第四章 ヘブンズガーデン
「ゼロ! 大丈夫!? ゼロ!!」
落下の衝撃の後に、ゼロの聴覚センサーに聞こえてきたのは、ナタリーの声。
ゼロが上体を起こすと、そこはゴミ処理場のゴミ山の上であった。ゼロの予想通り、ゴミが落下の衝撃を吸収してくれたのであろう。ナタリーは何処も怪我をすることなく、無事なようだ。
しかし、ゼロは。
「ゼロ……。体が……」
ナタリーが見つめるのは、ゼロの胴部。
ジェイソンの電動鋸によって貫かれ、ゼロの胴部の半分が、切り裂かれてしまっていた。切られた配線がぶら下がるその姿は、機械とはいえど、酷く痛々しい。
ゼロは立ち上がろうとしたが、足や腕に上手く力が入らず、傍のゴミ山に掴まらなくては、普通に立っていることもできない。
「可哀想……、ゼロ……。早く、早く誰かに直してもらわなきゃ……」
ナタリーはゼロを支えようと、ゼロに肩を貸した。けれど、小さなナタリーに金属でできたゼロの体を支えられるはずもなく、ナタリーはゼロと一緒に倒れてしまった。
ナタリーの上に圧し掛かる形になってしまったゼロは、慌ててナタリーの上から体を退かした。幸い、ナタリーに怪我はないようだ。
「ごめんね、ゼロ……。私、ゼロになんにもしてあげられない」
ゴミの上に倒れるナタリーは、ぼそりとそう言って、立ち上がった。
ナタリーはゼロに手を差し伸べた。肩を貸すことはできなくとも、手を引いて歩くことならできる。ゼロはナタリーの手を取って、よろめきながらも歩を進めた。
「頑張って、頑張って……! ゼロ……!」
一歩一歩、必死に歩くゼロを応援するナタリーは、泣くのを懸命に堪えていた。
予感していたのだ、ナタリーは。ゼロがもう、長くは持たないということを。ゼロの体は何処を見ても壊れている有様で、ナタリーはゼロがこんな姿になるまで自分を守ってくれたのだと、感謝と後ろめたさに目が潤んでしまう。
それでも、ナタリーは泣かなかった。自分が泣いている場合ではないと、ナタリーは分かっていた。戦うゼロの姿を見てきたナタリーは、少しでもゼロに報いようと、変わろうとしていた。
ナタリーに手を引かれて、ゼロがゴミ処理場を出ると、なだらかな、上に登るスロープが続いていた。ジェイソンが待ち構えているかとゼロたちは不安に襲われながら、少しずつスロープを上がっていく。
スロープを歩いて行くうちに、ゼロは自分の限界を悟りつつあった。
もし、今ここでジェイソンに襲われれば、ゼロは何もできずに破壊されてしまうだろう。体がまともに動かなくては、ナタリーを守ることなどできはしない。むしろ、ナタリーがゼロのために逃げるのを躊躇って、ジェイソンに捕まってしまうかもしれない。
今や、ゼロは足手まといでしかなくなってしまったのだ。暗闇のスロープをナタリーに助けられながら歩いている間に、ゼロはそれを嫌というほど実感してしまった。
ゼロは決意した。次にジェイソンが現れた時が、自分の最期であると。己が身を完全に破壊されてでも、ジェイソンからナタリーを逃がして見せると。
不可能とも思えることだが、恐らく、ゼロにはもう、他にナタリーにしてあげられることはない。
スロープの先には、自動扉が一つ。居住区は爆発の影響を受けていないようで、自動扉は正常に作動した。ジェイソンがいるかいないか、恐々と辺りを確かめてから扉を抜けたゼロたちは、居住区のキッチンに出た。暗いキッチンを見渡して、ゼロは昔の生活を暗闇の中に幻視した。
皿を取り出し、料理の手伝いをするナタリー。
席に座って、本を読んでいるイーストン。
そして、キッチンで料理を作るステラの姿。
あの頃のことが嘘のように、今のキッチンは静かで、不気味であった。在りし日のクルス一家の姿を思い出して、ゼロは胸が痛んだ。
(どうして、こんなことになってしまったんだろう)
変わり果てたヘブンズガーデンは、ゼロの思い出を暗い色に塗り潰していく。楽しかった思い出が、初めから嘘であったかのように、ヘブンズガーデンは鬱々とした姿をゼロに見せ続ける。
脱出艇は、キッチンを出た先の廊下から入ることのできる、花畑の先だ。もう、ゼロたちは脱出艇にそう遠くはない距離にまで来ていた。
ゼロがコンロの周辺をライトで照らした時、ナタリーは何かに気が付いた。
「あれ……? キッチンって、あんな形してたっけ……?」
ナタリーが疑問を口にしたのに合わせ、ゼロがコンロの方へ改めてライトを向ける。ライトの光がゼロたちに見せたのは、以前とは似ても似つかぬキッチンの様子であった。
壁に吊るされているのは、おたまでもフライ返しでもない。それは、鋏型の火箸と、一枚の鉄でできた仮面である。
何故、火箸と仮面がこんな所にあるのか。その答えは、ゼロたちの足下にあった。
床に転がっていたのは、ダッドの死体。そして、その顔は、醜く焼けただれている。
(ここで、顔を焼かれていたのか)
ゼロとナタリーは、その事実に気が付いて、恐怖した。よくよく見れば、足下には死体だけでなく、大量の髪の毛が散らばっていた。
家族と過ごす温かな空間であったキッチンは、凄惨なダッドの処刑場と化していた。ゼロはすぐ傍に、ずだ袋が山のように積まれているのを見つけ、確信した。
ヘブンズガーデンの中で幾度となく襲い掛かってきたダッドたち。ダッドたちは、皆ここで顔を焼かれ、髪を引き抜かれ、ずだ袋を被せられていたのだ。
「行こう、ゼロ」
恐がるナタリーに手を引かれ、ゼロは再び歩きだした。
現在と過去の落差に胸を痛めるゼロを、ナタリーが心配そうな目で見つめる。ゼロとナタリーはキッチンを出て、長い廊下に出た。
この廊下の先には、たくさんの花が咲く花畑があるはずだ。ゼロは、美しい花畑の情景を思い出す。
笑顔のクルス一家と見た、花畑。地面に咲く花も、天井に張り巡らされたワイヤーから垂れ下がる植物も、全てが天国のような美しさを作り出していた、あの花畑。
ゼロが大好きだったヘブンズガーデンは、もうなくなってしまったのだ。
身も心も限界まで追いつめられたゼロに追い打ちをかけるかのように、廊下の電光掲示板に、オリジンの顔が映し出された。
「ゼロ。あなたはついに、ここまで来てしまった。あなたはずっと眠ったままでいるべきだったのに……。何も知らずに、思い出のまま、ヘブンズガーデンと共に消えていくべきだったのに……」
電光掲示板のスピーカーから聞こえてくるオリジンの声は、淡々としながらも、強い怒りを含んでいるようだ。
「けれど、あなたはここまで辿り着いてしまった。ダッドたちを殺して、サーバントを殺して……。来なさい、ゼロ。あの花畑で、私は待っている。私に気付いてくれないあなたへの、見世物を用意して」
電光掲示板から、オリジンの映像が消えた。
ゼロとナタリーは、しばらく進むことを躊躇ったが、どの道、逃げることはできない。ジェイソンが襲ってこなかったのは、オリジンがジェイソンに命令していないからに過ぎない。
「ゼロ……?」
ゼロはナタリーの手を放し、ナタリーの前を歩いた。よろめきながらもナタリーの手を借りずに歩くのは、己が身を挺してナタリーを守るという、ゼロの意思表示であった。
ゼロのCPUが、一つの処理を終えたことをゼロに伝えてきた。三つ目の動画ファイルの暗号化が、解除し終えたのである。
ゼロはその動画を確認するのを後回しにしようとしたが、その動画のとある点に気が付くと、慌てて動画の再生を始めた。
ゼロは、在り得ない物を見てしまったのだ。今までの認識を覆す、その数字を。
焼死体の所で拾ったメモリーカードに保存されていたうちの、三つ目の動画。その動画の日付は――――
◆◆◆
二〇四四年、十月十三日。
それは、ジェイソンの映像記憶であった。
居住区のリビングで、三名の人物が何か話し込んでいるようだ。皆が落ち着きを失っているようで、怒鳴り声ばかりが響いている。
一人はイーストン。もう一人はステラだとゼロには分かったが、問題は最後の一人。
ステラと同じくらいの身長の、顔に皺がある、老けた容姿の女性だ。より年老いて見えるが、ステラとよく似た顔をしている。
「なんで!? なんで中止なの!? あともう少しなんでしょう!? これまでずっとやってきたことなのに、今更中止にしたって、意味がない!!」
金切り声で、イーストンとステラに怒鳴るその人は、鬼気迫る表情で机を叩く。その人に答えたのは、ステラだ。
「いいえ、いいえ! もう限界!! これ以上、私には実験を続けることはできない!! ベッドに入る度に、悲鳴が聞こえるの!! あの子たちの顔が頭に浮かんでくるの!! 私が……、私が私でなくなっていく!! 自分が狂っていくのが分かる!! 私はあと、何人殺せばいいの!? どれだけ娘が苦しんで、狂いながら死んでいく顔を見れば済むの!?」
「あなたが始めたことでしょ!? そのぐらいのこと、分かっていたんじゃなかったの!? ここまで来て、今更良い人ぶらないで!!」
「おい! 止めないか! 熱くなってもしょうがないだろ!? 今日はもう休もう? な? 二人とも。ステラ、ほら、落ち着けるように薬を持ってくるから」
ステラと謎の女性の仲裁をするイーストンは、酷く焦っていた。イーストンの焦りようから、その場の並みならぬ緊張が伝わってくるようだ。
イーストンが薬を取りに、その場を離れた時である。ステラが服の下に隠し持っていた、一丁の銃を取り出し、自分のこめかみに銃口を当てた。
「どういうつもり……?」
謎の女性が、ステラを睨む。ステラは、息を荒くして答えた。
「分からない……。もう、私が、なんのために実験を繰り返しているのか……」
「あなたが何を悩んでようが関係ない!! あなたには、実験を完成させる義務がある!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ステラは謝りながら、涙を零していた。その顔は、もう正気を失って、目の焦点も合っていない。
「止めて……! そんな、馬鹿なこと……」
ステラに向かい合う謎の女性は狼狽えているようだ。ステラが銃の引き金に指をかけると、その女性は慌ててジェイソンに命令した。
「ジェイソン、早く!! 止めなさい!! 止めさせるの!!」
ジェイソンが動き出すと、動画の映像が激しく揺れる。揺れが収まり、ジェイソンのカメラがステラに近寄り、ステラの顔を映した。
ゼロが知っているよりも、老け込んでしまっているステラの顔だった。痛ましい程に、その表情には疲れやら、恐怖やら、狂気すらも刻まれているように見えた。
ジェイソンがステラから銃を取り上げようと、手を伸ばす。けれど、ステラはもう、銃を撃つ直前で。
そして、何処か遠くを見つめるステラが、最期の言葉を残して――――
「みんなと同じように産んであげられなくて、ごめんね……。ナタリー」
ステラが引き金を引き、ジェイソンのカメラが血に染まって、映像は途切れた。
◆◆◆
ゼロが動画を見終えた時、ゼロの正面には自動扉があった。
ゼロが動画に意識を移している間に、ナタリーに手を引かれ、そこまでやってきてしまっていたのである。
もし、ゼロが生身の体を持っていたとしたなら、ゼロは背筋が凍り付くのを感じていたことだろう。何がどうなっているのか、ゼロには理解が追いつかず。ただ、この扉の先に待っている事実を知りたいがためだけに、ゼロは――――
心の準備もできていないままで、その扉を開いてしまった。
変わり果ててしまったヘブンズガーデン。思い出の花畑もまた、変わり果てた姿でゼロを出迎えた。
天井と壁が崩れ、SSS越しに宇宙空間が花畑の周囲に広がっている。植物が垂れ下がっていたワイヤーも、千切れて宇宙空間に伸びている。
地面に設置された照明の灯りが、花畑全体を薄く照らしていた。ナタリーの大好きな、黄色の花がたくさん咲いた花畑。
天国のような、花畑。
「おかえりなさい。ゼロ」
そこでゼロたちを待っていたのは、オリジンとジェイソン。そして、椅子に鎖で縛りつけられた、一人の若い女性。オリジンと同じく、ブロンドの髪を持つ、年頃の女性だ。虚ろな目で、まるで生気を感じない表情を浮かべている。その上、その顔は――――
「ゼロ。これが誰だか、分かる?」
その顔はまるで、成長したナタリーの顔のようであった。十六歳か、十七歳といった年頃の。
「あなたが眠ってから、どれだけの時間が経ったのか、あなたに分かる?」
オリジンは、ジェイソンから一本の火箸を受け取った。その火箸の先には、一枚の鉄の仮面が挟まれており、傍に置かれたガスバーナーで極度に熱せられているようだった。
「あなたは、ここで真実を知る。そして――――」
オリジンが、椅子に座る女性の顔へ、鉄仮面をかざして。
「あなたは、ここで私の前から、永久に消えるの」
そのまま、熱せられた鉄仮面を、女性の顔に押し付けた。鉄仮面の熱で、女性の顔が音を立てながら焼かれていく。女性は悲鳴を上げ、その喉が潰れるまで叫び続けた。
「ゼロ、恐い……」
ナタリーがゼロの後ろに隠れて、震えていた。狂気に満ちた花畑は、ゼロとナタリーに得体の知れない恐怖を植え付ける。
「ゼロ。ヘブンズガーデンで行われていた、本当の研究を教えてあげる」
オリジンが鉄仮面を女性の顔から引き剥がした。顔の皮膚をぶら下げる鉄仮面を床に捨て、オリジンが女性の顎を掴む。
「ここで行われていたことは、人体実験。イーストンとステラがしていた研究と実験は、“人間同士の脳移植を成功させるため”の、人体クローン製作と、脳移植手術の実験に他ならない」
ゼロは、オリジンの話が嘘だとは思えなかった。ゼロがここまで来るまでに、ステラの研究室で見つけた、脳移植に関する書類の存在が、ゼロに静かな確信をもたらした。
ジェイソンが、顔を焼かれた女性のブロンドの髪を掴み、強引に引き抜いていく。
「あなたはここに来るまでに、たくさんのダッドたちに出会ってきたはず。ダッドだけじゃなく、サーバントにだって」
オリジンは、地面に落ちていたずだ袋を拾った。そのずだ袋には、小さな穴が二つ開けられている。
「あなたはたくさんのダッドや、サーバントを殺してきた。何も知らずに、彼女たちが何を想っていたのかも知らずに」
オリジンにずだ袋を被せられた女性は、小さく呻き声をあげている。
「ぇ……、ぇ……お……」
「彼女たちが誰だか、あなたには分かるはず。ゼロ。しっかりと聞きなさい」
「ぇ……、ぉ……」
ずだ袋を被せられた女性は、今まで出会ったダッドたちと同じく、何かを呟いている。
「彼女たちの呼ぶ声が、あなたには、分かるはず」
ゼロがダッドの声に、意識を集中させる。
「ぉ……。ゼぉ……」
何度も何度も呟かれる声に、次第にゼロは、その掠れた声が呟く名前を聞き取った。
「……、ゼロ……」
ダッドたちの呟きは。ひたすらに、繰り返される呻き声は。
「ゼロ……、ゼロ……」
全て、ゼロを呼ぶ声だった。
「ダッドたちは皆、とある同じ人間のクローン。その人の記憶を与えられた脳を入れ替える、脳移植実験の失敗作。サーバントはその中でも、一番の失敗作だった。遺伝子異常が進んで、あんな体になってしまって。それでも、私の言うことに従うように、脳を弄らせてもらったけれど」
ゼロの頭に、最悪の予感が過った。たった今、ゼロの目の前で、オリジンによってダッドに仕立て上げられた、女性の容姿を思い出して。
ナタリーにそっくりの、あの女性。
(ダッドたちがクローンなら、その“元”になったのは、誰だ?)
電子回路が導き出す答えを、ゼロは必死で振り払う。それは、在ってはならないことだった。ゼロの存在を否定する、最悪の答えであった。
ナタリーを守るために作られたゼロ。ナタリーを守ることが全てである、ゼロ。
「ダッドたちが、誰のクローンなのか、もう分かったでしょう?」
オリジンが、その真実を告げる。ゼロを咎めるように。ゼロの心に、罰の杭を打ち込むように。
「サーバントは……、ダッドたちは……、みんな……」
真実を目の前にして、ゼロは――――
「あなたが守るべき、ナタリー・クルスに他ならない」
ゼロはオリジンに向かい、這いずるようにして迫った。ライトを赤く、赤く光らせて。喚き散らすかのように全身を駆動させながら、我を失い、オリジンに迫った。
「ゼロ……。哀れな機械……」
ゼロがオリジンに拳を振り上げると、ジェイソンがゼロの腕を掴んだ。
「ダッドたちは皆、脳移植が失敗して精神に異常を来たしている。あなたたちを襲うのも、あなたたちに受ける感情を暴力に転化してしまっているから」
ジェイソンがゼロを振り払い、ゼロが地面に倒れた。
「あなたが眠っている間に何年経ったのか、教えてあげる。私たちがお別れしてから、十三年。子供だった私も、もう二十歳になった」
錯乱し、オリジンへの怒りを露わにするゼロを、ジェイソンが叩きのめしていく。
「まだ、まだ分かってくれないの……? ゼロ」
尚も、ゼロは暴れることを止めない。
ゼロの自由を奪うため、ジェイソンの電動鋸が、ゼロの両脚を切り離した。
「あなたがずっと守ってきたその子は、本物のナタリー・クルスじゃない。ダッドたちと同じ、ただのクローン。七歳の体で、あなたと別れるまでの記憶しか持たない、ただの偽物」
オリジンの言葉の意味を考えもせず、ゼロは赤のライトを強く光らせる。
「ゼロ!」
オリジンとジェイソンに恐怖していたナタリーが、ゼロに駆け寄った。ゼロの悲惨な姿に、ナタリーは恐怖を振り切って、ゼロの下まで来たのである。
「ゼロ、ゼロ! 大丈夫!?」
オリジンは、寄り添うゼロとナタリーの姿を見て、語気を荒げて叫ぶ。
「ゼロ!! あなたが傍にいるべきなのは、その子じゃない!!」
血走った目から涙を流し、皺だらけの顔を歪めて。
「本当の……、本物のナタリー・クルスは……!!」
「ゼロ! 死んじゃやだ! お願い……」
ゼロは、不思議な心地がした。それは、まるで――――
「あなたとずっと一緒に過ごしていたのは……、あなたの思い出の中にいるナタリーは……!!」
「ゼロ、ゼロ!!」
まるで――――
ナタリーの声が、二つ聞こえてくるかのようで――――
「私が、本物のナタリー・クルス!!」
――――ゼロ……? ゼロっていうの?
「あなたと手を繋いで、あなたと歩いていたのは、私なの!! ゼロ!!」
その真実は。
――――よろしく、ゼロ。よろしくね。
ゼロにとって大切な人の、その末路は。
「他の誰でもない……、この、私……」
ゼロの心を絶望に染めるには、充分に過ぎる物であった。
「私の体は、もう限界が近づいている。私が病気なのは、あなたも知っているでしょう? 分かるの。私は、もうすぐ死んでしまう。人間の脳は七歳になる頃には殆ど成長を終える。大人の脳を移植するには充分な大きさがある。だから、私はその子の体に、私の脳を移植する。クローンとして作られた、クルス・プロジェリア症候群を持たないその体に。私は、普通の人生を送れる体を手に入れる」
ゼロの電子回路は悲鳴を上げる。何を守れば良いのか。今までしてきたことは、全て間違いだったのか。
「そして、ヘブンズガーデンを爆破して、私は地球に戻る。ステラとイーストンの間に生まれた、ナタリー・クルスの妹として」
ナタリーを守ることが、ゼロの存在意義であったのに。ゼロは、ダッドやサーバントと呼ばれた、何人ものナタリーたちを殺してしまった。
「本当は……、あなたに真実を告げるつもりなんてなかった。ゼロ。あなたが今の私を知れば、あなたは私をもっと軽蔑するだろうと、そう思って。でも、あなたはこうして、その子を守りながらここまで来てしまった。サーバントとジェイソンの妨害すら越えて……」
オリジンの声を聞きながらも、ゼロは自失の最中にあった。
自分がどうすればいいのかも分からなくなって、ゼロのライトが光を失っていく。
「私が十三年の間、あなたのことでどれだけ悩んでいたかも知らずに、あなたはその子を守り続けた。私が殺して、入れ替わるために作ったその子。あなたを裏切った、あの時の私を、この手で殺してやろうと思ったのに」
オリジンが、ナタリーを乱暴に引っ張り、引き寄せる。
「痛っ……!」
ナタリーの腕を掴み上げるオリジンの目は、地面に這いつくばるゼロを、冷たく見下ろしていた。
「でも、今度はあなたが私を裏切ったの。ゼロ」
何もかもを失ったゼロのライトは、その輝きを失った。ゼロのプログラムは、体を動かす意味がなくなったと判断した。
ゼロの中で、全てが終わったのだ。己の存在意義を自分で否定してしまったゼロは、電子回路が処理の限界を迎え、壊れる寸前にまで来ていた。
人間で言えば、狂ったのだ。
守るべき対象を殺し続けるという狂気の行動を続け、ゼロもまた、ステラやオリジンのように、狂った。
「これ以上、あなたたちは奥には進めない。脱出艇への道は、塞いである。最初から、あなたたちの逃げ場なんてなかったの」
まともな者などいない。このヘブンズガーデンで、誰が自分を正常だと信じ得るというのか。
(――――ははっ)
ゼロはライトを青く、黄色く、赤く、滅茶苦茶に点滅させた。
(はははは)
ゼロは笑っている。
(はははははははははははははははははははははははははははは)
哀れな機械が、心を与えられてしまったばかりに、心を埋め尽くす狂気の余り、笑いだしてしまったのであった。
オリジンに捕まったナタリーが、ゼロを呼ぶ。
「ゼロ……」
ゼロは笑う。ナタリーが呼ぶのにも反応せずに、壊れた機械はライトを明滅させ続ける。
壊れた心に希望はなく。己を捨てて笑うのみ。
「ゼロ、ゼロ……」
けれど。
「お願い……」
けれど――――
「助けて……、ゼロ……」
一瞬、ゼロの中に過ったのは、“偽物”と呼ばれたナタリーの笑顔。
これまで共にヘブンズガーデンを進む中で、どんなに辛くてもゼロに見せてくれた、ナタリーの笑顔だった。
心の中に一瞬だけ蘇った熱い感情に押されて、ゼロは残された左腕を動かした。ゼロを見下ろすオリジンの手を強引に掴み下ろして、ゼロはオリジンからナタリーを解放したのである。
オリジンに手を上げたゼロを、ジェイソンが捕えた。
ナタリーはジェイソンに立ち向かおうとしたが、ゼロはナタリーに赤いライトを向け、花畑の出口を指差した。
「でも、ゼロ……」
ゼロはライトを光らせ、力の限りに出口に指を差し向ける。言葉を持たぬゼロにできる、唯一の意思表示。全力でナタリーに伝える、“逃げろ”という意思だった。
ナタリーは後ろ髪を引かれる想いで、走り出した。涙も拭かず、今まで進んできた道を走って行った。
「ゼロ……! 何処まで……、何処まで私の邪魔をすれば気が済むの!? 壊れかけた鉄の塊のくせに!!」
ジェイソンがゼロを持ち上げ、SSS越しの宇宙空間にかざした。左腕だけで抵抗するゼロを物ともせず、ジェイソンはオリジンの命令を待つ。
「イーストンもステラも、既に死んだ! ステラは自殺し、イーストンはジェイソンが葬った!もう、このヘブンズガーデンで私の邪魔をするのは、ゼロ! あとはあなただけ!!」
オリジンがポケットから取り出したのは、一つのボイスレコーダー。
「これは、イーストンの遺品。イーストンを始末したジェイソンが、拾ってきた物」
オリジンは首を動かして、ジェイソンに命令を下した。ジェイソンがゼロを放り投げ、ゼロはSSSをすり抜けて、無限の宇宙へと放り出されてしまった。
「さようなら、ゼロ。その電源が切れるまで、あなたの愚かさを後悔し続けなさい」
オリジンがボイスレコーダーを、ゼロに投げ渡す。その目は、怒りか悲しみか、涙が溢れ出しそうなくらいに潤んでいた。
宇宙に浮かぶゼロが、ボイスレコーダーを受け取った。ゼロは左手を必死に振り、掴める場所を探した。けれど、辺りには掴める場所はなく。ゼロは、自分が永遠に宇宙から帰ることができないと理解した。
そして、恐怖と絶望で、徐々にその意識は薄れていく。段々と離れて行くヘブンズガーデンを見つめながら、ゼロは――――
奇跡とも言える程に僅かな可能性ではあれど、ナタリーがオリジンとジェイソンから逃げ延びられることを祈りながら、その意識を閉ざした。




