十五
「キョウリってばもう、恋人なのに、何で付いててあげないんだろう!」
スズの放った言葉に、ヒヅキは顔をげんなりさせた。
「いや、それなんだけどさスズ。あの二人は恋人同士じゃないんじゃないか? なんとなく雰囲気からしてそんな感じには見えねぇし」
ほんの少し前に出会ったばかりの二人を思い出すも、ヒヅキにはあの二人に対し恋人という言葉がしっくりこない。
小夜の方はキョウリに心を開いていたが、キョウリの方はといえば、なんとなく一歩引いた感じの接し方のように見えたからだ。
そんなヒヅキの言葉にスズは長い髪をブンブン振るように、顔を左右に揺らす。
「ううん、キョウリの方は恥ずかしくてわざと素っ気ない態度とってたんだと思う。小夜は天然っぽいし、だから恋人が天然で照れてるの。私の恋のセンサーがハッキリ感じてる」
語気を強め、頬を紅潮させて目を輝かせるスズに、ヒヅキは「あぁ、そう」と頬を引きつらせた。
(恋のセンサーねぇ……)
ちらりと、歩いてきた廊下を振り返る。
あのあと。
スズお手製の料理で気絶した小夜を寝室に寝かせ、暫く様子を見ていたが退出した。
しかし、その場にキョウリはいなかった。
小夜は疲れもあったのか、起きる気配はなく、昏々と眠っている。
鍋を食べて、一日が過ぎようとしていた。
また、夜が訪れる時間だ。
「……小夜、寂しくないかな」
「うーん、まあなぁ」
ぽつりと洩らされた言葉に小さく返事しながら、長い長い廊下をのんびり進む。
ずっと傍にいて上げた方がいいとスズは言ったが、なんとなくいない方がいいのではないかとヒヅキは思ったのだ。
きっと今、ついてあげるべき人間ならあの青年だ。しかし肝心の青年、キョウリはふらりとどこかに消えてしまって、そのせいでスズがご立腹なのである。
部屋を出た後も「恋人なのにおかしい」と頬を膨らませて怒るスズにヒヅキははいはいと何度目かの適当な相槌を打つ。そしてそっと、小さく息を吐いた。
「あーあ、人間ってのはほんと面倒だよなぁ」
◇◇◇◇◇
濃紺の空の下、ちらりちらりと赤や橙と様々な色の火が灯り揺れる。
キョウリがこの谷へ訪れてから幾つか時間が過ぎ、闇夜も深まったというのに、この高い丘に建つ屋敷屋上から見える光景は、静けさとは無縁だ。あちらこちらで人が行きかい、姿が声が聞こえる。
「この谷では、深夜でも小さい子からお年寄りまでそれぞれ仕事があるんだ。驚いたかい?」
突如、声をかけられ横に目をやれば、じっと見上げてくる赤い鴨、ルカの姿があった。いつの間に来たのか、まるで気配を感じれなかった事にキョウリは胸中で舌打ちする。
そんなキョウリの気持ちなどお見通しとでも言うように、ふふっと笑われて目を細めて見れば、ルカの小さな目とぶつかる。けれど、その目はバカにするような笑いを含むものでもなく、何か見透かそうとするような感じでもなく。
ただ、じっとキョウリを見つめてくるだけだった。
「……」
「……」
十数秒程だろうか、視線はキョウリの方から逸らした。
再び、谷の方へと目を向けながら、先程の問いに遅いながら答える。
「えぇ、少し」
キョウリの返答に、ルカはふむと頷いた。
「そうか、まぁ、それはいいとしてだね」
あぁ、やはりだ。話をし出すキッカケでしかなかったのだろう。こほんとひとつ、ルカはセキをする。
「なんでしょうか」
「なんでしょうか、じゃないよ。わかってるよね? 私が言いたいことが」
ルカから送られる眼差しが、じとりとした眼差しに変わったのを感じながらも、それでもキョウリは視線を合わせない。なんとなく、言われることは予想ついていたからだ。
そんなキョウリの子供のような態度に、やれやれとばかりにルカはため息をつく。
「かしこまっていってもダメさ。君は、こんなところにいてよいのかい?」
「貴方こそ、一人でいたらミケ殿や谷の人々が心配するでしょう」
「そこは大丈夫だよ。それより君の方だ、あの子、倒れたんだろう?」
やはりというか、少女――小夜のことだ。ここの住人はお節介な者ばかりらしい。スズといいヒヅキといい、世話焼きたがる性質なのか。
それでも、何故か小夜の傍にいることが躊躇われた。
(……)
ルカとの話し合いの際、最後にみた小夜の表情が思い出される。
(おれは、アイツを連れてきてはいけなかった)
青ざめた顔に後悔する。なぜ、連れてきてしまったのか。
(情に、流されたのか)
いや、きっと。
それを打ち消すように頭をふるう。
「あの場に俺がいても、できることは特にないでしょう」
顔を向けることなく、素っ気ない言葉を返すキョウリに、ルカは「わかってないな乙女心を」と呟いて大げさに再度、息をつく。
「私が言うのもなんだけど、彼女、目覚めた時に知り合いがいないと心細いと思うな。それにね、ここに来たばかりだというのに、一人にするのもどうかと思うんだよ」
その言葉に、ふっと笑う。
「……彼女には一匹傍についてくれています。ルカ殿には、わかっておられるのでしょう」
キョウリの返答はやはりというか、予測していたらしい。ルカはまあねと頷いた。
「確かにそうだね。けど、彼女がこの世界で初めて会ったのは、あの雷光の中、出会ったのは君だ」
ルカの言葉に、ついと再び瞳を向ける。相変わらず、小さな瞳は感情が読み取れず、キョウリは瞳を細める。
「スズ達があそこへ来たのは貴方の言葉ででしょうね、どこまで知ってるんです?」
「どこまでかな」
「言えないと」
「どうだろうね、少なくともここで話すより明日だ。皆、彼女もいることだしね」
「……」
「その前に君は、彼女が目覚めたら自分のことを少しでも伝えるべきだよ。こんなところで後悔なんてする前にね。そして彼女の、小夜さんの言葉を聞いてあげるんだ」
今ある、伝えれる時を聞ける時を逃さないようにね。
諭すように静かな声音でルカが言う。
彼の見せる静かな瞳を見つめ返し、ふと、小夜のコロコロと変わる瞳を思い出す。おどおどと不安げに揺れていた瞳に、キョウリを信じてついてくるといった真っ直ぐな瞳。まだ少ししか共に行動していないというのに、幾つもの感情を見せた瞳。
正直――今、目の前にいるこの長とは違う、感情をありのままに伝える素直な瞳がキョウリは苦手だ。苦手だが。
「部屋に戻ります」
「うん、あの子の元に戻っておやり。きっと、心細いはずだから」
「自分の部屋にです」
「そうなの?」
「そうです」
「そうか、うん。まぁ、確かに君の部屋だったね」
彼女が寝かされてる部屋は。ふふっとルカが体全体を震わせ、小さく笑う。それに居心地の悪さを感じ、足早に屋上の入り口へと向かいだすと「ねぇ」と後ろから声がかかった。
「どんな理由であれ、君があの子をこの谷へ、ここへ連れてきたんだよ。君がそう決めて共に来たこと、忘れてはいけないよ。最後まで、ちゃんと」
「……失礼します」
「うん、おやすみ。君や小夜さんに良い夢が舞い降りるよう願っているよ」
重く締まる屋上のドアの向こうで、またルカの笑い声が聞こえたような気がしてキョウリは眉間に深く皺を寄せて階段を下りていった。




