初めてだが、クーから聞いたことがあったので想像は付いた。あの美男が、聖歌隊隊長のデオニオだろう。


 駐屯地の中心でクー達は魔族に囲まれていた。緊張が場を包む中、私はトグーヴァの背から降りて、ふうと息を吐いた。


 そしてキッとクーを見据えて、正面にとらえ歩み寄る。その横にはゾフとツォーネが続いた。



 そんな様子を駐屯地のテントから眺めていたキエルは、聖女の顔を見てひどく驚いていた。



(あれが聖女様……? 嘘……似てる……ココットに……?)



 キエルは確かに、聖女クーシャルナの顔立ちが、ココットと似ていることを認めていたのだ。


 そしてそれはキエルだけではなく、ゾフやツォーネ、周囲の魔族達もまた同じく思っていた。



 私はクーの前まで歩き、目の前で立ち止まりその顔を見上げた。彼女は目が見えていない。未だ私が前に立っていることには気づいていない様子。


 できればこういう形で会いたくなかった。本当に、そう思う。私は深呼吸をしたのち、ゆっくり口を開いた。



「私が……この軍を預かる魔将軍だ」



 そう言って帽子の影から顔を見せて、言い放つ。


 私の声を聴いて、クーの目が見開かれた。同時に、クーの背後に控えていた聖歌隊の面々も驚いた様子だった。


 この近さで見てやっと、口々に私が人間であること、女であり子供であること、そして、悪魔の相を持つことに驚愕していた。






 クーは、見開いた眼を少しだけ伏せた後、何かを悟ったような表情で私に言った。



「貴女だったんですね……ココット」


「そうだ。改めて自己紹介する。私は魔将軍のココット。クー……いや、聖女クーシャルナ。歓迎するよ」



 じとりとした目でクーを見る。私の宣言に再び聖歌隊の騎士たちにどよめきが奔った。


 疑念が裏付けられる瞬間の顔だ。どいつもこいつも。私が魔将軍だと宣言したことで目を丸くしている。着る装束、そして魔族を従える事。疑いはあってもやはり言葉で伝えられるというのは理解度が違う。


 何より、悪魔の相とは魔族を連想させたもの。それが本当に魔族に与していたというのだから、人間には……まして悪魔の相を生んだユナイル教の膝元たるバルタの騎士達には刺激が強すぎたか。



「ん……お前! あの時の!」



 聖歌隊副長のレーヴェが私に気づいたか声を上げた。そう言えば会っていた。用を足しに行くと嘘をついてそのまま逃げたんだ。


 レーヴェから逃げていなければクーと会う事も無かった、か。


 しきりに私を指さし驚いた顔をしていたレーヴェを無視し続けていれば、やがてデオニオに制されて俯いた。



 そしてクーがゆっくりと口を開いた。



「……そう、ココット。これが、会えばわかるという事なのですね。運命とはこうも残酷なのでしょうか」


「だから会いたくなかった。だが、いずれこういう形で相対する定めだった。お前は聖女、私は魔将軍。敵同士だ」


「私は貴女と……貴女はどうして」


「私はエルクーロ様に従っている。そしてそれは私の目的への一番の近道だ」


「っ……エルクーロ……黒曜の四天王……そう、この侵攻は彼の……」



 クーの言葉を切るように言った私の言葉に、クーは胸に手を当てて何かを考えている様子だった。


 私はただじっとクーを見つめて黙する。クーがこの話し合いの場を提案した理由は未だに計りかねる。


 しかし、想像はできた。短い時間ではあったが、このレイメに似た女性は底抜けに優しいのだから。


 だから次にクーが決死の眼で訴えてきた言葉にも、私は別段激昂することはなかった。どんなにそれが、私の大嫌いな恵まれた者の視点で語られる綺麗言だったとしても。



「ココットお願いです。どうかこれ以上戦火を広げるのはやめてください」


「はっ。戦火を広げる、か。話し合いを提案した理由は和平の相談か? 私個人にそこまでできると思っているのならお笑いだ。これは戦争だぞ。一魔将軍に何ができる? それにお前にも言えるんだぞ。いくら聖女とはいえ戦争を止める力があるのか?」


「その通りです。聖女と呼ばれる私にも戦争をすぐに止める力はありません。ですが、少なくともその意思を見せれば、賛同者はその思想を内部に伝播する。魔族にも戦いを避けたい者はいるはず」


「馬鹿げてる。綺麗ごとだ、そんなもの。現状を見ろ。世界は憎しみに染まっている。一部の平和主義者は既に声を上げただろうが、この有様が答えだ。お前の言うお願いで世界が平和になるのなら、どうして私はここにいる?」



 捲し立てるように反論する。綺麗言で世界は平和になどならない。人間の性根は綺麗とは真逆の性質なのだからな! その結果私と言う存在が生まれたのだ。私自身がその証明なのだと、強く宣言した。



「僻地を邁進してきた魔族軍……不落とうたわれたアウタナをはじめ、立て続けに街を落とした将が誰なのかというのはファルトマーレにおいて大きな謎でした。それが貴女だったなんて……街を焼き、人々を殺し……それで次はバルタ……なのですか?」


「その通りだ聖女様。ユナイル教を私は許せない。私はなにも戦争がしたいから此処に居るわけじゃあない」


「復讐、ですか?」


「そうだ! 我が最愛の母を奪ったお前たちへの復讐! アウタナも、フリクテラも、ルイカーナも! そのために全て落としてきた! お前の言う綺麗な心を持った人を、奪ったのがユナイル教で、ファルトマーレで、人類だ! だから私は悪魔になった!」


「貴女は人間です! これ以上人を殺めるのはやめてください! 心を闇に染めるのはもう……何よりも、貴女の為に……!」


「私は私の為にこの道を進んでいる! 母を奪ったお前たちを焼いて捨てねば気が収まらん!」



 私達の口論を、周囲の魔族と騎士たちはただただ黙して見守っていた。


 似た顔の二人の口論を。テントの影から見守るキエルは、他のものとはまた違う、複雑な表情でそれを眺めているのだった。



「貴女のお母様はそんな事望んでいると?」


「ああ、望まないだろうさ! あの人は優しい人だった。クーシャルナ、お前のように。だから間違っても彼女は私に復讐など望むまい! レイメは己の敵を討ってくれなどとは口が裂けても言うまいよ! だからこれは、私の我儘なんだよ! 文句があるのか!?」


「エルクーロに誑かされているのです!」


「違う! エルクーロ様はそんなお方じゃない! 私の命の恩人で……とても……とても良くして下さっているお方だ。侮辱はゆるさないぞ」



 私は腕を振り、クーを睨む。クーは驚いたような顔をしてたじろいだ。


 背後に控える聖歌隊に緊張が走り、同時にまたゾフ達も武器に手をかける。


 それを息を整えた私が制して、にわかに口角を吊り上げてクーを見上げた。



「もうじきあの方の援軍が来る。バルタを攻めるために! あの方が率いる軍勢と我が軍が合わさればバルタなどあっという間に炎の海に沈めてやれる!」


「そんなことをしたって貴女の心は満たされません!」


「お前に何がわかる!」


「わかりませんよ! だから教えてください! 一人で苦しんでたってなにも変わりません! まず戦いをやめて話し合って……」


「綺麗ごとばかり言うな馬鹿! 子供じゃあるまいし!」


「我儘ばかり言わないでください! 子供はココットの方です!」


「なんだと!?」



 周囲の魔族達は段々ヒートアップしていく私たちの口論に顔を見合わせる。


 クーは腕を組み、まるで子供をしかりつけるように話し、私は私でそれにむかっ腹が立ちあーだこーだと吐き捨てていく。


 緊迫した対話はいつしか私たちの子供の喧嘩じみたものに変わっていって。それを眺めていた者たちは決まって思ったのだ。


 この二人、性格も似ている……と。


 私は自分で負けず嫌いの自覚はあった。だがクーもまた、どうやら劣らずの負けず嫌いのようだ。



「ええい、こんなバカげた問答に意味なんかない! 一体何を考えてここに来たんだ、聖女クーシャルナ!」



 いい加減うんざりしてきた私は、腕を大きく振ってクーを睨んだ。


 だがクーは物怖じした様子なく、対話しに来たの一点張り。背後の騎士たちも聖女の行動を図りかねている顔をしたままだ。


 やはりこんなもの無意味だ。


 くそっ、はやく援軍さえ来てくれればこんな無意味なやり取りをする必要も無いのに。アンドレオの軍でもいい。それにエルクーロ様さえ来てくれれば勝利なんて確実なのに! 


 バルタを落とす算段は固まりつつある。ここで先手を打たれたことが問題なだけで。


 援軍さえ。



「そうさ……エルクーロ様さえ来てくれれば……バルタはお終いなんだよ! あの方と私! 揃ってしまえばこちらのもの! はは、対話なんか無意味だ!」



 もはや時間稼ぎをするための相手を刺激しない言葉すら忘れて、私はクーを指さし叫んだ。


 騎士達がどよめく。今にも剣を抜きかねない殺気を放つ輩もいる。私はそれを見てただ笑った。こいつらが悔しがる顔を見て抑えが利かなくなってくる。指揮官としては失格だ。だが今はクーや騎士どもの表情を崩してやれるなら、と。


 しかし、クーは驚いた顔も悔しそうな顔も、悲しそうな顔もせず。ただ私を見て、少しだけ笑った。



「エルクーロを随分想っているのですね」


「ぶはッ!?」



 なんでそうなる!?


 思わずよろりと姿勢を崩し、理由を聞きたいとあからさまな目をクーに向ければ、彼女は胸の前で手を組んで笑ったのだ。



「貴女、エルクーロの事を話す時とても嬉しそう」


「そんな話をする空気か!? 死にかけていた私を救ってくれた恩人なんだ! 今は援軍を期待している! ただそれだけだ!」


「そうなんですか?」



 当たり前だろう! まったく、ジジといいクーといいこの手の話が好みなのか? 状況が状況でもお構いなしとは、女子という生き物は未だに分からん。


 空気が一気に変な方向に向かっている気がする。大体なんで私がエルクーロ様どうこうになる。援軍を期待して何が悪い。期待と言うのは信用に基づくものだから、そりゃあもちろん私は彼に期待している。だが周りはどうしても誰かに思いを寄せているように仕立て上げたいらしい。それでエルクーロ様だと?


 馬鹿を言えと言うんだ。



「あの方は四天王。私など不釣り合いだ」


「否定はしないのですね」


「そッ……それは揚げ足取りだぞクー! お前そんな意地悪だったか!?」



 あーもう、ああいえばこう言う! 私は帽子を脱ぎ捨て髪をわしわしと掻き毟った。


 そう言う意味で言ったんじゃない! あの方は四天王。それは私の上司であるとともに、品位や実力を相応に備えた方と言う意味を含んだ。私が平民で彼は貴族のようなものだ。月とすっぽんと言う奴だ。だから隣ではなく一歩後ろを付き従うのが丁度いいんだ。


 なのにクーは私がエルクーロ様に恋をしていると言ったのだ。


 別に今更自分は男だった記憶もあるから等とは言わない。紛れもなく今の私は女だ。だが、だからといって何だ。この私が男だろうが女だろうが恋愛感情など持つ訳がない。相手どうこう以前の話だ。前世ですら経験も無い。第一そんな色恋などにかまけている暇なんかないのだ。


 私ははっきりとクーが思っているような感情はないと宣言しようとして、酷く嬉しそうに笑うクーと目が合った。


 彼女は両手を合わせてニコニコしながら言った。



「やっとまたクーって呼んでくれましたね!」


「~~~! わかっているのか!? 私は魔将軍! お前は聖女! 敵同士だ!」


「でもお友達です」



 クーの笑顔に私は唇を噛んだ。


 拳を握って、目をクーから背けた。あの時私を看病した時と同じ穏やかな瞳。光を映さないはずのその瞳に見つめられていると、私の中の火が消えてしまいそうになる。懐かしさと恋しさが胸の中に溢れてくる。


 やっぱりどうしようもなく、クーはレイメに似ているから。


 俯いて唇を噛んだまま握った拳を震わせていると、クーは一歩私に歩み寄った。



「ね、ココット。こうやってわかりあうことだってできると思うんです。戦う以外の道だってある。戦争を終わらせるために」


「私が戦うのは戦争を終わらせるためじゃない……復讐のためだと言っただろ」


「でもそれはお母さまが望んだことではない。貴女が望んだこと」


「そうだと言った!」


「なら貴女次第でいくらでも変えられる運命です。貴女は自由なんですよ。私達と分かりあう事も、貴女の想いひとつなんです」



 勝手な事を……!


 私の選択次第というのなら選ぶ道は一つだけだ。私からレイメを奪った連中を根絶やしにして、外敵のいない平和を得る。


 そのために私は戦っている。


 だけど……。ミオの事。そしてキエルの事を考えて私は服の裾を握った。


 バルタと戦う事は、ミオだけではなくキエルも危険に晒す事。もう、自覚している。それは……私の望まない事だ。


 くそっ……やっぱり、重荷だったかな。


 私は苦笑しながら再びクーを見上げた。



「私達って何のことだ。まさかユナイル教が悪魔の相を持つ私と仲良くしたいわけではあるまい?」


「……彼は、フォルトナはとてもやさしいんです。私と同じで争いを望まず、助けるために剣を振るう。私が言うのもなんですが底抜けにお人よしなんですよ。きっとあなたの事も助けてくれます」



 聖剣の勇者フォルトナ……。


 クーとともにあの地下室に居た時、クーは熱心に手紙を書いていたし、手紙が届いた。


 だが、クーは目が見えない。手紙も今まで読めなかったのだそうだ。届くだけで思いは伝わっているだ何とか言って笑っていたが、少し寂しそうでもあった。だから私が読み上げてやれば、大層嬉しそうにしていた。私としては、戦地の勇者からの手紙なのだから何か情報がないかと打算的に思ったものだが、書かれていたことはただただクーの身の心配やらなんやらのノロケたもので、読んでいて胸やけがした。


 他人の恋文を読み上げるのはなかなか辛かった、と思い出す。おそらくクーとフォルトナは相思相愛なのだろうな。


 で、そんなフォルトナの名が出てきたわけだが。フォルトナが私を救いに来るとしたらウラガクナ様が敗れるという事。だったら来なくていい。


 無言のままの私に、クーは周囲に見えない目を向けながら言った。



「今は、まだ貴女の心の火が黒々と燃えているから、難しいかもしれない。でも火はいつか消えます。薪をくべない限り、燃え続ける火なんてないんです」


「それを、()()()というんじゃないのか」


「それが人として自然なことなんですよ。それに……貴女の心の火は、大分小さくなっているように感じます。きっと火に砂をかけてくれた存在が居たのでしょうね」


「っ……馬鹿を言うな。私を救うものなどいない。私の敵は何も勇者だけではない。ファルトマーレで、人間で、世界だ! 全部消してやらなくて、どこに救いがある!」


「でも、少なくともエルクーロは貴女を救ったのでしょう?」


「っ……それ、は……」



 確かにそうだ。


 あの雨の日。レイメが死んだあの雨の日だ。私の前に立ち雨を遮った黒い影。


 死にかけた私を、どうしてあの魔族は救ったのだろう。


 私は爪を噛みながら再び押し黙った。



「信じられませんが……人間を救った魔族の四天王。エルクーロと話が出来れば、戦争を終わらせる事が夢物語ではなくなるかもしれない。それには貴女の協力が不可欠なんです、ココット」



 クーが突然私に近寄り、手を取った。はっとしてクーを見上げる。


 私に接触したことで魔族達が一斉に剣を抜いた。騎士たちも同様だ。


 私とクーは同時にそれを手で制した。


 しばし私とクーは見つめあい、震える瞳で視線を交わした。


 エルクーロ様とクーを引き合わせる?


 そんな、それは……確かにエルクーロ様は平和を望んでいる。クーなら、クーとエルクーロ様がもし和平を結んだらどうなる?


 戦争は終わるかもしれない。少なくとも大きな第一歩になる。なってしまう。


 そうしたら私も戦わなくて済む。だが、復讐が成し遂げられない。それはダメだ。レイメの仇を討たないと、私の胸の怒りが収まらない。なのになぜ、私は迷っているんだ……! 本当にこの胸の怒りが、黒い炎が小さくなっているとでも言うのか。


 ミオのおかげ、なのか……。


 私はふっとミオがいるであろうテントを見やった。そこでは不安げな顔で入り口に立つキエルがこちらを見ていた。そう、か。あいつも……。


 あいつらが脅かされることのない世界……そんなものがあるのなら、私も安心できる。……だが。


 少し口角が持ち上がったのを感じた私はすぐに苦虫を噛み潰したような表情をしながらクーに顔を戻した。



「そんな甘言を言われたとて……すぐに答えが出せるものか……」


「では、また後日にお会いしましょう。その時答えを聞かせてください。軍は引き上げさせます」


「なっ……」



 クーは私の手を離すと、ゆっくりと背を向けた。



「私はまた貴女とお散歩がしたい。ね、ココット。きれいな服を買って、一緒に手を繋いで街を歩きましょう。おいしいものを食べて、笑いましょう。そんな日が来るためにできる事があるのなら、私は頑張っちゃいますから」



 そういって笑ったクーは、聖歌隊の下へ向かい、号令を出す。すると騎士たちは武器を収め、隊列を組み歩き出した。


 魔族たちがどうする? といった目で一斉に私を見る。だが私は命令を出す事が出来ず、ただただクーの背を見ていた。


 そんな視線に気づいたのか否か、クーは私の方を一度振り返り、小さく笑った。次に会おうという日時を短く告げた後、また会いましょうとでも言いたげな目で。



 馬鹿な。このまま戦えば我々が敗する可能性は大きい。だというのに、本当にただ話すだけであの大軍を引き揚げさせた!?


 舐められている、と一瞬思ったが相手はクーだ。戦いたくない気持ちは本当なのだろう。だが、くそっ、くそぉっ……。悔しい。悔しかった。


 命拾いしたからと、そういうわけではない。


 こんなにも簡単に揺れ動いている自分の心に苛立っているのだ。


 クーに叩きつけた言葉は全て本心。だのにクーはそれを否定するのではなく包み込んで導こうとした。


 そんなクーと戦わなくて済んだことに、私は安堵してしまっているのだ。







 結局、命令がなく動けない魔族たちに見送られながらあっという間にクー達聖歌隊の騎士たちは駐屯地を後にした。


 魔族駐屯地は静寂に包まれ、夜の風が私の白い髪を撫でていく音だけが、耳に聞こえた。


 私はその場にへたりと膝を折り、ただただ呆然とクー達が去った方を眺めていた。





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