#22 企みは着々と
私たちは、さっそく下準備に取り掛かっていた。
日が落ちて暫くのアウタナ。松明の明かりだけを頼りに運び込んだ物資の移動や出陣の為の準備が名目上行われている。
そう、実のところは概ね私の独断による作業だ。幸いツォーネは私たちの作業に一切関心がないようで、自軍を広場に待機させ、アウタナ伯の屋敷でゆっくりしているだろう。
その間に私は私の作業を行う。
「ゾフ、どれだけあった?」
「そらもうたんまりでさぁ。所定の位置に運びますぜ」
「ああ、頼むよ」
ゾフらオークやオーガといった大柄な魔族に命じて運ばせているのは大量の火薬である。アウタナ防衛用に腐るほど備蓄されていた大砲用火薬を片っ端から集めさせた。そしてそれらを樽に込め、私が指定する場所へと大量に運び込ませる。
「しかし、こんな火薬何に使うんで? あの吸血鬼に渡してやるわけでもないようだし」
ゾフが顎を掻きながら私に聞いてくるので、くすりと笑って答えてやる。
「無論、我々の勝利のために使うのさ」
「にしたってこんなに大量の火薬を街中に仕込んで何をするんで」
「ゾフ、空城の計というものがある」
私はおもむろに語る。ゾフは勿論そんなものは知らないと言った顔だ。無理もない。
空城の計。それは即ちわざと城を明け渡すかのような様を敵に見せつけ、明らかに罠があると思い込ませることで城攻めを踏みとどまらせる防御の陣。しかし、それは罠があると思わせられればの話だ。
前世で伝わっていた兵法に基づく逸話では、著名な軍師が敵の軍師の空城の計により、奇策を警戒して攻撃を取りやめたという。
「今回はそれを逆転の発想で使おうという訳だ。本来ならば攻めさせないための兵法なんだが、裏を返せば攻めさせることも出来る」
つまり、その軍師は相手の軍師を良く知り、警戒していたからこそ罠があると思い踏みとどまった。今回私たちの場合では、人類にとって魔族など戦術も何もない集団だと思っているわけだから大門を開き、兵を隠したとて罠がある等とは考えもしないで踏み込んできてしまうだろう。それでは空城の計は成り立たない。
だが、それがいい。
「つまるところ罠があるのにも拘らず罠がないと思ってほいほい来てくれるに違いないという訳だよ」
「はあ。でも猶更わかんねえですぜ。なんでまた、フリクテラを落とそうってのにアウタナが攻められた時の罠を?」
「それは勿論アウタナを攻めてもらうからに決まっているだろうが」
私の言葉にゾフは目を丸くした。何を言っているんだこの小さいのはと言った風だ。
「何言ってるんでさお嬢! そんなの聞いてませんぜ!」
「言ってないからな。だが、釣りの話をしただろう。フリクテラの騎士たちを釣り上げて一網打尽にしてやろうじゃないか」
「無茶苦茶だぜ……第一、フリクテラの連中はわざわざ攻めてこないだろうってクォートラの野郎も言ってやしたぜ」
「それはどうかな」
私はゼンビアーノという人間を信用している。ああも欲望に素直な男の事だ。好機は逃したくは無い筈。アウタナを奪還できるかもしれない、そして奪還するに足る価値があると思わせる事さえできれば、勝手に来てくれるはずだ。
「だからこそ、ツォーネ将軍にいい仕事をしてもらわねばならないんだよ。丁重にお見送りしようじゃないか」
私はアウタナ伯の屋敷に目を向けて冷たい笑みを浮かべる。それを見たゾフは小声で呟く。
「おっかねえ将軍だ」
♢
そして、ツォーネ来訪より三日後。
「ツォーネ将軍、ご武運を」
帽子を脱いで胸に当て礼しつつ発せられた私の言葉に、ツォーネは「言われるまでもないですわ」と自信満々に答える。騎乗用の魔物に跨り柄の長い突撃槍を背負う姿は勇ましくも見えなくもないが、私に対し不敵に笑う姿には、私も心の中で嘲笑を禁じ得ない。
「せいぜいお留守番をよろしく頼みますわよ、可愛い将軍さん」
ツォーネ出陣の為の準備は我が軍により恙なく終わった。物資や騎乗用の魔物も、前もってアウタナに運び込んでおいたものだ。
そんな準備を完全に下働きとみなし、自分たちが手柄を得るのを後ろで見ていろとでも言わんばかりに、高所から見下しながら笑うツォーネに、私も笑顔で返す。
「ご心配なく。お家の番から下の世話までやれと言われればやりましょう。もちろん、お代は頂きますがね」
「あら面白い事を言いますのね! 人間の癖に。まあ……フリクテラを落とした暁には一夜の供をぜひお願いしようかしら」
ぞっとしない。ツォーネの笑顔は捕食者のそれだ。ヘタに接触すれば血を吸い尽くされかねない。軽々しく冗談などいうモノではないな。
しかし、尻を拭うという意味ではあながち間違いでもないか。下の世話とはよく言ったものだ。
ひとしきりの会話を終えると、ツォーネは号令をかけた。次々に魔剣士たちがおぞましい雄たけびを上げ士気を上げる。そしてツォーネが天に伸ばした腕を振り下ろしたのを合図に、魔の軍は行軍を開始する。
ツォーネの軍の出陣を丁重にお見送りした後、私は顔を上げると、帽子を人差し指でくるくると回しながらにたりと笑う。
「勇ましいものだな。勝てると本気で思っているのだろう」
私の言葉にクォートラとゾフもツォーネを見送りながら呆れた笑いを浮かべている。
ツォーネの軍が草原を駆ける土埃に掻き消えた後、私は天を見上げ太陽の位置を見る。日は直上。正午である。
「アウタナからフリクテラまでは馬の脚でも3日。となれば、期間は見積もって一週間。十分だな」
フリクテラを事前に視察したドラゴニュートの偵察隊の報告では、やはりフリクテラの防備は固かった。大勢の騎士が詰めているようだ。防衛陣地も手厚く構築されているようだし、話に聞く戦力だけでも攻める側のツォーネには悪いが荷が重いだろう。戦力が足りない。
フリクテラ攻略は即ち、戦力たる騎士団の排除と同義。しかし野戦ならともかく、攻城戦となれば騎士たちを簡単には破れまい。籠城されればそれこそツォーネの軍の最低3倍は必要だろう。ツォーネの軍は大半が魔剣士で構成されているから猶更だ。
おそらくだが、ツォーネがフリクテラを落とせるかどうかでエルクーロは囮行軍を決行するかを判断するはず。そのために、どの程度の戦力が必要かを推し量る意味合いもあるのだ。ツォーネの軍はそのための指標。試金石である。
故にこの戦は最終的に何としても勝たねばならない。この戦いに勝たねば、大規模派兵計画は中止になる。
私は帽子を被りなおすとクォートラとゾフに向き直り、命令を下す。
「さて、我々も動くとしよう。ゾフ、手筈通りに頼むぞ。クォートラ、お前たちは私と共に尻ぬぐいだ」
準備を始めなくてはな。フリクテラ攻略、その手柄を我がものとするために。
まずは、せいぜい華々しく敗北してもらおうか、ツォーネ。




