#97 それぞれの想いは
アンドレオはご機嫌なそぶりで白城の中を歩いていた。
エルクーロより先ほど受けた話について考えながら。
彼はアンドレオに、ココットの援軍として派兵するよう伝えていた。アンドレオはこれについて自慢の顎髭を撫でながら上機嫌でいた。
理由は簡単だった。手柄を上げられるからだ。
メーアの軍にいた彼は、ある密命を受けてエルクーロの軍へと出向していた。だがその傍らで、欲深いアンドレオは己の目的を探していた。自分の地位の向上につながる目的を。そして見つけた。それがココットだ。
魔王様から直々に命令を受けた、人間の幼子である彼女。バルタを落とせという命の下に動く魔将軍。
アンドレオの見立てではココットは賢くはあるが、扱いやすそうな存在だった。ほの暗い感情を潜めるあの赤い瞳には魔族すら気圧されるようなものがある。魔獅子を従える人間など聞いたことがない。もちろん魔族でさえ魔獅子を手懐けるのは熟練の魔物使いでさえ至難だ。どうやったかは知らないが驚くべき事柄である。
だが所詮は子供だ。態度が非常にわかりやすい。いくらでも手玉にとれると。
そんな存在に手を貸してやるふりをして手柄をかすめ取る。バルタ落としの功績をいただいてしまおうという魂胆を浮かべ始めていたのだ。
故にエルクーロに派兵についてより詳しく話を聞こうと彼の居る部屋へ向かっていたのだが、その扉の前でアンドレオは立ち止まる。
中から聞こえてきた怒声に気づいたからだ。
アンドレオは扉の横の壁に身を寄せると、壁に耳を付けて中の声をうかがった。
「失礼ですがエルクーロ様は私の事を何もわかっていない! 皆そう言うのです! 忘れろ忘れろと!」
「だが……それでは君が」
「そうやってポリニア様の部下たちも魔王城に閉じ込めたのですか!? チックベルは私に感謝をしていましたよ! 憎い勇者を仕留める事が出来たと!」
「ココット!」
どうやら剣呑とした雰囲気らしい。アンドレオはそーっとドアを少しだけ開けて隙間から中を見る。
中ではエルクーロがココットの手を掴んでいた。だがココットはすぐにそれを振り払い、一歩下がった。
そしてキッと赤い瞳で困惑の表情のエルクーロ様を見上げて、睨んでいた。
「私が恨みを捨てないのは、それが私が生きてきた中で唯一愛し愛してくれた存在の記憶と同義だからです! それを捨てろと!?」
(おっとぉ……エルクーロ様を睨み上げるなんざ正気じゃないねえあの人間)
アンドレオは驚きと興味が混ざった視線で部屋の中のやり取りを観察した。
あの人間の将軍は、諫めようとするエルクーロの言葉を跳ね除けている。駄々をこねている子供にも見えたが、エルクーロはずいぶん手を焼いている様子だ。必死にココットを落ち着かせようとしているらしいが、彼女の方はまるで聞く様子がない。
「もう結構です。私は魔将軍、貴方は四天王。上司と部下であり交わされる言葉は職務に関するものだけでいいはずです。貴方の命令には従う義務がある。だが、恨みを捨てろという命令にだけは、断固として逆らわせて頂く。――失礼します」
ココットのそのセリフと共に足音が扉に近づき、乱暴に扉が開かれる。
そして中から出てきたココットが早足で去っていくのを、アンドレオは扉の裏に隠れて眺めていた。
(ふむ、随分な様子だったが……バルタ攻略を任された将軍とエルクーロ様は不仲……これは我が優位に働きそうだ)
少し驚きながら、去っていく小さな背を見送った後、部屋の中からエルクーロ様がゆっくりと廊下へ出てきてココットの去った方を見やった。
既にココットは廊下の角を曲がっており、その姿は見えなくなっていた。
大きくため息をついたエルクーロは、くるりと振り向く。
「盗み見は感心しないぞ」
アンドレオは顎髭を撫でながらにへらと笑い、礼をした。
「これは失礼。噂に聞く魔の姫君が随分と……お転婆だったものでつい」
「はあ。正直私とて困っている所だ」
「ほほう」
額に手をやったエルクーロは本当に困っている様子だった。
アンドレオはふむ、と鼻を鳴らした後エルクーロに申し出た。
「どうも、エルクーロ様はあれを戦場に出すことをあまり良く思われていないみたいですなあ」
アンドレオの言葉に、エルクーロはじとりとアンドレオを見る。
「彼女の功績は魔族軍としては大きなものだ。だが同時に危うくもある。バルタ攻略戦は生半可ではない」
「だから我が軍を増援にとのことでしょうに。それでも不安が?」
「……平たく言えば、ココットは私の手に余るという事だ」
エルクーロは含みのある言い方をして、再び目を伏せた。
どうにもエルクーロはココットに対しやはり不信を抱いているな、とアンドレオはここで確信した。
故に大仰に両手を広げてこう言い放ったのだ。
「であれば、バルタ攻略はこの私めにお任せくださればよいのです。なあに、ココット将軍を助けるのではなく、私が主だって作戦に当たる。ああ、魔王様の命令がある以上彼女は後方にでも控えさせておけばよい。軍だけ借り受ければ問題はないでしょう。貴方の懸念は、なにも無くなる」
♢
時刻が夕方に差し掛かった頃。
私は白城の屋上庭園にいた。以前ミオと共にアレハンドロに囚われていた、あの庭園だ。
私はそこで、夕暮れ空をぼうっと眺めていた。
心の中はのっぺりした灰色で、自分が何を考えているのかわからない。いや、何も考えていなかった。
ただ胸の内にあるのは戦いを前にした僅かな焦りと、虚無感だった。落胆に近いかもしれない。
結局どれだけ功績をあげても、こうなるのではやりがいも無い。
戦いを捨てること自体は、私も別段拒否しているわけではない。別に戦争狂いでも殺人鬼でもないのだし。だが、それは全てが終わった後の話だ。途中でやめることは、逃げだ。
そう、ジジの顔を思い浮かべながら思う。あいつは今何をしているだろうか。まだバルタで教皇の話でも聞いているんだろうか。
聖女が出兵することは知っているのだろうか。その聖女がクーで、戦う相手である魔将軍が私だとは、思っていないだろうな。
「ここにいたか」
突然背後からかかった声に振り返れば、エルクーロ様がそこに居た。
「エルクーロ様……? ……先ほどの話ならば、私の答えは変わりませんよ」
私は少し驚いたものの、すぐに無礼にも彼を睨んで、警戒する子猫が如くに言葉を吐いた。普段ならば考えられない。自分でも冷静ではないなと思い一抹の後悔はした。だが実際、私は今エルクーロ様を少し嫌がっている。だって彼は私を認めてくれないのだから。
そんな彼だから、きっと再三先ほどの話を言いに来たのだと、そう思った。彼の顔を見た途端。
エルクーロ様は私のそんな態度にも構うことなく、私をじっと見ていた。
何も語らないエルクーロ様の様子に私は居心地が悪くなり、そわそわと体を揺らしながら袖口を握った。
が、庭園にそよぐ風の音色だけが響く静寂はものの10秒程度で破られた。
「……やはり私は口下手だ。なかなか相手に心の内を理解されない。よくポリニアやチックベルにも怒られていた。だからたまには不得手な取り繕いをせず思ったままを口にしようと思う」
「はあ」
「おそらくそうしなければ君は私の話を聞いてくれないだろう」
突然口を開いたエルクーロ様。何を話すか迷い、考えていた静寂だったというのだろうか。そんな彼に対し私は何をいまさら、と思った。
エルクーロ様の話を聞いていなかったことなどはないが、その心のうちは理解できない。それはエルクーロ様がいつも仏頂面で毅然とした態度であることに起因するとは思う。最近は少し笑みを見せてくれるようになったとはいえ、結局は腹の内で私を何とも思っていなかったのだろうに。
そう考え、口を尖らせ舌打ちを我慢しながら、何をいうモノかとエルクーロ様に体をまっすぐに向けて腰に手を当てた。
「私は君が幸せに生きる事を望んでいる」
「え、はっ……?」
赤く染まる空から落ちる日が、帽子を浅くかぶった私の頬を朱色に染める。
突然宣告されたあまりにも直球な言葉に、私は深く意味を理解すらせずに体を硬直させた。いや、理解はできないが想像は捗ってしまった。
だってそうだろう。そういう経験がなかった私でさえわかるのだ。こんなセリフ、どんな形であれ相手を想っていなければ出てこない。
急激に心拍数は上がり、顔が火照ってくるのがわかる。なんで自分自身がこんな反応を見せているのかすらわからない。エルクーロ様は私を、そして私は本当にエルクーロ様を悪く思っていないとでもいうのか。心まで生娘になったのか、私は。こんな様子ではジジになんて言われるか。
エルクーロ様の整った顔は真剣そのもので、私は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
「君だけではない。魔族全てが幸せに、平穏に……戦いなどせずとも笑って生きられることを望んでいる」
「あ……」
……なんだ。
そう言う事か。紛らわしい事を言わないでほしい。驚きで一瞬思考が止まるほどだった。息は止まり、心臓の鼓動は早まった。
だが結局は私の勘違い。まったく、私もばかだなあ。
……本当に、私は女子になってしまったのだな。身体上は女であることを受け入れたが、女らしく生きてこなかった。女の子らしさを学ぶべきかと思ったのも最近だし、理由は……言うまでもない。
ただこれは、どういう感情なのだろうか。本当に彼は私の心を掻き混ぜる。
彼の言葉が私個人に向いていないことが理解できた瞬間、私は安堵と共に、確かに落胆……したのだ。
誤解させるような言い方をしたエルク―ロ様に非があるぞ、これは。おかしくなってしまった馬鹿な私にも、だが。
「エルクーロ様は、やっぱり意地悪です」
「……そうだろうか。君さえよければ、どこが意地悪なのか聞かせて欲しい。改善しよう」
「優しすぎるのです」
本当なら私を揶揄った事を指摘したかった。しかしそんなことをすれば私だけ意識しているみたいで悔しくて、無難な言葉を選ぶに至った。
私がそう言えば、エルクーロ様はふっと笑みを見せ、花畑を此方へと歩いてきた。
そして私の隣に立ち、街を眺めながらその目を私に向けなおす。私も再び体を欄干に預け、エルクーロ様を横目で見ながら口を開いた。
「一つお伺いしたいのです。私を戦いから遠ざける理由は、私が信用できないからですか?」
「違う。軍としては君が適任と思っている。だからこれは個人的な理由だ」
その言葉に私は目を伏せ、胸元に手を当てた。レイメのネックレスを服越しに撫でながら独り言めいて呟く。
お優しいエルクーロ様。彼の個人的理由は、容易に想像がついた。自分でもわかっていたのだ。でも、認めたくなかった。
彼がどれだけ優しくて、私という弱い存在を心配しているから戦いに出したくないのだろうことなど、少し前から気づいていたのだ。
チックベルから話を聞いた、あの時から。
それでも私はと、本当の子供のように癇癪を起して、彼に無礼を働いた。なのにそれを咎めもせず、今もこんな目を私に向ける。そんなの、私じゃなくたって嬉しいし、誰だって勘違いしてしまうだろうが。
だが、私はそれに甘えることはできないと、自分の中の闇が詰め寄ってくるから。
「私は所詮貴方の部下。そして貴方は私の上司。そんな風に心配などせず、ただ命令すればいいのです。……戦えと。私の知る軍人は本来そうあるべきです。そうしてくれるだけで、貴方も私も……何も悩まずに済むのに」
「君は私が軍人に向かないように見えるか」
「恐れながら」
「……私にそういう言い方をしてくれる者はそうはいない」
「……失礼しました」
「そうではない。少し、嬉しい。君のように私にしっかりと思った事を口にしてくれる者はチックベルや、ポリニアしか居なかった」
エルクーロ様は笑いながら、それでも少し寂しそうにそう言った。普段の態度から近寄りがたい雰囲気を醸すエルクーロ様に進言できるものはまあ、居ないのだろう。だがその姿の内面は穏やかで優しく、慈悲深い。軍人に向かないと思ったのはそういう点においてだ。
そんな人が四天王などと。何かを守るため……なのだろうか。
いや、どうだろうな。
「私にも君と同じような時期があった」
「……?」
「戦いに身を投じ、人間を見下し、同胞を殺めた連中を憎んで戦い続けた。下等生物如きがよくも同胞を、と。そうして血を流し続け前線で戦ううちに、黒曜などと言う名を付けられた。意味は分かるか?」
「黒曜……黒曜石、ですか?」
「良く知っているな。そうだ。大昔に武器として使われた黒い石。割れた断片の切っ先は鋭い刃となる。当時の私はナイフのような性格と戦いぶりで味方からはそう呼ばれた。だが人間たちからは違った。私の全身に、黒く乾いた血がこびりついたのを揶揄したのだ」
正直想像ができなかった。
この穏やかな魔族がそんな戦いをしていた?
「私も変わったのだ。昔は……ああ、話したことはあったか? 一般的な魔族と同じく人間を見下していた。それでポリニアとよく口論をしていた。馬鹿にしていたよ。魔族の軍人でありながらどうすれば人間と戦わずに仲良くなれるかなどとばかり考えていたポリニアを」
「いえ……初耳です」
「そうか。今は彼女の言っていたことが正しかったと思える。皮肉にもそれに気づいたのは彼女を失った後だった。魔族も人間も無い。戦わずに生きられるのなら、それが一番いい。例え夢物語と言われても、そう断じて諦めてしまうのは……その理想を持ったまま死んだ彼女に失礼だとな」
初耳だった。本当に。
ポリニア様は魔族の中でも軍略を重視していた極めて理性的な魔族だったと聞いていた。そんな彼女は人間との融和を考えていたというのか。
エルクーロ様はそれを小ばかにしていたという。彼が語る過去の彼は、多くの魔族と同じように好戦的で高慢で、残酷だったというのだ。
それが、ポリニア様を失った事で変わったと言う。彼女の想いを引き継いだという事なのか。
私も、レイメの想いのままに生きている、つもりだ。たとえ彼女が復讐を望まなくとも。
だが私のそれは、エルクーロ様とは真逆の代物。エルクーロ様は、ポリニア様を殺した人間を恨んでいないのだろうか。チックベルのように。
いや、憎いとは思うのだろう。誰だって大切な存在を奪われた事をそう簡単に看過できるものではない筈だ。それでもそれを飲み込んで遺志を継いでいる。
少なくとも人間と和平を結ぼうというそぶりはない。だがせめて魔族が平和に暮らせるよう、出来るだけ戦いを避ける姿勢は嫌という程わかる。
だから私に、あんなにも戦いから遠ざけるようなことを言ったのだ。
「私は戦いを望む君に、あんなことはもう言うまいと思っていた。だが会ってしまえば、やはり口をついて出てしまった。……おそらくこれが最後の機会だ。故に、真なる最後の問いかけをする」
ふう、と目を伏せ息を吐いたのち、エルクーロ様は私をまっすぐに見て言う。
「君の戦いは止められないか、ココット」
「……はい」
私は彼の問いに対して小さな声で答えた。
それを聞いて「そうか」と短くエルクーロ様は言った後、再び顔を街の方に向け、それから何も語らなかった。
再び静寂が庭園を包んだ。私も彼の横に並び立ったまま、街を眺めて黙した。
戦いは、止められない。ファルトマーレを、ユナイル教を。レイメを私から奪った元凶が目の前にある。それを取り除くまでは。
だが、それ以外なら。
彼になら、本音を語っていいのかもしれない。自分自身が認められない本音。そして、これからのこと。私が戦う事は止められなくとも、キエルや……ミオの安全の事を。相談していいのかもしれない。優しい彼ならある程度安心して……利用、できる。
それでも、いや……だから私は――――。
「あの、エルクーロ様。お願い、したいことが――――」
私がそう切り出した瞬間、背後からガシャガシャと鎧の音を響かせて魔族が勢いよく走ってきた。
「ココット将軍! ご無礼! ……え、エルクーロ様……!」
「どうした。構わん、話せ」
「はっ! ココット将軍に駐屯地からの伝令です。バルタより出兵した軍が駐屯地に向かっていると!」
「ッ!」
私はすぐさま表情を険しくして拳を握りしめた。
随分早かったな……! 想定以上だ。まさかこんなに日もたたないうちに軍を纏めるとは。
くそっ、まだ増援の派遣の準備は整っていないというのに。アンドレオの軍はまだ出兵できる状態ではないしそもそも話すらまだ直接交わしていない。
現在築き上げた陣地の防備と戦力、そして大軍戦闘に向かない野山であるという地形に鑑みて、彼我戦力差がこちらの倍数までであれば数日は持たせられる筈。増援派兵まで耐えるしかない。
だが、凌ぎ切れるかどうか。敵戦力については報告に詳細はなく、ただただ歯噛みするのみ。額には脂汗が浮かんだ。
何よりも。
くそっ! こんなに早く……私と戦うというのか、クー……!
「ココット、すぐに戻れ。私も……早急に軍を纏め合流する。アンドレオの派遣の段取りは急ぎ私がしておく」
「……」
「ココット、どうしたのだ。聞こえていたな?」
拳を握ってつい思考に飲まれていた私はエルクーロ様の言葉ではっとした。
「はい、聞こえておりました。」
「何か問題があるのか?」
「いえ、ございません! 何も、何もありませんとも」
「そうか……。なら、私は送り出すだけだ。急ぎ支度を」
私は頷き、帽子を深く被り直して空を仰いだ。
地平線には夜の闇が顔を出していて、私はそんな空を睨みつけた。段々と赤から黒へ染まっていく空に己の心を重ねて、エルクーロ様に敬礼をしてみせる。
「ただちに。連中は……彼女は私が出迎えてやらねばならない……大事な敵なので」
♢
私がクォートラらの待つ駐屯地に戻ったのは深夜であった。
夜道をトグーヴァの背に乗り駆け急ぎ到着した私は、ゾフとツォーネに出迎えられた。
私に礼をした連中に頷いて見せながら、トグーヴァから降りる私の手を取り支えるツォーネに聞く。
「バルタから軍が出てきたと聞いた」
「そうですわ。斥候が確認したのですの。聖女率いる軍がこちらに向かっていると」
「……今連中はどのあたりだ? まっすぐこちらへ向かっているのか?」
「今クォートラ達が空から偵察に出てまさあ。こっちの陣地の位置は大まかにしか割れてねえでしょうから足並みは遅いとは思いやすが、連中も斥候を出してるみたいですからねえ。近いうちには」
ゾフが斧を背に背負った戦闘態勢でそう語る。
元々連中の斥候との小競り合いはあったからな。警戒陣地も複数構築はしたが、本陣がバレるのも時間の問題か。連中が出兵したと報告を受けてから大分経っている。かなり近くまで来ていると思った方がいい。
急ぎ我々も軍を展開するべきだ。
「私がルイカーナに行く前の言いつけ通り、すぐに出られるようにしてあるな」
「もっちろんですわ! 全軍がいつでもいけますわよ」
「よし。ただちに出るぞ。だが、静かに、ゆっくりとだ。クォートラから敵軍の情報が届くまでは下手に仕掛けられない」
ゾフとツォーネが頷き、指笛を吹き鳴らし広場へ向かう。
私もそのあとに続き、指笛を聞きつけて既に集合した上級魔族たちが隊列を組んだ広場に向かった。
既に列をなして準備万端と言った魔族達を眺める。下級魔族たちは陣の外で待機しているのだろう。私も覚悟を決めねばならない。
「お出迎えの準備をしろ! 戦闘装備で出る! だがこちらから攻撃はするな。まず出方を見る」
そう言い放った私に魔族たちは鬨の声を上げた。私はふーっと息を吐いたのち、レイメのネックレスを一度撫でてトグーヴァへ跨る。
魔族達を先導しつつ陣を出立。ふと目を向ければ、視界の隅でキエルとその腕を抱き私を見るミオが目に入った。結局戦いになる前にあいつらをどうにかしてやる事はできなかった。だが、もともと想定していた事項だ。負けなければよい。いくらこちらの準備が不足していたとしても、アンドレオの援軍が到着するまで持ちこたえて見せる。
私は視線を正面に戻し、闇夜の中進軍を開始した。
そして、迎撃位置として選んだのは山野を抜けた丘の上。森が開けた広場の端である。
その丘の上で、星空の光を浴びながら私は正面に見える森を睨んでいた。予想が正しければ連中はあの森の中からこの広場に進撃してくる。広い広場だ。障害物も無い。だが退却は容易な地形。追うも逃げるも難しい。念のため我が軍は三方に展開させているし、左右の魔族には銃士隊を配置している。敵の陣形にもよるが正面の我々を囮として誘い込み方位の形を取れれば……。
と、羽音が聞こえる。見ればクォートラ達ドラゴニュート部隊が戻ってきた。
クォートラは私の隣に降り立つと人化して跪き、敵の接近を知らせた。
敵の総数、こちらの二倍。予想通り、兵力差は歴然。銃があり夜闇の暗中だとしても、容易に戦える相手ではなかった。
そして。
鎧の足音が響き渡り、森の中から騎士たちが姿を現した。
「来たか……」
ガシャガシャと隊列を組み森の中から現れた騎士たち。一糸乱れぬ隊列と質のいい装備を身に纏うからには選りすぐりの兵ばかりなのだろう。
そして。隊列の最前列にあり馬に跨る存在。白い鎧甲冑を身に纏ってはいるものの、あの金の髪は闇の中でもまばゆく輝いていた。周辺を囲うのは御つきの親衛隊たる聖歌隊だろう。見覚えのある顔もいくつかあった。
聖女自ら率いた軍が、ついに私の前に姿を現した。
(クー……それ以上来るな。本当に戦う事になるんだぞ)
私は爪を噛みながら願わくばその足が止まることを祈った。
だが、彼女……クーは軍を率いたままどんどんと広場へ歩を進めてきた。そして互いの姿がはっきりと視認できるほどに彼我の距離が縮まる。広大な広場ではあるが、私は彼女を見ながら、まるで目の前に立たれたような圧迫感を覚えていた。
暫くは出方をうかがうように待機していた私達だが、クー達は剣を抜くことも無くただただ前進してきている。こちらの姿も見えている筈だが、どういうことだ。
……なんにせよ相対してしまった。ならば、もう。
向かい合う魔族軍と人間軍。避けられないであろう戦いに私はぐっと歯を食いしばり、ゆっくりと攻撃開始の合図の為手を上げる。先手がうてるのならうつべきだと。
が、私が号令を出す前に、クー達は進む足を止めた。
そして、一歩前に進み出たクーは、緊迫したこの場の空気の中透き通るような声で叫んだのだ。
「我が名はクーシャルナ! 勇者が一人、聖女クーシャルナです! 魔将軍と話をさせてください! 我々は戦いに来たのではありません!」




