一
それは夢か幻か、どちらにしてもありえない光景を目にしたのは確かだった。
青年は瞠目する。
人だ、人影が稲光の中に見えた。
中に見えたと言うより、それはまるで、雷を纏っているように見えた。
空に幾つも走る雷光の中、一際稲光を放つ雷光。 鉛色の空に走った稲光は、眩い雷光を地に落とし大きな轟音と風を立てた。
目の眩む様な光が落ちた先に一瞬見えた人影。 そこまで聞くと、まるで神々かその使いでも現れたような荘厳な光景に見える。
見える――が、見えたのはそこまでだった。
「あ、あの! そこの人っ、すみません、た、助けてくださいぃぃ……」
光が消えた山中に、微かに聞こえる弱弱しい少女だろう声。
薄暗い森では人影は確認しづらいいが、声が聞こえたのは雷が落ちた方だ。 昏い深緑の瞳を細めて凝視する。
今は誰にもあまり関わり合いにならない方がよいと思うも、足が止まったままだ。 他人のことを気にかけている時ではないのだと心に言い聞かせるが、何故だろう。どうしてか、声が気になった。
助けを呼ぶ声なのか、いや、それよりも別にもう一つの可能性も 捨てきれない。
ならば、声に反応するべきではないのだ。
「……っ」
少女から苦悶の声が漏れた瞬間、考えていたことは頭の中から霧散した。
潜めていた茂みから立ち上がると、身を低くして早足で声のする方へ駆け寄る。できるだけ音を立てずに、息を潜め。
「どこだ」
小さく呻いて辺りを見回すが人影はない。空耳ではないはずだと天を振り仰いだ先に
「こ、ここです! よかった、気付いてくれて、すみません! 助けてください~」
「……」
少女が大木の枝と枝の間に、ものの見事に挟まっていた。逆さづりで顔を青ざめさせて。
「……疲れてるのか、俺は」
あんな荘厳な光景から一変、なんとも間の抜けた光景。
これは何だ、悪夢を見せる精霊か何かが悪戯に見せている夢だろうか。
それしてもたちが悪すぎる。
光りの先に見えた人影はこの少女なのだろうかと思案する。
「あ、あの、もしもし?! そ、んなあからさまにがっかりというか見なきゃよかったといいたげ な顔で逸らさないでください! 本っ当に、今の状態きついんです、だからっ」
「じっとしてろ、降ろす」
「おねが、え?」
少女の返答を待たず青年は腰を落とし、足に力を込めて一気にくんっと枝へ跳躍する。
音も立てずに枝と枝の間を飛び交いふわりと少女の傍、下の枝へ立った青年を少女はぽかんとした顔で見つめていた。
「降ろすぞ」
「あ……あ、ありがとう、ございまっ!」
少女が言葉を言い終える前に、その手をぐっと引く。 若干、木の枝が脇腹を擦れ痛みが走ったのか、少女は息をつめ堪えるように 顔をしかめたが、それに声はかけない。
体を素早く引き抜くと抱きとめる。きっと、枝が細ければ助ける前に落ちていただろう。
「そこに降ろすぞ」
「は、はい」
「……」
「あ、ありがとうございます、本当に助かりましっ」
とんっと地に降り立つと感謝の言葉を述べた少女だったが、ふらりと体をよろけさせて地面に座り込んだ。
無理はない、逆さづりであんな場所に挟まっていたのだから。
先ほどまで挟まっていた間はぎりぎり、少女の体一つ分の空間だったようだ。
ゆっくり落ち着けるように息をついて 見上げてくる少女を一瞥する。
見たところ、顔や手の甲に切り傷を作ってはいるものの、 目立った大きな外傷はなさそうだ。
本来は艶やかにさらりと揺れるのであろう、背中の中程まである黒髪はぼさぼさだったが、大事にならなかったのだから気にすることもないだろう。
「あれ、私、パジャマのまま?! えぇ! く、くつは……つっかけ?!」
自分の身なりを見て、あたふたと顔を真っ赤にしている少女に、ため息つく。
少し変わった服装をしているが、そこらにいる人間と変わりない少女のように見えた。
しかし、何故――こんな山奥に一人でいるのか。
先ほどの雷と関係しているのかと問い質したいことはいくつもあるものの、青年はそれを無視した。
「もう行く、お前はさっさと山を下りた方がいい」
「え」
何か言いたげな心細そうな表情を浮かべる少女から青年は顔を逸らした。
きっと、この少女一人で降りるとなれば過酷だろう。
この付近の山々は険しい獣道ばかりなのだから。 整った山道はほとんどない、そして今いる場所は高いところにある。
何より、こういった山中は賊か野獣に合う可能性も高い、危険も増すだろう。
それでも、青年は少女へ背を向けた。
「悪いが、あとは自分で何とかしてくれ」
そう、繋がりなどないよう今の全てを断ち切るよう言葉を放った彼の心に、誰かの笑い声が聞こえた。
どこか、困ったような嬉しそうな笑い声だ。
(そんなこと言っても、お前はきっと甘いんだろうな。あぁ、甘すぎるんだよ、キョウリ)
いつだったか、数少ない友人に言われた言葉が小さく、しかしはっきりと聞こえたようだった。




