第5話 必要のない仕事
GP8が病院に導入されて、一年あまりが過ぎた。
ジッピの精度は、導入当初とは比べものにならないほど上がっていた。診察前には患者の話を聞き、過去の記録と照らし合わせる。診察後の記録や処方箋、紹介状も作成し、石川は内容を確認して承認するだけになった。
最初に仕事を失ったのは、医師ではなかった。
受付や会計、保険請求など、病院を支えてきた事務仕事の多くをGP8が処理するようになった。間違いがまったくないわけではない。それでも人間よりはるかに少なく、複数のAIが互いの処理を確認することで、大半は患者へ届く前に修正された。
やがて、人間が最初から確認する必要もないと判断された。
ある朝、石川が医事課へ書類を持っていくと、並んでいた机の半分が消えていた。
「ずいぶん広くなりましたね」
「人が減りましたから」
答えたのは、十年以上この病院で働いている事務職員だった。以前は会計書類を確認していたが、今は壁際に並んだ端末を見ている。
「何か問題は起きるんですか?」
「今のところ、何も」
「じゃあ、何を監視してるんです?」
「何も起きないことを見ています」
職員は苦笑した。
「午後は患者さんの案内と物品補充です。あとは機械の見回り。仕事はあるんですけどね。どれも、私じゃなくてもできることばかりです」
事務職員には、医師や看護師のように資格を持つ者だけに許された業務がない。AIが仕事を代行できるようになれば、その場所に人間を残す理由も薄くなる。
同じことは全国で起きていた。企業は事務部門の縮小を進め、銀行や保険会社でも早期退職の募集が相次いだ。
失業への不安が広がると、政府は既存の失業給付を拡張した「AI代替職生活支援制度」を発表した。AIによって職を失った人には、通常より長い期間、生活費と家賃の一部を支給する。再就職のための教育も無償で受けられるという。
働かなくても、すぐに生活を失うことはない。
病院でも希望退職者が募られ、事務職員のほぼ半数が辞めた。残った者はAIの監視や患者案内、物品補充、機械の見回り、対人対応へ配置された。
「辞めようとは思わなかったんですか?」
石川が尋ねると、職員は少し考えた。
「明日から来なくていいと言われても、何をしたらいいか分からないんです」
生活できるかどうかとは、別の問題だった。
一方、医師や看護師、薬剤師などの医療職には、まだ法律で定められた役割が残っていた。AIがどれほど正確でも、患者への処置や治療の最終決定には、免許を持つ人間が必要とされている。
ただし、働く時間は大きく減った。
GP8が診察の準備や記録を行い、病棟では患者の状態を二十四時間監視するようになった。夜間に変化があれば、まずジッピが必要性を判断し、医師を呼ぶ。何も起きていないのに念のため病院へ残る時間は、ほとんどなくなった。
政府は失業者を増やさないため、AIを導入した職場に勤務時間の短縮を求めた。石川の病院でも勤務体制が見直され、医師一人あたりの勤務日数が減らされた。
休みのない生活は終わり、石川は一週間の半分を自宅で過ごすようになった。
最初は落ち着かなかった。休みになっても朝早く目が覚め、病院へ行く準備をしてから、今日は勤務ではないと思い出す。いざ自由な時間を与えられても、何をすればいいのか分からなかった。
庭に埋めたミカンの種は、結局いつまで待っても芽を出さなかった。
『発芽しなかったと判断します』
「まだ土の中で頑張ってるかもしれないだろ」
『その可能性は極めて低いです』
「夢がないなあ」
暇を持て余したある日、石川は園芸店へ出かけた。特に買うものを決めていたわけではなかったが、店内を歩いているうちに、実のついた写真が貼られたミカンの苗木が目に入った。
石川は少し迷ったあと、その苗木を買って帰った。
「結局、ちゃんとしたのを買ってきたんだ」
玄関先の苗木を見て、妻が笑った。
「種から育てるのは時間がかかるからな」
『苗木を購入するほうが効率的だと、以前お伝えしました』
「覚えてなくていいことまで覚えてるな」
石川は、サボ太郎を埋めた場所の近くに苗木を植えた。今度は毎日水を与えず、ジッピに土の状態を確認させることにした。
「これなら枯れないだろ」
『石川先生が私の指示を守れば、生存率は上がります』
「俺が患者みたいになってるな」
妻と朝食を食べ、そのあと庭へ出て、葉の色や土の乾き具合を眺める。それが休みの日の新しい習慣になった。
その週も平日の夜に休みが取れたため、石川は間瀬と宮尾を居酒屋へ呼び出した。
「お前、最近よく来られるな」
間瀬がビールを注ぎながら言った。
「週の半分は休みだからな」
「昔は日曜まで病院に行ってたくせに」
「医療が進歩して、俺も人間らしい生活を手に入れた」
「その割に、昼まで寝てたんだろ」
「それも人間らしさだ」
三人がグラスを合わせた。
市役所でも、GP28がほとんどの事務処理を行うようになっていた。申請内容の確認から給付金の支払いまで自動化され、職員の半数近くが退職したという。
「宮尾は残ったんだな」
「まあな。生活は支援されるって言われても、この制度がずっと続くか分からないし」
「市役所の人間が制度を信用してないのかよ」
「市役所の人間だから信用してないんだよ」
宮尾は笑ったが、仕事を失うことへの不安は隠せていなかった。
「今は何してる?」
「GP28が処理した内容の確認と、住民から苦情が来たときの説明。もっとも、計算も判断も向こうのほうが正確だから、確認する意味があるのかは分からん」
間瀬の鉄道会社では、GP33による自動運転の試験が続いていた。通常の運行なら、すでに人間より正確だった。だが事故や災害など、あらゆる状況で安全だと証明されていないため、運転士は監視役として残されている。
「最近は運転してないのか?」
「ほとんど座ってるだけだ。GP33が走らせて、俺は前を見てる」
「楽でいいじゃん」
「楽だけどな。何も起きないまま一日が終わると、俺が乗ってた意味あったのかなって思う」
間瀬はビールを一口飲んだ。
「完全に任せて事故が起きたら困る。だから、まだ人間が必要なんだとさ」
「まだ、か」
石川はその言葉を繰り返した。
医師には免許がある。宮尾には住民への説明という役割がある。間瀬には、自動運転の安全性が証明されるまでの監視がある。
「俺たちって、本当に必要だから働いてると思う?」
石川が尋ねると、二人は黙った。
「俺は免許があるから」
「俺は制度が残ってるから」
「俺は試験が終わってないから」
間瀬が三人分を並べた。
「仕事が残ってる理由、全部俺たち自身じゃないな」
「暗いこと言うなよ。飲もうぜ」
石川がグラスを持ち上げると、二人も続いた。
三人には、まだ仕事があった。
必要だから残っているのではない。
まだ、必要ないと決められていないだけだった。




