#21 餌を欲する者、与える者
「ええい、忌々しい」
豪奢な部屋の執務机の上で、傍らに数人の侍女を侍らせながら一人の恰幅の良い男が頭を抱えていた。
フリクテラ伯たるゼンビアーノである。
彼の頭痛の種は眼前に広げられた書類と直近のアウタナ陥落であった。
書面にはアウタナ陥落に際したへき地からの魔族による大規模攻勢を危惧した戦力増強の辞令があった。ゼンビアーノはこれに苛立っていた。
即ち、金の問題である。
これまでであればアウタナが僻地防衛の最前線を担っていたから安全面ではだいぶ楽をしてきたゼンビアーノであったから、防備に回す金銭をある程度は縮小できていた。
しかしてアウタナが落ちた今、最前線の防衛の牙城を担う事になってしまったのだから考えることは山積みなのだ。
ゼンビアーノは過去、首都イファールに勤めていた一大貴族であった。しかし度重なる賄賂の発覚や裏社会組織との繋がりが露呈し、それでもなんとか持っていたコネを使い厳罰を免れたが、結果としてこんな辺境に左遷処分されてきた過去を持つ。
それに懲りずに最近は培ってきた裏稼業の経験から、戦災孤児どもを引き取る気のいい領主を演じ、その実奴隷に落として財をこさえていた。
「首都を追い出されて幾年、やっと築き上げた我が安寧……だというのに戦争をやれだと!? ええい……これも全て忌々しい魔族どものせいだっ」
荒々しく机を叩くゼンビアーノに、傍らの侍女たちは怯えている。彼女たちの齢はまだ16歳かそこらがほとんどであった。
彼女たちこそ、ゼンビアーノの奴隷稼業の産物である。
ようやっと僻地で彼女らのような商品を使って財をこさえる環境が整ってきていたというのに矢先に「防衛線の先端での防衛」を任されてしまえば恨み言は尽きない。
それもこれもアウタナが落ちるからいけないのだ! 数か月前に自信満々に周辺の領主を集めたパーティーなど開催していたアウタナ伯の阿保面が今でも目に浮かぶ。難攻不落の牙城などとおだてられて気を良くしたアウタナ伯に皮肉の一つでも言ってやろうと参加したものの、防衛策はあの城壁だけで、街の中にはろくに騎士団すら見受けられなかった。どうせ防備をケチり私腹を肥やしていたのだろうが、落ちてしまっては意味が無いだろうに。
ゼンビアーノは己の事を棚に上げ、生死不明となってはいるがどうせ生きてはいないアウタナ伯に毒づく。
あの間抜けがしくじったおかげで、自分に国境の防衛などという面倒なお役目が回って来たのだ。まっこと腹立たしい。
境界線の防衛、即ち敵に対した最前線。主戦場からは遠く離れた僻地とはいえ、防衛のお役目が回って来たという事は侵攻を受ければ真っ先に戦火に包まれるのは我が領地。僻地侵攻がまことしやかにささやかれていた中で、ひと月ほど前に、現にアウタナは落ちたのだ。
「戦争などバカバカしい! 金にならない行為にどんな意味がある! 忌々しい、忌々しい!」
足を小刻みに揺らしながら、首都よりの辞令にどう返答したものかと震えるゼンビアーノ。
胸中はアウタナ伯への恨み言と裏稼業への影響ばかりだ。ああ、無能のせいで辛酸をなめるのはいつも自分だと。こんなところで魔族どもとじゃれ合っていてはいつまでたっても首都イファールに返り咲くことなどできない。額に脂汗を浮かべながら苦悶する。
ゼンビアーノは苛立ちのままに、机の上にあったカップを殴り捨てた。机から落ちたカップが大きい音を立てて割れ、奴隷侍女達が慌てて片づけを始める。四つん這いになり破片を拾い集める侍女たちを眺めながら、ゼンビアーノは立ち上がると、手近な侍女の尻に手をかけた。
刹那、部屋の扉がノックされる。
「なんだッ」
ゼンビアーノはせめて苛立ちを諫めようと侍女で遊ぼうとしたのを邪魔されたことで、怒りをさらに助長させ声を荒げて扉の向こうの人間に怒鳴った。
それを入室許可と取ったノックの主は、ゆっくりと領主の部屋へと入って来た。身なりは騎士甲冑。はためくマントは団長のものだ。
「ゼンビアーノ殿。騎士団傘下にての民兵戦闘団の再編は終わりました」
「セグンか……」
齢は中年と見え、顎ひげを蓄えたフリクテラ駐在騎士である青翼騎士団の長であるセグンは、荒れた室内と怯える侍女達を一瞥した後ゼンビアーノの怒りに上下している肩や荒い息を無視して報告を行った。
「再編が終わったのなら警邏に充てろ! わしは忙しい!」
「……ゼンビアーノ殿」
「なんだッ」
怒りのままに面倒そうな様子を隠そうともしないゼンビアーノの様子に一度ため息をついたのち、口を開く。
「アウタナへ走らせていた密偵の報告です。中の様子までは探れなんだが、魔族に動きありと。臨戦警戒にて防備に当たりますがよろしいですな?」
「くそっ、忌々しい魔族どもめ……我が栄光の為、まだフリクテラは絶対に落とさせるな……糸目は付けん、防備を固めよ!」
「承知しました。それから……」
「まだ何かあるのか!?」
セグンは一瞬目を伏せた後言いにくそうにしつつゆっくり視線を動かす。その視線の先には怯えながらも破片を片づける侍女たちの姿。その一人が助けを請うような視線をセグンに向けていたのだ。セグンはその侍女と目が合うと、生唾を飲んだのちに口を開いた。
「領主らしき振る舞いをどうか」
そのセリフは暗に侍女への手付きを糾弾するものであった。ゼンビアーノの額に青筋が浮かび、その顔は茹で上がったかのように赤く染まっていく。
「一介の騎士団長風情がわしに指図するのかね?」
「いえ……ただ」
「ええい黙れこの平民上がりめが! 誰が貴様のような落ちぶれに目をかけてやっていると思っている! 貴様が団長の座に付き家族を養えているのも全てこのわしのおかげだろうが!」
「……わかっております」
「ならばさっさと仕事に戻れ! くそっ、お前たちもだ! 目障りだ、消えろ!」
侍女達にすら怒号を飛ばしヒステリックになったゼンビアーノから逃れるように、侍女たちは部屋を出ていく。
セグンも侍女たちが部屋を出たのを見てから、ゼンビアーノに一礼して退室した。
「はぁーッ……くそっ」
部屋に一人残されたゼンビアーノはテーブルを叩き、こめかみに指をあてた。
「わしがリスクを負うなど……あってはならないのだ。わしは安全に、完璧に、楽をして! 安寧を得なくてはならない……!」
その為ならば、一時の投資も止むを得まい。ゼンビアーノは口角をわずかに持ち上げた。
ゼンビアーノは欲深い男であったが、間抜けではないと自負している。アウタナ伯と同じ失敗は断じてしない。
全ては己の財が為に。戦力をケチったアウタナ伯とは違い、財力に物を言わせた装備を持つセグン率いる青翼騎士団がいる。民草からも戦闘団を徴兵済み。ここ数日警戒は一切怠っていない。
「そうだ。そうなのだ。これは転機である! 魔族を打ち破った戦果を得る絶好の機会と捉えるべきだ……! 財とは力、即ち……わしにはそれができる力がある。フフ、ハハハ!」
ゼンビアーノは笑いながら書類にペンを走らせた。気持ちの切り替え。損切の判断は迅速に。彼の経験から為る教訓である。なれば此度の辞令も財に、権威に代えて見せよう。魔族を打ち破る武勲あらば、首都に返り咲く材料ともなろう。
アウタナが落ちたのは慢心故。フリクテラはそうはいかん。常に警戒態勢で待ち受けているのだ。防衛戦で負けるものか。
「魔族など突貫馬鹿の連中よ。いつでも来るがいい! 我が擁する青翼騎士団がその悉くを粉砕してくれる。わしは決してアウタナ伯の二の舞にはならんぞ……!」
♢
「……とでも思っているんじゃないかな」
私はにやにやしながら空を仰いでそう言った。
ゾフとクォートラが不思議そうな顔で私を見下ろしている。
「ココットのお嬢はフリクテラの領主と面識が?」
「いや? ただ、うわさは聞いていたし、実は一度だけ会った事があってな」
フリクテラ伯ゼンビアーノ。私が地下牢獄で家畜の扱いを受けていた時にただ一度だけお目にかかったことがある。
夫人に連れられペットの魔物を眺めに来た時だったか。私の姿を見ても何も言わずに夫人と楽しく談笑していた恰幅のいい男。
私がいても構わず様々な話をぺらぺらしていたものだ。当時の私はさほど興味も持っていなかったが話の内容は今でも覚えている。
夫人の不倫と、ゼンビアーノの性格。思えば有益な話ばかりだった。奴隷稼業の話、まだ首都に返り咲くことを望んでいるという話。全て記憶している。
話の節々から伝わってくるゼンビアーノという男の性格。あれは欲の塊。アウタナ伯のゼンビアーノに対する愚痴が女中に伝播し、私にまで伝わっていたから兼ねてから酷い男なのだろうとは思っていたがその時お目にかかってなるほど納得したものだ。
奴隷商の側面さえ持っていたゼンビアーノに私を売るという話も夫人からは出ていたが、悪魔の相を持つ子など金にならんとの一言で一蹴されていたっけな。
金、昇進、情欲。欲望を脂肪代わりにその腹にため込んだような男の醜さは、記憶に刻まれている。それでいてあの男は自らの財や権威が失われることを極端に恐れる臆病者。それは即ちそう言ったものに恐るべき執着を持つという事。
だからこそ、そんな男が治める街など。そんな男が率いる軍など。
どうすればどういう行動に出るかなど想像がつく。人間の薄汚い思考は、手に取るようにわかる。
サラリーマン時代から変わらない。昇進ばかりに気を取られ、うまい話に飛びついたつもりで使い潰される者や、裏切られるもの。人は目先の餌にばかり気を取られる生き物なのだ。ゼンビアーノは自分を疑り深い慎重派だと思っているかもしれないが、とんだ勘違いだ。
ゼンビアーノの目的はおおよそ、財をこさえる事と、そのためにもう一度首都イファールに舞い戻るための功績。それが叶うと思えば多少危険があっても乗ってくるだろう。私の……作戦に。
愚か者を釣る餌は、私の手中にある。私は掌を空へと伸ばし、ゆっくりと握る様に閉じた。
「ゼンビアーノ、お前はアウタナ伯の二の舞を踊るんだよ」




