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#99 宵闇のプレリュード

 





 唐突な聖女との対話は終わった。


 聖女クーシャルナが帰還した後、魔族たちはすぐに私にあれやこれやと詰め寄ってきた。


 追撃はしなくていいのか。聖女の真意は何なのか。どうすればいい、指示をと。


 だが私は「疲れた」と一言だけ発してよたよたとテントへ向かった。



 後を追いかけてきたクォートラに、全軍は警戒態勢を敷いたまま待機し偵察隊を出して連中の軍が本当に撤退するのかを確認しに行けと命じた。


 去ったクォートラを軽く目で追った後、キエルの横を通り過ぎ、テントに入った私はミオの眠るベッドに腰かけて両手で顔を覆って深いため息をついた。


 そんな姿を見ていたキエルは、何も声をかけないでくれた。ゆっくりとテントの入り口の幕を閉じ、去っていく足音だけを残していった。



 色々と考えようとして、頭がまとまらない。



 やがて座ったまま眠りこけそうになっていたところで、テントの外からクォートラの報告があった。


 曰く、バルタを出陣した大軍は本当に、きれいさっぱり撤退していた――と。







 翌日の昼頃に、私は眠りすぎて凝った身体に鞭打ち、しょぼしょぼする目をこすりながら寝巻き姿のままに広場へ出た。


 そこでは、待ち構えていたかのようにクォートラ、ゾフ、ツォーネの三人が立っていた。


 そうだな。時間を空けてしまったのは私のミスだ。不平不満をため込んでいてもおかしくない。私は確かに昨夜、戦わなかったのだから。



「私に文句を言いたそうな顔が三つもある。何故、敵と対話などしたのか……魔将軍がここにきて弱気じゃないか。そう顔に書いてあるぞ」



 私はぼさぼさの髪をわしゃわしゃと掻きながら寝ぼけ眼で3人を見上げた。


 彼らはそれぞれため息をついたり顔を見合わせたりしながらばつの悪そうな顔をした。概ね私の想像は図星だったか。



「まあいい、詰め寄られるのは覚悟していた」



 ふう、と息を吐いた私にゾフが前に出る。



「お嬢、言いつけ通り警戒態勢は敷いてやしたが、連中は完全に撤収。俺たちなんざ気にしてねえって風だ。斥候も出て来てねえ。何故ですかい? 連中はなんで攻撃を取りやめたんでさ」


「それが聖女という物なのだろうよ」


「俺が言いてえのは、なんでその聖女がお嬢と話したがって、話し終わったらとっとと帰ったのかって話でさあ!」


「あの聖女は本気で戦争を平和的に終わらせたかったのさ」



 私の言葉にゾフはついに眉間にしわを寄せた。怒りをはらんだ表情でもう一歩、私に歩み寄り見下ろした。


 そんな様にツォーネがゾフの脇に駆け寄る。



「ちょっとハイオーガ、無礼ですわよ」


「いいや、どうしても言わせてもらうぜ」



 ツォーネの制止を跳ね除け、私を睨んだゾフ。私はゾフにまっすぐ顔を向けた。


 そんな私を睨んだまま見下ろすゾフは、少し迷った後言った。



「聖女は……勇者は俺やクォートラにとっちゃ、いや……魔族にとっちゃ仇ってやつだ! そんなのとまさか説明もなしに仲良しこよしってんじゃねえですよね?」



 ゾフの言葉にツォーネもはっとして私を見る。彼らの背後に居た魔族達も皆私を見ていた。その殆どはゾフのように不信を顔に張り付けていた。


 不信……か。元々恨みを燻らせた兵を纏めたのが我が軍だ。人間相手に仲良くお喋りなどしては、な。これが目的ならクーに一本取られたな。


 私はすぐには言葉を紡がず、皆を一通り眺めた。一時の沈黙、その後にクォートラが一歩進み出て口を開いた。



「姫、和平を受けるおつもりか」


「和平? はっ……和平など……私に決められるものじゃない。そうでなくともあり得ない……」



 私は苦笑しながら吐き捨てた。


 戦争をそんな形で終わらせる気はない。それでは復讐が為せない。魔族軍の中で成果を上げ地位を確固たるものとするという目的もまだ半ば。和平などありえない。ありえないのだが。



「だがこの胸の中のむかつきはなんなんだ。教えてくれクォートラ、ゾフ、ツォーネ! 私は頭の中がぐちゃぐちゃで、お前たちの怒りすら受け止めてやれそうにない……!」



 私は表情を曇らせ、訴えかけるようにクォートラ達に叫んだ。


 彼らは真に迫る私の声にたじろぎ、困ったような表情を浮かべた。こんな私を今まで見せたことはなかった。


 これは弱気とは違うと察したのだ。悩みだ、と。



「お嬢……」


「ど、どうしたんですのココット様……貴女がそんな風に……」



 ゾフとツォーネが狼狽える中、クォートラだけが閉じていた瞳を開き、私に静かに言った。



「姫、どうか心の内を我らに語っていただけませんか。先の会談での姫と聖女の様子……始めて会ったわけではないのは明白。……バルタで聖女と何があったのです」



 クォートラの問いに私ははっとして彼を見る。


 その声色は優しく窘めるようなものであり、私をじっと見る赤い瞳に映るのは、弱弱しい白い髪に赤い瞳の幼女だった。


 私はふいっと顔を背けて、呟くように言った。



「10日間……匿われていた。身体を壊して倒れた私を介抱してくれた。共に街を歩いた」


「それは、なんと……聖女が……? ですが失礼ながら姫の容姿は人間どもの、ユナイル教とやらには忌むべきものの筈。それをユナイル教のシンボルである聖女がなぜ」


「彼女は盲目だ。だが、それだけではあるまい。彼女は私が悪魔の相を持つと知っても態度を変えなかった」



 クーと過ごした時間はわずか10日。だがそれでも、あの時間は確かに私にとって温かく感じたのだ。笑える話だ。レイメに似ているというだけで……いや、その性質まで似ていると来てはまるで生き写し。最愛の母に再会したと錯覚する幸せな時間だったのだ。


 ああ、エルクーロ様。私も貴方と同じだ。言うまい思うまいとしながら、いざ会ってみれば感情が膨れ上がってくる。


 戦う事、殺す事。覚悟をしていたはずなのに。顔を見てしまっただけで覚悟はあっという間に陰って行く。私の黒い心は錆び付いたのか。


 私は拳をぎゅっと握り、悲痛な表情を浮かべて顔を上げクォートラ達を見て叫んだ。



「正直に……吐露しよう。私はあれと……聖女と、戦いたくない……! 戦いたくないんだっ……!」



 沈黙。


 駐屯地で作業していた魔族達も手を止め、私の声を聴いて視線を寄越した。


 そして私の叫びを受けたクォートラ達も、しばし目を見開いていた。



「しかし姫、10日介抱された程度であなたがよもや」


「聖女はレイメにっ……私のお母さんにそっくりなんだっ……!」



 その言葉にクォートラは驚いたように口を半開きのまま硬直した。


 私は続けざまに叩きつけるような感情の吐露を続ける。



「バルタは落とす! 住民は、ユナイル教の狂信者どもは皆殺しだ! これは決定事項であり、魔王様の勅命だ! 何があっても覆らない!」



 腕を振り、白い髪を振り、叫び続ける。



「それに母を奪った連中に目にもの見せるために戦ってきた! バルタさえ落とせばそれも叶おう!」



 バルタを落とせばユナイル教は崩壊し、ファルトマーレを打倒できる。この戦いが私の復讐の終着点になるはずだったのに!


 だのに! なぜここにきてこのような障害を我が前に遣わせたんだ神よ!



「最愛の母によく似た笑みを私に向けたあの女と、戦いたくない私がいるんだ……!」



 どうすればいいんだ私は。叫びながら……いや、クーと対話したあの時からずっと私の頭の中はぐるぐるとごちゃごちゃと思考を巡らせている。


 何が最善だ。何ならすべて丸く収まる。どうすれば私にとって最良の選択なのだ。


 そう、か。そうだ。いい事を想いついた。



 和平とやらを形だけ受けてやればいい! 条件は聖女の身柄。それで無理やりにでもクー……クーシャルナを連れだせば、あとは聖女を失ったバルタを叩き潰すだけ! だまし討ち? 卑怯? 知るか!


 魔王様には聖女を殺せとは命じられていない。人質として身柄を拘束すれば、バルタ陥落後のファルトマーレへの揺さぶりは盤石。


 完璧じゃないか!



「完璧……のはずだ」



 はず、なのに……。



『貴女の心の火は、大分小さくなっているように感じます。きっと火に砂をかけてくれた存在が居たのでしょうね』



 レイメに言われたような感覚を覚えたあの言葉が呪いめいて私の心に巣くっている。


 あれはレイメじゃない。レイメじゃないのに!


 私次第で変わる運命だと?


 馬鹿な! この身を焦がす憎悪の炎はまだ燃えている!


 だが、その炎は今揺らいでいる。


 炎の傍にはできてしまった大切な者たちが居る。私がこの炎を燃やし続ければいずれは彼らをも焼いてしまうかもしれないのは分かっている。わかってしまっているのだ。


 だからこそクーの言葉が重くのしかかってきた。どう戦うかを悩んでいるのではないのか、私は。戦うか、戦わないかで悩んでいるのか。


 私は額に両手を当てて前髪を搔き上げながら俯き、歯を食いしばった。



「お嬢……言わせてもらえやすかい」



 ゾフが沈黙を破りずいっと前に出てきた。



「ああ、なんだ。こんな魔将軍など仕える価値も無いか? いいよ、言ってくれ。どうとでも、言ってくれ」


「そうじゃねえ。お嬢は何か勘違いをしてやがる」



 ゾフの言葉に私は顔をあげた。ゾフは確かに怒りの顔色ではあったが、その所以は私への不信ではなかった。



「俺たちが怒ってんのはもっと早く言ってくれって事でさあ!」


「え?」


「だってそうでしょうがよ! なんか考え込んでんなとは思ってやしたがね、俺たちを信用しろってのは何も力だけじゃねえ! 俺たちゃお嬢の部下だが……なんつーか、その、俺たちにとっちゃお嬢はこう……ダチの娘ってか……もっと色々話してくれてもいいでしょうが……」


「ゾフ……」


「今回ばかりはハイオーガに同意ですわ~。ココット様、悩みとか話すタイプじゃないのは分かってましたけど? せめて悩みすぎてそんなお顔するくらいなら言ってほしかったですわね」


「ツォーネ……」



 ふと彼らの顔を見上げれば、困ったように笑っていた。



「お前たち、私が信じられなくなったんじゃないのか……?」



 そう私が言えば、ゾフ達は顔に手を当てて心底がっかりといった顔をした。そしてそのあとすぐに、大声をあげて笑い始めたのだ。


 合わせて広場で事の次第を見ていた魔族達からも笑い声が聞こえてきて、私は面食らう。笑い声に包まれた広場で、私だけがおどおどしていた。


 そんな私の前にクォートラが進み出てきて、跪いた。



「我らはもはや家族です。そう思っているのは、我々だけでしたか? 姫」


「っ……お前たち」


「人間はぶっ殺したいですけど、ココット様が戦いたくないんじゃ仕方ねえーですわ。わたくしはココット様の愛奴ですもの、この心は貴女と同じにできていますし? ま、ちょっぴり妬けますけど」


「お嬢の言った事、俺たちも納得してんですぜ。このまま戦うのはまあ、アレがあっても無茶ではあるしな。無理して戦っちゃあ、あいつらもアブねえですし」



 ゾフがそう言って後ろ指をさした。その先に視線をやれば、魔族の影からキエルとミオがこちらを見ていた。



「ミオも、今じゃ俺たちの家族だぜ。あの歌が聞けなくなるとウチの地上部隊の連中が泣き言言うぜ。キエルの奴もおとなしいし、お嬢も悪く思ってねえんでしょ? 魔馬の扱いがうまいって聞いたんで後で見てやろうかと思ってたんでさ」


「それは、あ、えと……いいのか? それで……」


「いいのです、姫。我々とて元は荒くれの集まり。しかし貴女と共に無茶にして完全なる勝利を重ね、絆もまた強まったと言う事です。姫が悩んでいるのなら、末端のゴブリンに至るまでの全員含めた我々が心配をするという物ですよ」



 そう言って笑うクォートラ達に、私は驚き、そして胸の中がじくじくと熱くなるのを感じた。


 レイメのネックレスを握り俯き、唇をかみしめる。


 そうか。相談してよかったんだな。



 仄かに笑う私。笑顔が戻った私の顔を見て魔族達もまた、笑った。







 一先ず魔族達には私自身の頭の中で考えがまとまったら話すと確約し別れた。例え和平を選ぶなら従うとまで言って。私が恨みを捨てるなら、自分達も捨てようとまで、言ってくれて。


 魔族達は各々の配置に戻り、駐屯地に静けさが戻ってくる。


 私は一先ずは完全に覚醒した頭でまた自分の格好が寝起きそのものであることに気づき、将軍装束を取りにテントへ戻ってきた。


 クーが指定した期日は明日の夜。ならば今夜には答えを出さねばならない。頭の中を整理せねばな。


 クーシャルナは、クーはきっと待っていてくれる。魔族達も、また。


 自分の頬を張って帽子をかぶり、再び広場へと出る。いい天気だ。太陽は真上にあり、森を拓いた駐屯地を明るく照らしていた。




 少し歩くことにした私は、駐屯地を見て回りせっせと駐屯地の防備増築にいそしむ魔族達を眺める。


 そしてしばらく時間が経ち、手ごろな丸太に腰かけて休んでいるとミオがぱたぱたと駆けてきて隣に座った。


 そんなミオに軽く手を振ってやれば、ミオは私の顔を見て丸い目をぱちくりさせた。



「ココット……つかれてるの? おうたうたってあげようか?」



 どうやら疲れを察したらしい。疲弊は身体的なものではなく精神的なものであったが、気遣われるほど表に出ていたのかと自嘲する。


 私はそっとミオの横髪を撫でた後、ゆっくりと深く座り直した。


 空は朱の色を見せており、木の葉の隙間からカーテンめいて赤い光が差す森を背にして私は膝に手を置く。ミオはぴょんと丸太から立ち上がり、私の前でくるりと回ったのちにこりと笑う。


 そして、いつも歌っている歌を口ずさみ始めた。


 私は瞳を閉じ、腿についた肘を顎につき歌声を聞いた。もはや恒例と言えるが、ミオが歌うと駐屯地の魔族達も作業を緩やかに止めて歌を聴く。それを私も許している。



「その歌、どこで覚えたんだ?」


「ん? んー……えっとね、うんと……わからない」


「わからない?」


「おもいだしたくないの。ねむるときによくきいたきがするの。でも、このおうたをおしえてくれたひとはね? かなしいときはげんきになって、たのしいときはうれしくなる。そんなおうただって!」


「……ああ、そうだな」



 多分この歌は子守唄であり、それを教えてくれた人と言うのは彼女の母親なのだろうと推測し、一度は心壊されたミオが母親の記憶を忘れていることに改めて胸が痛んだ。


 アレハンドロに奪われた母親の姿は彼女にとって思い出したくない悲劇なのだろう。


 私は再び歌を歌い始めたミオを眺めつつ、きっと私達には幸せな未来があると固く拳を握った。ミオの安全が損なわれる選択はもうできない。救ったつもりで復讐の道に巻き込んだのかもしれない。だから、私も選ばねばならない。


 これまでとは違う、守るための選択を。



「それでいいんだよな、レイメ……」




 私は夕焼け空を見上げ、仄かに笑って呟いた。








 ♢









 ココットのテントの中を掃除と整理し終わった私は、椅子に座ってずっと考え事をしていました。


 聖女クーシャルナとココットの対談を見て、二人が似ていることに気づいたせいもあってか、妙にあの聖女様が気がかりだったのです。


 元々ユナイル教の信徒であった私にとっては聖女様は神聖なお人。女神ユナイルの現身としてその言葉を人々に伝え導くとされています。


 そんな彼女について、バルタに潜入していた時に兵士たちが言っていた言葉を思い出したのです。



『近代の聖女様は、奴隷女の腹から産まれたって噂だ。だからユナイル教の中では聖女様を良く思ってない連中も多いんだとさ』



 聖女が代替わりする際は聖女が死んだ時か、聖女の口から次代の指名があった時。いずれにせよ女神の信託と言う形で次の聖女には御印が現れるそうです。近代の聖女様は、先代様がお亡くなりになる間際の指名に従って探し、見つけたとのこと。そしてそれは奴隷が産んだ子だったのだと。


 そう兵士たちが話していたのを聞いた私は、それをすぐにココットに伝えませんでした。


 ココットの思い出したくない過去に重なってしまったらと思って言わないでおいたのです。確か、ココットのお母様も元は、と小耳に挟んだ事があったためです。聖女様もお母様と引き離されていたのだと。


 ですが、実際にあの二人が対面しているのを眺めて、何かが引っかかるような思いがあって。


 ココットは聖女様に対して何か複雑な思いが見て取れたのです。バルタで用事を済ませてくると言って出て行ったあの時と似た様子だったので、多分その時にも会っていたのでしょう。


 ……やはり、伝えるべきなのでしょうか。自分の境遇に似た聖女様となら手を取りあえるのかもしれない。でも、ココットの過去を利用するようで嫌な自分がいる。どうすればいいのか。



 と、私は立ち上がりテントの入り口の幕を少し開いて、近くに誰もいないことを確認したのちココットの私物を漁り始めました。


 兵士たちの話の続きを思い出したのです。



『聖女様を産んだ奴隷? 詳しくは知らんが、そのままフリクテラに流されたらしい。今頃はどこかの誰かに買われてるんじゃないか? 聖女を産んだ奴隷だ。欲しがる物好きは居そうだからな』



 フリクテラに流れたという事は、ゼンビアーノ様が扱った奴隷に含まれているかもしれない。


 そう考えてココットがフリクテラを落とした際に入手していたゼンビアーノ様の帳簿を探したのです。ココットが価値を見て利用していたのは顧客名簿の方。ルイカーナでは優先的に有力貴族の屋敷に兵を回す等に使われました。ですが私が探しているのは奴隷のリスト。どこの誰にどんな奴隷が売られていったかが記されているもの。



「あった……」



 リストを取り出し、ぱらぱらとめくります。聖女様を産んだ奴隷ならわかりやすく記されている筈。


 そうして分厚いリストのページをめくりながら、なんで自分がこんな事をしているのかとふと思いました。正直理由は曖昧で、ただの暇つぶしなのかもしれません。ただ、なんだか妙に気になってしまって。


 ゼンビアーノ様の所に居た時、実はゼンビアーノ様に寵愛を受けている合間で奴隷商売について触れていたのでリストを読むのは懐かしく、手馴れたもの。忌み嫌った奴隷商売の知識ですが、それで探すことはできるかもしれない。



(だからって調べてどうするんだろ、私……あっ)



 奴隷の特記事項の欄をなぞっていた指がぴたりと止まりました。


 そこに聖女様を産んだなどと言う記載はありません。ですがただ、子を産んだことがあるとだけ。気になったのはその欄の隣、奴隷の値でした。


 普通、子を産んだ女奴隷の値は下がります。人によっては出産で亡くならなかった丈夫な奴隷だとして好む方もいますが、使用人としてならまだしも愛玩用であれば通常より低い価格の筈。ですがこの奴隷はむしろ通常より高い値が付いていたのです。奴隷商売について触りだけでも手ほどきを受けた身としては、それが普通ではないことがわかりました。


 年齢は……記載時のもので16歳。この年で子を為すのは別段おかしくはない。でもどうして……。


 指を滑らせ、一つ一つ記載された情報を眺めます。おそらくこの奴隷が、聖女様の母。そうあたりを付けて細かな文字を読み解いていく。



「えと……売約済み……売られた先は……アウタナ? アウタナ伯……!? そんな……名前、名前は――――うそ」



 私は、驚きで眼を大きく見開きました。


 こんな、こんな事って。



「キエル、居るか?」


「っ!」



 私はびくりと肩を震わせ、慌ててリストを閉じて背中に隠しながら振り向きました。


 ミオさんに腕を抱かれたココットが帰ってきたのです。隣にはツォーネの姿もありました。



「……? どうした? キエル、顔が青いぞ」


「え、あ、いえ! 何でもありません……」


「そうか? まあいい。ミオを寝かしつけるから手伝ってくれ」



 ココットの言葉にミオさんが口を尖らせました。



「ええー? もっとあそびたいよー! ツォーネ、いいでしょ?」


「えっと、ココット様? こう言ってるんですけど……」


「ダメだ。ツォーネも甘やかすな。ちゃんと寝ないと大きくなれないぞ」


「ココットよりおおきいもん。おっぱいだってココットよりあるよ」


「ぷっ」


「おいツォーネ、今笑っただろう。お前は無駄に大きくてさぞ肩が凝るのだろうな?」



 慌てて口を押えたツォーネ。確かにココットの胸は小さいですね。ツォーネはとても大きいし、ミオさんも意外とありますね……。私だってそこそこありますし、と私は自分の胸を見て、ココットの胸を見て。その視線に気づいたかココットは私をひと睨みした後顔を赤くして声を荒げました。



「私だってこれから大きくなるんだ! いいから寝なさい!」


「はあい」



 結局ココットに窘められて渋々と言った様子でベッドに寝転んだミオさんはシーツにくるまるとココットを見ました。



「ココットは寝ないの?」


「少し出かけようと思ってな。いい子にしていたらいいものをやる」


「ココット様、お出かけなら護衛を……」


「いや、いい。そう遠くまでは行かない。駐屯地周辺の警備だけしておけ。バルタ軍は来ない」



 ココットはツォーネの申し出をそう断りました。バルタ軍は来ない……聖女様が攻めてこないと、ココットも信用しているのでしょうか。


 ツォーネは渋った様子でしたが、了解ですわと言ってテントを去りました。私はそっと持っていたリストを仕舞うと、ツォーネの後を追ってテントを去ろうとしました。今私は聖女様の事と、ココットの事で頭が混乱していたので、できれば落ち着くまでココットと距離を置きたかったのです。


 そんな私を、ココットは引き留めました。




「キエル、少し付き合ってくれ」









 ♢











 聖女クーシャルナが魔将軍と接触し、その後軍を引き上げた直後。


 待機していた軍と合流する直前、クーシャルナは聖歌隊の面々を集め話をしていた。



「皆、私の行動を疑問に思っているかもしれません。しかし信じて欲しいのです」



 騎士達は聖女クーシャルナの語る言葉に真剣に耳を傾けていた。


 なぜ魔将軍との接触を図ったのか。そして、クーシャルナは魔将軍を知っている様子だった。まして、魔将軍は人間で、悪魔の相を持つ子供だった。


 それらすべては騎士達にとって衝撃であり、クーシャルナはそれによる自身への疑念を致し方ないものとして語った。


 あの魔将軍ココットがアウタナ、フリクテラ、ルイカーナを落とした将軍であること。そしてその背後にいるのが四天王たる"黒曜"のエルクーロであること。


 対談で得た情報を一つ一つ反復していく。


 そして、纏め終わったのちにクーシャルナは自身の目的が和平であることを強く強調した。聖女が此度の戦争において講和の色を強く持っていることは周知の事実であった。だがそれをして聖歌隊の面々の顔色には疑念があったのだ。対談での衝撃がそれを後押ししたと踏んで、クーシャルナはいま一度自分の考えを強く訴えた。



「私は本気で、この戦争を終わらせたいのです。相手を焼き尽くすのではなく、手を取り合う事でそれを為したい」



 クーシャルナは胸に手を当て、聖歌隊の一同を見やる。


 聖歌隊隊長デオニオは、そんなクーシャルナに対し一声を上げる。



「しかし、魔族が同じ心を持つとは限りません。奴らは蛮族。殺す事しか知らない連中なのです」



 デオニオの言葉に少なからず賛同する者たちはあった。だがクーシャルナは馬に跨ったまま、一同を諫め言葉を紡ぐ。



「四天王エルクーロが人間を救っていたという事実を知る事が出来た今、和平は夢物語ではなくなりました」



 その言葉に騎士たちもううむと唸った。魔族の四天王、強大な力持つエルクーロが今しがた見てきた人間の幼女を救ったと。


 本当かどうか眉唾物ではあるが、あのココットと言う人間が魔族を率いていることは事実であり、背後にエルクーロがいると語ったのであれば信ぴょう性は上がる。



「しかし、魔族があの人間を利用しているとは?」


「あの広場に居た魔族達は、皆あのココットをすぐに守れるように待機していました。きっと仲良しなんですね」



 盲目でもわかるほどに、あの場にいた魔族達の想いはココットに向いていた。クーシャルナにはそれがわかっていた。故にそう笑ったクーシャルナの言葉に質問した騎士は頭を掻いた。



「ココットが協力さえしてくれればエルクーロと話ができるかもしれない。そうすればきっと戦争終結への道は開ける。皆、もう少しだけ私の我儘に付き合っては貰えませんか」



 騎士達は皆考え込むように一瞬黙ったが、レーヴェが質問をと手を上げた。



「あの、クーシャルナ様がファルトマーレ王から命じられたのは敵軍の討伐のはずです。その命令を無視する事になりますが……」


「……そうですね。でも、同時に軍の権限は私にゆだねられていますから文句は言わせません。それに戦うべき敵を無くしてしまうという意味では命令通りです」


「……はぁ、クーシャルナ様は昔から強情ですものね。お仕えして10年になりますがちっとも変わらない。いいでしょう……このレーヴェ、お付き合いいたします」



 そう言ってレーヴェが敬礼をする。その顔には笑み。幼いころから自分に仕え、盲目のこの身を甲斐甲斐しく世話してくれた友であるレーヴェの言葉を皮切りに他の騎士たちも皆笑って敬礼をした。


 クーシャルナの聖歌隊は皆クーシャルナと同じく争いを好まない性質。目の前に和平への道があるのならと、魔族とも手を取り合う覚悟を決めてくれた。


 クーシャルナにはそれが嬉しかった。敵と手を取り合うのは簡単なことではない。それに付き合ってくれる者達がこんなにいる。彼らとて複雑な思いはあろうに。


 人の心は許す心もある。本来温かいものなのだとココットに早く教えてあげたい。そう、クーシャルナは思った。



「あ、それと……皆、私が接触したあの魔将軍が悪魔の相持つ人間であることはどうか伏せておいてほしいのです」



 クーシャルナは慌てて付け加える。ココットの実情は、まだバルタに伝えるには早い。戦うべき敵が人間だったなんて、それも魔族に与した悪魔の相なんて、バルタの民衆にはまだ伝えることはできないと。


 そんな言葉にも聖歌隊の面々は快く頷いたのだ。



「聖女様の御心のままに。そもそも連中が話し合いに応じたのも意外でした。これは本当に戦争が終わるかもしれませんね」


「聖女様は戦いを望まない。我々も同じ思いです。聖歌隊一同、貴女と志は同じ」


「ありがとうございます、皆。デオニオ、宜しいですか?」



 最後にクーシャルナはデオニオに向き直った。話を黙って聞いていたデオニオは、ふうと息をついて承諾の意を見せた。



「宜しく頼みます、デオニオ」


「承りました。このデオニオ、聖女様のお言葉に反するようなことは致しません。此度の事はこの胸にのみ仕舞っておきましょう」



 敬礼をしたデオニオに、クーシャルナはにこりと笑みを見せた。


 ココットとの対談がうまくいけば、戦いは終わる。クーシャルナは平和な未来を想像し、未だ戦地で戦う恋人である聖剣の勇者フォルトナを想った。



(フォルトナ、やっと貴方のお手伝いができます。平和な世界を一緒に作ると言った約束、果たして見せます。ココットと一緒に……)



















「……以上がご報告です」



 デオニオは教皇の前に跪き、そう締めくくった。


 聖女の軍がバルタに帰還しすぐに、デオニオは教皇の下を訪れていたのだ。


 聖女が魔将軍と接触し、軍を引き上げた。それについて教皇は額に青筋が浮かぶほどに苛立っていたが、デオニオから詳細な報告を受けて平静を取り戻していた。


 もとい、報告の内容には驚くべきものがあった。


 聖女が接触した魔将軍はココットと言う名を持ち、悪魔の相を持った人間の幼女であったと聞いたためだ。


 デオニオはクーシャルナに口止めされた内容を包み隠さず教皇に報告したという事になる。



「今の話は本当なのですね、騎士デオニオ」


「はい。私もその場に同席しこの目で見ましたが故」


「信じがたい事ですが……これも女神が与えた試練という訳ですか。悪魔の子が我々を脅かしているという事実。やはり聖女様のお考えは愚かでしたね」


「左様で」



 デオニオは跪いたまま頷く。


 教皇はその様子にふむ、と腕を組みなおす。



「何にせよよく報告してくれました、騎士デオニオ。貴方が我々の思想に教順してくれて感謝していますよ」



 教皇はそう言って笑う。デオニオは少し前から聖歌隊隊長として聖女派の意向を探りつつ内情を教皇へと横流ししていた。


 実質的なスパイ活動。デオニオは聖女クーシャルナを裏切っているのだ。それもすべては己の為。大義や思想などではなく、ただただ己が地位を高めるため。


 夢物語にうつつを抜かし、これまで築き上げてきた宗教構造を変えようとする聖女ではなく、今ある組織構造を維持したまま教皇に恩を売っていたほうが得だと判断している。だから、聖女の口止めを無視し、教皇へ全てを伝えた。クーシャルナはデオニオを信頼している。欲しい情報はいつも簡単に手に入った。



(所詮近代の聖女は汚れた奴隷から産まれた者。扱いやすくて助かる)



 デオニオはくく、と笑った。



「しかし魔族とやり合い相打ちになってくれればと思いましたが、こうなるとは」



 教皇は聖女クーシャルナが魔族と相打ち、そうでなくても敗北し討ち死にしてくれることを期待したのだ。


 邪魔な聖女を排し、その死を悼む民衆の心は自然と教皇派へ向く。ユナイル教を教皇と聖女の二分体制から自分一人の権威によるものへと移行させたいがため、聖女に軍を纏めさせバルタを狙う魔族を排除せよという王命をチャンスとまで見ていた。


 だが、結果として聖女は帰還。それも魔将軍と戦いもせずに。


 これでは当初の目論見は不発。頭の痛い話で終わるはずだった。


 しかし嬉しい誤算があったのだ。それはデオニオが語り、聖女クーシャルナが接触したと言う魔将軍、ココットの存在。


 人間が魔将軍であるという事は驚きであり、また教皇に笑みを浮かべさせるピースでもあった。


 この魔将軍、存分に利用できる。そう考えて教皇は笑い手を叩いた。そしてデオニオにすぐに次の手を命じ、下がらせる。


 行動は迅速に。聖女が次の行動を起こすまでの間に仕事を済ませる必要がある。魔将軍ココットと聖女クーシャルナの次の対談は2日後。


 十分だと教皇は息を吐く。自分が擁する精鋭ならば、十分にコトを為せる。全部終わった後、すべては聖女のせいにしてしまえばいいのだ。


 魔族との和平など、有り得ない。




「フフフ……相手が魔族ならいざ知らず。人間、なら……いくらでもやりようはありますからね」




 教皇は口に手を当てながら、誰もいなくなった広間で一人笑うのだった。












 そして翌日の夜。


 丁度ココットがミオとの遊びを終えてテントに向かっている最中に、まだ遊びたいミオがツォーネを巻き込んでごねはじめた頃合。


 キエルが奴隷のリストを手にページをめくっている頃合。



 バルタの前に広がる平野を抜けた山野の中で、闇夜に紛れ人影が複数あった。


 彼らは騎士とは違う身なりと身のこなしで木々の影から影を縫うように進み、一度集まると皆それぞれが腰から短剣を抜いた。




「標的は魔将軍。名はココット。悪魔の相を持った人間の女、という事だ。相手は子供だが見かけに騙されるな。情けは不要である」




 男たちは短剣を月光にかざしながら二度、鞘より出し入れする。チキ、と言う音が二回響き渡り、任務前の儀式を終えた彼らは再び溶けるように影に消えた。


 魔族軍の駐屯地を目指して。





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― 新着の感想 ―
[一言] 雲行きが怪しくなってきましたな。 やはりユナイル教は許せん。 これは結末が分岐してしまうのも分かる。
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