十一
【長】多くの人の上に立ち、統率する人。頭かしら。ちょう。のことを意味する(※参照、goo辞書)
谷についたのは、結局は薄暗い明け方近くだった。
「いけぇぇ! 今日こそ赤い鴨の鍋だー」
「早く食べたいよー」
「そっちにいったぞ、捕まえろー」
「おさぁぁぁぁぁ! 捕獲されたないよう必死に逃げるのですぞぉぉぉ!」
そこは鳥と人のかけっこが繰り広げられる、戦場だった。
「……」
「す、凄いですよ、キョウリさん! あの鴨、ものすごく足が速い!」
「……ねぇ、ヒヅキ、また狩られそうだよ。どうする?」
「…………あ~の~ばかがぁぁぁあああ!!!」
濃い霧と蔓や草木によって複雑に入り組んだ、山奥深くにあるレテアの谷。
初めて足を踏み入れた小夜たちが目にしたのは、想像していた静かな谷のイメージとは逆の、子供と鴨の追いかけっこだった。
明け方ちかい中で、繰り広げられる光景。
燃える様な鮮やかな赤い色の鴨が、転がるようにてててっと目の前を走っていく。その後を黒のコートに身を包んだ少年少女たちが、手に網や投げ縄を持ち続くと、またその後へ、息を切らし足をもたつかせながら白髪の老人が追いかけていく。
これはこの谷の、平和な光景なのだろうか。
「……ここが本当に、レテアの谷なのか?」
「キョウリさん、キョウリさん! ど、どうしましょう?! きっとあの鴨さんは嫌なんですね、匿ってあげるべきですよね?! 鍋、鍋の材料は、おいしい野菜で妥協してもらうとして!」
「サヨ、おちついて」
「つか、嬢ちゃん! なべにもならねぇあんなの!」
「キデラ、落ち着け」
キョウリが何を言ってるんだという顔を向けるのに、きっと小夜は真剣な表情で見つめ返す。
「いいえ、キョウリさん。落ち着いてなどいられませんよ! 鍋は入れるものひとつひとつ、大事なんですよ!? 野菜は、野菜は売ってませんか!」
あ、面倒なことになったなと眉間にしわを寄せるキョウリと、小さなパニックでおかしなことを言いだした小夜の反応に「やっぱりこの二人面白い。鋭いツッコミとボケボケのちぐはぐカップルだわ」なんてスズは心の中で呟きながらへらりと笑う。
「キョウリ、ここは正真正銘のレテアの谷だから、そんな怖い顔しないで。サヨ、鴨鍋は大丈夫、それよりヒヅキが」
「っあぁぁぁぁぁ! こおぉのおぉばかおさあぁぁー!」
スズの腕の中から、ヒヅキは勢いよく跳び下りると、こちらへと方向転換し突進してくる鴨めがけ、走っていく。
「…………さっきから“おさ”と呼んでいるが、まさか」
「本当に、まさかです! こんなところで怪獣対怪獣の頂上決戦ミニミニ版を見ることになるなんて!」
「うん、キョウリ、そのまさか。サヨ、頂上決戦ってなんのこと言ってる?」
某怪獣映画を頭の中に思い浮かべ目を輝かせ頬を上気させる小夜に、キョウリとスズが不思議なものを見るような視線を向ける中、ヒヅキはというと空高く飛んでいた。
「ばかおさぁぁー! 覚悟ぉぉぉぉぉ!」
勢いよく地面を蹴って空高く跳ぶその姿に、周囲から「いけいけー」「鴨鍋のためにー!」「だめだったらヒヅキ鍋だかんなー!」と囃し立てる声が飛び交う。ヒヅキの右足は鴨目がけ振り下ろされたように見えたが、その様子を見ていた鴨がぴたりと足を止め、片方の羽を広げた瞬間だった。小さな一陣の突風が起り、ヒヅキが吹き飛ばされた。
「今のは――」
「え、えぇぇ! ヒヅキさんー!?」
「あぁ、やっぱり」
驚くキョウリと小夜に比べ、スズは肩をすくめるだけで、近づいてきた鴨に小さく会釈した。
「スズ、ヒヅキをちゃんと抱っこしてないとだめだろう。アイツは無鉄砲なところがあるからねえ。あんなんじゃ、いつか取り返しがつかないことになるぞ」
低い、男性の声だ。
確かにそれは、鴨の口から発せられたようだった。
目を丸くする小夜と、少しばかり驚いた表情を浮かべるキョウリに、スズは微笑む。
「二人とも紹介するね、この方は私たち谷の長であらせられる、ルカ様だよ」
「……いってぇぇ、ルカの馬鹿野郎ぉぉぉおお!」
ヒヅキの叔父さまにあたる人なのと言葉を続け、遠くで叫んでるヒヅキをちらりと見ると、困ったように肩をすくめた。




