#95 表情
その日のうちに私は魔剣士を伴い陣地を出立した。
魔馬を駆る魔剣士を引き離さないように走ったため到着したのは夜明けになってしまった。
魔獅子の俊足は魔馬の実に二倍にもなるのだ。そして時間がかかったため私はトグーヴァの背に揺られながら少しの間眠り、到着と同時に目を覚ました。
トグーヴァの背中は広くもふもふで寝心地がいい。そんなことを言えばクォートラは嫉妬するだろうか。
改めて意識を覚醒させた私はトグーヴァのもふもふの背中に半ば体を埋めるようなだらしない格好でルイカーナの街中を進み司令部となっている白城を目指す。
街中の様相は大分様変わりしていた。フリクテラとは違う。まともに歩いている人間はいない。
住人は兵と共に多くを殺した。数少ない捕虜とした者たちは全て魔王城へ移送されている。今街を歩き働くのは魔族のみだった。
魔族はどうやら兵だけではないな。兵站作業員も多くこの街に来ているようだ。
ふんふんと眺めていれば彼らはトグーヴァの姿を見て口々に悲鳴を上げた。
「魔獅子だ……ッ」
「兵に連絡しろ! ……いや、待て! 背に誰かいる!」
「おいあれ、将軍じゃないのか。ほら、エルクーロ様の飼ってるっていう」
散々な言われようだ。まあ突然魔獅子を街中で歩かせればこうもなるか。
見張りの兵士達には話が行っていたからすんなり街には入れたが、そうでないものにとっては少し騒ぎだったな。
私は少しだけ姿勢を起こして、自分が魔将軍ココットであることを伝えながら、白城へ進んだ。
白城のエントランスに入り、地面に足を下ろす。中にいた魔族にエルクーロ様はと問えば今は少し外しているとのことだった。
戻ってくるまでどうかこの場でお待ちを、と仰々しく使用人服の女魔族に言われたので、仕方なく待つことにするとした。
事情を説明したとはいえ魔族が怯えないようエントランスの隅にトグーヴァを座らせると、カツカツと靴音を鳴らしながら所在なくエントランスを歩き回る私。
正直焦っている。
クーが出陣してくるまであとどのくらいなのかはわからない。街中を見た限りでは軍の集まりはなかったからあの段階ではすでに軍が準備できているとは思い難かったが、聖女の直属であるという聖歌隊が兵力未知数であるし、門の外の防衛兵力を充ててくるとなればもう少し準備は早まるだろう。
だから一刻も早くこちらの準備を整え、迎え撃つか、先に攻め入るかをしなくてはならない。
だが攻め入るための準備も策も……ない訳ではないが、兵力はあるに越したことはない。万が一すらあってはならないのだから。
と、そんなことを考えていると突然の大声が白城に響く。
「おやおや見よ諸君! 人間サマが魔族の服を着ているじゃあないか!」
くるりと顔を向け声の方を見てみれば、エントランスに今しがた入ってきたのであろうか、魔族の一団が私を見て笑っていた。
指まで指すものもいる。なんだあれは。
「おォ、こっちを見たぞ。ハ! 随分ちみっこいじゃないか! 一口で食べてしまえそうだ!」
「女だが肉が少なそうだな! 骨がのどに刺さりそうだ! 小魚みてェーによ!」
「ハハハ! 兄貴、部屋に連れていきましょうか? みんなで遊んでから食うってのは?」
「いいねェそれ! お前頭イイぞ!」
なんだか懐かしいようなセリフだ。昔ゾフに言われたっけな。
ガサツにして下品な会話と笑い声がさらに聞こえる。私はじろりと連中を睨んだ。見慣れない顔ぶれ。リーダーと思しき男は将軍の装束を纏っている。知らないやつだが……同格か、忌々しい。
種族は人に近いが肌が青白い。ここまで感じる冷たい感覚……リッチか。体温は低く心臓もほとんど動いていない、一見すると死体に見える魔族。その性質上不死性が非常に高い魔族だとか。性格が悪いものが多いと聞くが今納得した。
妙に派手ないで立ちと金持ちが好みそうな髭が目に付く。ダンディだとでも思っているんだろうか。まるで似合っていない。
部下も大半がリッチと似たような性質を持つ魔族であるレブナントだった。レブナントは心臓が二つあり、一つを串刺しにされて倒れたものの、再び起き上がった事で不死身とされ人間を恐れさせたという。兵士としては役立つ魔族だ。ウチにはいない。
そんなゾンビ軍団連中が明らかに私を馬鹿にしているのは理解が出来たので、私は憎々しげな顔で連中を一瞥したのち、無視をしようと再び顔をそむけた。
エルクーロ様、早く来ないかな。
「オイオイオイオイ……レディレディレ~ディ~? 無視はないんじゃないかな無視は。ほんの挨拶じゃないかね」
背中に声が聞こえ、私は大きくため息を漏らしたのち背を向けたまま答える。
「誰だかは知らないが、魔将軍だな。私の服が見えないわけではあるまいが、無礼者に構う暇はなくてね」
「おっと本当に将軍だったとは。てっきり誰かの衣文掛けかと」
リーダーの魔将軍の男の冗談めいた声でその部下たちが笑い声をあげた。
くそったれ。相手をするのも面倒な手合いだ。私は爪を噛みながら再び無視を決め込むこととした。
だが連中はまるで諦めることなく私に歩み寄る足音を響かせた。暇人どもめ。さっさとどこかへ行け。
仕方なく私は奴に体を向け、腰に手を当て胸を張りながら迎えた。
じろりと睨めば奴は立ち止まりてをひらりと広げた。おどけた調子だが、目は笑っていない。私が人間だから見下している眼、見慣れた眼だった。
リッチの横にレブナントが並び立ち私を眺める。
「ガリガリだなあ。飯は食べているかね?」
「臭い。無意味なお喋りの臭いだ。私の嫌いな臭いがする」
「なんだと……?」
リッチが一歩前に進み出る。剣呑な雰囲気を察してすぐさま私の配下の魔剣士達が護衛に動くが、レブナントに遮られた。
周囲にいた魔族達も魔将軍二人を遠巻きに眺めて何事かと不安がっている。
リッチが私に歩み寄り、ずいっと顔を寄せて凄んでくる。だが私は澄ました顔を崩さなかった。
こちとらウラガクナ様に凄まれているんだ。今更こんなやつに凄まれたところで意にも介さない。
だが、私が表情を変えずにいた所リッチはそのまま手をさっと伸ばして私のあごをくいっと持ち上げた。触れられると思っていなかったので一瞬驚いて眉根を寄せてしまう。それに気を良くしたかこいつは顎先に触れた指をそのまま頬、髪へと伸ばしたのだ。
途端に魔剣士が剣に手をかけ、レブナントもまた指先から爪を伸ばす。
「ンンー、いい香りだ。人間……そして、女。ちと小さいが、顔も上玉。ガキ臭さが一切ない冷たい態度もそそるねえ……なあ、味見させてくれないか?」
私の髪を手で梳き流し、頬に鼻先がつくほど顔を近づけ、私の横髪を嗅ぎながらそう言った男に私は目を一瞬丸くして、そしてすぐにぎろりと睨むと平手打ちをしてやろうと腕を振り上げた。
「アンドレオ、何をしている」
エントランスに響いた声。一斉に私たちは声の方を向く。
そこでエントランスの入り口に立つエルクーロ様が強張った表情でこちらを見ていた。
「エルクーロ様っ!」
私はすぐさま表情を正し、私の髪を弄んだ男を完全に放置して横を抜けるとエルクーロ様の前に立ち礼をした。
「お待ちしておりました!」
礼をした私にエルクーロ様は表情を緩めてご苦労、と言った。
私はその言葉に少しだけ頬を緩ませた。
「魔獅子の背に乗り現れるとは。非戦闘員が怯えていたぞ」
「あ、っと……それは失礼しました。いくつか理由があり急いだものですから……怒っていらっしゃいますか?」
「怒ってはいない。驚いただけだ。すぐに紅茶を用意しよう。用事があると聞いている」
私はほっとした。そして同時に紅茶の席に少しげんなりする。
そこで背後からリッチがやや呆けた声で声をあげた。
「あー、エルクーロ様?」
「アンドレオ、全て見ていたぞ。ココット将軍と随分仲がいいのだな」
「あ、いや……っと、ココット将軍、ですって?」
エルクーロ様の少し怒ったような声色に委縮していたアンドレオと呼ばれたリッチは驚いた顔で私を見る。
「じゃあそのちんちくりんが小さな悪魔? バルタ攻略を魔王様から任された魔将軍ですって?」
「その通りだ」
知らずにちょっかいをかけて来ていたのか、あいつは。互いに面識がないというのも面倒だな。
アンドレオは顎髭を触りながら目を泳がせて口ごもる。
そんな様子にエルクーロ様ははぁ、とため息をついた。
「部下を引き連れて女に詰め寄るとは紳士的ではないな」
「あ、えへへぇ、へへ」
「それに彼女にちょっかいをかけるものでもないぞ。ふざけた真似をすればそこの魔獅子に食いちぎられていた筈だ」
そう言ってエルクーロ様が顎で指した先では、柱の陰で目立たぬようにしながらトグーヴァが地面に寝そべっており、首をもたげてアンドレオをじろりと睨んでいた。
魔獅子の姿を見たアンドレオはひどく驚いた。魔獅子がいることもそうだが、トグーヴァの主人が私であることを察したらしい。
アンドレオは失礼します! と礼をして部下のレブナントを引き連れそそくさとエントランスを出て行った。どこまでも小物なやつ。実力はあるのかもしれんが同じ将軍であることが恥ずかしい。
私は去り行くアンドレオの背中にべっと舌を出した。
連中の姿が完全に見えなくなったところで私はエルクーロ様に問う。
「あのちょび髭はなんなので?」
「ああ、君は知らなかったな。元々はメーアの所の将軍だったのだが突然私に任され……いや、君に言う事ではない。とにかくあまり素行がいいとは言えない。相手をしなくていい」
エルクーロ様はそう言って私の肩に手を置いた。
何の恥ずかしげもなく他人に触れられるエルクーロ様に触れられたことに少し気恥しさを覚えつつ、ちょっとだけ嬉しい自分がいた。エルクーロ様に触れられるのはやはり嫌じゃない。信頼されて、守られていると感じる喜びだった。
そして、僅かな優越感を感じたからでもあるだろう。同じ将軍でも、奴と私で扱いが違う。
(エルクーロ様は、私に優しい)
心の中で呟いて、私は小さく笑った。
私はトグーヴァの前に魔剣士達を付け留守番させると、歩き出したエルクーロ様の後を追った。
エントランスの吹き抜けの内壁を走る螺旋階段をのぼりながら、エルクーロ様は配下にあれやこれやと指示を出していた。移動中も仕事熱心で実に参考になる。話に聞けばルイカーナの兵站やら追加戦力の斡旋やらなにやら。
そして、紅茶の支度やら。
「あの、エルクーロ様。実は火急の要件があって参ったのです。今回は紅茶は……」
「ん? そうか、残念だ」
エルクーロ様は残念そうに肩を落とす。今回は物分かりがいいが少し申し訳なく感じる。
エルクーロ様の様子から歩きながらでの報告でも構わないと察した私は口を開いた。
「実は、追加兵力を頼みたいのです」
「追加の?」
「はい。バルタを視察し、もうじき連中が攻勢に出る事がわかりました。今の兵力では食い破られます」
敵が打って出てくる。その情報を聞いたエルクーロ様もやはり眉根を潜めた。
完全防衛体制と睨んだバルタが打って出てくる。その目的は不明だが、こちらの戦力が敵に露見した恐れもあるのだ。
そして、出てくる軍を率いるのが聖女だと伝えれば、エルクーロ様は少し思案した様子で唇に指をあてた。
「ここにきて聖女までもか」
「? どういうことです」
「主戦場でも聖剣と聖槍による大攻勢が予想されているのだ。ファルトマーレは一気に攻めに転じる腹積もりらしい」
なるほど。その一環としてクーも戦場に出るという訳か。
腹立たしい。こうまで追い詰めてなお生意気に攻めの姿勢を崩さないファルトマーレに憤る。
しかし、だ。
私は歩きながらルイカーナの様相を眺めていてひとつ感じたことがあった。
先述のとおり多くの魔族がここルイカーナに集まっている。多くが兵站の為とは感じたが兵力も集っている。エルクーロ様がまとめ上げた軍兵力とは思うが、予想以上の数になるだろうか。
嬉しい誤算と言える。もともと兵力斡旋を依頼するためにここに来たのだから、それは達成されるだろう。
「……改めてエルクーロ様。ファルトマーレの攻勢に対し我々の軍だけでは足りないのです。故に兵を借り受けたいと」
「そうだな。しかし……」
エルクーロ様はなにか難しい顔で決めあぐねているようだった。ふむ、すんなりと承諾が得られると思っていたが流石にぶしつけだったか?
だがなんとしても兵力は必要だ。私の敗北が許されないのは何も私の都合だけではない。現場が必要だと言ったら必要なのだから、どうしても頷いてもらう必要がある。
ルイカーナに集まった兵は街の防備にと連れてきたわけではあるまい。バルタを抑えてさえいればルイカーナに攻め込まれることなどほぼないはずである。もともと私に預けるために兵を集めたのではという予想もあったから、早いところいい返事がもらえるだろうと思っていた。
だが、予想に反してエルクーロ様は難しい顔をしたままだった。
「……すぐには君の望む兵力は用意できない」
「……なぜです? ルイカーナに連れてきた兵力はてっきりそのためかと」
「それは合っている。しかし、戦えるかは別なのだ」
「といいますと」
「まともな兵は我が魔族軍にもあまり残っていないのだ。連れてきたのは徴兵したての若兵ばかりでな。街の制圧くらいになら充てられようとして連れてきたにすぎない」
階段を上り切り、白い廊下を歩きながら、私は下唇を噛んだ。
元よりダメもとで聞きには来たが、エルクーロ様はずいぶん渋っているらしい。現場としては死活問題なので、なんとしても兵力を回してもらうしかないのだが。
仕方ない。あまりエルクーロ様にこういう話はしたくなかったのだが。
私は少し悩んだのち、虎の子の話題を切り出した。
「ポリニア様の兵は、残っておいでなのでしょう」
私のその言葉を聞いたエルクーロ様は、足を止めて私を振り返った。
その表情は酷く険しかった。
私は一瞬固唾を飲んだが、怯まずに言葉を続けた。
「伺っております。ポリニア様亡きあと他の四天王軍に編入されることなくほとんどが魔王城にとどまっているか、普通の生活をしていると。チックベルのように国境警備を行う事があっても、一般兵のほとんどは退役。燻っている」
「何を言っているんだ君は。彼らを再び戦場に出せというのか」
「以前魔王様と紅茶の席を共にした時も言いましたが、私は使える人材が何もせずのうのうとしているのは我慢ならない。使えるなら使うべきです。今は戦争で、勝つか負けるか。それ以外はない事など、聡明な貴方ならばご承知の筈」
魔王様はバルタを決戦と捉えている。エルクーロ様がそう言った。
この戦争の主役は私なのだ。あと一歩で復讐が為ろうという時に、そうでなくとも魔王城の警備などという名目で戦いを免除されている連中がいる。本人たちとて主の敵が討てるのならば喜んで協力する筈だ。あのチックベルですら聖弓のヨーンとの戦いでは感情をむき出していた。
魔王城で燻るポリニア様の軍。魔王様の意向で軍から離れたものが多い……と言う話は実に妙に感じていた。
戦いを望む者も多いはず。それが殆どチックベルのように警備や隠居を自分から申し出るとは思い難かったのだ。
チックベルはポリニア様以外につくのが嫌だったと笑いながら話してくれたことがあったが、戦いを望むならエルクーロ様の軍でいいはずだ。もしかして無理やり、ないしはやんわりと戦場から遠ざけられているのなら。
そしてそうだとしても、ルイカーナの時のようにエルクーロ様ならば動かせるのなら。
「……少し考えさせてくれ。君の言葉は間違ってはいない。彼らの力が必要な事も、時間がないのも理解している。だが、少しだけ待ってくれ」
そう、言って。エルクーロ様は私から顔を背け、背を向けていった。
私は、無言で頷く他なかった。彼が待てと言ったのならば、待つしかない。きっと私が話した言葉は彼の心を抉る内容だっただろう。
かつて大切だった存在を失い宙ぶらりんだった軍を貸せという話だ。忘れ形見をそっとしておきたい気持ちもあったのかもしれないのに、私はそれを貸せと言ったのだ。
怒られても仕方ないと思った。エルクーロ様に怒られるのは嫌だったが、それでも優先すべきはバルタ陥落、そして攻めてくるであろう軍に対抗するための兵力だ。
魔王城からここまで来るのに時間はかかるからこれこそダメ元だった。それでも承諾さえ得てしまったなら、バルタを攻撃するのに間に合いさえすれば、攻勢はなんとか凌いでやると覚悟もできる。
だから私が言った言葉は間違っていない。たとえエルクーロ様を悩ませたとしても、間違っていないのだ。
そう自分に言い聞かせ、胸の締め付けられる感覚を押し殺す。
……彼と話をすると最近はずっとこうだ。
エルクーロ様は、私と話すといつもあの表情をする。悲しそうな、困ったような、そんな顔。いつもさせてしまっている、な。
でも、大丈夫。エルクーロ様は……私に優しい……から。
私は、背を向ける直前のエルクーロ様の表情を思い出し、ぎゅっと拳を握った。そして歩き去るエルクーロ様の後を追わず、じっと背中を見送りながら立ちすくんでいた。




