#75 シア
ゾフの大斧が床を砕き柱を粉砕する。
破片が弾け、血の海と化した広間に降り注ぐ。
戦いが始まってからずっとシアはゾフの猛攻を躱し凌いでいた。
ココットを送り出してから今まで、ゾフの攻撃はシアを捉えられずにいた。
しかしシアもまた、ゾフに攻撃が行えていない。シアのナイフは鋭いが、刃渡りは長くない。ましてゾフの強靭な体は、致命傷を与えられる部位が限られる。加えてその強靭な四肢はそれだけで武器となるのだ。掴まれでもしたらシアの細い体ではひとたまりもないが故に、ちまちまとした牽制合戦と相成っていた。
こうなれば焦れたほうが不利を背負うのは戦場の鉄則。
――――先に焦れたのは、シアだった。
「めんどうくさい……ココットとはなさなきゃいけないのに……」
「はッ! 話す話すってよぉ……何を話すってんだァ?」
「きまってる。ともだちとはなすのはたのしい。だから、なかなおりするんだ」
「下らねえッ!」
再びゾフが吠え、大きく斧を振り下ろす。
シアは再び避け、大斧は床に転がる貴族の死体を両断し床を破砕する。
「お嬢はお前なんぞと話さねえよ! お嬢はお前を障害と言った。お前が俺に殺されても眉一つ動かさねえだろうさ!」
「ッ……そんなはずない! ココットはともだちだ……またいろいろはなしをするんだ! ミオばっかり、ずるいんだ!」
「何を言ってるかまるでわからんが、お嬢もうまくやったもんだぜ。お前みたいなバカはさぞ扱いやすかったんだろうなあ!」
笑うゾフ。シアは飛び下がってゾフを睨み眉根を寄せる。
「どういういみだよ」
「わからねえか? 友達ごっこをして、お前を利用したんだろうさ! ハナっからお嬢はお前を道具としてしか見てねえのよ!」
「だまれよ、まぞく!」
感情のない仏頂面だったシアがここで初めて怒りをあらわにする。そして一直線にゾフめがけて駆けた。
ばしゃばしゃと血の池を蹴りながら走るシアを、ゾフは笑いながら迎え撃つ。
シアは腕を一振りすると、ワイヤーをゾフめがけて投げた。恐ろしい速度で進むワイヤーの先端には光る何かが煌めくが、ゾフはそれを難なく身を捻って躱す。
ワイヤーはゾフの背後の死体の山に突き刺さり、ゾフの脇下でぴんと張った。
「狙いが甘ぇぞ、ガキ」
「そう、かな」
と、シアが今度は勢いよくワイヤーを手元に引き戻した。瞬間、ヂッ、という何かが擦れるような音とともにゾフの背後の死体が爆発したのだ。
「んがッ!?」
流石のゾフも爆発の衝撃で前方に大きく姿勢を崩す。すかさずシアがワイヤーを引き戻しきり、ナイフを構えてゾフに向かう。
ゾフは足を地面がひび割れるほどに踏ん張ると、無理やり身体を捻り姿勢を戻す。そして捻った勢いのまま大斧を横なぎに回転させシアめがけて切り払う。
シアは直前で跳躍。斬撃を回避すると再びワイヤーをゾフの近くの貴族の死体に突き刺し、また引き抜く。
ヂッという音。
爆発。
「ぬがあッ!」
ゾフはついに衝撃で体勢を崩して血の海を転がった。
すぐに斧を支えに立ち上がると、笑うシアと目が合う。
「まえとおなじだ。よわいね、まぞく」
「ふざけた仕掛けをしやがる……」
ゾフはシアから目を離さないまま、周囲に意識をやる。
シアの行った事はワイヤーを死体に突き刺し、引き抜くという動作。それで死体が爆発した。そしてあの音。この硝煙。
成程、読めたぞとゾフはしかめっ面となる。
「へっ、やっぱり人間ってやつぁやることが違ぁな。下種もいいところだぜ」
吐き捨て、転がった拍子に口の中を切ったか、口内に溜まった血をぺっと吐き捨てた。
そして近くの貴族の死体を数人分斧で両断する。
と、中には腹部から臓物ではない何かを零すものがあった。何か袋に詰められた、黒々とした粉末と金属粒の混合薬。
火薬であった。
「死体の中身をくりぬいて火薬袋を詰めるとはな。人間爆弾ってか? てめえの持つそのワイヤーの先の道具で着火してボンってわけかよ」
シアの持つナイフに括られたワイヤーの先、針のようにとがった先端を持つ金属の棒が付いていた。棒の表面はざらざらとしていて、それが火薬袋の中の金属粒と摩擦することで火花が生じ、着火されるという仕組みだろうとゾフは理解する。
であれば、この場にある死体はまさしく爆弾。ゾフは爆弾に囲まれているのだ。手の込んだ罠だと感心する。そしてココットを先に行かせたのは正解だった。
だがゾフは動揺しない。
むしろ口角を吊り上げていた。シアが訝しむ。何を余裕ぶっているのかと。この場はシアの有利な戦場。やろうとおもえば、死体爆弾にワイヤーを突き刺し引き抜くという動作すら簡略できる。よりざらつきの強い特注の針を投げ刺してやればそれだけで起爆するのだ。
なのに。
ゾフは笑う。それは眼前の相手の考えが甘い事を見抜いたためだ。
いや、甘いのではない。そもそも知らないのだろう。確かにシアの戦闘能力は高い。斧の攻撃もまるで当たらない始末。すばしっこさは驚異的だ。しかしゾフは焦らなかった。何度かの攻防でシアの癖を見抜いたのだ。奴自身も理解していないであろう癖を。
ならば教えてやるしかない。死を以て。
「魔族の戦いを教えてやるよ、クソガキ」
ゾフは大斧を血の海に突き立て仁王めいて構えて言った。
シアはゾフのセリフにギリ、と歯ぎしりをする。
戦いなら知っている。生まれてからずっと殺すことだけを教え込まれ、殺すことだけを仕事にして生きてきた。
そんな自分に戦いを教えるなどと。
この魔族は不愉快だ。殺して早く自分と初めて友達になってくれたココットとまたお話がしたい。
シアはそう考え、ナイフを構えると逆手に持ち替え、片腕から何本もの杭を取り出す。
そして、ゾフの周囲の死体に杭を投げ込むと同時、駆け出した。
杭が貴族たちの死体の膨れた腹に突き刺さると同時、ヂッという音とともに爆ぜる。
爆発が多重に連鎖し、ゾフを包む。
そして爆炎を隠れ蓑にしつつ白い煙を切り裂くように、赤い血の海を駆ける白い悪魔。
シアは、爆炎によろめくゾフの姿を見逃さなかった。
(――――ころせる)
シアは目を大きく見開き、ゾフの無防備な首筋めがけてナイフを差し込むべく飛び掛かった――――。
「お前、やっぱり魔族との戦いってやつをまるで理解してねえな」
ゾフが、笑った。
首筋めがけ差し込まれたシアのナイフ。完全なタイミング。避けられるはずはなかった。事実ゾフはその場を動くことなく、シアの刃を受け入れた。
そう、その首筋へ。だがしかして、ナイフの刃はゾフの喉笛へ到達することはなかった。盛り上がった肩の筋肉と顎によって、ナイフは挟み止められていたのだ。
万力めいたその膂力によって、ナイフはピクリとも動かない。
シアは、初めて戦いの中で背筋に悪寒が走る。
「お前、殺すのは上手いが戦いは下手だ。馬鹿みたいに急所ばかり狙いやがって。少しばかり隙を見せてやれば喜んで飛びついてきやがったなァ、マヌケめ」
「なッ……」
パキン、という音。ハイオーガの筋力は顎と肩で挟んだナイフを容易く折り取った。
ゾフのような力自慢の魔族相手に自ら懐に飛び込むというのは、下策であった。
シアが目を見開き飛び下がろうとするよりも先に、丸太のような太腕がシアめがけて伸ばされる。首を狙った掴みはシアがとっさに身をひるがえしたことで回避……したかに見えたがその細い片腕がつかみ取られた。
「掴んだぞ、ガキ」
ゾフに腕を掴まれたシアは小さく悲鳴を零した。ハイオーガの握力である。シアの細腕がきしむ音を立てて、一瞬で骨が破砕された音が聞こえた。
「あぁぐっ……」
嗚咽を漏らし顔をしかめるシアに、ゾフは口角を吊り上げてさらに力を込めた。
そして一気にシアの体を腕を引っ張り持ち上げると、骨が砕けぐにゃりとした片腕を振り回して、一気に投げ飛ばす。
勢いのままにシアは吹き飛び、広間の壁をぶち抜いて廊下に転げ出た。
ごぼり、とシアは血を吐く。壁を貫く衝撃である。掴まれていた腕はもとより、肋骨も何本か粉砕された。
「あが……」
血を零しながら歯を食いしばり、砕けた壁の破片の中から身を起こす。潰された片腕を見やる。こっちの腕ではもうナイフは使えない。
と、今しがたシアが突き抜けた壁向こうからゾフがのっそりと現れる。
斧を構え、首をコキリと鳴らしながら歩くさまは余裕が見て取れる。
シアは歯噛みする。なぜだ。何故こいつは簡単に殺せない。あの時はもっと弱かった。
理解できなかったのだ。本当にただ殺すことしか知らないシアには、戦いの仕方、ましてその理由など。
だが。
「げほ……ぼくにも、かちたいりゆうならある……」
シアは荒く息を吐きながら立ち上がる。頭を打った時に切ったか、額から流れる血が片目を奪った。
だが。アレハンドロからの命令。魔族を殺し、ココットを捕らえよ。
それが戦う理由。だがココットを捕まえて、また一緒に話す。共にいる。それが、勝ちたい理由。
生まれてからずっと孤独だった。アレハンドロの言うままに、多くの人を殺した。だが、褒められたことなど一度もない。人間たちは自分を忌避する。白い髪、赤い目。悪魔の相を持つ殺し屋など、本当の悪魔のような扱いしかされなかったのだ。だから、いつも独りぼっちだった。
同じ悪魔の相を持つミオをアレハンドロが連れてきてからは、それはより一層強まった。アレハンドロはミオにご執心で、自分は殊更に道具扱いだった。ミオの歌を邪魔したという理由で、さらに多くの血を流した。いつしか自分は道具だと思い込むようにしてきた。誰も自分を必要としない。誰も自分を褒めてくれない。誰も自分と話してくれない。誰も、優しくしてくれない。
ただアレハンドロの命令に従う事だけが、自分が自分でいられる唯一の理由だった。
だけど、あのココットは。自分と同じ悪魔の相を持った、自分よりも小さな少女。最初はまた、ミオと同じようにアレハンドロを自分から奪う相手だと思った。でも、違った。
ココットは自分を見てくれた! 話してくれた。感謝してくれた。いい友達だと、言ってくれた!
だから……だから、初めて友達になってくれた彼女を、手放したくないのはシアも同じなのだ。ミオになんかあげない。アレハンドロにだって、あげたくはない。
この思いはきっと、本で読んだあの気持ちなんだ。きっと、恋なんだ。
「だから、ココットは……」
「ほう?」
満身創痍で立ち上がるシアを眺め、ゾフは顎を掻く。
「ぼくはココットがすきなんだッ!」
血反吐を吐きながら叫んだシアに、ゾフは一瞬眉根を寄せた後鼻で笑った。
「っは。随分身勝手なガキの理由だ」
「だまれよぉおッ!!」
叫び、走るシア。ナイフを構え、眼前の魔族を殺し、アレハンドロの命令を遂行し、ココットに会うために。
ゾフが大斧を下段に構えた。刃を背に隠すような深く腰を下げた姿勢。間違いなく渾身の振りぬきを狙う姿勢にも構わずシアは走る。
大斧の攻撃などかわして今度こそ致命傷を与える。振りぬいた後の隙ならば、小細工などできまい。全身に痛みが走る今の状態でさえ避けられる自信、それがシアにはあったのだ。
「ぁあああッ!!」
地面を這うようなシアの疾駆。ゾフは、大斧にぐっと力を籠め、振る。
来た。シアは大斧の柄から軌道を予測。斬撃軌道を紙一重で躱しにかかる。が。
「……馬鹿が。さっきも言ったろうが。お嬢はお前には勿体ねえ女よ」
ゾフの背から現れた大斧の刃。それは……面であった。
見えたのは斧の腹。
シアは驚きに目を見開くと同時に、壁をぶち抜いた時以上の衝撃が自身に襲い掛かったのを感じた。
躱せるわけがなかったのだ。線で襲い来る斬撃と読み身を翻したが、襲い来たのは面による殴打。巨大な鋼鉄の板たる大斧の腹は、シアの細い体をひしゃげさせながら容赦なく破壊する。
そして。唸り声とともに一息に振りぬかれた大斧により、シアはぐしゃぐしゃになった骨や内臓――――己の体が恐ろしい勢いで吹き飛び、廊下の窓ガラスを破壊する音を聞いた。
浮遊感。赤い瞳が見たのは曇天の夜空。雨粒が顔に冷たく落ち、風を感じた。
悲鳴、咆哮、剣戟の音。聞こえてくるのは真下。
実に地上50mを越える高所から中空に投げ出されたシアは、走馬灯めいてこれまでを思った。
殺すだけの生活だった。だから、ただ……。
「――――あいされ、たかった……ココッ、と……」
絞り出されたような声。それを最後に意識を失い、シアの体は地上へ向けて落下していった。
「仇は取ったぜ、レコ」
破壊された窓からシアの落下を確認したゾフは、コキリと肩を鳴らしたのちしかめ面を見せた。
先の戦い、人間爆弾による衝撃のダメージは確かに蓄積されていた。それでもゾフは大斧を肩に担ぎ、一息ついたのちに再び眼光を鋭くする。
「さーて、いてて……クソッ。お嬢もヘンなのにばっかモテやがるな……チッ、ガキ相手にてこずったか。さて、お嬢の所に急がねェと」
一度だけ窓の外を見やったのち、ゾフは上層へ向けて走り始めた。




