#111 墜落
「……それで、聖剣はバルタに向かったのでしょう」
メーアはワイングラスを揺らしながらにわかに微笑んでそう言った。
対面に坐するアーバーンはその言葉に、同じくコップに注がれた茶を飲み干したのち笑って答える。
「ああ」
「よく聖鎧騎士団が許しましたわね。わたくしの軍とにらめっこの最中だというのに」
「アルアダンのおっさんにはどうしようもねえよ。俺たち勇者は王の命で戦場の最高権力を持たされてる。出かけると言えば出かけられる。そうでなくっちゃあ俺が一人でこんな場所に居るわけないだろ?」
「それもそうですが、貴方が此処に居るのは、聖鎧騎士団は知らないと踏みましたが如何?」
「ま、大当たりだ」
メーアはグラスを置くとふふんと笑う。
アーバーンはアルアダンに偵察に出てくると言い残してこの場に来た。そしてメーアはそれを迎え入れた。
まるでアーバーンが来ることが分かっていたかのように、そして敵意ももたずに会話をするこの二人の中にはある談合があるのだと匂わせていた。
そう、メーアとアーバーン。この二人に最早戦闘を継続する意思はない。する意味もないのだ。
両者の狙いは既に達成されつつある。あとはどうこの戦争に決着をつけるか、という点においてのみが残されているだけだ。
故に主戦場の戦いはもう終わったと言ってよかった。適当に睨みあいさえしていれば、あとは勝手に上がやってくれる、そういう手はずだった。
だから両者は待つ。バルタでの戦いが終わるのを。
「でもファルトマーレもあなたも欲深いですわね。聖剣をバルタに送って、勝ち戦で戦争を終えたいのでしょう?」
「まあそう言うのもあるが、釣り合いも取れねえしな」
「釣り合い?」
「俺の予想だが……クーちゃんはもう死んでる。だからせめてフォルトナには敵討ちをやらせたいのさ。バルタにまで戦いの火が及んでるのはお互い予想外だ、そっちの手違いをこっちの利にして釣り合わせる。当然だろ?」
アーバーンの言葉にメーアはまあ、そうですわねと腕を振った。聖女は死んだだろう。エルクーロの所に寄越したアンドレオからの報告でメーアの耳にも入っていた。よくやったものだと思っていた。どうやったのかは知らないが聖弓に加えて聖女まで殺したのだ、あの小さな娘は。
余裕の表情のメーアにアーバーンは少しだけ机に身を乗り出し悪戯っぽく笑って見せる。
「それに、あんたもバルタに駒を寄越したって話聞いてるぜ。何を狙ってるのか知らんがお互い様だろ」
「あら、耳がいいのですわね。正直折角バルタまで押し込んだのですから、多少は貢献したという証を得たいと思いまして。あわよくばアンドレオがバルタを落としたという形になれば、それはそれでわたくしの利になりますもの」
「アンドレオが落とせなかったら?」
「別に構いませんわ。不利益はないですし? 0か1か、マイナスにはなりませんわ」
まるでゲームの盤上を眺めるかの如く、両名はそう話しては笑う。
魔族の四天王と勇者が戦争の裏で談合し笑う。異様な光景。
この二人が裏でつながっていたことは明白であった。
メーアはカラになったワイングラスに赤いワインを注ぎながら、頬杖をついてアーバーンを上目遣いに見る。
「……ですが、聖剣は勝てますかしら」
「ん? どういう意味だ」
「バルタを攻めているのは魔将軍ココット……あの子は一筋縄ではいきませんわ。エルクーロが可愛がっているんですもの。それにあれの部下にはわたくしの可愛い妹もいるのですが、聖剣は死なずにいられますの?」
そんなメーアの挑発的な言葉に、アーバーンは笑いながら答えた。
「まあ十中八九負けねえだろうな。アンタにゃ悪いがフォルトナは俺たち勇者の中じゃ――最強なもんで」
♢
バルタの戦場で戦鞭を振るうアンドレオは、いよいよもってバルタ防衛網を突破せんとしていた。
戦力の一点集中による防衛線の突破は、敵がココットの予想通り散会し包囲の形をとってきていることでつつがなく進行していた。
「脆いなあ。ココットの言う通りだ。後は防衛陣を抜けてバルタ大門を突破し教皇庁を落とす。メーア様もお喜びになるだろう」
アンドレオはぱしぱしと鞭を掌で叩きながら戦場を眺める。
戦場音楽は未だ曲調を変えず勇壮な音楽を奏でている。魔族達は人間たちを押し込み続け、防衛陣にほころびが見受けられた。
それがこちらを誘い込むために敢えて作られた綻びだとしても、こちらの狙い通り。
「しかしココットはいつ出てくるつもりだ……? 我々の突破と同時の腹積もりか? ……まあいい、今は進むのみ!」
ココットが既に大門に到達していることを戦場の喧騒で未だ知らずのアンドレオは前進指示をかけようとして、副官の報告を聞いた。
曰く、戦場に新たな敵が現れたとのことだ。ここにきて援軍とは予想だにしていなかったが、もう遅いだろう。
援軍含めてココットに押し付けてしまえばいいと考えたアンドレオは副官に気にしないよう言うが、突如として戦場の様子が変わったことで眉根を寄せた。
「敵の士気が上がっている……」
先ほどまでは一方的な戦であり、未だ数で勝る人間であったが士気は低下していた筈。動きもおかしい。包囲陣形の動きが悪い……いや、ちがう。変わった。
この動きは包囲をするためのものではない。
「何が起きている……援軍とはなんだ? ……なにっ」
敵軍を眺めていたアンドレオは敵軍の中を一直線にかけてくる馬を目に捉えた。
その馬に跨るのは年若き青年、しかしその青年の行く道を開けるように敵の防衛網に穴が開いたのだ。
背後から現れたあの青年の後ろには何人かの騎士も随伴している。
その若者の顔を見てアンドレオは目を見開く。
黒髪に毛先に朱が入った中性的な顔立ちの若者。間違いない。フォルトナだ。
「何故この場に聖剣が……私は何も聞いちゃいないぞ!」
アンドレオは近くの魔馬に急ぎ跨ると戦場を駆けるフォルトナへ向かった。
そして大きく戦鞭を振るうと、フォルトナの眼前に一撃を放つ。
フォルトナの一歩先に叩きつけられた戦鞭は地面を切り裂き一筋の線を生み出した。
フォルトナは嘶く馬を落ち着かせると戦鞭の放たれたほうを見やり、自分に近づくアンドレオに気づくと背中に背負った剣を抜き放つ。
続けざまにあいさつ代わりのアンドレオの戦鞭が風を切る音を立てて飛来し、それをフォルトナは剣で振り払った。
「魔将軍アンドレオ……貴様がバルタ攻めの指揮官か!」
「ハ! そう思ってもらっていいさ! 事実この戦は我が掌の上!」
「何を言っている! クーは何処だ!」
「さあね! こちらにも疑問は多々あるが、今は手柄としてその首を頂くほかないらしい! バルタ並みの値打ちだろう、勇者の首は!」
「貴様とふざけている暇などない!」
横並びになったフォルトナとアンドレオは馬上にて剣戟の応報を浴びせ合う。
やがて両者は馬上から地面に降り立つと、やや間隔をあけて構えた。
アンドレオはにやりと笑ってフォルトナを見る。
得物のリーチはこちらが上、間合いに入らせさえしなければいかな聖剣とて手も足も出まい。そしていくらフォルトナが強かろうがアンドレオの戦鞭を躱して間合いに入ることなど不可能。
フォルトナもそれが分かっているのか、口を一文字に結んだまま動かずにいた。
にやりと笑ったアンドレオは勝てると踏んで鞭を恐ろしい勢いで振り回す。威嚇めいた行動にも怯えを見せないフォルトナは、握った聖剣の柄に力を込めた。
「想定外の遭遇だが、急いでいるんだ……一気に突破させてもらう!」
フォルトナは叫ぶと上段に剣を構える。刹那、白き剣に眩い輝きが宿り始める。
アンドレオは察する。あの一撃は自分の肉体を滅ぼし得るものだと。だが、リッチである自分と死体の多く集まるこの戦場ならばと口角を吊り上げる。
しかし、それは過ちであった。構えたフォルトナの動きを隙と捉え、己の不死性を過信しフォルトナへ突撃するアンドレオ。
「例え一度殺されたところで私にしちゃあ何でもないのさ!」
そんなアンドレオを見つめながら、深く息を吐いたフォルトナは一気に力を爆発させる。
「リッチの性質は学んでいるよ、アンドレオ!」
そして振り下ろされた聖剣。底から放たれた奔流は白き柱となってアンドレオを飲み込むのだった。
♢
「なんだあの光は……白い、炎……!?」
夜明けの光がバルタの水平線に朧気に灯ってきたころ。
私は主戦場の方角で立ち上る、宵闇の空を切り裂くような閃光の柱を目の当たりにして目を丸くしながら呟く。
甲高い音を放つそれは明らかに自分に利をもたらすものではないことが感じられた。
斬り合うゾフ達も光の柱を見たらしく、ただ事ではないとして一度距離をとり、私の隣にやってくる。
「あの光、ただごとじゃねえ」
「見ていて気持ちの悪くなる光ですわ……心臓が締め付けられるような……!」
「主戦場で何があったんだ……ん、これは……!」
私は耳を澄ませる。
主戦場から絶えず響いてきていた我が音楽隊の曲調。それが、変わっている。
それを聞いて私は目を見開き、歯を食いしばった。
変わった曲調の意味は……「アンドレオ将軍が戦死、戦線は圧倒的不利、撤退する」の意味なのだから。
「ぐ、ぎ……馬鹿なッ!」
私は地団駄を踏んだ。奥歯が砕けんばかりに食いしばりながら何度も地面を踏みつけた。
「アンドレオの愚図野郎ッ! あれだけお膳立てしてやってなにを勝手に死んでいる! リッチは死なずが取り柄ではなかったのか!」
くそっ、くそっ! 頭が痛い! 使えないアンドレオめ、簡単に死にやがって! 死んでしまえ!
いや、落ち着け。こういう時こそ落ち着け。アンドレオとて魔将軍。死ぬにはあまりにも早すぎる。
まして不利を悟ればすぐさま音楽の知らせがあるはずだった。であれば不測の事態。何かは分からないが、不測の事態が起きた。
それでどうなる。結果を考えろ。
アンドレオが死ねば主戦場の連中はここに来る。我々が挟撃される。
「くそったれがッ!」
私はギロリと大門を睨みつける。未だ焦げ付いていて燃えてはいるが燃え落ちてくれるほどやわではない。
最早猶予はなくなった。
そこで私は再度ゾフらに命令を下そうとして、頭上の羽音と覆い隠すような影を見た。
「姫!」
私の後ろに飛来したクォートラが血相を変えた声色で私を呼んだ。
「クォートラ……!? 何を、何しに来た! 爆弾も持たずに! 私が命令したのは――――」
「聖剣です! 主戦場に現れたのは聖剣の勇者フォルトナです!」
「んなッ――――」
聖剣の勇者、フォルトナ――――それがここバルタに来たというのか。
ならばアンドレオが死んだのは頷けなくもない。だが、何故!? 奴は主戦場に……まさか主戦場のウラガクナ様は既に敗れたというのか!?
「おいクソヴァンパイア、いくら相手が聖剣だからってあのアンドレオは死ぬのか? リッチだよな」
「死にますでしょうね。聖剣の力は確か斬りたいものを斬るとかいうクソ我儘なモノだったはず。あのいけすかねえリッチの魂ってやつごとぶった切られたって事なんでしょーよ」
ゾフとツォーネが何やら話している。私は拳を握りしめていた。
大門は未だ破壊できず、突破もかなっていない。主戦場の囮であったアンドレオは死に、貸し与えていた我が軍は撤退。主戦場の敵軍は我々を挟撃してくる。勇者と共に。最悪の展開が次々とはじき出され、最後に頭の中に浮かんだ言葉が、私をどうしようもなくイラつかせた。
口にしたくない。考えたくもない。
これ以上どうしようもないからと言って……!
「撤退などォ……ッ!」
「いけません姫、撤退を! もはやこれまで!」
「嫌だ嫌だっ! 何のためにここまで来た! あと少しだっていうのに……!」
撤退なんか嫌だ! ここにきて舐めるのか? 苦汁を? 辛酸を? 嫌だ!
あの門の向こうにさえ行けば、全部終わる! その為に来たんだろう? 全部終わらせて私も何もかも終わらせて!
あの門をぶち壊して、向こうに行きさえすれば……!
「あの子に、会えるのに……!」
縋るように私は大門に手を伸ばす。
そんな私の伸ばした手を、ギュッと掴まれた。
はっとしてみれば震える目をしたキエルが魔馬から降りて私の手を掴んでいたのだ。
何を、と言う前にキエルは私の手を自分の胸に引き寄せて、両手でぎゅっと握りしめた。
「ココット! 落ち着いて……気持ちは分かります、けど……! でも、ダメです!」
「ダメってなんだよっ! お前だってミオの死に顔を一緒に見ただろう!」
「死者に憑りつかれちゃ……ダメなんですよっ!」
キエルの言葉に私はなお歯を食いしばって睨みつける。
「貴様に何がわか……」
そう、言いかけて。私の瞳をじっと見るキエルの瞳を見て私は口籠る。
大切な者を失った悲しみを知った風に踏みにじられてと頭に血が上った。だが、そうだった。
思い出す。アウタナでの戦いを。恐ろしいまでの相手だった騎士セグン。私の策にはまって死んだ騎士だ。
そう、か。キエルの大切な身内を殺したのは……私だ。
「すまないキエル……すま、ない……ゆるして、くれ……わた、私は……」
口に出たのは、謝罪の言葉。セグンを殺した時の私は何を思った? 愛するものを奪われた悲しみをキエルにも与えられたと喜んでいたはずだ。
だが今は、キエルがその悲しみを振り切って私を心配していること。仇であるはずの私に、愛するものの死に憑りつかれてはいけないと諭す姿に、今生で初めて覚える感覚が溢れてきて、選ぶ言葉も無いままに謝罪を口にしてしまったのだ。
これは、久しく忘れていたこの感覚はそう……罪悪感だった。
狼狽えて俯いた私は自分の手を握るキエルの手に力が入ったのを感じた。
キエルはゆっくりと私に頷いて見せた。そんな事より今はすべきことがあると暗に訴えているように感じた。
「今の私は、貴女に死んでほしくないんです」
キエルはそう言ったのだ。
許すって言うのか、私を。死者に引きずられるなと、生きている隣人を大切にしろと、そう言っているようなキエルの表情に私はキエルの手を握り返す。
『ココットも、キエルもすき! みんなといっしょにいきているいまがだいすき!』
『私もだよ、ミオ。私もキエルも皆も、ずっと一緒にいるさ』
『えへへ……うれしいな。ね、わたしココットがたたかうひとなの……しってるよ。だからしなないでね。ぜったいぜったい、しんじゃだめだよ』
在りし日のミオとの会話が唐突にリフレインする。そして改めてキエルの瞳を見た。
ミオは私に死ぬなと言った。レイメは私に生きろと言った。そしてキエルもまた。
こいつも、失いたくない。私は、私はどうなってもいい。だが、私の過ちで巻き込むのはもうたくさんだ。生きる理由を失うのはもうたくさんなんだ。
ミオのようには、もうしない。間違えない。
私は悔しさを飲み込むべく、空を仰ぎながらぎゅっと目を閉じた。
待ってろ、ミオ。もう少しだけ、待っていろ。
そして目を開けるとクォートラ達に大きく腕を振って命じた。
「撤退……する……ッ」
「「「はっ!」」」
「私はもう、間違えられない……失敗しても、間違っちゃ、いけない……」
私はかみしめた唇から血が滴るのを感じた。
すぐさま魔族をまとめ上げ撤退の段取りを構築する。
このまま馬鹿みたいに転進しても敵にぶつかる。だが来るときに使ったトンネルは使えない。移動速度が遅くなる。
やむを得ない。
「主戦場を大きく迂回して撤退する! アンドレオ軍の残党が生き残っている間にとんずらするぞ! トンネルは爆破する!」
私の命令ですぐさまゾフがトンネルへと向かった。
本来はアンドレオがしくじった際の保険だったのだが、聖剣が居るなら話は変わってくる。トンネルに仕掛けた爆薬は使うしかない。
「逃がすと思うか!」
デオニオが叫ぶ。撤退の色を見せた我々を逃がさないつもりか。
そして剣を抜き追撃指示をかけようとして、背後からの殺気に身を翻した。
デオニオが居た場所を爪が掠め、三本足で唸るトグーヴァがバルタ兵の行く手を遮るように立った。
「トグーヴァ……!」
トグーヴァは私を振り返り、じっと見つめた。
「残るというのか……」
トグーヴァは肯定するように鼻息を零すと、魔物たちもトグーヴァに続くように立ち並ぶ。
「魔物風情が壁となるか! たかが幼女を守るために!」
デオニオが憤り、兵を放つ。魔物たちも咆哮を上げて迎え撃ち始める。
身を挺して殿を務める魔族達と人間どもの乱戦。無駄にできようはずもなかった。私と辛酸を舐めた輩であるトグーヴァの覚悟なのだから。
時間がない。急がなくては。
「逃げられるのならば逃げて来てくれ……私は友を失いたくない」
そう、トグーヴァに告げれば、トグーヴァは大きく咆哮を上げてデオニオへと突貫していった。
その姿に背を向けて、我々は大門を離れるように駆け出した。
大分大門から離れた場所ではいまだに難民が戦場をうろうろしていた。
最早どこに行けばいいのかもわからない様子だった。
トンネルから出てきたゾフと合流し爆破準備が整った事を受けると、上空をドラゴニュート達が大門へ向かっていくのが見えた。
「あいつら……!」
「我が部下には荷を運ばせておりました故、火急の用とあって私めのみ姫を迎えに参ったのです。せめて大門だけでも我らドラゴニュートの意地にかけて破壊してみせましょう」
だから今は逃げる、ということか。憂いが一つ減った。感謝するぞ、クォートラ。
しばしの沈黙の後、大門の方で爆発音が聞こえてきた。やったてくれたか、連中は!
確認したいところだが、敵兵の排除はなっていない以上嫌がらせに留めておくしかない。どちらにせよ大門の突破はデオニオら聖歌隊の排除が不可欠。そんなことをしている間に背後から敵が来ればそれこそ敗北だ。
ならば。やる事は終わったと判断すべきだ。名残惜しいが次への布石は置いていくことで自分を納得させる。
「ゾフ! 爆破しろ!」
「へい!」
すぐさまゾフが部下に命じ、少しの間をおいてから地揺れが、そして地面が割けて轟音と共に爆炎が噴き出した。
よし、これでデオニオらの追撃部隊は足止めできるはずだ。魔物たちも逃げおおせてくれることを祈るが……覚悟は決めておかねばならない。
あとは脱出さえうまくいけば。主戦場の敵兵がただで見逃してくれるとは思えんが……。
私はクォートラの背によじ登り、キエルに手を伸ばした。もはや魔馬では安心できない。
キエルは恐る恐る私の手を取ろうとするが、その時子供の泣き声が私たちの耳に届く。
きょろきょろと首を回せば成程大門の方に子供がいる。瓦礫の隅で足を抱えて泣いているらしい。母親を呼んでいるらしいが……。
そこで私はハッとする。キエルが子供を見ている。まずい。
「おいキエル、何してる! 早く手をとれ! 逃げるんだよ!」
と、キエルが私の手を取るのをやめてその子供めがけて走っていったのを見て私は驚き、叫ぶ。
「馬鹿! 捨て置け! 自分の命の心配をしろ! どうせ助からん!」
「すぐ戻りますから!」
「キエル! ダメだキエル!」
キエルは私の声にすぐ戻ると重ねて念を押し子供の所まで走って行くと、その手を取った。子供は酷く怯えた様子を見せたが、相手が人間であるキエルだと分かると再び泣き始めた。キエルはゆっくりその背をさすりながら門の方へ行くように言っているらしい。しきりに指さして何かを言っている。
早く来い、キエル……難民なんか気にした所で意味などないだろうに!
「もう地盤の崩落は始まっているんだぞ!」
私は喉が痛むほどの大声で叫びキエルを呼ぶ。
キエルは未だに子供の手を取ってゆっくり立ち上がらせている所だ。石造りの地面はいたるところが崩落し、火も上がっている。危険すぎる。
そこへ母親が来て子供を連れて行く。キエルは子供が母親とともに駆けだしたのを確認してやっと此方を向いた。ヒヤヒヤさせてくれる。
だが、キエルは戻ってこようとしたところで直後爆発で陥没した道に阻まれる。
狼狽えたキエルは私に目を向けるが、完全に私とキエルの間の道は崩落した。
私は目を見開いた。
「いかん、クォートラ! あいつを迎えに……」
しかしクォートラが羽ばたくよりも早くより大きな爆発が起きて地面を揺らした。クォートラも体勢を崩しあわや私もその背から落ちかけてしまう。必死に背中にしがみついた私はキエルを見やり、あいつと目が合った。
キエルは、笑っていた。
そして口だけを動かし何かを私に伝える。その意味するところをくみ取った私は顔色を変えて叫びかけて……。
一際大きな爆発が裂け目から吹き上がり、続く崩落の粉塵と爆炎はキエルの姿を掻き消した。
「キエルぅうッ!」
私は悲鳴を上げてクォートラの背から飛び降り、地面に転がる。そしてすぐに立ち上がってキエルの所へ向かおうとしたものでクォートラが目の色を変えた。
「……ッ! ご無礼ッ!」
クォートラの声と共に私の身体は浮遊感を覚える。
クォートラが私の服を咥え上げていたのだ。
「離せこのやろうッ!」
「離さぬ! 貴女だけはこんな所で死んではならない!」
「だがキエルが……キエルがぁっ! うわっ!」
クォートラに放られ無理やり背中に乗せられる。
そして私が何かを言う前にクォートラは大きく翼を羽ばたかせた。
「ゾフ、ツォーネ! 姫は任せろ! 軍をまとめ上げて撤退の指揮をやれいっ!」
叫びながら上昇するクォートラ。地上ではゾフとツォーネがすぐに撤退の指揮にかかっていた。
私は必死にキエルの姿を探す。だが粉塵と爆炎でキエルの姿は何処にも見えない。
私はどんどんとクォートラの背中を叩き下ろせと命じるがクォートラは応じない。私は目尻が熱くなってくるのを感じた。
やがてクォートラが大きく羽ばたき一気に上昇。バルタ旧市街が見る間に小さくなっていく。
私は眼下の旧市街に手を伸ばし、叫んだ。
「くそっ、クォートラ! やめろ、やめてくれ! 嫌だぁあっ!!」
空から戦場の様子を眺めながら、クォートラは溜息をついた。
「姫、地上部隊は上手く敵主軍の脇を抜けたようですが、追撃があります。逃げ切れるかどうか」
「……」
「ゾフとツォーネが殿についていますが、敵の動きが早い。このままでは食いつかれる。逃げられても3割ほどかもしれません」
「わかっているよ……」
私も伏し目がちに眼下の様子は眺めていた。撤退する我が軍を追うようにバルタ兵は隊列を組みなおしている。
今私のすべきことはわかっている。だが……キエルが、キエルが……いなく、なった。
敵地に置いてきてしまった。
そうでなくとも爆発と崩落に飲まれるのを確かに見たのだ。
きっと、死んだ……。
「うっ……うっ……」
「姫……」
「わかっている! くそっ……涙など、枯れたはずなのに……うっ、うっ……」
キエルはあの時私に逃げろと言った。自分の事を心配しろというんだ、馬鹿……。
必至に目元を袖で拭いながら眼下の情勢に目を向け、地上のゾフ達を何とか逃がしてやるべく目を凝らす。
「先んじて森へ向かいます。森にさえ入れば連中も追撃は散漫になるはず」
「ああ……」
涙を零しながら私は唇を噛み、悔しさと悲しさが胸を埋め尽くす中戦場たる地上を見やる。
クォートラは既に森の上へと入ろうとしていた。あとはゾフ達が逃げられれば……。
「う……あ……? なんだ、光が……」
私は目を拭いながら地上を見ていて、何か白い光が見えた気がして。
次の瞬間には、私の視界は真っ白に埋め尽くされていた。
甲高い音。
浮遊感。
風の音、感触。
空を、落ちているのか。
目を向ければクォートラの翼が大きく損傷していて、すぐ近くを白い柱が奔っていた。
撃墜、された……。
それで私はクォートラの背から投げ出されて、落ちている。
死ぬ、のか。
死んでいい、のか。
涙が風に乾く感覚。それでもなお溢れてくる涙に視界がぼやける。
そんな潤んだ視界に、私は黒い飛翔体を認めた。それはまっすぐに戦場へと向かっていて、私は……。
「ああ、あの黒い……翼……」
あの日と同じ、黒い翼だ。
私の目尻から一筋の涙が零れ落ちる。
胸が締め付けられるような感覚と浮遊感を最後に感じ、意識が遠のきながら私は彼の名を呼んだ。
♢
「ドラゴニュートが落ちたぞ!」
バルタ兵の歓声が戦場に響く。
その眼前ではフォルトナが息をついて白い剣を鞘に納める所であった。
フォルトナが放った剣閃、それはバルタ大門より飛翔していった大きなドラゴニュートに確かに命中しこれを撃墜した。
「流石は聖剣の勇者殿……あとは我らにお任せを」
「ああ……僕はバルタへ向かう」
フォルトナの言葉に頷いた兵士は道を開ける。
フォルトナは魔馬に跨ると、バルタへの道を急いだ。
任された兵士たちは武器を構え、魔族の追撃を再開する。
魔族達は森への撤退を始めていたが、彼我の距離はまだバルタ兵の射程圏内であった。
「追撃しろ! 逃がすな! 弓兵ー!」
合図に合わせて兵士たちが矢を弓につがえ、弦を引き絞る。
森へと逃げ込む魔族たちめがけて数千にも及ぶ矢が飛来する。まるで白んだ空を黒く覆いつくすイナゴの大群めいた矢は魔族めがけて降り注がれんとしていた。
そして矢が放たれると同時に兵士たちが恐ろしい勢いで突撃してくる。
ゾフとツォーネも額に脂汗を浮かべ、兵士と、自分たちを射抜かんとして放たれたおぞましい数の矢を眺めていた。
が、刹那。
ゾフとツォーネ……魔族達の前に黒い何かが飛来し、着地した。
その姿を見て驚くゾフとツォーネの目の前で、それは黒々とした異形の腕を一薙ぎする。
たったそれだけの動作で、巻き起こった衝撃波は飛来した矢と突貫してくる兵士の先鋒を吹き飛ばした。
遅れてきた追撃部隊の隊長は足を止め、何事かと目を凝らす。
そして今しがた矢を弾き飛ばしたそれを見やって、目を見開いた。
「き、貴様は……ッ」
黒い翼、異形の腕。ブロンドの髪を持ち眼鏡をかけた格式高い装束を纏うそれは、ゆっくりと兵士たちを眺めると口を開いた。
「魔王軍四天王……エルクーロと言う」
エルクーロは腕を振りぬいた姿勢のままそう、名乗った。
狼狽える兵士たち。眼前に立つのは四天王。
そしてその四天王たるエルクーロの背後に数多くのハーピーたちが飛来した。
唐突な増援に兵士たちが困惑している所で、エルクーロは一歩踏み出して赤い目を光らせた。
「この場は退いてもらう。さもなくばこの黒曜が相手になろう」
そんな様子を遠巻きに眺めていたチックベルは、エルクーロが追撃部隊と戦闘に入るのを眺めながら笑っていた。
追撃部隊はエルクーロの言葉を無視し、追撃を強行したと見える。無駄なことをする。
先の一撃でエルクーロの実力は大いに浸透しただろうにと。ただの腕の一振りで千に及ぶ矢を防いで見せた力。
あれでも彼は本気ではない。
「まったく、流石はエルクーロくんだね……魔王様の息子……その力は直接戦闘能力なら」
チックベルは手荷物を抱えながら、戦闘態勢をとったエルクーロとそれに勇猛果敢に向かっていく兵士たちを眺めて呟く。
「四天王――――最強なんだから」




