#91 思案の夜
「おーそーいーでーすーわー」
ココット軍駐屯地。
座りながら膝に乗せた腕を顎に添えてそんなことを言うツォーネ。
周囲でせっせと動く魔族達を眺めながら本日何度目かわからない溜息まじりのぼやきをしていた。
「おいクソヴァンパイア、そわそわすんのをやめねえか。見ててイライラするぜ」
見かねたゾフがやれやれとした様子で言えば、ツォーネはムカっとしてゾフを睨んだ。
「苛々しているのはわたくしですわ! ココット様からの連絡全然ないんですもの!」
これに関してはゾフも同意だったので、別段口論をするでもなくゾフは偵察隊の指揮に戻った。
それをじとりと見送ったツォーネの下へ、今度はクォートラがやって来て座った。
「もどかしい気持ちはわからんでもない。だが姫が潜入に充てた期間まではもうすぐだ。じきに連絡は入るだろう。ナイトリザード達も潜入している。信じて待つしかあるまい」
「やっぱりわたくしも一緒に行くべきだったのですわ! もう10日ですもの! 気が狂いますわ……」
ツォーネはココットが出立前に残した瓶入りの血を小指につけてぺろぺろと舐めながらぼやく。
その隣ではミオが足をぶらぶらさせて座っていた。
ミオの世話係を任されたツォーネはここずっと四六時中ミオの世話に奔走していた。少し目を離すとどこかへ行ってしまうミオだったから、追いかけるのもココットの足では大変だっただろう。
ツォーネの俊足であれば捕まえるのは容易なのだが、ミオもそれを学習して鬼ごっこからかくれんぼにシフトしたのか、ある時はツォーネの目を盗んで食糧庫の中に隠れているのを半日がかりで探したこともあった。
あの時は本当にツォーネは焦った。ミオが居なくなったなどとココットの耳に入れば失望されて嫌われてしまうだろうとして、魔剣士達も総動員で探させた。
やっとの思いで野菜に埋もれて眠っているミオを見つけた時にはうっかりその首筋にかみつきそうにもなったが、ぐっと堪えた。
ツォーネは正直このミオに手を焼いていたので、厄介ものくらいにしか思っていなかったのだが、そんな彼女の想いとは裏腹にミオはツォーネを気に入ったらしく、最近はべったりとくっつくようになっていた。
ツォーネにはそれがまた、ため息の種なのだった。
「この人間のお世話の為に自分の事もできませんわ……目を離すとすぐ消えてしまうんですもの、爪のお手入れだってできやしない」
「ツォーネの爪きれい!」
「最近はお手入れできてないから無残な物ですってーの! 用足しくらい一人で行かないとココット様にばかにされますわよ?」
えー、とぶすくれるミオとやれやれと肩をすくめるツォーネ。
そんな様を眺めながらクォートラはツォーネに言う。
「焦るなツォーネ。気持ちはわかるが、姫を信じろ。姫のおかげでいつだって俺たちは勝ってきた。ここまで来れた」
「分かっておりますわ。ココット様の事は信じていますもの。自分でもびっくりするくらい……あの方の事、考えてますわ」
「違いない」
クォートラはそう笑った。
「初めて俺があの方とお会いした時、俺はあの方を食い殺そうと思ったよ」
「あら、随分なことですこと」
「仕方ないだろう。いきなり目の前に現れた人間の子供が、俺たちの上に立つと言い始めたんだぞ? ……それが今はどうだ。将軍としての畏敬の念だけではない。まるで本当の娘のように感じてしまっている俺がいる」
「不思議な方ですわよ。決してやさしい訳でもないのにどうにも惹かれてしまうのですわ。でもうっすらと、理由は分かってきたんですの。かつてのわたくしが聞いたら、抱腹絶倒モノですけれども」
「ほう? 是非聞かせてくれ」
ツォーネは仕方なくと言った様子で笑って、足を組みなおした。
「あの方、空っぽなんですわ。あまりにも真っ暗で、なにも無い。いつしかそれを、なんとなく埋めて差し上げたくなったのですわ」
「……はっ、愛奴にしてもらうんじゃあなかったのか?」
「してもらいますわ! っていうかもう愛奴ですの! まあ……最初はただの性欲、征服欲、食欲……欲欲欲……それだけをあの方に見て、あの方に求めましたわ。でも歪み切ったあの方に心酔して、もっとよくよく見てみれば、あの方が空っぽだと気づきましたのよ。檻から出していただきましたし? 極上の血も、付き従う喜びは頂いておりますもの。ちょっとくらいお返ししてもいいじゃありません? ああ……笑ってもいいですわよ」
「笑わんよ。まあ、あのツォーネが随分丸くなったものだとは思うがな。他人の事を考えるなどと」
「自分でも思いますわ。嫌われ者の元魔将軍ツォーネがなんたるザマと。これが屈したって事かもですわね。……あと、気づいてます? 貴方笑ってますけれども」
クォートラがおっとすまないと言って口を手で覆い隠した。
「いやすまん。そういう笑いではない。ただ、奇遇だと思ってな」
「あら、貴方も?」
「まあな。俺があの方の心の隙間を埋めてやれれば、それは俺が過去本当にすべきだったことのやり直しができると思える。ズルいと思うか?」
「いいえ? 貴方の事なんて興味ないですし」
「ならいい」
フッとどちらでもなく笑いを零す。二人の魔族はただ、あの魔将軍ココットと言う存在をそれぞれ違う理由ではじめは見初めていた。方や己の復讐の手段を与えてくれるものとして。方やその残虐性や精神性の外見との乖離に心奪われて。だが今は両者とも、似て非なる理由ではあるが、この先も付き従いたいと感じていた。
魔族の自分たちが人間にこうまで心を揉むなどと、それぞれが自分を笑いつつもだ。
「ツォーネ、ねむくなってきちゃった」
目をしょぼしょぼと擦りながらミオがツォーネの袖を引いた。
「ええ? またですの!? さっきまでお昼寝してたじゃありませんの!」
「おやつたべたらねむくなっちゃった」
「あーもー! 貴女が食べたいって言ったからあげたんですわよ! ほら、いらっしゃいな! 眠るまで傍にいてあげますから! 子守歌はナシですわよ!」
「えー、やだぁ……おうた聞きたい……」
「恥ずかしいからダメですわ! もう、お姉ちゃん並みにワガママですわね貴女は! いい子にしてないとココット様に言いつけてやりますわよ! 逆にわたくしが怒られそうですけど!」
ツォーネはミオの手を引いて、寝床のテントへと向かって行った。
彼女を良く知る魔族が見たら全員が目を丸くするだろうなと想いながらクォートラはそれを見送って、空を見上げた。
あのミオという娘を命令ながらにあやし世話をするツォーネを見ても思う。本当に我々は変わった。復讐の道を歩んできたのだ。憎悪に塗れた戦いの道の筈だった。
今でも変わらないところはあるが、あのココットという娘の存在はこの道を行くにはあまりにも弱弱しかった。だのにいつも我々の先を行く。あの小さな背中を見ていて、自分たちの中で何かが変わったのは確かだった。
過去ゾフに言われた、ココットが進んだ先で彼女の手のひらを染める血が自分たちのものではない確証がないと。それほどまでに歪んで見えたあの魔将軍は、今や我々にとって必要不可欠な存在にまでなった。
それは自分たちを導き成果を上げる実績も当然。そして、先ほどツォーネと話した内容通り、各々がいつの間にかココットに何かを見て、魅入られた。
クォートラは宴会の日に自分に寄りかかって赤らんだ顔で自分を見上げた小さなココットの顔を思い出して眉間に手を当てた。
本当に大切なものとして、感じてしまっているのだ。
これもすべて我らの人心掌握のための演技であったのならばこれほど恐ろしい事はない。仮にそうだと理解したとしても、この思いを変えられそうにはないのだから。
あの小さな魔の姫は恐ろしい。恐ろしい程に大切で、哀れだ。
だからこの戦いはもはやクォートラにとって己の私怨を果たすものではない。ココットの復讐の達成による彼女の幸せへの一歩の為、負けられない。
だが、疑問が一つ。それはクォートラだけではない。ゾフも、ツォーネも感じていたことだ。
この戦争、何か妙な気がする。そもそもの発端は謎。推移はお互いにとってあまりにも都合よく、疲弊し、進軍していた。
だがその謎は思えば、自分が娘を失ったあの戦いから何かがおかしかったのかもしれない。
クォートラは空を見上げながら考えて、バルタに居る主を想う。
「姫は今、なにをしておられるのか……」
♢
「ココットは何をしているんでしょうか……」
そんな呟きは誰もいない部屋の一室に消えました。
私キエルは、魔剣士の一人と一緒に新市街のはずれにある、大門に近い宿に潜伏していました。
ルイカーナで奪ったとみられる金を使って宿を借りて、ずっと潜伏しています。脱出用の馬車は既に魔剣士が手に入れていて、脱出はココットが合流次第という形にはなっていますが、彼女からの連絡はありません。場所はもともとココットの指定でしたし目印もありますから、迷っているなんてことはないと思いますけども……。
それでも心配でした。
ここに来るまでの出来事を想えば、街中で彼女がひどい扱いを受けていても不思議ではないのです。
魔剣士さんにはここを動かないようにと言われておりましたが、なんとなく落ち着かなくて。
本来人間の街であるバルタは私にとっては味方の地の筈。だけどどうもそわそわしてしまって居心地が悪かったのです。
それもすべて、ココットを心配しているからだと私はもう自覚して、受け入れていました。
このバルタを犠牲にすることで、ココットの復讐は終わりを迎え、彼女が人を殺す悪魔である必要もなくなる。
ミオさんと一緒に普通の女の子として暮らす。
そうなってくれればいいと、私は思っているのです。
そこでふと、私は父セグンの事が頭をよぎりました。
父は私のためにゼンビアーノ様に仕えてくださっていた。そんな父を裏切って、父の為と思って私はゼンビアーノに体を差し出していた。
父は私の身が純潔と信じたまま戦って、死んだ。ツォーネさんに……ココットの軍に殺された。
父の仇をこうまで心配するなど、親不孝かもしれません。
だけど、彼女のそばに立って、彼女の見てきたもの、今見ているもの……そして、受けてきた行いをこの目で見てしまった。
あの悪意の中にあんな子がずっと一人で居たのです。
それで愛する母君を奪われた、と。
きっと彼女にとっての母君は、闇の中に在った一筋の光る糸。その糸を握りしめていたから、彼女はまだ人間だったのでしょう。
でもその糸は、アウタナの人たちが断ち切ってしまった。
彼女という悪魔を生んだのはユナイル教……いえ、まさしく人間の身勝手な行いなのでしょう。
魔族との戦時下に在って、人間が自分たちを安心させるために生み出した生贄。
魔族が正しいとは言いません。彼らは唐突にファルトマーレに宣戦布告をしてきたと言います。それまでは少ないながらも交易があった人族と魔族。なにがこうまで戦争を大きくしてしまったのか。
魔族の侵攻で親兄弟を失った人は計り知れない。その鬱憤を、ココット達をつるし上げて少しでも晴らそうとした人間。
恨みつらみを同族へ向けて逃げた弱い我々への罰が、魔将軍ココットであるなら……私はきっと傍にいる義務がある。
だから早く帰ってきてください、ココット。
「キエルはいるか」
「ココット! ……様」
もう日が完全に落ちた夜の最中。
ドアを乱暴にあけて、ココットが私の部屋へ入ってきました。10日ぶりの彼女の声に私は椅子から立ち上がってその姿を見ました。
その姿は痛ましく、頬は腫れていました。
慌てて駆けよればすっと静止の手が伸びてきました。
「別に大したことはない。情報は大分手に入った。街のつくりも兵力も概ね把握した」
「無理をしたんじゃ……怪我をしています」
「騎士どもの乱暴なエスコートだ。あいつら、力任せに引っ張ったとおもえば門の前で捨ててくれた。なんとか逃げ出してきたが、奴らは私をバルタから放ることに決めたらしいな」
「兎に角、怪我の手当てをします。ここに座ってください」
ココットは酷く怒った顔をしていましたが、私の言う通りに椅子にちょんと座ってくれたので、私は備え付けの医療箱からガーゼと薬液を取り出しました。
一体何があったのでしょうか。教皇様に呼ばれていったはずなのに、こんなに音信不通で、帰ってきたときには怪我をしている。
バルタは悪魔の相を受け入れている筈ではなかったのでしょうか。
それに彼女を排斥することに決めたという事は何かしでかした、と考えるべきなのでしょうか。
しかし何があったのか、と私から切り出すことはできませんでした。
ココットは情報を得たという話と裏腹に酷く遠い目をして、なにか思い悩んでいる様子だったのです。
そうしてしばらくの沈黙が宿屋を包んで。
「馬車の支度はできているな」
ココットがそう切り出しました。私は魔剣士さん達が既に待機していることを伝えました。それから、今朝がた部屋の窓から投げ込まれた手紙も彼女に手渡しました。
手紙を読みながらココットは、ナイトリザード達の首尾も上々と呟きました。私達と別れたナイトリザードは独自の行動を行っている。それが上々という事は、戦いが近いのでしょう。
そして。
「明日の夜バルタを出る」
ココットはそう言いました。ではすぐ準備をと言いかけて、ココットがまた何か迷っている様子で考え事をしているのに気づきました。
彼女は何か難しく考えているときに爪を噛む癖があります。今回も部屋の隅を睨みながら爪を噛んでいたので気づきました。
「何か懸念でも?」
「……出立前に、私は少し用事を済ませてくる」
「用事?」
聞き直しても、彼女は詳細については語ってくれませんでした。
護衛は連れていくのかと問えば、いらないと。先に脱出の準備をしていろとの事でした。
そしてココットはフードコートを脱いで私に投げつけると、下着姿でベッドに突っ伏し、シーツにくるまりました。
私はガーゼの類を箱にしまい込みながら、ふうと一息ついて。
「キエル」
「はい?」
「私にやさしくするな」
そう、シーツの中からココットは言いました。
やさしくするな。
本来私の役目は彼女を憎み続ける事。身勝手な人間としての私を見ることで、彼女は憎悪を忘れずにいられると。
でも私は彼女を憎めなくなっている。父の仇である彼女を。それを見透かしたのか、他の意図があったのか。
その言葉に私は何も答えられずにいましたが、やがてシーツの中から寝息が聞こえてきて。
ゆっくりとベッドに近づいてシーツをまくってみれば、ココットはネックレスを大事に握りしめながらすやすやと眠っていて。
こんなに早い眠りとは、よっぽどつかれたのではと想像がつきました。
そして少しだけ寝顔を眺めて。
いつか魔王城で彼女を殺すために寝室に忍び込んだ時を思い出して。
そんな私と二人きりで、無防備に眠る彼女。私を脅威と認識していないのか、あるいは。
「自意識過剰……ですかね」
浮かんだもう一つの考えに私は自嘲のセリフを零しました。
そしてゆっくりとシーツを綺麗にかけなおして、ベッドわきの椅子に腰かけると……私もゆっくりと眠りに落ちたのです。




