#96 貴方は意地悪だ
結局その後、しばらく私は一人で城の中の一室でただただぼうっとしていた。
こちらから再度エルクーロ様の下に行こうとも思ったが、行けなかった。
私は待っていたのだ。エルクーロ様が待ってほしいと言ったのだからわざわざ急かす事などできようものか。
待つしかないのだ。
私は椅子に深く腰掛けて天井を見上げながらふうと息を吐く。だらりと腕を垂らし、何もできないならせめて休んでおこうと考え動かない事とした。
ミオの事でも考えよう。バルタにはいい仕立て屋が多く見受けられた。バルタを攻める時にはかわいい服なんかは燃やさないようにツォーネ辺りに言っておかないとな。落とした後でミオに着せてやるのだ。ドレスの着せ方なんかは分からないが、そのあたりはツォーネやキエルなんかが詳しいだろう。
そうやってバルタを落とした後の事を色々と考えて時間を潰した。
だが、昼になる前に手持無沙汰になり、部屋の扉を開けて歩き出す。
魔剣士達は休ませているので私は一人で出歩いているわけだが、新しくやってきた魔族が多くいて、使用人たちは人間の魔将軍がうろついていることに未だ驚きはあるようだった。まだまだ魔族の中で静かに暮らすには遠いな。
まあ、バルタ陥落が為ってしまえば、堂々と魔族の世界で生きられるだろう。あと少しだ。
色々と考え事をしながら歩き、アンドレオの部下がちょっかいをかけにも来たりしたが、睨んでやればすぐ去っていった。
そうして白城をあてなく彷徨い歩き、はあ、と私は溜息をついて立ち止まった。
やはりあの話はエルクーロ様には禁句だったかな。いや、それでも必要なものは必要なのだ。バルタ攻略は長丁場になりそうだし、新兵ばかりいても扱いに困る。欲しいのは戦闘経験豊富な兵だ。
それに悩みの種はなにもエルクーロ様の事ばかりではない。
焦っているのは、再三言うがクーの侵攻の事だ。まだ連絡は入っていないから進軍してきてはいまいが、いつやってくるかわからないのだ。早く話を取りまとめて戻りたい。
どうしたものかとぶらぶらと城の中を歩き回っていれば、やがてエルクーロ様の呼び出しがあった。私は使いの魔族の言葉に内心やっとかと胸を躍らせ、急ぎエルクーロ様の下へ向かった。
エルクーロ様が待つ部屋では、紅茶は用意されていなかった。
急ぎの用事というのを気遣っての事だろうと思った。私はその厚意のままに部屋に入室指令をすると、扉の前に立ったまま姿勢を正した。
椅子に腰かけるように促そうとしていたらしいエルクーロ様も私の姿勢を見て少しだけ目を伏せた後、すぐに話を切り出した。
「――――追加兵力の事だが」
エルクーロ様の言葉に私は背筋を伸ばした。
彼は一息おいて、椅子の背に手を置きながら続きを語る。
「……今出せるのはアンドレオの軍だけだ。元々視野にはあった。だが、おそらく君とはそりが合わないだろう」
「構いません。借り受けます」
私は即答をする。アンドレオの人格に問題はあるだろうが、今このルイカーナに来ている兵でマトモに使えるのは奴の駒だけ。ならば四の五のは言わない。
エルクーロ様はやはりかと言った風に眼鏡を持ち上げると、ゆっくり椅子に座って足を組んだ。
それから立ったままの私と彼でいくらか人材について話をする。それだけではなく、必要な備品や食料なども含めて相談をした。
だが、その会話はそれほど実のあるものではなかった。次々に上がる問題点が進展を妨げていた。
改めて現状の魔王軍の戦力のギリギリさに頭を抱える。エルクーロ様は私に改めて主戦場の戦況が芳しくないという話をした。ウラガクナ様はファルトマーレ軍の攻勢にじりじりと不利を強いられているという。聖剣と聖槍に率いられた聖鎧騎士団含むファルトマーレ軍の勢いは想像以上らしい。
だがそれでも長きにわたって主戦場を維持したウラガクナ様が急に不利を被るのは、敵方は勇者と聖鎧騎士団が合流したにも関わらず、それまで戦場を分化していたメーア様の助力が無い事に拠るものだ。
メーア様はどうしているのかと問えば、ウラガクナ様の戦線の後方に陣取ってはいるものの未だ動く気配はないらしい。背中を固める構図にはなっているが、助力する気はないのだろう。まあ、ウラガクナ様の方も魔王城で会った際のあの様子ではメーア様からの助力を断固として断りそうなものではあったが。
まったく、やれやれと首を振るしかないな。勝利のためにプライドにこだわるとは。使えるものを使ってこそ。それがたとえ気にくわない相手であっても関係はないだろうに。所詮は上手く使ってやるだけの駒なのだから、一時の妥協も致し方なかろうに。
どれだけ嫌っている相手とて、勝つために必要ならば利用するだけ利用して最後に捨ててやればいいに過ぎない。
かつて私はツォーネ相手にそうしたっけなと思い出した。まあ、結局ツォーネはなんだかんだで私の鞘に収まっているのだが。今となってはツォーネの存在は私になくてはならないものとなっているから、転じてプラスに働くこともままあるという事だ。
それが私にできて、魔王軍四天王にできないのだから、やはり魔族という物はどうにも頭が固すぎる。
そんな具合で進まない会話は自然とこれから私が赴くバルタ攻略の話の根幹に戻った。
即ち、やれそうか、無理そうか。
「仮にアンドレオの軍を加えたとて、報告にあったバルタ戦力を打ち破れるのか?」
腕を組みながら私を見て言うエルクーロ様の瞳に込められた意図は見て取れた。信用されていないな。仮に援軍があったとしてバルタの防備は固い。
兵を求めて敗走しようものなら私はまつてのツォーネと同じ末路をたどるだろう。魔王様のお仕置きを想像して身震いするが、問題はない。既にバルタ内部には仕込みはしてある。今だって駐屯地のはずれの作業場ではゾフが私の言いつけ通り仕事をしている筈だ。数もそろってきている。
だから私は胸を張って答えた。
「問題ありません。その為の策は動いています」
「策? 聞いていないが……なぜ伏せていた?」
「それは……大人の事情で伏せておりました」
「大人の事情? ふっ、ふふ、ははははっ!」
言葉選びを誤った。つい適当な言い訳として前世でよく使っていた常套句を用いたが、エルクーロ様は訝しむのではなく笑った。
その様子に私は思わずきょとんと首を傾げた。
「なぜ笑うのですか」
「いや、すまない。君が言うものかと思ってな」
「子ども扱いしないでください! 身体は子供ですが、私は……まあ、その。精神は成熟していると自負しております」
「そうだろうな。私から見ても君は恐ろしく成熟しているよ」
くっくっと笑うエルクーロ様の様子に、私は肩を落とし、ゆっくりと歩いていくとぶしつけにもエルクーロ様の隣の椅子に座った。
それに対してエルクーロ様は何も言わず、満足そうに頷くと立ち上がり紅茶の用意を始めた。時間がないことを汲んでくれていたのではとも思ったが、おそらく紅茶があってこそエルクーロ様はしっかり話す準備が整ったと言えるのだろう。
私の前に紅茶を差し出しながら、エルクーロ様は言った。
「まだあの使用人といるのか?」
あの使用人、それがキエルの事だとは分かった。
なぜ今あいつの話を切り出したのかはわからなかったが、私は紅茶を一口すすったのちとりあえず答えることにした。
「はい、いますが……」
「信用しているのだな」
「はい?」
私は本当に意味が分からず首を傾げた。
そんな私にエルクーロ様は言う。
「あの娘は最初君を殺そうとした。そんな者を使用人にすると言った時は驚いたが、上手くやっているようだ。あの娘の話を出してもあの時の君のように憎悪を表に出すことも無い。信頼を築いたのだな」
「なっ、そんなことはありません! あれにはただ身の回りの世話をさせているだけです! 最近はどんどん生意気になっていますし、信頼など! あれは、あんなものは私が恨みを忘れないための……」
「魔族の駐屯地に一人残してきたのだろう。君が魔族に言い聞かせているのかもしれんが、大丈夫だと君が判断した。魔族は彼女を害することはないし、彼女も君が直々に見張る必要はない、と。違うか?」
私は反論がすぐにできずにむぐ、と口ごもる。
別にキエルがどうなどとは私は思っていない。思っていない筈だ。私がここに来る際に残してきたのも、ミオの世話をさせるためだ。あいつには人間の薄汚い部分を私に忘れさせない役目があり、そのついでに同じ年ごろの娘としてミオを任せたに過ぎない。すべて打算のはずだ。
だが、ルイカーナで私はあいつが危険に晒されるのがすごく嫌だった。何故かは分からない。別に今自分に問いかけてもあいつが大切だからなどと言う答えは心の中からは返ってこない。
キエルはシンの村の連中と共謀して私を暗殺しようとすればいいところまではいったかもしれないのに、それをせずに私に密告した。
そしてルイカーナでアレハンドロに囚われた私のメッセージに気づいて脱出の一助となった。
思えば、なぜあいつはああしたのだろう。
私を殺そうとしないのは、てっきり私が言った言葉のせいだと思っていた。私を殺してもあいつも死ぬ。だから、復讐のため死ぬのは意味がない、馬鹿げていると言った覚えがある。私はレイメの遺言の通り生きなくてはならないから、死んでもなどと言う考えは持たない。それを奴に語っただけだ。
そのせいであいつは、自分が生きるために私に媚を売っているのだとはじめ思っていた。だからあいつが甲斐甲斐しく言う事を聞こうと、腹の内では私が憎くて仕方ないと思っていた。
なのにあいつは最近、妙に……そう、私に優しくしてくる。
私はそれがどうにも、気持ち悪かったのだ。あまり悪い気がしなくなり始めていた私自身を含めて無性に、気持ち悪かった。
「……わかりません。ただ、あれは私の所有物です。所有物を大事にするのはおかしい事ではありません。物を長く使うのは合理的です」
私の答えに、エルクーロ様はふふっと笑った。
「とても好い事だ。君も変わったのだろう」
エルクーロ様はそう言った。私が変わった。その意味するところは分かる。
私が、人間であるキエルを悪く思っていないという事を言っているのだ。エルクーロ様は敵である人間にさえ情けを持つお方だ。
その変化を指摘する彼の言葉を、私はすんなりとは受け入れられなかった。人間同士仲良くできて偉いね、などと言われても嬉しくないのと同じだ。同時に、むず痒い表情こそすれ私は否定をしなかった。キエルの事は、前より悪く思っていないのは確かだから。だが正直奴の事はわからない。
今はむしろそういった変化よりも、彼に良い事だと言われたことが少しうれしかった。私も随分と調子のいい人間だったのだな。
「だが、バルタ攻略作戦まで連れまわしては、その使用人も安全ではないな」
「それは……」
別段はっとはしなかった。自分で理解していた事だったからだ。バルタの戦いにおいては私も前線で指揮を執る必要がある。魔族も総動員しなくてはならない。キエルの身を守る兵は最低限になるし、ミオにしたってそうだ。
本当はルイカーナにでも置いていくのが賢明。だが、私の手の及ばない場所に人間を二人も放置などしていけるわけがない。連れて行くしかない。
そのうえで、守り切り、勝つ。その為の用意を周到にしなければならないのだ。
「……わかっています。故に私は今ここにいるのです」
「……そうだったな」
と、私は忘れる所であったと急ぎポケットに忍ばせたリストを取り出しエルクーロ様の前に差し出した。エルクーロ様はそれを受け取り眺めると、ふむ、と唸る。
「これは補給品のリストか?」
「はい。そこに羅列されているものをできるだけ早めに用意して頂きたいのです」
「用意はできるはずだが……これを戦いに? それに、これを扱う魔族は兵士ばかりではないぞ」
「理解しています。しかし策のために必要なので」
そう言えばエルクーロ様は仄かに笑ったように見えた。私はカップを口に付けたまま、笑った彼の顔をちらちらと見やり、承認されないかな? と不安がる。
「策の為、か。君はまた我々魔族が思いもしない策を練ったのだろうな。……いいだろう。用意しよう。だが人員についてはある程度の妥協は許して欲しい」
そう言いながらエルクーロ様はリストを懐にしまい込んだ。承認されたと分かり私は安堵してカップを口から離して置いた。よし、兵力以外の備品確保はできるな。戦いの準備は確実に進んでいる。
そう仄かな高揚を感じていれば、エルクーロ様は私に砂糖入れを差し出し肘をついて神妙な顔をする。
私はその様子に身構えた。
「君はこの膠着した戦いに楔を打った。かつての主を失い燻る魔族達を手懐け、アウタナとフリクテラとルイカーナ、三つの街を攻め落としここまで来た。素晴らしい働きだ」
思わぬお褒めの言葉に驚きつつ、エルクーロ様の私をまっすぐに見る赤い瞳に、どうしたものかと思いながら少しばかり笑みを作って見せた。
「そんな……急に何です? 私は別に」
「謙遜するな。君は魔将軍として私に、魔族に多大な貢献をしている。とても働いた」
「や、やめてください。そんなに急にお褒めになられては、私とてその……嬉しくなってしまいます」
「驚いた。ああも惨劇を生み出し、小さな悪魔とまで呼ばれた君もそんな顔をするのだな。恥じらう顔を見るのは初めてだ」
「揶揄わないでください。別に私だって誰に言われてもこんなに嬉しい訳では……ああ、何言ってるんだ私は。エルクーロ様は意地悪です」
眼を逸らしてそわそわする私に、エルクーロ様は小さく笑った。
まったく、エルクーロ様がこんな方だとは知らなかったぞ。人を揶揄って楽しむなどとは。本当に、意地が悪い。
そう思って私も小さく笑った、のだが。すぐに表情を難しいものへと変えたエルクーロ様の次の言葉で、私も笑みを消した。
「……だから、先ほどの話の続きだ。アンドレオ将軍……彼にバルタ攻略の手伝いをさせようと考えていた。――――だが、任を引き継がせるのも視野に入れている」
「……今、なんと?」
「もう戦わなくてもよい。暗い記憶は忘れるんだ。このまま進めば、もう君はあんな表情もできなくなる」
エルクーロ様は酷く真剣な顔でそう言ったのだ。その表情が私にはひどく恐ろしく映った。
実際は彼の表情は何かを悼むような、それでいて慈しむような。純粋な心配の表情ではあったのだが、私はそうは見て取れなかった。
命令を、しているのかと。いや、問いかけだった。彼は私に命令をしない。魔王様の言葉を伝えた時くらいだ。彼が私の戦いを良く思っていないことは前々から思っていた。思っていたうえで、忘れようとしていたし、最近は私の戦いを後押しするようになってくれていたから油断を、していた。
「なぜ、急に」
「君の表情に迷いが見れた。ココット、君は本当は戦いたくないのではないか?」
ズキリ、と胸の奥に何かが刺さった。
以前エルクーロ様に誘われた食事の席で似たような事を言われた。囮行軍を辞退してもよいと。あの時は恩義に報いるためだとか適当な話で取り繕い、丸め込んだ。だが今、私はすぐに反論できずに口ごもった。
そしてそれが殊更に私を困惑させた。戦いたくないだと? 馬鹿な。私は、私はレイメのために、レイメが望んだ私の生のために戦う事を望んでいる。
そのはずだ。
困惑、疑問、怒り。様々な感情が頭の中をどんどん埋め尽くしていく。
心の中にあった焦りを強引に新たな黒い感情が塗りつぶしたことで、それまで胸に抱いていた感情が裏返る。目の前にいる恩人が、この魔族が、私の道を阻む障害にさえ見え始める。
また、そんなことをこの私に言うのかと。レイメの最期の姿を共に見た貴方が、私にまだそんな事を。私の功績を認める言葉を吐き、私に赤面までさせながら結局の所私を戦いから遠ざけるための方便だったというのか。
私は震える拳をぎゅっと握り、かすかな理性を振り絞って唇を動かす。
「魔王様から、貴方の口から私はバルタを落とせと命ぜられているのですが」
「それはその通りだ」
「先ほど連中の攻勢があるとお話したばかりではありませんか。猶予は我々が決めるものではないと考えますが」
「君が戦いたがっているのは分かる。理由も分かる。だが、忘れて生きる道もある。恨みに飲まれても身を滅ぼすだけだ」
エルクーロ様の言葉に、私はついに頭の中が赤く染まり切った。




