第三章 ナタリー・クルスの謝罪と狂気の足跡
「ゼロ!!」
ゼロが庭園から廊下に戻ると、ナタリーがゼロに抱き付いてきた。ナタリーはしばらく、ゼロの壊れかけの体を抱きしめた後、震える声で謝った。
「ごめんなさい。ゼロは私のために頑張ってくれてたのに……、私……」
ゼロはライトを青く光らせて、軋む音を立てる左手で、ナタリーの頭を撫でた。
「もう、恐がったりしないから……。もう、ゼロに酷いことしないから……」
昔、ゼロが電源を抜かれる時の、謝り続けるナタリーの泣く顔を、ゼロは思い出して。
「絶対に、私はゼロと一緒にいるって、約束する……」
そう言ったナタリーの真剣な顔と、真っ直ぐな眼差しが、ゼロには何よりも愛おしく。ゼロはナタリーを抱きしめた。両腕で強く抱きしめてあげたかったけれど、ゼロにはもう、右腕はなくなってしまった。左腕も、ぎこちない動きしかできなくなってしまっていた。
「だから……、私のこと、嫌いにならないで……。ゼロ……」
ゼロは思い出す。
ゼロがナタリーとお別れする前のこと。そして、ゼロが電源を抜かれて、長い眠りについた時のことを。
◆◆◆
「ゼロ、ちょっといいか?」
二〇三四年、十月六日のこと。
居住区近くの廊下で、ステラに頼まれた荷物運びをしていたゼロは、イーストンに呼び止められた。
一体何かと、ゼロが荷物を持ったまま振り向くと、イーストンにしては珍しい、深刻そうな彼の顔が見えた。
「話があるんだ。大事な話だ」
イーストンの重い口調に事の重大さを悟って、ゼロは荷物を廊下の隅に置き、イーストンについて行くことにした。
その日は、いつもとはどうにも違う、皆の様子がおかしい一日であったことをゼロは覚えている。イーストンはこの通りであったし、ナタリーは顔を見せず、ステラはいつも以上によそよそしかった。
これから、イーストンが何の話をするつもりなのか、ゼロにも想像できない訳ではなかった。
その頃、既にイーストンの護衛ロボットの研究は、その完成を見出しつつあったし、ナタリーがゼロの前にあまり姿を見せなくなっていた。
ゼロは、自分の立場を理解していた。
イーストンが作る護衛ロボットの試作機である、ゼロ。護衛ロボットが完成してしまえば、ゼロの役目は終わる。
何も感じなかったかと言えば、そうではない。
ナタリーにイーストンにステラ。ゼロはナタリーたちの様子から、自分の運命の時が迫っていると仄かに実感する度に、悲しみもしたし、怒りだって感じもした。
けれど、ゼロは堪えたのだ。
ゼロはナタリーたちが好きだったから。ナタリーやイーストンは勿論、ゼロに冷たい態度を取るステラも、ゼロは大好きだった。ステラは普段、ゼロを道具としか見ていないようであったが、時折、ナタリーに向けるような優しさも、ゼロに見せてくれた。
ゼロの気持ちを、イーストンは察していた。ゼロの友達として接してきてくれたイーストンは、真実、ゼロの友人となれたのだから。だからイーストンはゼロに、正直にその話をしたのである。
「ゼロ。ずっと作ってきた機体が、ついに完成しそうなんだ」
ゼロが予想していた通りの話であった。ゼロは覚悟を決めて、イーストンの話をじっと聞いた。
「以前から話していた通り、完成機のジェイソンができ次第、お前の機体は電源装置を抜いて無力化するか、AIを消去する必要がある。僕の研究する人工知能とロボットは、軍事力として利用される危険があるって理由で、保有可能な機体は、一体までに限定されているんだ。ジェイソンの試用データも、地球に定期的に送って行かなくてはならない。僕の研究もヘブンズガーデンの運営に必要な条件だからな……」
それは既に、ゼロも聞いていた話だった。以前、ステラに頼まれて、居住区の掃除を手伝った時、ステラがそれとなく、ゼロに教えてくれたのだ。
「どのみちジェイソンの起動には、お前の体のパーツをいくつも流用しなくてはいけない。護衛用の武装も、足のローラースケートエンジンも」
ゼロの頭に浮かぶのは、いつも一緒にいた、ナタリーのことである。
「いきなりこんな話をされて、困っているだろう。僕もずっと、お前をそのままで残しておきたいと考えてきたが……、どうしようもなかった……」
イーストンは続けた。
「詳しいことを話せないのが、本当にすまないと思っているよ……、ゼロ……。でも、ナタリーの治療のためにも、これからの僕たちには、どうしてもジェイソンが必要なんだ……」
ゼロはライトを点けず、想い、悩み続けた。
例え、ここでゼロが反意を示したとしても、結局、ゼロは電源を切られるしかなくなるのだろう。どういう訳かは分からないが、ナタリーの治療にジェイソンが必要なのであれば、いつかは自分から電源を切られることを望む日が来ると、ゼロは自分でも分かっていた。
けれど、ゼロはずっと皆と一緒にいたかったのだ。だから、なんとか自分も一緒にいられはしないかと、ゼロは必死に考えた。
だが、続くイーストンの次の言葉が、ゼロの想いを大きく揺るがした。
「もう、ナタリーにも話はしてある。……。ナタリーも、それでいいと言ってくれたよ……」
心が深く沈んでいくのを、ゼロは感じた。
「だが、ナタリーもゼロがどうでもいい訳じゃない! ナタリーも悩んでいた。僕らを困らせないように、悩んで悩んで、出した結論なんだ……」
(でも、それは)
「だから、どうかナタリーだけは、恨まないでやってくれ……」
(ナタリーが、自分ではなく、家族とジェイソンを選んだということだ)
ゼロの心には、深い絶望が在った。ナタリーに悪気はないと分かっていても、ゼロはナタリーに捨てられてしまったような、そんな気がした。
ゼロは悩んだ。例え、悩んでも意味がないとしても。
皆への怒りや、悲しみを押し殺しながら、何か方法はないかと考えて。悩んで、悩んで。それでも、どうしようもないことなのだと、ゼロは理解して。
ついに、ゼロは頷いて、ライトを青く光らせた。
「ありがとう……。すまない、ゼロ。お前の体も、AIも、僕はずっと残しておくつもりだ。いつか、またお前を起動して、こうして会えるように」
イーストンのその言葉に、ゼロは少しだけ、救われた気がした。
こうして、ゼロは電源を抜かれることを了承したのであった。
一週間後、二〇三四年、十月十三日のこと。ゼロはイーストンの作業室へと連れてこられた。
作業室には、ステラが椅子に座って、本を読みながら待機していた。ナタリーの姿は見当たらない。ゼロがイーストンから話を聞かされた日から、ナタリーはゼロの前に姿を見せてくれなかった。
「分かってあげて。あの子は、あなたに会うのが辛いの」
ナタリーの姿を探すゼロに、ステラが言った。
ステラは読んでいた本を閉じて、ゼロへと近寄った。ステラの目には隈が浮かび、酷く疲れ切った顔をしていた。連日連夜、ステラは休むことなく研究を続けていたのだ。ステラは日に日に、その体と心を衰弱させていた。
「イーストンから、ちゃんと話は聞いた?」
ゼロはライトを青く光らせ、頷いた。
「……、そう」
ステラは短くそう言って、ゼロから目を逸らした。心なしか、ゼロにはステラの顔の疲れが増したような気がした。
「ゼロ。こっちの準備はできている。心の準備ができたら、教えてくれ」
イーストンは、鉄棒で組まれた台に、必要な機材を全て設置し終えていた。それは、ゼロが初めて起動した時、彼がもたれ掛かっていた台であった。
ゼロはその台を見て、思い出してしまう。初めて起動した時のこと。初めてナタリーたちに会った時の、あの不思議な感覚を。それから後の、ヘブンズガーデンでの生活を。
しばらく、昔のことを思い出し、感傷に浸っていたゼロは、やがてイーストンの方に向いて、頷いた。
そして、ゼロは台に乗った。
イーストンが周りに置かれた機材とゼロの体を、何本ものコードで繋いでいく。
「懐かしいなぁ……。初めてお前に電源を入れた日も、この台を使ったっけ」
どうやら、昔のことを思い出していたのは、ゼロだけではないようだった。イーストンは機材を繋げていきながら、ゼロに胸の内を曝していく。
「あの時は、これからどうなるのか心配だったが、ここまで来てみれば、あっという間だった……」
ゼロも思い出す。あの時は、ナタリーと上手くやれるのか、これから何をしていけばいいのか、無性に不安に感じたのを覚えている。
「お前といるのは、楽しかったよ、ゼロ。ずっと夢だったんだ。ロボットと友達になるってこと」
「ナタリーの教育のために作ったAIなのにね。いい大人が、子供よりはしゃいじゃって」
傍で見ているだけだったステラが、呆れたようにそう言った。その顔は、笑っていた。
「そんなことない! ナタリーの方が喜んでたさ! 大体、お前だって楽しそうにしてたじゃないか!」
「そんなことない」
ゼロは驚いた。ステラがゼロと話すとき、大体いつも冷たい態度を取っていたのに。
「こんな時にまで隠すことないだろ。なあ、ゼロ。ステラはな、実際お前のこと結構気に入ってたんだぞ」
「ちょっと!」
ステラの顔色に、小さく赤みが混じったように見えた。ゼロは意外なステラの一面に、楽しくなって、ライトを青く点滅させた。
「ははっ! ゼロにも笑われてるぞ、ステラ!」
「勘違いしないで! 別にあなたのことを気に入った訳じゃない。ただ、ちょっと便利だと思っただけ!」
「はっはっは!!」
イーストンと共に、ゼロは笑う。
楽しかった。
いつかまた、目覚めた時に、この楽しさに再び浸れることを、ゼロは願って。ゼロの電源装置を取り去る、最後の作業が始められた。
イーストンが、粛々と作業を進めていく。イーストンもステラも、もう何も言わなかった。ただ、ゼロの機構が外されていく音だけが、作業室に響いていた。
そして、ゼロの電源装置が取り去られ、ゼロは予備電源に残された、僅かな電力が失われるのを待つのみとなった。
イーストンとステラが、それぞれゼロに最後の言葉を贈る。
「また会おう、ゼロ。その時は、もっとカッコいい体に換えてやるからな」
ゼロは、イーストンのことを――――
「ゼロ……。今まで、ナタリーのことを……、ありがとう……」
ステラの事を――――
ゼロは本当に愛しく想いながら、電力と共に意識が薄らいでいくのを感じて。最期に、もう一目だけでも、ナタリーに会いたかったと――――
「――――ロ、――――ロ!」
ゼロは、そう思って――――
「――――ゼロ!!」
ゼロは、顔を上げた。
聞こえた声は、待ち望んだ人の声。ナタリー・クルスの声。ゼロのライトが鈍く輝いた。
ゼロの視界に映ったのは、ゼロの体に抱き付いて、涙を流すナタリーの顔だった。
「ゼロ……! ごめんね、私、私……」
ゼロはナタリーの顔へ、残された力でライトを向けた。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……。ゼロ、ゼロ……」
薄れゆく意識の中で、ゼロは何度も何度も、心の中で、ナタリーにお礼を言った。
「あなたのこと、ずっと大好きでいるから……」
それから、ゼロは最期に、ナタリーの涙を拭おうと手を伸ばして――――
「だから……、私のこと、嫌いにならないで……。ゼロ……」
けれど、その手は届くことなく。ゼロの意識は途切れたのであった。
◆◆◆
ゼロが思い出に浸っている間に、ゼロとナタリーはステラの第一研究室の前にやって来ていた。
ヘブンズガーデンにある、二つのステラの研究室のうちの一つ。
ゼロはステラの研究室に一度も入れてもらったことがなく、中を見るのはこれが初めてとなる。
居住区へ行く道は他にもあるが、この研究室を通るのが一番の近道だ。普段ロックがかかっていた扉も、今ではその扉自体が吹き飛んでしまっている。
だからゼロたちは、その研究室へと足を踏み入れた。
まず、ゼロたちの目に映ったのは、研究室の壁に設置された、動物を入れておくためのたくさんの檻だった。檻の中には、干からびた動物の遺体が残されていた。
「動物……、みんな死んじゃったの? ゼロ……」
ナタリーは寂しそうにそう言って、ゼロの手を握った。
この研究室には、かつて多数の動物が飼われており、ナタリーはよく、ここからステラが連れてきてくれる動物を、ゼロと一緒に可愛がっていた。
ナタリーの手を握り返して、ゼロは研究室の中を探索しながら、奥へと進んだ。
研究室でも火災は起こっていたようで、床や機械が黒く焦げ付いており、床に散らばる書類も、殆どが燃えてしまっていた。
ゼロにとって、研究室の中を見るのは初めてのことであり、その内装を見るのも当然、初めてのことで。
ゼロたちの目を最も引いたのは、細長い、筒状の透明ガラスを備えた、培養装置である。見慣れぬその機械に、ゼロが立ち止まる。ナタリーは気味悪がり、早くここから出たそうにしている。
培養装置のカプセルの中は、濁った液体が詰まっており、何が入っているのか見ることはできない。ゼロは培養装置から視線を離し、今度は床に散らばる、燃えずに残った書類にライトを向けた。
書類のうちの一枚を拾い、ゼロはその書類に書かれた文字に、思考を揺るがせた。
“第一研究室及び第二研究室での脳移植の成功検体と、その経過”
(脳移植?)
ステラとイーストンがそんな研究をしていたという覚えは、ゼロにはない。
脳移植は、ただの臓器移植とは訳が違う。脳とは生物の本体、意識や心そのものとも言える器官であり、それを移植するという行為に対する議論は尽きない。医学的意義を持ちながらも、“悪魔の研究”とも呼ばれる程、倫理的に深い問題を持っている故に、脳移植の研究は幾度となく踏み止められてきた。
他の書類にも目を通すと、そこには、犬や猿など、動物の脳移植に関する実験結果と考察が綴られていた。初めの頃は、脳移植の失敗を繰り返していたようであるが、何十という実験を繰り返し、徐々に成功例を出していっていたようだ。
(なんのために、いつの間に、こんな恐ろしい研究をしていたのだろう)
ゼロの記憶にあるイーストンやステラの優しい様子と、今手の中にある実験レポートのおぞましさが噛み合わず、気味の悪い感覚がした。
ゼロが他の書類を漁っても、日付の書かれたページは見つからなかった。燃えてしまった中に日付の書かれた物があったのか、もはや知ることもできない。
研究室の奥に進んだゼロたちが扉を見つけ、そこが研究室の出口かと思えば、その先には短い廊下があった。床や天井、壁が格子になった、脱衣室を兼ねた廊下らしかった。
そして、廊下の先には、新たな扉が一つ。
その扉を開けると――――
「ゼロ……。ここ、何の部屋……?」
扉の先にあったのは、一つの部屋。
そこには、一台の手術台と、鉗子やメスといった、手術に使う器具がしまわれた棚があった。手術台の上には大きな照明が天井からぶら下がり、様々な機材が置かれていた。
手術室である。
先程の短い廊下は、消毒室であったのだと、ゼロは気が付いた。ステラとイーストンは、ここで手術を行っていたのだ。ゼロとナタリーに知られないように。
恐らく、脳移植の手術を。
しかし、ゼロには疑問があった。それは、脳移植などという途方もなく高度な手術を、医者でもないステラとイーストンがどうやって行っていたのか、ということだ。
頭部を切開して脳を露出させることはともかく、血管の縫合や、脳幹の切断から接合まで、マイクロ単位の細さの糸を扱うような手術が、ステラやイーストンに出来るとは、ゼロには到底思えなかった。
ゼロは棚を開け、その中にクリップボードに挟まれた書類を見つけた。書類に目を通すと、ゼロは気になる記述を見つけた。
“ジェイソンの手術技術は充分な最適化がされている。ゼロに対して行った、指先の精密動作テストのデータを元に設定したジェイソンのプログラムは、脳移植手術が可能なレベルに達している”
その書類に載せられた表には、ゼロが昔、イーストンやステラにやらされた、極細い繊維を用いた裁縫の細かなデータがまとめられていた。
(どういうことだ。これは)
ゼロがステラの手伝いとして行っていた裁縫遊び。それは、何か得体の知れない実験の準備であったのだと分かると、ゼロは少し恐くなった。
文書を読んでいるゼロの横で、ナタリーが薄っすらと闇に浮かぶ何かを見つけ、小さく悲鳴を上げた。ゼロがナタリーの悲鳴に反応し、ナタリーが見つけた物にライトを向けた。
手術室の壁に寄りかかるように、一人のダッドが息絶えていた。
ゼロが慎重に近寄って、ダッドの頭に被せられたずだ袋を取る。すると、やはりダッドの顔は焼かれており、髪の毛も全て抜き取られていた。
そのダッドには、全体に渡って殴られた跡や、強く引っかかれたような傷が残っている。見るも無残なその姿に、ナタリーはあることを思い出した。
「私……、お母さんがこの人と同じ格好の人を虐めてるとこ、見たの……」
ナタリーはゼロの手を不安げに、強く握って話していく。
「私が起きたとき、お母さん、私の前に、この袋を被った人を叩いてた」
(ステラが?)
ゼロの心に、冷ややかな恐怖が湧き上がる。ステラが人に暴力を振るうとは、ゼロには思えなくて。ゼロはナタリーの話を聞きながら、思考を混乱させていた。
「私がそれを見てたら、お母さん、怒りだして……。次は、私のことを叩いてきたの」
ゼロには、信じがたい話である。ステラがナタリーを傷つけることは勿論、誰かのことを傷つけるなど。
(そうだ、そもそも……)
このダッドたちは、何処から来たのか。未だに、ダッドたちの正体は謎のまま。ゼロとナタリーに怒りを持ち、襲い掛かるこの人物たちは、何者なのか。
オリジンの目的も、ダッドの正体も、無数の謎を抱えたままで、ゼロとナタリーは研究室を去った。
研究室を歩いている間、ゼロの記憶にあるステラの姿が、ゼロの頭にずっとちらついていた。
◆◆◆
「ゼロ、ちょっとこっちに来なさい」
ずっと昔のことである。ゼロが電源を抜かれる、一年ほど前のこと。
居住区で、ゼロが床の掃除をする掃除ロボットの修理をしていた時だ。ステラはゼロを手招きし、彼を呼んだ。
ゼロは内心、ステラに何を言われるのかびくびくしながら、呼び出しに応じた。
「あなた、腕の関節が軋んでるじゃない。うるさいから、油を注しましょう」
居住区のリビングで、ステラは工具箱を開け、ゼロの腕にスポイトで油を注していく。怒られる訳ではないと分かると、ゼロは安堵して、ステラに青のランプを点滅させてお礼の意を伝えた。
「勘違いしないで。ぎいぎいうるさいから、耳障りだっただけ。他のロボットの修理はできるくせに、自分の修理はしないなんて、欠陥品ね。あと、イーストンが呼んでいたから、私について来なさい」
ゼロは、護衛に必要なこと以外の命令に従わなくてもいいようにプログラムされている。しかし彼のAIはナタリーと共に、イーストンやステラの教育を受け、優しい性格を持つようになっていた。
そんなゼロは、しつけに厳しいステラに頭が上がらない。ゼロはステラに連れられて、イーストンの書斎へと向かった。
ステラの後ろを、エンジンで回転する足裏のローラーで、ゆっくりとついて行くゼロは、ステラの華奢な背中を見つめていた。
ステラはいつも冷たい態度を取ってはいるが、その心は本当は冷たくなんてないのだと、ゼロは理解していた。例えプログラムで禁じられずとも、ゼロはクルス一家に手を上げるような真似は、決してしなかったであろう。
「そういえば、あなたビリヤードはできる?」
ステラが振り返り、ゼロに尋ねた。ゼロはステラに答え、首を横に振った。
「そう。じゃあ、今度教えてあげる。あなたが始めれば、ナタリーもやる気になるかもしれないし。あの子も、いろんなゲームを覚えておくべきだから。娯楽を知らない大人にさせる訳にはいかな――――」
話しながら、ステラの足どりが次第に重くなっていく。ステラの足がおぼつかなくなり、終いには、床にうずくまってしまった。
ゼロが心配して、ステラの様子を見るためにしゃがんだ。
ステラの顔色が悪い。
ステラは口を手で押さえている。気分が悪くなっているようだった。ゼロは急ぎ、ステラを背負って彼女の部屋のベッドへ運ぼうとしたが、ゼロがステラの背中に手を乗せた直後、ステラは廊下に吐瀉物をまき散らせた。
ゼロはステラが心配で、ステラが少しでも楽になるように、背中を撫でた。
しかし、ステラは。
「離れなさい!!」
ステラは、ゼロの手を振り払った。
ステラの青ざめた顔と、極限まで緊張しきって見開かれた両目が、ステラの心が追い詰められていることを、ゼロに伝えた。
「ああ……、いえ……、ごめんなさい……、ゼロ……」
我に返って謝るステラの横顔は、今にも泣き出しそうであった。
「悪いけど、イーストンの所にはあなただけで行って。床は、私が拭いておくから……」
そう言って、ステラはまたうずくまってしまった。
ゼロはステラの容態が気になったが、ステラは恐らく、これ以上醜態を見られたくないのだろうと思って、ステラを置いてイーストンの書斎へ向かった。
「ゼロ」
ゼロをステラが呼び止めた。ゼロが振り返ると、ステラは弱弱しい声で、ゼロに頼んだ。
「イーストンには、このことは言わないで……」
ゼロは少し悩んだが、ステラの弱り切った声と、必死な表情に、その頼みを聞かざるを得なかった。
青くライトを光らせて頷くゼロに、ステラは安心したように、言った。
「良い子。ありがとうね、ゼロ」
(これでよかったのか。せめて、廊下だけでも掃除しておいてあげるべきだったのでは?)
ゼロは自問しながらも、その場を去った。
ステラはその頃から、時折、情緒不安定な様子を見せるようになっていた。病的なその様子にナタリーが少し怯えていたのを、ゼロはよく覚えている。
ゼロがイーストンの書斎に入ると、イーストンはおらず、空席の机と積まれた本があるだけであった。いつものことなので、ゼロは書斎の奥にある、とある本棚に置かれた赤い本と青い本の位置を入れ替えた。
すると、その本棚が横にスライドしていき、隠し部屋への入口が開いた。
「おお、ゼロ! 来たか! あれ? ステラはどうした?」
隠し部屋は、半分のバスケットコートになっており、イーストンはそこでバスケットボールをしている所だった。
ゼロはイーストンに首を傾けて見せて、ステラのことを知らないと伝えた。
「なんだ、結局あいつは来なかったのか。たまには運動して気分を変えた方が良いと思ったんだが……。仕様がない、ゼロ! 僕と勝負しよう! フリースロー三本勝負! ちょっとした、運動性能のテストだ!」
イーストンはお気楽な調子でゼロにボールを渡したが、その顔は心配そうな色を隠しきれていない。
本当に、ステラのことをイーストンに伝えなくても良い物かと、ゼロは考えた。
けれど、ステラの苦しむ様子を見た時から感じていた、ゼロの中の不安が、イーストンの軽い調子を見ると薄らいだ気がして。
ステラも、きっとイーストンに笑っていて欲しかったから、ゼロに黙っているように頼んだのだと、ゼロは思った。
「どうした? シュートしないのか?」
イーストンに急かされ、ゼロが一投目を投げる。ゼロは足下のラインを超えないように、バスケットゴールへと、正確なシュートフォームでボールを投げた。
一投目と二投目は、気持ちの良い音を立てながら、シュートが決まった。ロボットなのだから、同じ動きを求められるフリースローをゼロが外すはずがない。
しかし、ゼロが三投目を投げようとシュートフォームに入った時だ。
「ああ! ああ~!! ゼロ!! 危ない!!」
突如大声を出したイーストンに、ゼロは驚き、その手元が狂ってしまった。ボールはゴールの横を、かすりもせずに落ちていった。
ゼロが赤くライトを光らせて、イーストンに抗議した。明らかな妨害行為である。大人げないイーストンは、笑いながらボールを拾った。
「ああ~、残念だったなぁ、ゼロォ~。フリースローライン踏みそうだったから、教えてやっただけなんだがなぁ~」
イーストンはフリースローラインに着き、ボールを構える。
「だがなぁ、ゼロ! 勝負の世界は非情なんだよ!」
イーストンの一投目が、ばっちり決まる。ゴールネットが音を立てて、イーストンのゴールを祝福した。
続く二投目。これもイーストンは決めてしまう。このままでは、ゼロの負けだ。ゼロは、イーストンになんとかやり返してやろうと考えた。
「決めてやる! 僕の勝ちだ!」
イーストンがボールを構えた、その瞬間。ゼロはゴール下に素早く移動し、華麗なムーンウォークを披露し始めた。
「マイケル・ジャクソンか!?」
かつて一世を風靡したエンターテイナーのダンスに、イーストンの目は引きつけられ、シュートフォームに狂いが生じた。
しかし、ゼロが妨害してくることを予想していたイーストンのシュートは、狂いを最小限に抑えられ、ゴールリングに当たる。そして、ボールはリングの上を一周し、少しの間、その動きを止めた後――――
ボールは、リングの中へと落ちた。
ゼロが床に崩れ落ちて、イーストンが勝利の雄叫びを上げる。
勝負は決した。ゼロは敗北という事実に、悔しさで心が一杯になった。密かに覚えていた、ムーンウォークという切り札まで切ったのに。
「ゼロ」
床に這いつくばっていたゼロに、イーストンが手を差し伸べた。
「良い勝負だった」
ゼロは、イーストンの手を取った。負けはしたが、ゼロの中には心地よさがあった。互いに全力で戦ったという、清々しさがあった。
「ふふ。ゼロ。お前はなかなか、良い“魂”を持ってるな」
ゼロは聞き慣れぬ言葉に、イーストンを見つめ返した。
「なんだ、分からないのか? いいか? ゼロ。これだけは覚えておけよ」
イーストンは良い笑顔で、ゼロに語った。
「勝負ってのはな――――」
その時のイーストンが言った言葉を、ゼロはたまに思い出す。けれど。
「最後の最後には、ハートの熱い奴が勝つんだ!」
(今では、ただただ懐かしい)
ゼロは、いつの間にか、ステラと関係のないことを思い出していると気が付いて、そこで思い出すのを、そっと止めた。
◆◆◆
ゼロとナタリーは、居住区の手前にある倉庫で休憩を取っていた。
ナタリーがダッドに襲われて負った、腕の怪我を診ておきたかったということもあるが、この倉庫には非常食の缶詰めが大量に保管されている。
殆ど飲まず食わずでここまで来たナタリーに、何か食べさせてあげたいと、ゼロは思ったのであった。
倉庫に入った時、ゼロは驚いた。以前の倉庫の中には、埋め尽くすほどの缶詰めがあったはずなのに、今では缶詰めがダンボール数箱分しか残されていなかったのだ。
何処かに運ばれてしまったのだろうか。ゼロは不思議に思いながらも、残されていた缶詰を探し、ナタリーに渡した。
ゼロに缶詰を開けてもらうと、ナタリーはよっぽど腹が減っていたらしく、中身の魚や肉を、貪るように食べた。
ナタリーの腕の傷は、もう血も止まって平気なようで、ゼロは一安心した。
研究室を過ぎた今、この倉庫を出て、奥へと続く廊下を進めば、居住区はほど近い。居住区には恐らく、オリジンとジェイソンがいるはずだ。ゼロは失った右腕と、殆ど動かない右脚に、ここから先の道のりが、最も険しい物になるであろうと予想していた。
ゼロは、オリジンの言う通り、ジェイソンには勝てない。ゼロは元より、ジェイソンにあらゆる性能で大きく劣る。その上、こんな状態の体では、尚更。ジェイソンから逃げながら、どうやってナタリーを脱出艇にまで連れて行くか、ゼロが悩むのは、そういうことで。
だが、オリジンはヘブンズガーデンの監視カメラから、ゼロたちの様子を監視している。サーバントがいなくなった今、オリジンがジェイソンをすぐにゼロたちの所へよこさないのには、何か理由があるのかもしれない。
例えば、そう。ゼロたちが脱出艇を目指しているのを見越して、待ち構えているとか。
「ねえ……、ゼロ」
缶詰めを食べ終わったナタリーが、ゼロに話しかけてきた。ゼロはナタリーの方を見て、青くライトを光らせる。
「私、ずっとゼロに謝りたかったの。あの時のこと」
ナタリーが、改まってゼロの前に座った。真剣な面持ちで、ゼロをじっと見つめながら。ゼロには、ナタリーの言う“あの時”が、いつのことを指すのか、すぐに分かった。
それは、ゼロが電源を抜かれる時のこと。ナタリーが、ゼロではなく、家族とジェイソンを選んだ時のことである。
「ごめんなさい……。ゼロ……。私も、ずっとゼロと一緒にいたかった……。けど……」
ナタリーはゼロに謝って、その胸の内を語った。
「お父さんに、これからはどうしても、ジェイソンが必要だって言われて……。私、ゼロのことも大事だけど……。お母さんとお父さんのこと、困らせたくなくて……」
ゼロはライトを青く点滅させた。ナタリーにもう充分だと、伝えるために。ゼロにとっては、ナタリーがそれだけ悩んでくれていたというだけで、あの別れ際に感じた寂しさが吹き飛ぶようで。
「ごめんね、ゼロ……。私、あなたに酷いことした……。本当に、ごめんなさい……」
ナタリーが、あの別れをどれだけ惜しんでいたか、ゼロは察した。あれからどれだけの時間が流れたのか、ゼロには正確なことは分からないが、ナタリーはその間、ずっと後悔し続けてきたのだ。
「最後に、ゼロが私の方に手を伸ばした時ね、思ったの。ゼロ、悲しんでるんだって。怒ってるんだって。私に何か仕返ししようとしてたのかもしれないって、不安だった」
ゼロの手がナタリーの肩に置かれると、ナタリーはゼロにすがるような目を向けた。
ゼロがナタリーに嫌われたくないと思っていたように、ナタリーもまた、ゼロに嫌われたくないと、そう思っていたのであった。
「ねえ、ゼロ……。ゼロ、私のこと……、嫌いになった……?」
ゼロが首を横に振ると、ナタリーは弱弱しくも嬉しそうに笑って、ゼロに抱き付いた。
「ゼロ……。大好き……」
ゼロは、抱き付くナタリーを愛しく想いながら、抱き返して。
「私、ずっとゼロと一緒にいる。ゼロ……、いつも、ありがとう」
この先、オリジンとジェイソンから、ナタリーを絶対に守りきることを、ゼロは心に誓った。
居住区へ入るまで、ゼロとナタリーを襲ってくる者はいなかった。ダッドも見当たらず、ジェイソンがやって来る様子もなかった。だが、ゼロたちが居住区へと続く廊下を渡り、自動扉を開いた時だ。
居住区の入口となる、広い円形のロビーに足を踏み入れたゼロたちを出迎えたのは、ロビーに設置されたモニターに映った、オリジンの姿であった。
ロビーのあちこちに、スプレーでいくつも落書きがされていた。
“Stella is mad! Stella is mad!!”(ステラは狂っている! ステラは狂っている!!)
「ゼロ……。サーバントを殺したの……。あなたは、どこまでも私に歯向かうつもり? 何にも知らないゼロ。あなたは、自分が何をしているのか分かっていない」
灯りの点いていないロビーに浮かぶモニターの光りは、ナタリーによく似たオリジンの皺だらけの顔を闇に浮かばせる。
「まだ、あなたがその子と一緒にいるということは、あなたは結局、何も気づいてはくれなかったということ。ゼロ。あなたはきっと、もう壊れてしまったんでしょうね」
オリジンの血走る瞳は、真っ直ぐモニター越しのゼロたちを睨み続ける。
「ヘブンズガーデンに設置された爆弾を爆発させたのは、私。だけど、そもそも、爆弾を設置したのは誰だと思う?」
ゼロは思い出す。焼け焦げ、著しく損壊した、ヘブンズガーデンの各地のことを。
「ヘブンズガーデンの各地に爆弾を取り付けたのは、イーストン。イーストンが設置した爆弾は、まだ残っている。ヘブンズガーデンを完全に破壊してしまえるくらいの爆弾が、まだ」
(イーストンが?)
ゼロを激しい動揺が襲う。あのイーストンが、どんな理由で、ヘブンズガーデンに爆弾を仕掛けたというのか。
混乱治まらぬゼロに、オリジンは宣言した。
「脱出艇をあなたたちに渡しはしない。ゼロ。あなたは、このヘブンズガーデンと共に消えるの。そして、ナタリー」
眉間に皺を寄せ、オリジンの目が一層鋭く尖った。ナタリーはオリジンの形相に怯え、オリジンはそんなナタリーに、言い放った。
「ナタリー・クルス。あなただけは、必ず。私がこの手で殺す」
モニターの映像は途切れ、オリジンは姿を消した。
そして、ロビーに謎の轟音が響き渡った。それは、壁が激しく削られていく音だ。鋼鉄をも軽々と切り裂く、電動鋸がロビーの壁を切り取っていく音だ。
ゼロとナタリーの正面、ロビーの壁から突き出る電動鋸が、逆Uの字に壁を切り取っていき――――
壁を完全に切り離すと、その壁を蹴り飛ばして、そこからジェイソンが姿を現したのである。
一つのライトが取りつけられた丸い頭部と、人間の男性の裸体を模した鋼鉄の体。試作機であるゼロの性能を、あらゆる点で凌駕する完成機。極限まで感情を薄められた人工知能を持つ、命令通りに動く機械。イーストンの研究の結晶にして、ヘブンズガーデンの本当の守護者。
暗闇の中、不気味な程に赤く輝くライトが、ゼロとナタリーを捉えた。ジェイソンの足元から、激しく擦れる音が鳴り始めた。足裏のローラーが、エンジンを掛けて回り始めたのである。
ローラー走行で、ジェイソンが急激な速度で迫る。ゼロはナタリーを後ろにやって、ジェイソンに立ち向かう。
ジェイソンが振りかざす、電動鋸が付いた右腕をゼロが掴んだ。しかし、ただでさえ性能で劣る上、左の片腕しかない今のゼロには、ジェイソンの力を押さえることはできない。すぐにジェイソンに振り払われ、ゼロは床に倒れた。
ゼロは這いずりながらも、ジェイソンの後ろに回る。
ジェイソンはナタリーを捕えようと、ナタリーに近寄っていく。ナタリーに手を伸ばしたジェイソンに、ゼロが背後から飛び掛かった。
だが、ジェイソンはゼロの動きに気が付いていた。ジェイソンは飛び掛かったゼロを、振り返りざまに殴り飛ばし、ゼロは胴部を一部破壊されてしまった。
ゼロにとどめを刺そうとしていたジェイソンの背中に、小さな瓦礫が投げつけられた。瓦礫は軽い音を立てて、ジェイソンの背中に当たった。
「ゼロに酷いこと、しないで!」
瓦礫を投げたナタリーが、一瞬動きを止めたジェイソンの腕にしがみつく。
ジェイソンは何故か、ナタリーに触れるのを恐れているようだ。ナタリーを引き剥がそうとはするが、鋸や機関銃でナタリーを傷付けることなく、手だけで引き離そうとしている。
ゼロはジェイソンのその様子から、ジェイソンはオリジンに、ナタリーを殺さずに連れてくるよう命じられていると判断した。
ゼロは周囲をライトで照らし、何か使えるものはないか探した。すると、壁に取りつけられたゴミ捨て口が見つかって、ゼロはそれが何処に繋がっているかを思い出した。ナタリーがジェイソンを引きつけてくれている間に、ゼロはゴミ捨て口の蓋を外し、深く下に続く穴の口に左手を掛けて、思い切り力を入れた。ゼロに拡げられ、ゴミ捨て口がその入り口を、大きく変形させていく。ゴミ捨て口の向こうには、奥へと急な坂になった、広い空間が広がっていた。
ゼロは急ぎ、ナタリーを助けようとジェイソンの所へ向かう。ゼロの足が、何かを踏んだ。ゼロがライトを床に向けると、そこにはダッドの死体があった。居住区にまで、ダッドが徘徊している証であった。
そのダッドの頭には、やはりずだ袋が被せられていた。
そして、ジェイソンがナタリーを振り払い、ゼロの方へ向いた時。ゼロはジェイソンの頭に、ダッドから取ったずだ袋を被せた。ゼロもジェイソンも、視覚を得るカメラは頭部に取りつけられている。ゼロよりも優秀な、細かな音まで完璧に聞き分ける聴覚センサーと、透視すら可能な赤外線センサーを有するジェイソンには、ずだ袋を被せることに大した効果はない。
しかし、視覚が奪われた一瞬、他のセンサーを起動するまでの一瞬だけ、ジェイソンに暗黒の時間が訪れる。
ゼロはその隙に、ジェイソンから離れたナタリーを連れて、ゴミ捨て口に急いだ。
「ゼロ! 大丈夫!?」
ナタリーが心配してくれるのを、ゼロは心底嬉しく思いながら、自分を置いて、ナタリーにゴミ捨て口に飛び込むよう、指を差して示した。
「でも……、ゼロは……?」
ゼロはライトを青く光らせる。心配はいらないと、ナタリーに伝えていた。
背後から迫るジェイソンを、振り向きざまにゼロが殴った。ジェイソンはまるで効いていない様子で、ゼロの首を掴む。
「ゼロ!! ゼロ!!」
首を掴まれ、持ち上げられながらも、ゼロはナタリーに逃げるよう、指でゴミ捨て口を差す。ナタリーはゼロを置いて行くのを躊躇ったが、懸命にジェイソンに抵抗するゼロの姿を見て、先に行くことを決めた。
「ゼロ! 私、ちゃんとゼロのこと待ってるから! ゼロ!!」
ナタリーはゴミ捨て口に向かい、そこに入っていった。ゴミ捨て口の奥の坂は、先が見えない程長く、その坂は居住区下層のゴミ処理場に繋がっている。
ナタリーが逃げられたことに安心したゼロを、激しい衝撃が襲った。ジェイソンの電動鋸が、ゼロの腹部に突き刺さり、切り裂いていった。
ゼロは必死に抵抗し、ジェイソンの手から逃れようとする。首を掴まれても暴れるゼロ。ジェイソンはゼロを放り投げた。
ゼロは転がりながら、ゴミ捨て口の方へ近づき、右足を引きずりながらそこに入った。坂を転がっていくゼロに、ジェイソンが手を伸ばし、捕まえようとしてきた。
だが、ジェイソンの手は空を掴む。
赤く輝くジェイソンのライトが、暗闇の向こうへ落ちて行くゼロを、じっと照らし続けていた。