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#89 揺らぎ

 


 ありえない。


 そんなバカなことがあるわけがない。


 目の前に現れた女性は、レイメ――――。






 ――いや、違う。若い。それにレイメは死んだのだ。私の胸に輝く赤紫色の聖石となったのをこの目で見た。命の残滓が聖石となり、身体が灰となって雨風に攫われるのを確かに見たのだ。


 目の前の少女の年の瀬はおよそ17程。


 だが見覚えのある金髪と、顔だちに面影がある。そっくりだ。


 私がこの世に生まれ変わった時に見た若いころのレイメに、本当によく似ていた。



 私は息をのんでその少女を見つめていた。




 だが対して少女は、私を見て……いない。


 すぐに周囲をきょろきょろと見渡して首を傾げた。



「あれ、おかしいですね……確かに誰かがこう、ぼちゃんと落ちてきたような気がしたのですが……」



 ……は?


 少女は私の目の前でそんなことを言うのだ。


 私と幾許も離れていないというのに、まるで私が見えていないかのように周囲をきょろきょろと見渡している。


 まさかこの女……。




 ならば話は違う。このままゆっくりとバレないように岸に向かって……。



 そう考えゆっくりと少女に注意を向けながら泳ごうとしたところで、私のお尻を何かがつついた。



「ひゃあッ!?」



 反射的に私は飛び上がらんばかりに驚き、尻を抑えた。


 水の中を見れば鯉のような魚が泳ぎ去るのが見えた。こんな場所で魚なんか飼うな!



「あら、やっぱり誰かいたんですね!」


「しまッ――」



 少女はついに私の方をしかと見て、にこりと微笑んだ。



「声からして……大分小さなお客さんですね! でもどうやってここに来たのでしょう? うーん」



 レイメに似た顔で、そんなことを言い始める少女。


 彼女が何か言い、何かするたびに私の頭の中には困惑が広がっていく。どうやって来たもない。こっちが聞きたい事の方が多い。どうして、レイメに似ているんだ。


 私は震える手で胸の聖石を握りしめる。



 それでそれまで考えていたことは吹き飛び、口からついて出た言葉は。




「誰、なんだ……お前は」




 そんなセリフに少女は頬をぷくーっと膨らませた。


 そして私めがけて手を伸ばし、人差し指をぴんと立てた。



「あーっ、いけませんよ! 人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るものです!」


「え、ええ……?」



 困惑している私に彼女はゆっくり水をかき分けて近寄って来て、手を伸ばし、何かを探るような手つきで寄せると私の手に触って、握る。


 はずみで沈みそうになったが彼女に支えられた。


 その間も私は動けずにいた。近くで見れば見るほど、彼女の顔だちにレイメの面影を見て、身体が硬直してしまっていた。



「だから、はい!」


「あ、あの……」



 にこりと笑って私の言葉を待つ彼女に……私は、名乗る。


 彼女によく似た私の最愛の人よりもらった、大事な名前を。



「……ココッ……ト……です」



 名乗ってすぐに私は目を伏せた。


 伏せた目で水面に映る彼女の顔を見ていれば、ぱあっと笑って私の手を握りなおした。



「ココットですね! よくできました! 私は……そうですね……クーと呼んでください!」
























「ココットはお腹すいてます? 好きなものは何です? いろいろありますよ! あ、クッキーなんかどうです? お菓子も色々あって……」



 彼女……クーの導きで岸に上がった私は、縦穴の壁に掘られた部屋に案内されていた。


 そして現在進行形でクーが矢継ぎ早に繰り出す質問や話を叩きつけられている。答える間もなく次の質問が来るのでもはや会話の体を為していなかった。


 最も、仮に会話になっていたとしてもぐちゃぐちゃの頭の中ではまともな答えが出せそうにはなかったが。



 案内された部屋はこんな縦穴の底にあるとは思えないほど豪奢で、整っていた。


 寝具や調理台まであり、生活することを前提に作られた部屋であることは疑いようがなかった。


 だが、それが何故、という疑問を心の中に感じつつも、集中が出来なかった。


 いや、何を惑わされている。クーはレイメとは別人だ。


 レイメは死んだ。それこそ疑いようのない事実。


 だから今すべきことは脱出だ。


 余計なことは考えるな。ああくそ、頭が痛い。寒気もする。


 とにかく今は、一度街に戻るのが先決。


 クーを利用してさっさと上に戻る道を聞いて、やるべきことをする。



 私はできるだけおどおどした表情を作り、クーを上目遣いに見た。




「えっと……迷子になっちゃって……あー、クー……? だからえっと」


「ええ!? それは大変……」



 クーは大仰に驚き、おろおろし始める。


 そして。



「一人できちゃったんですか? お母さんはどうしているんです?」


「ッ……」



 その、顔で……私にそれを、聞くのか。残酷な、事を。


 これも神が私に与えた試練とでもいうのか。


 ああ、身体が震える。頭が重い。


 私は、震える唇で言葉を、紡ぐ。



「母は……母は……は、くちゅッ!」



 くしゃみをした私に、クーはまたしても口に手を当てて慌て始めた。



「ああ大変です! 濡れたままだったのですものね、風邪をひいたら大変です! えっと替えの服……身体も拭かないと……ええと、布、布……」



 そのままおろおろしながら辺りを物色し始めて。


 クーは目の前にあった椅子に足を引っかけて転倒した。


 私ははっとして急ぎ彼女に駆け寄り、助け起こす。



「クーは、目が見えない……の?」



 私に助け起こされながら、クーは困ったように笑った。



「はい、実はそうなんです。生まれた時からずっと……病気、らしいです」


「そう、なんですね」



 ゆっくり立ち上がった彼女は、今度こそ笑いながら籠より布を取り出して私に差し出してくる。


 私はそれを受け取って、髪を拭った。








 ♢




「教皇様、お疲れ様です」



 説法を終えた教皇の下に騎士の一人が跪く。


 教皇は息をふうとついたのち、穏やかな表情で騎士を見やった。



「魔族軍に動きは?」



「ありません。まあ、仮に攻めてきたところで現在のバルタの兵力ならば問題ないかと」


「油断はいけませんよ、騎士デオニオ。そうやってここまで戦線を押し上げられてしまったのです。アウタナも、フリクテラも、ルイカーナもそうやって陥落したのでしょう」


「は……」




 教皇の諭すような言葉に男……デオニオは深く頭を下げた。


 デオニオはゆっくり頭を上げ、改めて言葉を紡ぐ。



「しかし教皇様。魔族軍と睨みあいの最中にあって悪魔の相の受け入れを行えば民衆の不満を煽るだけでは?」


「聖女様が申されたのですからそういうものでもありませんよ。あの娘の支持力は隠匿の身に在って健在。ユナイルの現身という肩書はそれだけで絶大なのです」



 教皇は少し困ったような顔でそう言った。そして聖堂の出口たる扉を見やり、先ほどまで自分の話を熱心に聞いていた悪魔の相もつ子らを思い浮かべる。



「私の話を熱心に聞いてくれた彼らの顔を見たでしょう。あれらは救いを求める哀れな子羊なのです」


「左様でございますか」


「不服そうですね、デオニオ。安心しなさい。彼らには使い道という物があるのですよ。きっと私たちの力となるでしょう」


「では……」



 デオニオが笑みを浮かべて教皇を見れば、教皇もまたうんうんと頷いて笑顔を見せた。


 だがすぐに笑みを消し、今度はデオニオから視線を動かした。



「居なくなった悪魔の相を持つ者はまだ見つからないのですか?」



 教皇は目の前に跪く騎士たちにそう言う。


 騎士たちは傅きながら報告をする。



「騎士の一人が、その……用を足しに行くといった彼女の引率をしたのですが、その後見失ったようで……」


「ふうむ。急ぎ見つけ捕えなさい。彼女は……私の教えを聞いてはいません。未だおぞましい悪魔のまま。見つけ次第……追放しましょう」






 ♢








「じゃあ……クーはずっとここに?」




 どれだけ時間が経っただろうか。


 体を拭き、着替えを借りた私はテーブルについていた。流石に濡れた体ではまずいと考えて一度冷静になりあやかることにしたわけだが、そんな流れで情報収集を兼ねてクーといくらか時間をかけて話をしていた。


 と言っても概ね勝手に彼女が話をしてくれるものだから、大半は相槌ではあったのだが。私もミオのように無垢な幼子を演じながら彼女が語る身の上話を聞いているうちに気になる話をし始めたものだから、出されたフルーツジュースめいた飲み物を飲み込んだのちに一息ついて、そう聞いた。



「はい! 普段はこの地下聖堂の一室にずっとおります」



 にこやかに笑って答えた彼女の顔を一目見た後、私は改めて周囲を見渡した。


 生活するうえでは不便はないであろう豪奢な一室。だがここは地下であり、あの教皇庁の中庭に穿たれた縦穴の底にある。


 クーはここを地下聖堂と言っていたから、教皇庁の有する施設の一角であることには違いないが、部屋から外に出る扉は一つで窓さえない部屋の雰囲気は、薄暗くてまるで牢獄だった。



 話に聞くに彼女は基本ずっとここに一人でいるのだという。だからか、私のような来客に、たとえ素性が知れずとも会話できる喜びがあるのだとか。


 用事がない限り外に出ることは禁じられているという事で、私はアウタナで幽閉されていたころの自分を思い出した。そして同時に、言いようのない憤りを感じたのだ。



「ね、ココット! 私とお友達になりましょう!」


「けほっ……え?」


「私、友達あんまりいないんです! あ、いるにはいますよ? でもあなたのような友達は初めて! きっといい友達になれると思うんです!」



 クーは突然そんなことを言い出した。


 この底抜けの明るさ、そして雰囲気。ジジのようだ。そんな雰囲気がレイメに似た女性から醸されている。困惑するには十分すぎた。


 その困惑は私に今までの事を振り返らせる。


 友達。思えば私に友達はいるのだろうか?


 友達になろうと言って来たシアは殺した。


 ミオは友達というかもっと大切なもの……半身というか……そう、妹みたいなものだ。


 ジジは……正直明るすぎて苦手だが同じ境遇の身としては思うところはある。悪いやつでもなさそうだ。


 ……いないな、友達。


 私はふうと息を吐いて、はっとして頭をふるふると振って余計な思考を振り払う。




「どうです? なりましょ! ね! 友達!」


「……」




 ……ダメだ。こんなことをしている場合じゃない。


 相手の素性も知れぬまま親睦を深めるのもよろしくない。私は魔将軍。この街の人間はすべからく私の敵だ。


 ああ、くそっ。頭が痛いな。ここにいるとどうも調子が悪い。早くユナイル教の、バルタの弱点を見つけ駐屯地へ帰還。エルクーロ様の到着までに準備を整えて一挙に攻め入る。油を売っている場合ではない。例えレイメに似た女が居たとしても……居たと、しても……。別人なのだから惑わされるな。


 それにミオにも会いたい。少し離れただけでこれだ。


 キエルのやつもちゃんと隠れているだろうか。ナイトリザードに襲われてなどいないよな。


 ぼうっと私はそんなことをぐるぐると蕩けたスープのようにまとまらない頭で考えて。


 私はクーの言葉に応えずに椅子から降りると、ぽかんとした顔で私を眺めるクーを尻目にドアの方へ歩いていき……。



 そして、倒れた。




「ココット!?」




 クーが駆け寄ってくる足音が聞こえる。


 床にうつ伏せになった私は、痛烈な体のだるさを感じた。倒れた時に打ったか肘が痛い。目を開ければ視界が揺れる。


 妙だな……体が、熱い。なのに寒い。



 目を開けていられない。だが瞼を閉じれば頭痛と吐き気が襲ってくる。


 二日酔いは抜けたはず、なのにな……。


 私は視界と頭がひどくぼやけ、うつらうつらと思考が白濁していく。


 そんな霞がかった思考の外から、クーの声が聞こえてきた。




「ひどい熱……」




 熱……か。


 水に落ちただけで風邪……?


 いや、無理をしすぎたのかもしれない。この体は、弱いから。此処の所は働きづめだったしな。


 身体を壊すのは……いつぶりだろうか。


 アウタナでの牢獄生活以来……だ、な。


 懐かし、い……。




 そして私はゆっくり抱かれるような感触を覚えながら、どろりとした暗闇の中に意識を落とした。




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― 新着の感想 ―
[一言] 毎回楽しく読ませていただいております。しかし読み終えてしまうと次の更新まで待ちきれなくなるので読み手が捗らないくなるのが最近の贅沢な悩みです。
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