#112 心崩れ
『……ット……ココ……ココット……』
私を呼ぶ声が聞こえる。
はっとして辺りを見渡してみれば、綺麗な自然の風景が目に飛び込んできた。水の音、風の感触。そして鳥の声。
周囲を山に囲われた湖のほとりに私は立っていた。
自分の身支度を改めてみれば白いワンピースのようなものを着ている。いつの間に着替えたのだろう?
『ココットー!』
私を呼ぶ声。
振り返ってみればそこにはミオが居て。両手いっぱいに花束を抱えて私に笑顔を見せていた。
私と同じような白いワンピースを着ていて、包帯も無く傷一つないきれいな肌を太陽の下にさらしていた。
私は微笑んでミオに手を振って見せる。
と、その横に立つ人影。
金色の長い髪を風に揺らす、麦わら帽子をかぶって微笑む女性。
『レイメ……!』
私はぱあっと笑顔になってミオとレイメの下へ駆けだした。
そして目の前にやってくると、ミオは花を放り投げ、私に抱き着いてくる。転びそうになったぞ。まったく、私はミオより小さいんだから、吹っ飛ばされてしまうというんだ。
私はミオの頭を撫でながら笑った。
花の花弁が舞い散る中、レイメが私達を見て微笑んだ。
胸が暖かな幸せで満たされていく。穏やかな空気が私達を包んでいる。
『ココット……貴女は本当に頑張ったのね』
『レイメ……私は嬉しい。ミオとレイメと私……こんなに穏やかに暮らせるなんて』
『そうね。私も嬉しいわ。だけどほら、もう一人……』
レイメがそう言って私の背後を指さした。振り返ってみれば、湖の方で私を見て立つ、キエルの姿があった。
『キエル……? キエル! 無事だったんだな!』
ぱたぱたと花畑を素足で駆けて行ってキエルの所まで駆けよれば、キエルは困ったように笑った。
『ココット……すみません。勝手な事をして心配をかけて……』
『まったくだ! 本当に、心配したんだぞ……私の心配などと普段いうお前が心配される立場になってどうするというんだ……』
『ごめんなさい……本当に、ごめんなさい』
謝り続けるキエルに、私は少しふくれっ面を見せた後やれやれと首を振って笑った。
無事ならいい。こうしてレイメもミオもいて、キエルも無事だった。それだけでいい。この美しく静かな湖畔で、穏やかに生きられるのだから。
そう、私は笑ったのだが……キエルは俯きながらずっと謝罪の言葉を口にし続けていた。
もういいと言っても聞こえていないかの如く繰り返される謝罪の言葉に、私は不穏な気配を感じ取っていた。
『おい、キエル……もういいから、レイメやミオと一緒に食事にでもしよう。ほら、ケーキが食べたいな! とびっきり甘いやつだ! お前作れるか? ケーキ』
『ごめんなさい……ごめんなさい……』
『お、おい……キエル……?』
不安げな顔色の私に、キエルはゆっくりと顔を上げて言ったのだ。
『死んでしまって、ごめんなさい……』
瞬間、私はひゅっと言う音と共に息が詰まるのを感じた。
一陣の風が吹き、周囲の花を舞い上げる。いつのまにか花弁たちは深い赤色に染まっており、髪を震わせた風からは血の匂いがした。
花だけではない。湖もどろりとした血の泉にいつの間にか変わっている。なんだ、これは。
『死んだって……お前は生きてる! レイメだって、ミオだって生きてるんだよっ!』
不安と焦り、恐怖に煽られながら私は叫ぶ。
するとキエルはゆっくりと片腕を上げて私の背後を指さした。
慌てて振り返ってみれば……そこは夜の荒野に風景は変化していて。
土の上に横たわるレイメと、血溜まりで倒れるミオがいた。
『っ……』
私は声にならない声を上げ、慌てて二人に駆け寄った。
レイメは目を見開いたまま、目尻から涙を零して事切れていて。その手には小鳥の死体を握っていた。
『レイメ……あ……』
そしてミオは仰向けに倒れていて、全身に幾本もの剣が突き刺さっていて。恐怖に彩られた表情と見開かれた瞳は遠くを見て濁っていて。
傷口から流れ出た血が、今も池を大きくしていた。
『ミオ……ッ! そんな、どうして……どうしてだ!』
私は膝から崩れ落ち、顔を両手で覆った。
なんで。どうして。さっきまであんなに……!
二人とも元気で、幸せで……一緒に笑っていたじゃないか!
『二人ともしっかりしてくれ! 嫌だよ! いや……そうだ、これは夢だ……夢なんだ! 夢から覚めればまたみんな一緒に……』
頭を抱えて呟く私に、突然倒れていた二人がぎょろりと瞳を私に向けた。
『現実から逃げようとしても無駄よ、ココット』
『わたしたち、しんじゃったんだよ? ココット』
『っ……え、あ……は……』
私は怯えふためき、腰を抜かして尻餅をつく。そして倒れたまま目だけを向けてくる二人からじりじりと後ずさった。
そんな様をあざ笑うかのように、二人の目は私を逃がさなかった。
ゆっくりと起き上がった二人は恐怖でひきつった顔の私を見下ろした。餓死したレイメの憔悴した顔が、刺殺されたミオの血みどろの顔が、私を見下ろす。
息ができない。二人に見下ろされながら私は過呼吸めいて喉からみっともない空気の音色を奏でた。
怯えに歪んだ顔は引き攣っていて、噴き出す冷たい汗が止まらない。
『や、やめ……そんな目で見ないで……くれ……わた、私が二人を死なせてしまったから……ごめっ、だから……』
許しを請うように私は涙を流し、怯えながら両手を顔で覆って蹲った。地面に額をこすりつけながらできるだけ何も見ずに聞かずにいられるようにと祈る。
怖い。悲しい。後悔が襲う。押し潰されそうな負の感情が頭の中から胸の奥の奥まで入って来て抉ってくる。
助けてくれ。誰か助けてくれ……。
救いを求め始めた私の肩に手が置かれる。
酷く怯え慄いた私はばっと顔を上げ、レイメとミオがそれぞれ手を私の肩に置いて笑っているのが映る。
二人は先ほどまでの今際の姿ではなく綺麗な姿で笑っていた。その二人の姿に私はつかの間の安息が小さな蝋燭の日めいて灯りかけて。
『私達だけじゃない。貴女は彼女も殺したのよ、ココット』
すぐにその蝋燭の火は掻き消えた。
レイメの言葉に私はびくり、と肩を震わせた。レイメが指さした方を恐る恐る見れば。
廃墟たるバルタ旧市街。燃え盛り地面が割けるその渦中に一人立つキエルが居たのだ。
キエルはじっとそこを動かずにただじっと私を見ていた。
地面は揺れて、至る処から炎が噴き出している。あの場所は危険すぎる。
『キエルッ!』
私はキエルめがけて一目散に走りだす。
『何をしている! 早く逃げろ! そこは危ない! 私の手をとれ、キエル!』
必至にキエルへ手を伸ばし走り続けるが一行に距離が縮まらない。
なんでだ? 私の足が遅いからか? こんな身体じゃなければすぐにあいつの所へ行けるのに!
と、息を切らせて走る私の目の前で地面にひときわ大きな亀裂が走り、火を噴き上げながら一直線にキエルに向かっていった。
いやだ、やめてくれ。頼むからこの手を取ってくれ。
キエルッ……!
『逃げてください、ココット』
仄かに笑みを浮かべてそう言ったキエルは、私の目の前で地割れに飲まれ、吹き上がった爆炎はその姿を掻き消した。
私は目を見開き、必死に手を伸ばし続ける。
だが、届くはずもなく。
いつしか私の足元の地面も崩落し、この小さな体は浮遊感に包まれた。
落盤に巻き込まれ落下しながら、私は手を伸ばし続けていた。
『キエルぅううッ!』
「……うわぁぁあああっ! ……っはあ、はあ……はっ……はあ……」
私は目が覚めると同時にかけられていたシーツを吹き飛ばしながらがばりと上体を起こした。
体が熱い。汗を全身にかいている。
荒い息のままに慌てて両手で顔を覆い、そのあとゆっくりと自分の掌を見つめた。
「はあっ……はぁ……夢……?」
先ほどのは悪夢だったという訳か。妙に生々しかった。それに私はまだ、生きているのか……。
此処は何処だ。
改めて私は今いる場所を見渡し確認しようとして……ぽへっとした顔の彼女と目が合った。
「あ、起きたぁ~」
彼女、チックベルはぽふぽふと私の下までやって来て顔を覗き込んできた。
どうしてチックベルが、と言う疑問も冷めやらぬままに羽毛でおおわれた翼腕を額に押し付けられる。
「熱はなし~。元気元気……だといいけど、どうかな調子は~」
「うぶ……私は……」
口に入った羽を何とか追い出しながら自分の状況を振り返る。
確か私はバルタを攻めていて……あと一歩のところで撤退する羽目になって。アンドレオが死んだらしいという事と、トグーヴァが残って、聖剣がどうの……それから、キエルが。
「キエル……ううっ……馬鹿やろ……」
もふもふの羽毛に包まれた顔を俯かせて、私はげっそりと体の力を抜いた。
まずは……状況確認からしなくてはならない。未だに体はげっそりとしていて頭には靄がかかったようではあるが、しなくては。
「ここは私たちの拠点か」
「そだよー。一時的にだけどねー」
「なんでチックベルがここにいるんだ」
「さあ、なんででしょーか。正解は援軍です」
「まだ答えてない……」
にへらと笑うチックベル。
どういう訳かこいつは私の目の前にいて、私はベッドで寝ていた。よくよく自分の格好を見れば装束は脱がされ、下着姿のまま。腕に包帯などがまかれている。血が滲んでいるから怪我をしていたらしいが、出血はあれどあまりいたくはない。多少切ったか擦り傷程度だろうか。
そして怪我で唐突に思い出して私はチックベルに問う。
「クォートラは……皆は無事逃げられたのか……?」
クォートラはあの白い光に撃墜されたのだ。それで私も放り出された。おそらく落下時に気を失ったがその際にチックベルに助けられたのだろう。
ゾフやツォーネらも気がかりだったが、チックベルは笑いながら教えてくれた。
「皆うまく逃げられたよ。死者はあんまりいない。9割以上逃げ延びたってさ。ゾフとツォーネは外で色々やってる。クォートラはうちのハーピー部隊が治療してるよ」
「そ、うか……」
10割では、なかったか。
あの撤退の模様を考えれば9割以上が逃げ延びたのは奇跡に近い。
チックベルが何かをしたのだろうか。
それにゾフやツォーネ……何よりクォートラが無事なのは朗報だった。結果的にほぼ損害無しで逃げられたと言って遜色ないだろう。
だが、うまく逃げられたにせよ結果は変わらない。私はバルタを落とせなかった。敗走したのだ、私は。使えるであろう策を全部使って挑んで、聖剣と言う予想外の要素によってすべてが狂った。
「失敗したんだ、私は……」
私はチックベルの羽に顔をうずめるように項垂れて、肩を震わせた。
そして私は朗報にばかり気をとられ、チックベルの言葉の裏にあったものを見逃していた。死者は、あまりいないという事。無事かどうかの数字ではなかったのに。
そんな折に、テントの戸幕が擦れる音が聞こえた。
誰か、入ってきた――――。
来客はがテントの戸布を潜り、中へと入ったらしい。カツカツという靴音が聞こえる。
反応してチックベルがモゾリと動き、私の頭の上でチックベルの話声が聞こえた。知人だろうか。軽い挨拶をしたらしい。ともあれ私はうつむいたまま来客の顔を確認する気も起きなかった。
どうせゾフかツォーネ辺りだろう。チックベルがうまく話してくれる。ゾフとツォーネも大変だったろう事を無責任に差し置き、私は今そっとしておいてほしかった。
そうしてベッドの上で項垂れながらチックベルの両腕の翼に頭をうずめていたのだが。
チックベルの羽の中で目を閉じれば、戦いの模様が脳裏に浮かんでくる。そして、その結果どうなったかが胸に刺さり続ける。
私はは項垂れながら顔を下に向けてブツブツと「失敗した、失敗した」と呟いた。もはや周囲の音は耳に届かなかった。
と、突然チックベルはもぞりとベッドの上を移動すると、背後から私の脇の下へ腕を入れ、そのまま子供の魔猫でも持ち上げるようにひょいっと持ち上げた。
それでも私ははだらりと腕を垂らしたまま、ぼうっとしていて抵抗せずされるがままに抱えられた。そんなままチックベルはひょいとベッドを降りたらしく。
「はい、エルクーロ様。ココットちゃんです」
チックベルは私を持ち上げたまま、見せびらかすようにずいっと私をどこかへ向けた。
待て。今何と言った。エルクーロ様?
ぴくり、と私は反応を見せた。思考の行く先が現実へとゆっくり戻ってくる。そしてゆっくり顔を上げて、赤い瞳が私の前に立つ彼を見た。
私の瞳はどんどん大きく見開かれ、口がぽかんとあいていった。
「はい、と言われてもな。……下ろしてやれ」
彼はチックベルにそう言って溜息をついた。チックベルは名残惜しそうに私を下ろした。
私はベッドの縁に座らせられ、しばらくぽーっと彼を見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「エルクーロ……様……」
そう、私の前にはエルクーロ様が立っていたのだ。
何故ここに。
そんな私の疑問をくみ取ったかどうなのか、エルクーロ様はゆっくり口を開いた。
「……聖剣の勇者がバルタへ向かったという報告を聞き、急ぎ向かった。間に合ったと言えば聞こえはいいが、もう少し早く着くべきだったと思っている」
かいつまんで説明されたらしいが、私は未だにぽかんと口を開けたままエルクーロ様を見ていた。
エルクーロ様も私を見ながら首をかしげている。説明したが伝わっていないのではと言った顔だ。
私とエルクーロ様の無言のにらめっこの最中、チックベルがにこにこしながら割って入った。
「エルクーロくんが殿してくれなけりゃ、もっと被害は大きかったかもしれないんだからさあ~。間に合ったって事でいいんじゃないかなあ」
間に合ったか間に合っていないかで言えば、我が軍の損害が軽微なままに撤退が遂行された点で見れば間に合っている所の話ではない。
だが勇者がバルタへ向かったという報告は何処からか入手したのだろうが、すぐさま駆け付けてくれるとは。いやそこなのか私。問題はなぜエルクーロ様が此処に居るかという事だ。彼はルイカーナに居たはず。未だに分からない。
クォートラの背から落ちた時、確かに黒い翼を見た。あの雨の日に見たものと同じ、黒い翼だった。
気が動転していて幻覚でも見たのかと思っていたのだが、エルクーロ様がバルタにまで来ていたというのは見間違いではなかった。
バルタ攻略戦を開始するという連絡は確かにエルクーロ様に一報入れた。だが来たのはそれが理由ではないという。聖剣の勇者が来るとのことで援軍にいらしてくれた、と。
いかな聖剣の勇者が増援に来るとてエルクーロ様がまさか前線に顔を出すなどとは思ってもみなかった。彼は戦いを嫌っていた筈。ここにきて何故なのだろうか。
そこで私はハッとする。チックベルは言った。エルクーロ様が殿を務めたと。頭がふやけていたから、聞き間違いかと思い恐る恐る確認する。
「……貴方が殿を……?」
怯えが入り混じった視線をエルクーロ様に向ければ、エルクーロ様は黙って頷いた。
「エルクーロくん、すごいんだからね~。飛んで来る矢も向かってくる騎士達も腕振るだけでぽんぽん跳ね返しちゃってさ。終いにはバルタ兵が根負けして追撃を断念したってわけ」
「そうなの、ですか……?」
他人に戦いの模様を語られるのがこそばゆいのか、エルクーロ様は「ん……」と唸って私から目を背けた。
その有様を見て、私は酷く後悔をした。もっとうまく戦えていれば。聖剣さえ現れなければ。
彼の手を煩わせずに済んだのに。
私が呑気に気絶している間に、彼は私たちのために戦ってくれていたのだ。
私は肩を震わせながらゆっくりと小さな声で謝罪の言葉を口にした。
「申し訳……ございません……尻ぬぐいを……させてしまいました……」
「構わない。その為に私は来たのだ。問題はない」
「ですが……また私は貴方にご迷惑を……」
「構わないと言った」
「申し訳ございません……」
私は胸が締め付けられるような思いだった。
また。
また私はエルクーロ様に命を救われたのだ。
あの雨の日と同じ黒い翼を広げて、私の命を救い上げた。
それがどうしようもなく申し訳なくて、恥ずかしくて。締め付けられる胸の痛みの奥底で、私は嬉しさを感じてしまっていたのだ。
エルクーロ様は、私に優しい。
そんなことを想ってしまった自分が許せなくて、悔しさと嬉しさの入り混じった感情は私に壊れたレコーダーめいて謝罪の言葉だけを口にさせた。
トグーヴァや……キエルを失ったかもしれないこの状況においてエルクーロ様が私を救ってくれたことを嬉しく感じているなど、現金にもほどがある。そう自分を軽蔑したから、私は下げた顔をエルクーロ様に見せられたものではないとして俯き続けた。
エルクーロ様は私を救ったのではない。ただ戦略的な行動をしただけ。
そう分かっているだろう、ココット。浮かれた生娘のような心をお前が、私が持っていい訳がない。
元よりそう望んだはず。そう彼に言ったはず。私とエルクーロ様は上司と部下。交わされる言葉や関係はそれを逸脱する必要はないのだと。
「……謝罪より感謝をしてくれた方が、受け取る方は気分がいいものだ。それに私だけではない。空より落ちる君を抱えたのはチックベルだ」
エルクーロ様の言葉でチックベルを見やれば、へらへらと笑いながら羽を振った。
あの高さから宙に放り出されて生きていたのは彼女のおかげか。ならばと私は感謝の言葉を口にした。チックベルは小さく「借りは返したよ~」と答えた。
そこから再び沈黙がテント内に訪れた。
エルクーロ様は椅子に座り、私と対面に坐する形で何かを考えている様子だった。
私は何をすればいいのだろうか。バルタ攻略戦の顛末の報告はしなくてはならないだろうかと考えたが、どうにも喉から言葉が出て来てくれなかった。
そこで何かを察したようなチックベルがひょいっと身を翻して戸布へ向かった。
半身を外へ出しながら、エルクーロ様に振り返ってウィンクをした。
「エルクーロ様~。それじゃうちはこれで。色々とやることあるからねー」
「頼む」
エルクーロ様の返答にチックベルはにへらと笑って敬礼をした。
そしてテントを出ようとしたチックベルは思い出したように立ち止まると、私たちを振り返ってまた笑った。
「はいほいー。あ、それとエルクーロくーん、ココットちゃんも女の子なんだからあんまりじろじろ見ちゃだめだぞ~」
そう言い残して彼女は戸布の向こうに消えた。
エルクーロ様と私はきょとんとした顔で彼女を見送った後顔を見合わせたが、やがてエルクーロ様の視線が私の体に向いたのを機に自分の身体を改めて合点がいった。
私は手当の為なのだったろうが下着姿だったのだ。
エルクーロ様に下着姿を、肌を見られていると脳が改まって理解した瞬間、急激に羞恥心が頭を埋め尽くした。
私は顔を赤くすると急いでシーツを抱き寄せ身体を隠した。
今まで下着だろうがなんなら裸だろうが誰に見られたとて何とも思わなかったものを、エルクーロ様に見られるのだけはなぜか嫌だった。いや、悪い感情ではなく、ただただ猛烈に恥ずかしかったのだ。
「すまない。女性である君の肌を男の私が見るのはよくない。配慮が欠けていた」
エルクーロ様は私の様子に顔をそらしながらそう謝罪した。
そんなエルクーロ様の謝罪の言葉に私は慌てた。
「も、申し訳ありません」
「……なぜ君が謝るのだ」
「……お目汚しをと思いまして」
私など何の価値も無い存在なのだ。
バルタ攻略に失敗し敗走、エルクーロ様やチックベルの助けがなければ此処で息をすることさえできなかっただろう。戦果を出せない私にどんな価値があろうか。魔族軍の将軍として勝ち続けることが私の生存を約束する要因であったのだから。
「そう自分を卑下するな」
エルクーロ様は至極優しくそう言ってくれた。
だが私としてはそう言われても、と私は目を伏せシーツに顔をうずめた。
彼が私に戦果を期待しているわけではないことは分かっている。だから自分が許せないのだ。彼の為にもなろうと頑張っていた節もあったのだから、結局手を煩わせてしまった。お荷物だ。
そしてそんな戦いで私は……また失ってしまったのだ。
もう私には何も残っていない。
いや……否。断じて否だ。
我が軍の9割以上が逃げ延びた。再起の目はある。
トグーヴァも逃げ延びていると信じたい。キエルもまだ助けを待っているかもしれない。
いかな聖剣が現れようとバルタに与えた打撃は小さくない。バルタ内部のリビングデッドは鎮圧されていようが、大門の破壊と防衛設備の無力化は叶った。このまま連続進軍によって一気に叩くことは不可能ではない筈。
聖剣さえどうにかすればまだ私は勝てる。クォートラの状況は不明だが、すぐにゾフとツォーネに声をかけて軍を纏めなおさなければ。
そうして沈黙の中私は再進撃の心を固めていたが、エルクーロ様が突如として提案をしてきた。
「ココット、久しぶりに紅茶を飲まないか」
「え……?」
私はその言葉にゆっくりシーツから顔を出した。
エルクーロ様は変わらず真剣な表情でじっと私を見ていた。
紅茶、紅茶か。暖かい紅茶を飲めば気も落ち着き再びバルタを攻略するための策を練る頭もできようか。
そう思ってみれば。
「だが急いできた故茶器を持参していない」
ならばここでは飲めない。移動するしかないわけだが。
「で、ではルイカーナまで戻るというのですか……? この状況で……?」
「そうではない」
ならば何処へと問う前にエルクーロ様が語った言葉に、私は酷く驚いた。
「魔王城へ帰ろう、ココット。バルタ攻略は私の一存で断念する」
♢
「ついて来てほしい」
魔王城へ帰還するといったエルクーロ様の言葉に混乱した私は、続けざまにそう言われてシャツだけ羽織ってテントを出ると、エルクーロ様の先導で駐屯地を歩いていた。
ほんの少し歩いただけで、エルクーロ様の思惑は何となく理解した。そして己の考えの甘さを思い知った。
周囲の状況が何よりも痛烈に彼の考えを私に語ったのだから。
何処を見ても慌ただしい様子の魔族達。
医療担当の魔族があくせく動き回っている。死者が少なかったとはいえ負傷者は私が思っていたよりずっと多いようだった。頑丈な魔族もあの状況の脱出に際して相当痛手を負っていた。
屋根付きのテントの下では場所が足らず、広場に座り込んだまま治療を受ける魔族達の姿を見て私は唇を噛んだ。
特にエルクーロ様が来て下さる前まで殿をして最後尾にいた連中の負傷は酷いものだった。腕を無くしたものや顔の半分に包帯を巻きつけたものまで。傷の痛みでうめく声はそこかしこから聞こえていた。
こんな有様で再進撃など……という事なのだろう。私は震える拳を握りしめながら、私を眺める傷ついた魔族達を見渡していた。
と、エルクーロ様の後ろを付いて歩いていれば、駆けてくる足音が二つ。
ゾフとツォーネだった。
二人はエルクーロ様に敬礼をしたのち、私に体を向けた。
「お嬢、目が覚めたんですかい。よかった、心配してたんですぜ。特にこいつが」
「うっさいですわ。わたくしが一番ココット様を心配するのは至極当然。ご無事で本当なによりですわ~」
「二人とも……」
私を心配してくれる彼らも決して小さくない傷を負っていた。
ゾフは上半身は未だ血の滲む包帯だらけで、ミイラのような有様。ルイカーナでシアと戦闘した際もここまでの傷は負っていなかった。
ツォーネに至っては片腕に添え木をしていた。本人曰く折れてはいないらしいが大きな傷を受けたので治癒するまでは動かせないとのことだった。
ショックだった。私の作戦でここまで彼らに傷を負わせてしまった事が。
あの作戦を指揮したのは私でありその責任は私にある。彼らは私を責めてもいいがおそらくそうしてはくれない。だから私は私を責め苛んでただただ安易な言葉を口にすることしかできなかった。
「……すまない」
……と。
決して無事とは言えないが生存してくれていた彼らにクォートラはと聞けば場所を示してくれた。
傷が一際酷く人化できないため竜化したまま治療するために駐屯地の外れにいるらしい。
二人とエルクーロ様についていく形でクォートラの下へやって来て、私は息をのんだ。
クォートラは地面にうずくまるようにしながら、私に気付くとその大きな頭をもたげて私を見た。
「……姫、お目覚めになられたのですね。心配を致しました」
心配だと。
その体でそんなことを言うのか。
「御見苦しい格好をお見せして申し訳ございませぬ」
クォートラはそう私に対して謝罪をして、頭を下げた。
そんな姿に私は自分の無能を呪った。
自分の身体より、たいしてけがなど負っていない私の身を案じるこの大きなドラゴニュートは、その片翼を大きく欠損していたのだ。
あの突如として私たちを撃ち抜いた光の奔流。あの直撃を受けて撃墜されたのだ。大きく分厚い右翼の実に半分を切り裂かれたかのように失っているクォートラの傷口からは、未だに赤い血が滴っていて無理やり巻かれたであろう赤く染まり切った包帯から滲みだして地面に池を作っていた。
それだけではない。撃墜され地面に叩きつけられたのだろう。足でも痛めたのか妙な組み方で寝そべっているし、擦り傷めいてうろこが削げ落ちていたりと痛ましい。
クォートラの治療には今も数体の魔族が必死に忙しく動き回っていた。
私は拳を握りしめただただ黙した。
こんな状態のクォートラや、他の魔族達の状況を加味せず私は再進撃などと考えていたのか。
とてもではないが、まともに戦えはしない。
仮にこんな様で出撃したとして、自殺紛いの戦いになる。命を捨てる前提で戦う事になる。
私自身がそうなるのは構わない。だがもうこれ以上失うことはできない。
先の戦が最後のチャンスだったのだ。私が終わるための最大のチャンスを、私は逃したのだと理解して目尻が熱くなってくる。
「これが現状だ」
エルクーロ様が静かにそう言った。
私はぐっと目を伏せたまま、無言の肯定を返した。
バルタは落とせなかった。一緒に幸せになろうと、守ってやると誓った筈のミオは殺された。
最期まで一緒に居てくれると言ってくれたキエルも居なくなった。
ゾフとツォーネも大けがをして、クォートラに至っては見るも無残な有様。
兵は疲弊し、魔物部隊も……私の過去を知るトグーヴァも置いてきてしまった。
聖剣一人現れただけで、この様だ。
所詮私はただの小娘だった。がむしゃらに進んで人間を殺し街を落としてきて、悪魔になって得たものはなんだ?
失ってばかりだ、私は。結局私は、この世界に勝てなかった。
私は、負けたのだ。
私はがくりとひざを折り、地面に手を付き項垂れた。
ゾフとツォーネが心配そうに駆け寄ってくる。私の視界では、私の目から落ちた雫が地面にシミを作っていた。
一時、私の嗚咽が駐屯地の外れにこだました。
そんな私の前に手が差し出される。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げてみれば、エルクーロ様が地面に膝をつき静かに私に手を伸ばしていた。
この手を取ってしまえばどうなるかは分かっていた。
キエル達から目を背け、逃げる選択であると。
私は魔将軍として、悪魔としてのココットではなく。アウタナに居た頃の弱い私に戻ってしまうと。
それでも私を見るエルクーロ様の赤い瞳は何処までも真っ直ぐに見えて。失ってばかりで押し潰されそうだった私の瀕死の心にはあまりにも眩しくて。
レイメの目にも似たその柔らかな視線に私の視線が重なった時、私の中で何かが折れた。
私は一瞬の沈黙の後、喉元までせりあがった叫びを押し殺しながらゆっくりとその手を……取った。
優しく私の手を握るエルクーロ様の手は……暖かかった。




