#90 白昼夢
倒れた私は、ベッドの上で目が覚めた。
丁寧にシーツをかけてもらっており、額の上には濡れた布が置かれていた。
どのくらい倒れていたのかと思えば、どうやら半日は眠っていたらしく目が覚めると同時にクーが笑顔で話しかけてきた。
もぞりとベッドから出ようとして体のだるさと頭痛に顔をしかめれば、ゆっくりと肩に手を置かれてベッドに寝戻された。
「ゆっくりしていてください。本当はお医者様に見せるのが一番なのでしょうが……あ、でも薬ならあるので心配しないでくださいね」
「あ、うん……でも」
「また倒れてしまっては大変ですよ! 今は休んでください。お姉さんの言う事聞いてくださいね」
むう、と不満げな顔をして見せるが彼女には見えていないんだろうな。
彼女は盲目の身でありながらよく動き、私の看病をした。
不甲斐なく思ったが、どうにも耳はいいのか少しでも私がベッドから抜け出そうとすると飛んできた。それに、彼女の言ったまた倒れては元も子もないという言葉。確かにそうだ。
体調を崩したままでは作戦に支障がある。幸いバルタ潜入に充てた期間には余裕があることだし、一度しっかり体調を整えるべきと判断するに至った。
どうせベッドから抜け出してもすぐ駆けつけてくるクーに捕まり、抱っこされてベッドにポイされるだけだったし。
「ココットはちっちゃいし軽いし可愛いですね! 私でもお姫様抱っこが出来ますよ!」というセリフと共に連れ戻されたのを最後に私はベッドから出るのをやめた。
放っておいてほしい!
それから、クーに看病されながら実に三日もの間、地下の一室にて潜伏する羽目になった。
その間、沢山話しかけられた。はじめは警戒と困惑で口数の少なかった私も、献身的でよく笑う彼女がどうしてもレイメと重なって、いつの間にか気を許しかけていた。
私の方から話しかけることも多くなってくると、彼女は一層嬉しそうによく笑った。
若かりし頃のレイメと、一緒に笑いあっているような気がして……本来ならこんなことをしている筈ではないと、彼女は似ているだけの存在なのだとわかっていたのに、全て体調不良のせいにして私自身、自分を騙した。
本当に……腑抜けたものだと自嘲する。
やがて体のだるさも大分取れて熱も下がった頃合で、ベッドから起きだしてクーと過ごすようになった。
彼女を見ていて思ったのは、ずっとこの部屋から出ないこと。そして誰も会いに来ないこと。
一つしかないドアにはどうやら外から鍵がかけられているらしく、仕事があるときにしか外に出られないそうだ。予想通り、彼女は軟禁されていた。
ますますもってアウタナでの私の境遇と重なるが、一体彼女は何者なのだろう? 教皇庁の中に在ってこのように幽閉されるような人間は想像がつかない。
奴隷……だとすれば教皇庁で奴隷を飼っているなどという話が表沙汰になったとして多少の打撃はあろうか。
しかし奴隷の部屋にしては豪奢すぎるし、食料や薬などはしっかり一日一回運ばれてきていた。
ドア越しに会いに来たらしい配給と彼女は妙に親しげに会話をしていたからやはりひどい扱いを受けているという訳でもないらしい。ますます謎は深まった。
罪人という訳でもなさそうだし。ミオのように愛玩……? 彼女は……レイメに似て美しい。そのセンは有り得るが、教皇庁でそんなことがあるのか。
奴隷にせよ愛玩にせよ聖なる都に似つかわしくはない。弱みを握るとして武器となり得るのなら情報は確実にしておきたい気持ちはある。
それを彼女に直接問おうかとも考えたが、とてもではないが聞けなかった。よく話す彼女だからそのうち口を滑らせるかもしれないと考え話してくれるのを待った。
だが彼女は身の上に関しては殆ど何も語らなかった。
そして、一週間もの間彼女と過ごした。
私達は彼女の日課であるという沐浴……水浴びに興じながらその日も会話をしていた。
「でも困りましたね。ここにずっといるのはご家族に心配をかけてしまいますし」
「外に出る事はできないの?」
「基本は呼ばれるまでは出ないようにと言われていますから……」
やはり軟禁は軟禁、か。分かってはいたが、どう脱出したものかな。
私は彼女の裸体を見ないように彼女に背を向け、そして私の背丈で足がつく位置にあった岩場に腰かけて考えるが、縦穴の上を見上げても空は高いまま。思いつかないな。
ふと顔を下ろして背後に気をやる。彼女は身体を水で清めているか、水の音が響いた。
やはり、彼女は軟禁に何か思うところはあるのだろうな。語る声色は少し寂しげだった。
私は泉を泳ぐ魚に適当にえさを放りながらぼうっと考えて、これからのことに見切りを付けられずにいた。
どうしたものか。
「あっ、でも! 出る事は出来ますよ!」
「え?」
突然のクーの声に驚き振り向いて、万歳の姿勢で笑顔を見せる彼女の体が目に入り慌てて目を背ける。
「で、出られるってどういう意味ですか?」
上ずった声でそう聴いてみれば、ばしゃばしゃと水をかき分ける音がしてクーがこちらに寄ってくるのが分かった。
そして私の手を握ったので彼女を見れば。キラキラした瞳で私を見ていた。
「私、お散歩が好きなんです! 抜け道を知っているんですよ! 普段は付き添いがいるんですが……今は元気になったココットをお家に返すのが先決ですものね! うんうん!」
♢
驚いた。手の皮が剥けるかと思った。
クーの言った抜け道とは、縦穴の壁に伸びるつたを使って、縦穴を螺旋状にぐるりと囲う階段への窓に侵入するというものだったのだ。
壁をずらしたら道があるとかそういうのではなく、もっと大胆で無理やりな方法に抜け道とは、と疑いながら登ったものだ。実に縦穴のちょうど真ん中に位置した小窓まで行くのにどれだけ恐ろしかったか。下を見ればものの5、6メートルほどではあったが十分大けができる高さ。それだというのにクーは盲目の身の上でひょいひょいと登っていくのだ。目が見えないから恐怖もないのだろうか。
手馴れたものだと感心しつつ、怯えながらにそのあとに続いた。
結果として今私たちはバルタの市街を歩くに至る。
私は深くフードを被りながら、クーと共に歩いていた。
「なんでクーまでフードを?」
私は聞いた。彼女もまた私と同じようなフードマントを羽織り、深く顔を隠していたのだ。
私の問いに彼女はにっこり悪戯っぽく笑った。
「お忍びだからです! 見つかると連れ戻されちゃいます!」
それもそうか。軟禁されていた身の上、こうして抜け出してきたのだから見つかれば捕まる、か。
だが、誰にだ? 先ほどからクーは道行く人に手を振ったりしておりとても目立っている。彼女は盲目だから相手の判別はつかないのではとも考えたが、見透かされたように「大丈夫、音で分かります」と言われた。
「さあ、楽しみましょう! いいお店をいっぱい知っているんですよ!」
「え、待っ……」
楽しむ? 私を帰すために外に出たんじゃないのか?
そんな疑問を一瞬浮かべた矢先。
「ひゃ!」
「危ない!」
クーは駆け出した拍子に何かに躓いたのか転んだのだ。
私は目を丸くして急ぎクーに駆け寄って助け起こした。
クーはえへへと笑って舌を出していた。
それを見て私はため息交じりに呆れるのだ。
「もう……目が見えていないのに走ったら転んでしまうぞ……しまいますよ」
「あはは、そうですね! 転んじゃいました!」
クーはゆっくり立ち上がって衣服をぱんぱんと手で払った後、にこりと笑って私に手を伸ばした。
「あの、ココット! 手を繋いでください! 私が案内するので、手を引いてくれませんか?」
「あ、うん……はい」
承諾の意を示すや否や彼女は私の手をぎゅっと握ってまた笑った。
クーの手のぬくもりを感じながら、私は一瞬だけ……こうしてレイメと手を繋いだ記憶を想起した。
ぎゅっと下唇を噛んで……すぐにクーに笑顔を作った。
クーは「あっちです!」などと楽し気に言うが道は分かるのだろうか。
そう考えればまた、見透かされたように「私記憶力とってもいいので!」と言うのだった。
クーの先導をするように手を引いて人ごみの中を歩き、私はふっと笑う。
まるで盲導犬だなこれは、と。
それからクーの言うままに私たちは買い物をしたり食事をしたり。
本当にただの散歩、遊びめいた時間を過ごしていた。
適地だというのに何をしているのだと思う自分もいたが、この時間が楽しいと感じている自分もいた。
街の人たちは温かく優しい様子で、行きつけの店などではクーと仲良くお喋りをしていた。散歩もそこそこ頻繁にしていたのだろう。クーの事を知っている人はとても多かった。
バルタ新市街の人々は、とても平和そうに暮らしていた。
ルイカーナのようなバカ騒ぎではなく、ただただ穏やかにというような風だった。
だがルイカーナと同じだ。
どれだけの恨みを生み出しながら安穏と生きていると思っているのだろうな、こいつらは。我らが近くに迫っているというのに、本当に人間は己の危機に鈍感で。苛立つものだ。
だがその苛々はルイカーナで感じた時に比べると小さかった。
腑抜けきったのか、魔将軍ココット……と。自分で自分を嘲笑する。
ニコニコと笑いながら私に手を引かれるクーを一瞬振り返りながら、私はそんな事を仄かに思っていた。
彼女といるせいなのか……。私も少し、楽しんでしまっていたのだ。
彼女との時間は、私がレイメと過ごしたかった夢のような時間と……少しだけ、重なってしまっていたから。
気づけば日は落ち、辺りは暗くなりランタンの明かりが街を照らし始めた。
膨れたお腹をさすりながら二人で手を繋いで歩く。普通の街並みを、まるで普通の人間のように、食べ、遊び、笑う。
私は、自分の頬が緩んでいることに気づき、複雑な思いを抱きながらも……この瞬間だけは魔将軍として、悪魔の相としての自分を忘れてしまっていたのかもしれない。
この程度の決意だったのかと笑わないでくれ。これは私がレイメと夢見た幸せの白昼夢。
そう考える自分が確かに存在した。
そんな夜のバルタの喧騒冷めやらぬ街並みを歩き、ふとクーが話を切り出す。
「ねえココット! ちょっと連れていきたい場所があるのですがいいですか?」
「ん? ああ、うん。どこでもいいよ。案内して」
「はい! えっへへ。素敵な場所ですよ! きっと気に入ると思いますっ!」
そうして人ごみをかき分けしばらく歩き、賑やかな喧騒が遠くに聞こえる街のはずれにやってくる。
見えたのは街の中に走る水路を跨ぐ石造りの橋。その橋の両端に物見櫓めいた高い建物があり、クーはその一つを私に指示し、中へと入る。
階段を上って櫓の上に出れば、街を一望出来て展望台のようであった。
「ここは?」
「私のお気に入りの場所! 秘密の場所なんです! 街がよく見えるらしいですよ!」
クーの声に私はバルタ新市街の街並みを眺めた。
穏やかで、派手なこともなく。それでも確かな生の活気を以て回る街並みだった。
「綺麗な街ですよね。見えなくても、暖かさで分かります」
「そうなのか……ですか?」
「ええ! 風が運んできてくれます。匂いも、音も。楽しげな子供たちの声、食卓の食事の匂い……光がなくとも、彼らの生活の色は音が伝えてくれる」
クーはそう言ってほほ笑んだ。
確かにきれいな街だ。そして、私がこれから、攻める街。
クーはそれを知らない。隣にいる私が、魔将軍であることなど。
人の住む町が裕福で潤っていて、一見平和であればあるほど……私は恨みを募らせた。
「風が気持ちいい」
クーが両手を広げて風を感じる。
その姿に私は、改めて彼女を想った。
この時間は抜け出して得た時間。ここで動かなければずっとこのまま。そして疲弊し、死ぬ。かつての私たちのように。
だから……。
「クー……ここじゃない場所へ、行かないか?」
「この場所、気に入りませんでしたか?」
「そうじゃないんだ……です。あんな牢屋みたいな場所じゃなくて、もっと自由な……街を出ましょう! 私が、私が何とかするから……!」
魔族たちはきっと受け入れる。ミオも受け入れてくれた。ただの人間であるクーもきっと。
エルクーロ様も説得して見せる。私が焼く街、私が殺す人々に、彼女は加えたくないのだ。
彼女を見上げつないだ手をぎゅっと握ってそういっても……。彼女は困ったように笑い、首を横に振った。
「ごめんなさいココット。それはできないんです」
「どうして!? またあんなところにずっと閉じ込められるならいっそ」
「私を必要とする人がいるから」
「そんなやつはクーをあんな場所に閉じ込めたりしない!」
「それは……」
必要ってなんだ! やっぱり愛玩か何かなんじゃないのか!?
クーが盛った豚に好き勝手されている様を想像して吐き気がしてくる。
人間は薄汚い。他人を利用して蹴落として、そうすることでしか生きられない連中だ。
だから二度もレイメを失うような経験を私はしたくない。クーにレイメの姿を見た時から、ずっともやもやしていた。だが今ははっきり言える。クーを連れ出したいのだ。ミオと同じように、鳥籠から……!
今の私ならそれができる! 魔将軍という地位を手に入れて、戦争の推移もまだこちらに分がある。
バルタを攻略し、聖女を殺して教皇も殺す。そうすればやっと私の平穏な生活が待っている。
私達を苦しめた連中を全て地獄に落とし、晴れて清々しい心で人生をやり直せる。
そこにミオと一緒にクーもいればどんなに素晴らしい事だろう!
だからお願いだクー。イエスと言ってくれ……。
それでも。彼女はイエスとは言ってくれなかった。
「……もう行きましょうか、ココット! どこに住んでいるのか教えてください。送りますから……」
「クー……! 私は……」
「いいんです! 今日はとっても楽しかったから、いいんです。親御さんが……」
「親なんかもう、居ない。クー……! 私にはいないんですよ!」
だから母のようになってほしくないと、そう喉まで出かかって……私は口をぎゅっと噤んだ。
クーは……申し訳なさそうな顔をして、静かに言った。
「っ……そう、だったんですね。ごめんなさいココット……私、無神経で……」
「いい、んだ。私も今日は……楽し、かった……から」
結局そのあとは二人とも無言になり、どこへ向かうでもなくただ夜の街を歩いた。
ふらりふらりと向かう足は自然と教皇庁へ向いていたが、クーがあの場所に戻ると思うとやるせなくて。
早くこの手を離して私は自分の仕事をこなさなくてはならないのに、離せなかった。
……だが。
「いたぞ!」
「っ」
突然の声と共にガシャガシャと鎧のこすれる音が私たちに近づいてきた。
クーははっとして音のした方を振り向き、すぐに私の手を引いて離れようとするが、その先からも鎧の音がして、クーも下唇を噛んで足を止めた。
現われた騎士たちに、私たちはすぐに囲まれた。
私はクーの後ろに隠れて様子を伺っていたが、歩み出た一人の騎士が言った言葉で驚くことになった。
「聖女様、いけません! こんな場所をお歩きになっては!」
騎士はそう、クーに向けていったのだ。
確かにクーの事を聖女と、言った筈だった。
「この鎧の音……神殿騎士の方々ですね」
「困りますな聖女クーシャルナ様。勝手に出歩かれては!」
「今の私は聖女としてではなく一人の人間としてここにいるだけです!」
「子供のような言い訳を聞くつもりはありませんよ。教皇様がお困りです。さあお戻りを!」
強引にクーの手を取ろうとした騎士を、クーは振り払った。
そして光を映さない筈の双眸でキッと騎士を見据えたのだ。
「無礼者! 聖歌隊を呼びなさい! デオニオとレーヴェに迎えに来させます! 貴方たちではなく!」
クーの凛とした声に、神殿騎士たちは困り果てた様子を見せた。
と、騎士の一人がようやくクーの後ろに隠れている小さな私に意識を向けた。
「お前はなんだ! フードを取れ!」
私は突然掴みかかってきた騎士によって服を引っ張られ、勢いでフードが捲れた事で白い髪を晒した。
騎士が仰天の表情で私を見たのが分かった。
「貴様……!」
すぐに侮蔑と怒りの表情になった騎士は強引に私をクーから引きはがしにかかった。
その力は強く、私の腕や肩に食い込む腕の力に私は顔をしかめた。
「悪魔の相! 聖女様に触れるな! 離れろ!」
「いッ……痛っ」
苦悶の声を漏らした私に、クーが血相を変える。
「ココット!? お前たち、何をしているのです!? ココットに乱暴しないでください!」
「聖女様、こいつは悪魔です! 白い髪に赤い瞳! 忌子ですよ!」
その騎士のセリフに、クーは驚いた表情をした。
私を見下ろすように顔を向けながら。
「え……? ココットが、悪魔の相を……?」
そしてその表情のまま……繋いでいた手の力が緩み、ゆっくりと……離れた。
私は胸にずきりとした痛みが走るのが分かった。彼女とつないでいた手は、彼女から離された。
つまりは……そう言う事、だったのだろう。
「そうか、そうなんだな。お前もやっぱり他の連中と同じなんだな……!」
私はなぜだろう。無性に目頭が熱くなってきた。胸が苦しくなりながらも、騎士に引きはがされつつ潤んだ赤い瞳でクーを睨んだ。
クーは一瞬硬直した後すぐさまはっとした様子で、再び私に手を伸ばしてきた。
「待ってココット! 違うんです!」
「うるさい!」
何か弁明でもしようとしたのか必死に私に手を伸ばすクーに叫ぶ。
結局クーも薄汚い人間だったんだ。目が見えていないから私が悪魔の相だと気づかなかっただけで……!
挙句聖女だったなんて!
私の……敵じゃないか!
騎士に引っ張られながら私はうつむいていた。頬から流れた涙が、地面に染みを作っているのが見えた。
そんな私に、同じように騎士に連れられて行くクーの声が届く。
「ココット! 明日あの場所で待っていてください! 必ず行きますから! 夜、誰も寝静まった頃に! あの場所で……!」
私は答えずに、ただただ騎士に引きずられた。
それっきり、私たちは騎士に引きはがされて夜の街で離れた。




