#94 幸せとは病なのか
「ココット! おかえり!」
「ぐはぅっ!」
私は陣地に帰還してすぐに正面からミオのタックルめいた抱き付きを受けて地面に倒れた。
胸に額をこすりつけられながらゆっくりとミオの頭を撫でて、諫めながら体を離して立ち上がり、お尻についた土を払う。
そんな中親愛なる部下たちが私の前に集まってきた。我先にとぴょんぴょんと飛び跳ねながらツォーネが両手を広げている。
「ココットさまぁ~~~~~♡ わたくしもっ、わたくしもっ」
「絶対にやめろツォーネ。お前に飛びつかれたら背骨が砕け散る」
ぞっとする要求をすぐさま却下。しょげ込んで一歩下がったツォーネの代わりにクォートラとゾフが進み出た。
「姫、よくぞ無事にお戻りになりました」
「ほんとタフなお方だぜ。どうなる事かと思ったが頬にあざを作っただけでお帰りになった。正気じゃねえことをやって成果を持ち帰ってくる。我らがお嬢は魔族きっての将軍よ」
「褒めても気の利いた返事はできないぞ。頬が痛くてな」
少しのジョークで連中は大笑いをした。
その後情報を整理するために私は魔族達を伴い、ミオには腕に抱き着かれながらテントへと向かった。
「街の構造は概ね把握した。予想通り新市街と旧市街はあの巨大な壁で断絶されていた。門の前の守備兵力はこれまでの比ではない」
「ふうむ、アウタナの時と同様我らドラゴニュート部隊による爆撃をしては?」
「無理だな。言った通り門の上のバリスタが厄介だ。弓より強力で射程があるのは知っているだろう。爆撃は無理だ」
バリスタの射程外である超高度からの爆撃……つまりロックボムの投下であるが、高さがありすぎると問題が二つ出る。
まず命中精度だ。高すぎては正確に投下できない。それに高さがありすぎると落着の衝撃でロックボムが死んでしまうのだ。死んだロックボムは爆発しない。質量兵器にはなろうが、そもそも命中しないというわけだ。
大量投下できるわけでもないし、無理やり投下はリスクが高すぎる。
ホーンバウを使う手もあるが、残念ながらこの近くには群れが生息していない。
「面倒な……バリスタを壊す方法さえあればいいのではないですの?」
「ダメだ。バリスタだけではない。姫から聞いただろうツォーネ。警備は厳重。入り口は一つだけ。守備兵力だけで我らと同数。旧市街は入り組んでいてすぐに囲まれる。正面からは無理だ。数が足りない」
クォートラに言われてツォーネは苛立ったか頭の後ろで腕を組んで唇を尖らせた。
そんなツォーネの様子をちらりと見た後、腕を組みながらゾフが私を見る。
「どうするんですかい、お嬢。悔しいが、俺たちの兵力じゃ奴らの防備は突破できやせんぜ」
「ああ。だから追加兵力を頼むしかない」
「追加兵力? まさかエルクーロ様に? そいつぁ無理だ。魔族軍はどこもしっちゃかめっちゃかで予備兵力なんかありゃしませんぜ」
ゾフが眉根を潜めてそう言った。
私は説明のための黒板の前の立ち台から降りて腰に手を当てゾフに胸を張って言う。
「それでもだ。私はバルタを落とすように魔王様から命じられている。いいか、モノには優先順位という物がある」
この戦争の主役は私。融通はきくはずだ。
「かつては我々が囮だった。だが今や我々以外のすべてが囮だ。それを忘れるな。魔王城の警備兵力でもなんでも、掛け合うだけはしてみるさ。私は少しエルクーロ様の下へ行く」
「姫、いつです?」
「今日中だ。バルタ潜入で色々と情報は手に入った。ナイトリザード達も潜っている。エルクーロ様にバルタ決戦の段取りを改めてお話しする必要がある。欲しいものはなにも兵力だけではないしな」
私はテーブルの前まで歩いていき、コーヒーを手に取ると一口啜った。
「それにだ。近々バルタから出兵があるはずだ。時間は少ない。戦力を増強しなければ我々が先につぶされる」
そしてふと目を見やり、テントの入り口からこっそりと私を見ているミオと目が合い、ふっと笑ってカップを置いた。
そしてすぐに行く気満々のクォートラに向き直ると先んじて命令を下した。
「クォートラ、今回はお前も残れ。トグーヴァを使う。私一人で行く」
「は......? しかし……」
「今しがた理由は言った筈だぞ。此処の戦力を薄くできるものか。ドラゴニュート部隊はローテを組んで視察を怠るな。いいか、バルタの動きに注意しろ。聖女が来る。何かあればすぐ連絡を寄越せ」
「ううむ……」
唸るクォートラに私はやれやれと肩をすくめた。
「わかった。魔剣士を4名連れていく。文句はないな」
「は……」
クォートラが返事をして敬礼をする。まったく、過保護なやつだ。と、ゾフが私の隣にやってきて膝をつく。私はゾフの顔に自分の顔を近づけた。そしてゾフは私の耳に口を近づける。
「例の仕込みは済んだんですかい」
「ああ、済んだ。お前の方はどうか」
「ええ、順調に増えてまさあ。近くを通った難民を何人かバラしやしたからね」
ゾフの声を抑えた報告を聞いて私は静かに頷いた。クォートラ達が訝しんでいるが、今はまだ聞かせずともよい。
「よろしい。引き続き頼む。ある意味では、お前が私にとって最も近い。信用してるぞ」
ゾフは頷き、立ち上がるとクォートラらに並んだ。
そしてクォートラが二人を見た後に指示を出す。
「よし。ゾフとツォーネ、お前たちは地上を警戒をしてくれ。ゾフはゴブリンどもを配置してバルタからの軍の動きを警戒するように。ツォーネは陣地周辺を固めろ」
「はいはーい、ですわ」
黙って頷いたゾフの横で元気よく返事をしたツォーネに私はにこりと笑ってやった。
「頼むぞツォーネ。これから私は少しミオと遊んでくる。お前が洗ってくれたふわふわの髪でも撫でてな」
そう言って私はテントから出る。背後ではツォーネが妙に喜んでいるのが感じられた。
「ココット! いくよぉ!」
ミオがそういってボール状に丸めた草の玉を投げてきた。私はそれをキャッチして、優しく投げ返す。
キャッチボールという訳だ。まるで息子を相手にしている気分になるが、ミオの申し出だった。
「あはは! たのしいねココット!」
「ああ、楽しい。これからもっともっと普通の事を教えてやるからな」
「うん!」
ミオが笑い、私が投げた草玉をキャッチし損ねて、ころころところがるそれをぺたぺたと追いかけた。
そんな姿を見るだけで、私は自然と笑顔がこぼれた。
「ああ、そうだ。約束していただろ? おいしそうなお菓子をくすねてきてあるよ」
私はそう言って近くの木材の上に置いておいたお菓子を指さした。
草玉を私に投げ返そうとしたミオはぱあっと笑い、草玉を放り出してお菓子に飛びついて包みを開ける。中に入っていた蒸しパンめいた菓子を手に取り、私を見るので頷く。ミオは嬉しそうにお菓子に口を付けた。
私も歩き出し、ミオの隣に立つとお菓子を頬張っているミオにもう一度笑いかけ、持参しておいたポットから茶を淹れた。
「ほら、慌てて食べるんじゃないぞ。喉に詰まらせるからな」
「むぁ!」
にこりと笑って頬いっぱいに菓子を頬張る姿を見て私も穏やかな心となった。カップに注いだ茶を少しだけふーふーと冷まし、ミオに手渡す。
普通のやりとり。これが私の手元にある小さな幸せだ。
と、そういえばと思い出して私は手を打つ。
「なあ、バルタでジジという奴に会ったんだ。そうだな、ミオより少し上くらいの年で、女だ。底抜けに明るいやつで、私たちと同じ……悪魔の相だ」
幸せの答えを迷わせた存在でもあるジジ。私は今確かに満ち足りているから、少しだけしてやったりという思いを浮かべながらジジの事を思い出した。
ミオは丸くて大きい赤い瞳で私を見ている。
「だから……その、いいやつ、だったよ。できれば、殺したくない。ミオも友達が欲しいだろう? あいつなら適任だ……どう思う?」
「んん?」
「いや、だからそのだな。お前の頼みであれば……私はきっとためらえるから。もし友達が欲しいなら、心当たりがあるし……バルタを攻めた時に生け捕りにしてやる」
ずるいな、私は。
ミオを理由にして逃げたいだけだと分かっている。だが……いや。だがもなにもない。私はただ、殺さなくていい理由を見つけたいだけだ。
ジジも……クーも。
自分で全て決めてきた。そうできるだけの覚悟と憎悪があった。だが今はどうだ。このありさまだ。
こうならない為の存在も用意した筈なのに、あいつは最近まるで役目を果たさない。であれば殺すと公言さえしたのに、それすらも私にはできるか怪しい。
本当に、なにも終わっていないのに私はきっと、手に入れすぎてしまったんだな。
重荷にならなければいいんだが。
ミオはしばらくもちゃもちゃと菓子を頬張りながらぽかんと私を見ていたが、ごくんと飲み込んだ後に笑って言う。
「ううん、別にいい! ココットがいるし! キエルもツォーネも、みんないるから!」
「……そうか」
私はふっと困った笑みを見せてミオの頭を撫でた。
たしかに、そうだな。今この手の中に在るものが好きだ。私もこれ以上は何も……望むまいよ。
ミオも笑って口の端についたお菓子くずを手で拭って服にこすりつけた。
それを見た私はやれやれと首を振ってミオの服に手をかけ、布地についた菓子くずを手で払った。
「おいミオ、服で拭いたらだらしないだろう。女の子だろう。もっとらしくしなくちゃだめだぞ」
「むー、ココットだってそうだよ!」
「なんだ私は別に……いや、むう……そう、だな。私も女の子だもの、な」
はぁ、とため息をついて私は自分の姿を確かめる。
着ているのは無骨な軍用装束。サイズも未だにあってないから袖はぶかぶかでまくらないと指まですっぽり隠れる。
裾も長くまるでスカートかコートだ。将軍用のマントめいた外套と、帽子。
それに身を包むのは女の子である私。ぼさぼさにハネ癖がついた白い髪。少し伸びてきたが……。また少し切るか? いや、でも長いほうが、"らしい"か? んー、保留。
あとは……手足は細い。袖をまくってみれば指も確かに女の子。
頬も柔らかい。最近ツォーネにケアしろとうるさく言われていたのが効いたか。
胸。膨らみかけと言った具合だが無くも無い。ああ、胸だなとは理解できる。十分だろう。まだ子供だしな。
そうやってぺたぺた服や髪や胸を触っていると、ミオが真似をし始めたので慌ててやめた。
「いいか、ミオ。絶対に、人前で胸を触っては……いや、肌を見せちゃだめだ。いいな? 下着もダメ。異性に体を触らせるのもダメ」
「なんで?」
「クォートラのやつに……怒られるからだ! ほら……がお!」
「きゃあ!」
腕を上げて歯を見せて、笑うミオを追いかける。
周囲では働く魔族達が私たちを見て少し驚いた顔をしていた。小さな悪魔が二人、魔族の駐屯地のど真ん中で追いかけっこに興じているのだからな。
始めは今までの私のそぶりを知る者たちにとってこの豹変ぶりは不信感を買うものだと思った。表には出ていないが、実際あったのだろうとも思う。だがありのままを彼らは受け入れた。大事な部下たちだ。
最近はゴブリンに上着の匂いをかがれることもないしな。
だがたまに私とミオの水浴びの時に覗かれていることに気づいている。下心目的ならばまだいいが、食欲なら少し対処がいるな。ただでさえ水浴びとゴブリンの組み合わせは嫌な記憶がよぎる。
ルイカーナ攻略戦の前だったか。そう前でもないのに懐かしい。レコ達の仲間だったゴブリンら魔族達も多くがあの戦いで死んだ。生き残りはエルクーロ様と共に魔王城へ戻った。ウラガクナ様の軍に復帰したのだろうか。
色々あったな。私が魔将軍となってから1年もたっていないというのに。
時間が過ぎるのは早い。そして短い時間で色々なことが起き、変わる。
気づけば私はまた、この先の事を考えていた。
戦いが終わった後の事を。
そして。
「なあ、ミオはこの戦いが終わったら――将来何になりたい?」
「しょうらい?」
「ああ、将来。未来だよ。戦いが終わった後の事だ。なんでもいい。どうなりたい?」
私とミオは木材に並んで腰かけていた。
ミオは私の問いに唇に指をあててうーんと考えた後、にこりと笑い両手を広げていった。
「んー、お花屋さん!」
「ああ、いいじゃないか! ミオは花が好きだものな」
白城に居た時も花畑に囲まれていた。そこにいた彼女は楽しそうだった。だがあの場所は忌々しいアレハンドロの監獄だ。そしてやつはもういない。
「他にはないか? 言うだけならタダだ。どんどん言ってみるといい」
「うーんと、うーんと……お菓子屋さん!」
「あは、お菓子か! 好きだものな。自分で作れば食べ放題だよ」
「あとは、お嫁さん!」
「なに?」
心臓がドクンと小さく跳ねるのを感じた。
嫁になる。男に娶られるという事。やはりミオもそうなりたいと思っているのか。
年頃の娘はそういうのがやっぱり理想的な将来なのだろうか。それが普通の……女の子というやつなのだろうか。やはり理解はできないが。
ジジも言っていた。素敵な人を見つけてお嫁さんになる。それが、幸せになる道だと。
愛することで恨みを忘れられる。恨む以上の幸せがあるから。正味分からない話ではない。幸せが恨みを鈍らせるのはミオと一緒に居てわかっている。
だが私にとっては違うのだ。私は幸せで恨みを塗りつぶしたいのではない。恨みの下を断ち、消し去ることで……本当に幸せになれるんだ。
だから、そういう意味では今は何も必要ない。必要ないんだ。ミオ達以外などはただ、利用する者があればいい。ジジの言う幸せが恋であるとしたら、それは私にとっては逃げなのだ。
それにエルクーロ様は。私は彼の心遣いを胸の内で裏切り、利用し続けている。
愛してもらう資格なんかあるものか――――
――っておい。待て、おい。
何を考えているんだ私は! エルクーロ様は男だぞ! 愛などとなんだのと……そもそも私は……! いや、それは考えても意味がない。もう人生の四分の一は女だ。今の私は女の子だ。理解はしている。
だが……ああ、くそっ……ジジのやつに話を聞いてからおかしくなっているのは間違いない。どうしてしまったんだと自問自答してジジの言葉が頭をよぎる。
恋は人を変える、だと。私が恋をして変わったとでも? 誰に。彼に? なんで。これは違う。
私はココットだぞ。悪魔の相を持つ者で、魔将軍だぞ。この心は憎しみで一杯で、そんなもの考える隙間などあるはずがない。あるはずがなかったのに。
――ばかばかしい。
「ココット?」
「ん……ああ」
ミオの声で我に返る。
そうだな。考えるから余計に気にするんだ。私は魔将軍。ほかに考えることはいっぱいある。
例えば、そうだな。まずは目の前の問題に取り掛かるか。
そう考えて私はミオを見て悪戯っぽく笑う。
「ミオ……お前は誰にも嫁にはやらないぞ!」
「きゃあ!」
この胸のもやもやをただの勘違いだと。そう断じる。まるで病気にでもなったみたいだ。落ち着かない。
少し優しくしてもらっただけだ。仕事上の付き合いだ。ただの、吊り橋効果みたいなものだ。過酷な環境に身を置いて、ちょっと撫でられただけで意識してしまうのと同じだ。恋しいと思った事はあるが、断じてそういうものではない。
だが、魔王城で彼が私の手を握ってくれた時は、安心をしたな。
いや、それこそ吊り橋効果......はぁ。
……どうでもいい。どうせこれから会いに行くのだからな。会えばすぐにわかるさ。一時の気の迷いだとな。
私は余計な思考を掻き消すように笑いながら、楽しそうに笑うミオの頭をわしわしと撫で繰り回した。
今の私には、この手に感じる温かさが幸せだ。それだけで、いいじゃないか。




