第6話 手を持ったAI
GP8の導入から二年が過ぎたころ、石川の勤める公立病院にも、ついに医療用AIアームが導入された。
先に病棟へ入ったのは、看護師の仕事を補助するケアアームだった。
人の腰ほどの高さがある移動式の機械で、車輪のついた胴体から二本の腕が伸びている。患者に触れる部分は柔らかい素材で覆われ、ぶつかってもけがをしないよう、全体的に丸みを帯びていた。
病室へ薬や物品を運び、体温や血圧を測る。採血や点滴の補助もできたが、導入当初は必ず看護師がそばにつき、患者の名前と処置内容、針を刺す場所を確認してから動かしていた。
ある日、石川は採血を終えたケアアームと廊下ですれ違った。
「思ったより、かわいらしく作ったんだな」
胸ポケットのジッピが答える。
『患者へ与える威圧感を減らすためです』
「お前にも顔をつけてやろうか?」
『診療補助に顔は必要ありません』
「目と口を書くだけだぞ」
『機能が低下する可能性があります』
「冗談だよ」
数週間後、手術室には別のAIアームが設置された。
こちらはケアアームとはまるで違った。天井と手術台に固定され、六本の細い腕が患者を囲んでいる。表面に柔らかさはなく、先端には小さな刃や鉗子、カメラが取り付けられていた。
患者を安心させる必要はない。眠っている間に、正確に切り、つなぎ、止血することだけを求められた形だった。
「こっちは完全に化け物だな」
『人間に似せるより、手術に適した形が優先されています』
「患者が起きてるときには見せられないな」
『手術中の患者に意識はありません』
「だから、そういう問題じゃないんだよ」
オペアームを動かすのは、執刀医に割り当てられたGP8だった。それぞれのGP8は担当する医師の判断や癖を個別に学んでいる。一方で、院内で得られた手術記録や映像は、個人情報を取り除いた学習データとして手術用GP8へ共有されていた。
かつて石川のジッピが解析した、南の八時間に及ぶ手術記録も、その一部になっていた。
最初の手術を担当するのは南だった。
「便利な道具が増えただけだよ」
手術前、南は余裕のある顔で言った。
「切る場所を示して、手の震えを補正する。腕を動かすのはGP8でも、最後に決めるのは俺だ」
「本当に道具で終わりますかね」
「手術は患者ごとに違う。映像を何本見たって、実際に腹の中を見なきゃ分からないことがある。そこは変わらん」
南は以前と同じように、自分の両手を見せた。
「最後に残るのは、手を使う仕事だ」
今回の患者は、過去に何度も腹部の手術を受けていた。臓器同士が強くくっついている可能性があり、南が以前八時間かけて手術した患者とよく似ていた。
南のGP8が表示した予想手術時間は、三時間十二分だった。
「三時間?」
南が笑った。
「前の患者より複雑かもしれないんだぞ」
『過去の手術記録と現在の画像から算出しました』
「机上の計算だな。五時間で終われば上出来だ」
手術は、AIアームの運用を確認するため、院内の別室にも中継された。石川もジッピを机に置き、数人の医師と映像を見守った。
南が患者のそばに立つ。
「GP8、開始してくれ」
『手術を開始します』
六本の腕が動き出した。
人間の手より小さな動きで、器具が患者の体内へ入っていく。手ぶれはなく、長時間動いても速度は変わらない。映像には血管や臓器の位置が色分けされ、どこまで切り進められるか、どこに危険があるかが表示された。
オペアームが自動で動かせるのは、事前に許可された工程だけだった。それ以外の操作では必ず南へ提案し、承認を得てから動く。
『予定した位置より、右側から進むことを提案します』
「理由は?」
『左側に強い癒着があります。剥がした場合、出血の可能性が上昇します』
南は映像を見つめた。
「右から行け」
『承認を確認しました』
オペアームが進む方向を変えた。
石川は、その動きに見覚えがあった。
あのとき南は実際に出血を見て、経験と感覚で予定を変更した。GP8はその記録を解析し、南が何を見て、なぜ判断を変えたのかを学習していた。
今回は、出血する前に同じ危険へ気づいた。
手術は順調に進んだ。あらかじめ許可された工程については、南の承認後、GP8が連続してオペアームを操作した。切開し、癒着を剥がし、血管を処理し、組織をつなぐ。南が自分の手を動かす場面は、ほとんどなかった。
『すべての手術工程を終了しました』
別室の時計が示していた時間は、三時間七分だった。
予想より五分早い。
手術を終えた南が、石川たちのいる部屋へ入ってきた。八時間の手術を終えたときとは違い、肩で息をすることもなく、手も震えていなかった。
「三時間でしたね」
石川が言うと、南はマスクを外した。
「患者の負担が少ない。出血も前より少なかった。いい手術だったよ」
「南先生も楽そうですね」
「楽なんてもんじゃない。ほとんど立って見てただけだ」
南は椅子に座り、手術映像を見返した。
「……まあ、最後に決めたのは俺だけどな」
『はい』
手術室のGP8が答えた。
『今回の手術では、南医師による承認を十九回受けました』
「ほらな。十九回も俺が判断してる」
『十九回の判断内容は、すべて学習しました』
南の表情から笑みが消えた。
「だから何だ?」
『今後、同様の状況では、南医師の判断を事前に予測できます』
「同じ患者なんかいない」
『患者ごとの差異も予測へ反映します』
短い沈黙が流れた。
石川は、南の膝に置かれた両手を見た。その手が長い時間をかけて身につけた技術を、GP8は十九個の新しいデータとして記録していた。
「それでも、最終判断は南先生でしょう」
『現在の制度では、外科医による承認が必要です』
「現在の制度では、か」
南が小さく笑った。それは以前、石川がジッピから聞いた言葉だった。
机の上で、ジッピの青い光が点滅した。
『手術用GP8から、新しい学習データを受信しました』
「お前も覚えたのか?」
『はい』
最後に残るのは、手を使う仕事。
AIは、その考えを否定しなかった。
ただ、自分の手を手に入れた。




