第4話 最後に残る仕事
GP8が病院に導入されて、半年が過ぎた。
最初のころこそ、石川は何を頼むにも一度自分で調べ、ジッピの答えと見比べていた。しかし今では、論文検索や患者向けの説明資料、院内カンファレンス用のスライド、薬の飲み合わせの確認まで、そのほとんどを任せている。
「ジッピ。昨日入院した田中さんの経過、まとめといて」
『完了しました』
「早いな」
『15秒前に完了しています』
「じゃあ言えよ」
『石川先生がコーヒーを飲んでいたため、待機しました』
石川は口元へ運びかけていた紙コップを見た。
「気まで遣うようになったのか」
『学習の結果です』
半年も一緒に働けば、ジッピは患者の名前だけでなく、その癖まで覚えるようになった。血圧を測るときだけ緊張する人や、薬を飲んだと言いながら実際にはよく忘れている人。医師なら何度も診察して少しずつ知っていくようなことを、ジッピは記録として蓄積していた。
『佐々木さんは、本日の問診でも睡眠に問題はないと回答しています』
「なら、いいんじゃないか」
『過去三回も同様に回答しています。しかし、深夜二時から四時の間にナースコールが増えています』
石川は画面へ目を向けた。確かに、眠れているはずの時間に何度も看護師を呼んでいる。
『睡眠について、追加で確認することを推奨します』
「先に気づくなよ」
『申し訳ありません』
「謝るな。余計に腹立つ」
診察してみると、佐々木は初めこそ「よく眠れています」と答えた。しかし石川が急かさず待っていると、しばらく黙ったあと、夜になると不安で眠れないと話し始めた。
病室を出た石川は、小さく息を吐いた。
「最近、お前のほうが患者を見てないか?」
『私は記録を解析しています』
「それを患者を見るって言うんだよ」
ジッピは答えなかった。
石川は医局へ戻り、椅子に座って電子カルテを眺めた。
病気の知識だけではない。患者の言葉をどこまで信じ、何を言わずに隠しているのか。医師になってから何年も患者と話し、判断を誤り、先輩に怒られながら少しずつ身につけてきた。
ジッピは、石川が何年もかけて積み重ねたものを、わずか半年で覚え始めている。
「なあ、ジッピ」
『はい』
「内科医、そのうちいらなくなるんじゃないか?」
『現在の制度では、その可能性は低いと考えます』
「制度では?」
『診断および治療方針の最終決定には、医師による判断が必要です』
「つまり、医師免許があるから俺はまだ必要と」
『正確には、医師免許を有する人間による最終判断が必要です』
「言い方が嫌だな」
『事実です』
「もう少し俺個人を必要としてくれよ」
『石川先生は、患者との対話に優れています』
「急にフォローを入れてきたな」
そのとき、医局のドアが開いた。
「何だ、石川。AIに慰めてもらってんのか?」
入ってきたのは、大学時代の先輩で外科医の南だった。白衣の下には手術着を着たままで、首には外したマスクがぶら下がっている。
「南先生、オペ終わったんですか?」
「ああ。今終わった」
「長かったんです?」
「癒着がひどくて予定より手間取った。切って、剥がして、つないで、気づいたら八時間だ」
「八時間……。俺、お腹の手術を八時間とか絶対できないですよ」
南は紙コップにコーヒーを注ぎながら笑った。
「だから外科医は強いんだよ」
「何がです?」
「AIだよ」
南は机の上のジッピを見た。
「内科は危ないだろ。話を聞いて、検査を見て、薬を決める。そういうのは機械が得意だ」
「やっぱり、そう思います?」
「でも手術は無理だ。腹の中なんて毎回違う。臓器がくっついてることもあれば、急に血が出ることもある。教科書どおりになんかいかないし、途中で予定を変えるのも普通だ」
南は自分の両手を石川に見せた。
「最後に残るのは、手を使う仕事だよ。外科医はAIには取られない」
「じゃあ、定年まで八時間オペ頑張ってください」
「お前も今から外科へ来るか?」
「嫌ですよ」
二人で笑った。南はコーヒーだけ持って医局を出ていった。
「元気な人だな」
『南医師の本日の手術時間は、七時間五十二分です』
「ほぼ八時間じゃん」
『術式と手術記録を確認しました』
「もう見たのか」
『はい』
ジッピの青い光が点滅した。
『石川先生。南医師は、手術中に予定を変更したと発言しました』
「そう言ってたな」
『その判断理由を確認してもよろしいですか』
「本人に聞けば?」
『まず記録を確認します』
画面に手術記録が表示された。術前の画像、手術中に確認された状態、出血量、手術方法の変更、執刀医の判断。院内に保存されていた手術映像も、医療支援AIの学習用データとして読み込まれていく。
「そんなところまで見るのか」
『はい』
ジッピは映像の中から、器具の動きや術者の手、予定外の出血、その直後に南が選んだ処置を一つずつ拾い上げていった。
『予定していた手術方法から変更した理由を推定します』
「分かった?」
『現時点では、情報が不十分です』
「なら、南先生の勝ちだな」
『はい』
石川は笑った。
ジッピの青い光が、もう一度点滅した。
『現時点では』
「勉強熱心だな」
『学習は私の機能です』
午後の外来が始まる時間になった。石川は立ち上がり、次の患者のカルテを開く。
「じゃあ、続きはあとでな」
『はい』
石川が医局を出たあとも、ジッピは手術記録を読み続けていた。
南がどこで迷ったのか。何を見て判断したのか。なぜ予定を変えたのか。
それをただ一つずつ、学習していた。




