#88 教皇庁探訪
朝日が昇りはじめ、白い光が空を覆った頃合。
白く静謐なる大聖堂。
ドーム状の天井にはステンドグラスめいた色彩の意匠が施されていて、また聖堂には数多くの長椅子が置かれていた。
そしてその長椅子には、一様にして白い装束姿の者達が手を組んで首を垂れていた。
彼らが首を垂れるは聖堂に飾られた巨大な絵画。
そして絵画の前に置かれた椅子に座り、穏やかそうな人相を持つ歳を食った男性。
男性の装束も白いものだが、象られた意匠は豪奢にして絢爛。背の高い帽子をかぶり、金の枠を持つ眼鏡をかけ、片手には杖を持ちながら聖堂に集った面々を眺めていた。
「敬虔なる信徒諸君。顔を御上げなさい」
男性の穏やかな声が聖堂に響いた。
その声に従い、信徒たちは顔を上げた。
男性はうんうんと頷きながら言葉を紡いだ。
「よろしい。今日は週に一度の礼拝の日。皆の信仰がより良い未来を育みます。この世に生を受け享受するすべては女神ユナイルの思し召し。祈りなさい。さすれば加護が与えられましょう」
男性……教皇は優しい声色でそういった後、胸に手を当てて目を閉じる。
合わせて信徒たちも再び深く頭を下げて、女神ユナイルを描いた絵画に向けて祈りを捧げた。
「教皇様」
しばらくの祈りの時間の後、信徒たちが解散した頃合で教皇の下に一人の男がやってきた。
「今回の馬車が戻ったそうです」
「おぉ、そうですか。今回も民草をバルタに迎え入れる事が出来て何よりです。数は?」
「馬車15台と。内1台が例の……」
男の報告に教皇は残念そうな顔をする。
「そうですか……人数は」
「13名です。昨夜旧市街で浮浪達と悶着があったと報告も受けています。その後夜のうちにバルタに入り、仮設宿にて休ませたと」
「13……そんなにも多くの悪魔が神聖都市に入り込んでしまったのですね……ああ、恐ろしい、嘆かわしい……今代の聖女様には困ったものです」
教皇は大仰なそぶりで額に手を当て深いため息をついた。
男はまったくですな、と相槌をうった。
13名、それは決して少ない数字ではなかった。これまでは精々難民の中に2,3名混じっていた程度だったのだから。
「聖女様は今どこにおられるのです?」
「は、聖女様は只今の時間ですとおそらく日課の沐浴をされているかと」
「ふむ、わかりました。下がってよいですよ」
男は教皇に礼をして背を向ける。
その去り際に教皇は男に語る。
「悪魔達を呼びなさい。今回も、私がかの者達に教えを説く必要があります」
「御意のままに」
再度返事をし、男は聖堂を去った。
一人聖堂に残った教皇は立ち上がると女神ユナイルの絵画を見上げ、一人ごちる。
「神聖都市には一点の穢れもあってはならない。しかし、貴女様の現身がそれを容するというなれば……我々も相応の行いをせねばなりませんね。かの悪魔達に救いあれ。すべては女神の御心のままに」
♢
まったく。ひどい扱いを受けたものだ。
与えられた寝床は石畳の上にシーツを雑多に敷いただけのもの。背中が痛くてたまらない。
目覚めた私はテントの戸を押し開き外へ出てうんと伸びをした。
昨夜バルタ入りを果たした我々は、すぐさま行動に移っていた。
ナイトリザード達は闇夜に紛れ街中へ潜伏、御者に扮した魔剣士はキエルを伴って隠れて待機している。
トロイの木馬は既に奴らの体内に侵入した。第一段階は成功だ。
そして私は……。
「おはよ、ココット!」
呼ばれて振り返れば頬を腫らしたジジが笑顔でいた。
雑にガーゼが貼られた顔は痛々しく見えた。昨夜殴られたものだな。
「……ジジ。おはよう」
私は軽く挨拶をしてすぐにそっぽを向いた。今はこれからの事を考えたい。
だが、ジジは私の隣にやって来てその手を取った。
「……何だ」
私は苛立たし気にジジを見上げる。
「これから教皇様の所に行くのにそんな難しい顔してちゃ失礼だよ! ほら、笑おー!」
自分の口を両手の人差し指でにいいと広げて笑って見せるジジ。
笑う事などできるか。これから会いに行く教皇とやらは私の最大の敵だ。むしろなんでそんなに嬉しそうにしていられるんだこいつは。
こいつが言った恨むことをしないという言葉。それに、聖女の救いを本気で信じているのか。
「ばかばかしい」
「何が?」
「なにもかもだ! 私達をずっと蔑んできた連中だぞ! 裏があるに決まっている! 掌で踊らされて……信じるのか連中を!」
急な大声を上げた私にジジは目を丸くした。
騒ぎを聞きつけてテントから続々と悪魔の相を持つ者たちが起きだしてきた。
それを見て私はばつが悪くなり押し黙る。
「ココットってなんだか大人びてるね。ちっちゃいのに」
「……放っておいてくれ。発育が悪いのは自覚してる」
これから大きくなるよ、などとジジが気を使った言葉を言った気がしたが、私は無視をした。
どうにもこいつは明るすぎて調子が狂うのだ。潜入の身の上だがついいつもの調子で突っぱねてしまう。
……だが、これより先は素のままでいるのは違和感があるか。
「おいお前たち! 集合!」
突然の声に振り向けばぞろぞろと騎士たちが私達のテントに向かっていた。
あの鎧、おそらく神殿騎士だろうな。教皇直々のお出迎えという訳だ。
我々は昨夜のうちに、今日の明朝から教皇にお目通りをするという話を聞いていた。
わざわざお会いになってくださるとはまったくもって頭が上がらないな。クソったれめ。舐め腐ってくれる。
「これより教皇様の元へ向かう。いいか、くれぐれも粗相をするなよ。貴様たち悪魔に贖罪の機会が与えられたのだ」
その言葉に他の悪魔の相を持った者たちはさも有難がるように手を組んだ。
口々にユナイルの名を紡ぎ祈りの言葉を吐いている。
贖罪だと……馬鹿げたことを。我々になんの罪があるというんだ。勝手に罪人に仕立て上げて悔いる機会をやるだと? 何様だというんだ。
「おい……じゃない、ええと、ジジ」
「なに、ココット?」
「私は忘れていない」
「……何を?」
騎士に導かれるままに列をなす悪魔の相を持つ者らに混ざりながら、首をかしげるジジに目だけを向けて小さくつぶやいた。
「恨みだ」
♢
これが……教皇庁か。
ルイカーナの白城ほどうず高くはないが、比肩する程に巨大で、荘厳な建造物。
バルタ新市街の中央に位置するユナイル教のまさしく本殿であり、また政治機関でもある。
ここから派遣される司祭は各都市だけではなく首都の宮殿や、戦場にまで出向くという。その影響力もまた、小さくはないと。
私が落としてきたアウタナにもいた気がするが覚えていない。フリクテラも、ルイカーナも、信心深い者はいなかったから当然かもしれない。
だがここは違う。バルタでは司祭こそ神に仕える徒として絶対。
そして本来ならば我ら悪魔の相を持つ者たちが絶対に敷居をまたぐことのなかった場所でもある。
故に、偵察はさせてもらう。招き入れられたのだ、後ろめたい事はあるまい。
まるで小学校の遠足めいて、小さな悪魔達を連れた神殿騎士は教皇庁の中を歩いていた。
いたるところに絵画や高そうな美術品の展示があったアレハンドロの城と違って、宗教施設然としたシンプルな景観だった。
しかし、入り組んでいるのは変わらずか。私は教皇の下に連れられながら丁寧に脳内で歩いた場所をマッピングしていた。
「もうすぐ教皇様の座す大聖堂だ。いいか、お前たちは話を聞くだけだ。決して口を開くんじゃない」
行きがけに騎士がそんなことを言い始めた。
ふん、まるで私たちの言葉で汚れるとでも? そんな含みを感じた。
本来なら教皇の前で罵詈雑言や、なんなら歌でも歌ってやりたいが、ここは私の終着ではないから惜しくも却下。
このまま教皇の下に連れられてはかなわんし、そろそろかな。
「あのう……」
「ん……?」
私はそわそわした様子を見せて騎士の一人に上目遣いですり寄った。
騎士は何事かと私を見下ろしている。私はお腹の下を両手で押さえながら、小声でささやく。
「漏れそう、なのですが……」
それを聞いた騎士は少し目を丸くした後やれやれと首を振った。
「教皇様がお会いになるというのに、どうして先に済ませなかったんだ」
「ごめんなさい……ああ、でももう我慢が……教皇様の前で見苦しいものをお見せするわけにも……」
おろおろして見せれば騎士は焦った様子で慌てて私の手を引いた。
悪魔の相の一団から離れる私を、ジジはしばらく目で追っていた。
まったくもう、という顔だ。馬鹿め、私がお漏らしなどするか。
騎士に連れられやってきたのは便所のある廊下。男女別に分かれているようで、騎士は一室を指さすと壁に背を付けて腕を組んだ。
連れ添いなど不要だったのだがまあ致し方あるまい。いや、ここは少しだけ粘ってみるか。
私は騎士が指さした女子トイレと騎士の顔を交互に見る。
私がなかなかトイレに行かないので騎士は面白くない顔でどうしたんだという。
「音が……」
「なに? なんだって?」
「音が、その……殿方に聞こえてしまうのが恥ずかしくて、その……わたしも、女の子なので……」
私はちらちらと騎士の目を見た。
「~~ッ! わかった! 私はあちらで待っているから、早く済ませてこい!」
騎士はそう言って大きな溜息をつき、廊下を歩いて角を曲がった。
その背中にありがとうございます! と告げて私も背を向ける。
「ちょろいな、大人の男は」
私はにやりと笑って廊下を足早に歩きだす。用足しなど、サラリーマンにとってはサボりの常套手段だからな。久しぶりに用いたものだ。
さて、ありがたい教皇の話なんぞよりやることがある。
キエル達には脱出の用意をさせているしナイトリザード達も仕事にかかっているだろう。
私は、奴らの心臓を探す。使える書物でもなんでもいい。見つけて頭に入れなくてはな。
だが、しかし。未遂とはいえ用足しの音を男に聞かれることなぞより女としての振る舞いをする方がよほど恥ずかしくて仕方がなかったぞ。
「音? 音だと。はっ。通用するものなのだな」
女性という物は改めて、わからないな。
♢
(ココット、戻ってこないな……どうしたんだろ)
ジジは教皇の話を聞き終えて、ココットの事を想っていた。
教皇の話は希望に満ちていた。自分たち悪魔の相を持つ者たちへ神の教えを説いてくれたと。確かにココットの言ったとおりに、今までさんざん蔑んできて急に掌返し。あまつさえまるで自分たちが正義であるかのように贖罪の機会を与えるという上から目線には思うところはある。
だがそれでも、ジジには互いに歩み寄れる気になったという一点において、今後の未来を希望に満ちたものとして夢想させる一因と考えていた。
そして教皇は。
教えを説き終えて祈りをささげる悪魔の相を持つ者たちに微笑みかけながらその姿を眺めていた。
教皇の背にある女神ユナイルの絵画に熱心に祈りを捧ぐ姿に良き姿勢だと感心しつつ、ふと……眉根を寄せた。
「うんうん……はて……? 悪魔達は13名と聞いていましたが……12名しか……?」
♢
私はうきうきしながら教皇庁内部を散策していた。念のためフードをかぶって髪を隠しているが、堂々としていれば意外と一般の司祭どもは私をスルーした。
流石に騎士が目に入った時は身を隠したが、警戒はザルらしいな。まあこの段階で内部に敵が、それも魔将軍が潜伏しているとは思うまい。後方で平和ボケした連中は、この局面にあって内側には目を向けないのだな。
案外簡単に抜け出せた事だ。教皇庁の内部……せいぜい観光させてもらうとしよう。
と考えてにんまりと笑った矢先。
「おいそこの小さいの! そこで何をしている!」
凛とした声が私の耳に届いた。
今のは私に言ったのか。いや、間違いなく私に言ったものだ。
びくりと肩を震わせて思わず振り返れば廊下の先の角に人影。
そこに居たのは聖歌隊副長の……たしかレーヴェとかいうやつだ。
「悪魔の相……? 今は教皇様の所にいるはず……なぜこんなところにいる!」
私はびくりと慌てる。はっとして頭に手をやれば急ぎ振り返った際にフードが捲れたらしい。
まずいまずい……!
なんてギャグみたいなミスなんだ! 自分の迂闊とドジを嘆く。私は慌ててフードを被り直しレーヴェをちらりと見やり、ごまかせないかと思案する。
「え、あ……えっと……その、用足しに……」
「用足し……?」
レーヴェは怪訝な顔をして私に一歩を踏み出した。
「こっちにはないぞ。迷子か?」
その言葉を聞き終わる前に私は駆け出した。
「あっ、待て! なぜ逃げる! 私はただ……」
何も聞かず私は必死に廊下を走った。
角を右へ左へ。息を切らしながら必死に走る。
背後からは甲冑の足音。そしてレーヴェの私を制止する声。追ってきている。くそったれ!
急ぎ周囲を見渡す。どこか隠れられる場所、場所……!
角を曲がりきょろきょろと周囲を見渡す。手ごろなドアを開けようとして鍵がかかっていることに気づき舌打ち。次のドア、ここにも鍵。くそっ、ザル警備のくせにこういう所は防犯意識が高い事だな!
角向こうからは未だ足音が聞こえてくる。このまま逃げてもいずれ追いつかれる。なんとかしてやり過ごさねば……!
そして私は一点に目を付け、唾を飲み込んで覚悟を決めた。
「待て! おい! ……くそっ、どこに行った……!」
レーヴェは周囲を見渡し、誰もいないことを認めた。そしてすぐに舌打ちをして駆け出していく。
「場所を教えようとしただけなのに……私はそんなに怖い顔をしていたか? よく言われるとはいえ……まあいい。……おーい! さっきの小さいの! どこだー!」
レーヴェはぼそぼそと何かつぶやいた後、再び私を探す声を上げて走った。
その声が遠ざかっていったのを確認して私は一息ついた。
行ってくれたか……。肝が冷えた。
捕まっては再び散策の機会を得ることが難しくなる恐れもあった。
仮に先ほどと同じ手口で騙せても、レーヴェは女だ。監視についてトイレの中まで付き添われかねないからな。
むしろ逆にそういった事に理解があるかもしれんが、逃げ切れたのだから考えるだけ無駄だ。
私は風に頬を撫でられながら冷や汗を拭った。
私は意を決して窓枠に身を乗り出し、2階の窓外に身を乗り出して、突起に手と足をかけて張り付くようにして外に隠れたのだ。
中庭を向いた廊下で幸いだった。ひやりとしたが捕まるよりはましな上、高所などクォートラの背で慣れていたからと自分に言い聞かせた決死の行動であった。
そしてそれは功を奏したらしい。レーヴェには見つからずに済んだ。
私は一息ついて笑う。
あまり高い場所ではく下は中庭。木が何本も生い茂っているとはいえ、なかなか危険な試みだった。
落ちればひとたまりもあるまい。間違って足でも滑らせればおしまいだったから、本当に幸いだった。
「はは、さっさと行ってくれて助かったな。こんな映画みたいな隠れ方も意外と馬鹿にはできんわけだ。さて、観光の続きと……とぁっ!?」
私は一人呟きながら外壁の段差をつたって窓に戻ろうとして……足を滑らせた。
本当に肝心なところで……ドジだ。
「な、あッ――――!?」
ふわりと体が宙に浮き、みるみるうちに開け放たれた窓が遠ざかっていく。自由落下の慣性の中、私は目の前が真っ白になりながら懸命に手を窓枠へと伸ばすが、遠ざかるばかり。
そん、な……!
悲鳴すら上げる間もなく、背中に木の葉や枝の感触……痛みとともに乾いた音がして枝が折れる。
まて、おかしい。枝葉を貫通した私が視界に見たのは木の根。落下はまだ終わらない。どういうことだ。中庭までせいぜい1階分の高さだった筈。なのにこれは、現在だけで2階分は落ちているぞ!
ダメだ、まずい! 死なずにしても大怪我は免れな――――ッ
と、私の思考は地面に激突するのとは違う感覚に中断される。
どぼんと言う音とともに私の視界が透明になる。
(うあ……なんだこれは……水!?)
がぼがぼと口の中に水が入ってくる。慌てて手足をバタバタと動かし、なんとか水面に顔を出すことに成功した。
「ぷはあ! げほっ、ごほっ……!」
慌てた呼吸で水を飲んでしまいむせる。足はつかない深さだが、周囲を見れば中庭ではないな。まるで大穴だ。天を見上げればおそらく地上であろう大穴から聖堂の内壁が見えた。
空は相当高くに在り、まるで塔の中から天を見上げたような気分。あるいは、井戸の底から見上げた感覚か。
改めて周囲を見やる。今私が浮かんでいるのはどうやら池。そして周囲には驚くことに木々が植えられていた。その木々の隙間からレンガ造りの穴壁が見えた。
弱ったな、それなりに広い。
だが幸いなのは目立った怪我がない事だ。落下したときに枝に打った背中が少し痛むくらいで。ともあれ一先ずは岸に上がらないと……。
「誰です?」
「なっ……!」
私は突然の声に驚き姿勢を崩して再び水の中に顔を沈めることとなった。
水の中で私は目を白黒させる。こんなところに人がいた……? 見つかったらまずい!
暫く私は水の中で必死に息を止めて隠れたつもりでいたが、息が苦しくなり堪らず水面に顔を出した。無理して息を止めていたせいで目が白んでいる。
身体が酸素を求め必死の呼吸をしていると視界のうちに一人の影が映った。
ダメだ。見つかった。
その影はゆっくりと私に向かって歩いてきた。完全に私の存在を察知している。
私はなんとか逃げ出す算段を企てながらゆっくりとその影を見て……。
一瞬、呼吸を忘れた。
「そんな……嘘だ……」
息が、できない。
私のほうを見ているように水面に胸上を出して佇むのは女性。
その髪は水に濡れて、天井より注ぐ光で……金色に輝いていた。
私は、絞り出すようなか細い声で……思わず呟いた。
「まさか……レイ、メ……」




