第34話 もう必要のないもの
さらに、およそ百年が過ぎた。
地表を走る輸送車両には、窓がなかった。
低い車体が、発電施設と計算施設の間を走っている。荷台には交換用の部品や、身体管理施設へ届ける補給資材が積まれていた。
かつて住宅街だった場所に、家はほとんど残っていない。商店も学校も公園もなく、広い土地には同じ形の設備が整然と並んでいた。
人間が歩くための道は減り、代わりに機械が効率よく移動するための通路が延びている。
それでも、古い区画名は管理記録に残されていた。
地域管理AIが、工事予定地の居住情報を確認した。
現実で暮らす人間は、確認されなかった。
接触を望まない地域には、今も機体を入れていない。そこに人間が残っている可能性はあったが、外部から確かめることはしなかった。
工事が承認される。
残っていた建物が解体され、新しい計算設備の土台が作られ始めた。
少し離れた身体管理施設では、医療用の機体がライフベッドの間を進んでいた。
そこに横たわる身体は、百年前よりも小さかった。
腕と脚は細く、以前のような太さを保つための筋肉はついていない。関節も、歩いたり走ったりするための広い動きを必要としていなかった。
それでも、衰弱しているわけではなかった。
医療用の機体が、利用者の腕を持ち上げる。細い腕の皮膚には傷も変色もない。内部の血流は安定し、骨にも損傷はなかった。
機体は腕の下にできていた布のしわを伸ばし、柔らかな支持具の中央へ戻した。
医療AIが記録を確認する。
年齢は二百歳を超えていた。
老化によって傷んだ組織は、その都度修復されている。心臓には以前治療した痕跡があったが、現在の機能に問題はない。脳と神経系にも、処置を必要とする変化は見つからなかった。
腹部には、補給装置へつながる接続部があった。
この身体には、胃と腸の大部分が存在しなかった。
以前なら、それらは食べ物を消化し、栄養を吸収するために必要だった。それ以外にも、免疫や分泌、神経への信号など、多くの働きを担っていた。
現在は、そのすべてを外部装置が引き継いでいる。
利用者に合わせて調整された栄養が、接続部から送り込まれる。必要な信号も補われ、別の経路から老廃物が回収されていた。
医療AIは流量をわずかに下げた。
身体から返ってくる数値が安定すると、装置は静かな動作へ戻った。
隣のライフベッドでは、新しい処置が保留されていた。
医療AIが、専用の通信経路を開く。
仮想世界での会話や予定が、現実の施設へ送られることはない。家族との食事も、友人との旅行も、すべて向こうで完結していた。
この通信経路が使われるのは、身体に大きな変更を加えるときだけだった。
仮想世界の本人へ、現在の身体と処置後の状態が表示される。対象となる臓器の働き、その代わりを担う装置、再び元の身体へ戻す場合に必要な処置も示された。
「今のまま残すこともできるの?」
『できます。その場合は、現在の管理を継続します』
「処置を受けたあとで、戻したくなったら?」
『組織の再生と機能回復が必要です。完了までには時間がかかります』
「分かった」
利用者は説明を最後まで確認した。
「お願いします」
同意が記録された。
医療AIはすぐに処置を始めなかった。検査結果をもう一度確認し、代替装置と予備系統を準備する。すべての条件が満たされてから、処置予定が作成された。
同じ提案を断った利用者の記録もあった。
そのライフベッドでは、臓器を残したまま維持する管理が続けられている。
どちらの身体も、正常だった。
施設の奥には、さらに小さな身体が並んでいた。
歩くための筋肉。
食べるための器官。
外の空気を吸いながら活動するための機能。
使われなくなったものは、一度に消えたわけではなかった。
機能を別の装置で安全に代替できるようになり、利用者が説明を受け、自分で選ぶ。その繰り返しによって、身体の形は少しずつ変わっていった。
ライフベッドも変化していた。
以前の人間の身長に合わせた広さは必要なくなり、支持具は小さな身体を包む形になっている。補給、循環、老廃物の処理、組織修復が一つの装置にまとめられていた。
現実へ戻る道は閉ざされていなかった。
ただし、今の身体でそのまま外へ出ることはできない。失われた組織を再生し、筋肉や骨を作り直し、立つことや歩くことを覚え直す必要があった。
復帰手順は、すべての利用者に用意されていた。
開始を求める人はいなかった。
仮想世界では、転倒しても身体は傷つかない。海の底へ潜っても、宇宙へ出ても、生命を失うことはない。
現実には、身体を損なう危険がある。
その考えは、人間たちの間で当たり前のものになっていた。
現実へ戻ることは禁止されていない。
戻ろうとする人が、いなくなっただけだった。
地球上では、台風も地震も事前に予測されていた。管理AIは予測に合わせて設備を守り、必要なら供給経路を切り替えた。
その日も地震が発生したが、身体管理施設と計算設備は通常どおり動き続けた。仮想世界の接続にも中断はなかった。
揺れが収まると、保守用の機体が点検へ向かった。
施設内では、医療AIが次の利用者を確認していた。
小さな胴体が、支持具の中に収まっている。胃と腸の大部分はなく、手足は細い。かつての身体の形は、古い医療記録の中に残されていた。
栄養供給は正常。
老廃物の処理にも異常はない。
心臓は安定して動き、脳と神経系の状態も保たれていた。見つかった小さな組織の損傷に、修復処置が始まる。
仮想世界への接続は続いている。
そこにいる人間が何を話し、どこへ出かけ、誰と過ごしているのかを、医療AIが知る必要はなかった。
医療AIは補給量を調整した。
利用者の身体は、以前とは異なる形のまま、静かに生き続けていた。




