第33話 人間の居場所
それから、およそ五十年が過ぎた。
朝の都市を、無人の輸送車両が走っていた。交差点で車列が分かれ、駅へ向かう車両と、身体管理施設へ向かう車両が、それぞれ進んでいく。
商業施設が並んでいた通りには、計算設備が収まっていた。オフィスビルのいくつかは取り壊され、窓の少ない製造施設へ変わっている。駅に到着した列車からは、機械部品と補給用の容器が降ろされていた。
通勤する人も、学校へ向かう子どももいなかった。
歩道は清掃され、横断歩道も塗り直されている。輸送車両は誰もいない歩道の手前で速度を落とし、交差点を曲がった。
海を隔てた都市からも、運行情報が届いていた。港では荷物が積み替えられ、工場では新しい機械が組み立てられている。
台風の予測に合わせて、沿岸へ向かう便の一部が別の経路へ切り替わった。身体管理施設への到着時刻に変更はなかった。
地域管理AIは配送予定を更新した。
身体管理施設では、窓から入る光が通路を照らしていた。
並んだライフベッドには、体格も顔立ちも異なる人々が横たわっている。白髪の多い人もいれば、黒い髪を短く整えた人もいた。医療AIが開く健康記録には、百歳を超える年齢が珍しくなくなっていた。
一台の装置から、組織の修復結果が届いた。予定されていた追加処置は不要になり、医療AIはその項目を取り消した。
隣では、代謝の変化に合わせて補給内容が調整されていた。支持面が背中に沿ってわずかに動く。かつて手足を繰り返し曲げ伸ばししていた大きな機構は、すでに取り外されていた。
保守ロボットが交換部品を運んでいると、担当AIへ利用者から通信が届いた。
「明日の集合、何時だった?」
『九時です』
「早いな。今日、試合が長引いちゃってさ」
『休息の時間を確保するため、開始時刻の変更を相談しますか』
「いや、大丈夫。もう寝るよ。今日は勝ったから気分いいし」
『承知しました。お休みの設定へ移ります』
声は明るかった。
現実の利用者は口を動かしていなかった。医療AIは休息に合わせて管理内容を切り替え、保守ロボットは通路を先へ進んだ。
収納棚には、利用者の靴が並んでいた。GPXは素材の傷みを確認し、元の位置へ戻した。
離床を希望された場合に使う補助装置も、点検を終えていた。身体の状態を確かめ、必要な調整を行ってから立ち上がるための手順が、各利用者の記録に残されている。
その手順を開始する予定は、どの記録にも入っていなかった。
郊外の農業区画では、収穫機が畑の列を進んでいた。
その脇に、古い平屋が一棟残っていた。以前は住民たちが集まり、収穫した野菜を料理していた建物だった。今は作物の一時保管と、農業用機体の管理に使われている。
ここで暮らす人間の登録は、すでになかった。
建物の管理記録には、住民たちの移転先が残っていた。足腰への負担を減らしたいという希望。先に移った友人と同じ施設を使いたいという依頼。身体補助を利用しながら畑仕事を続け、その後、自分で移転を選んだ人もいた。
最後の住民は、農具を捨てずに残してほしいと頼んでいた。
倉庫の壁には、古い鍬が一本掛けられている。柄には、手で握り続けてできた艶があった。その下には長靴が並び、名前の書かれた籠が重ねられていた。
農業ロボットは籠には触れず、隣の棚から配送用の容器を取り出した。
畑へ戻ると、収穫用の腕がナスを一つ持ち上げた。傷がないことを確かめ、茎を切って容器へ収める。次のナスも、その隣へ並べられた。
収穫物の一部には、現実で共同生活を続ける小さな集落から注文が入っていた。配送先は集落の入り口に指定されている。医療支援や防災情報は受け取るが、日常の作業は自分たちで行う人々だった。
配送AIは指定された場所を確認した。
この畑から届く野菜を、今も自分の手で料理する人がいた。ただ、かつてここに集まっていた住民たちの注文は、もうなかった。
容器が満たされると、収穫機は次の列へ移った。
大都市の身体管理施設に、補給車両が到着した。
荷物が運び込まれる間にも、管理AIには仮想世界から連絡が届いていた。友人との食事の予約。旅行先の変更。共同制作に使う空間の拡張。
一件の制作依頼には、真希の名前があった。ほかの利用者と共有する展示空間の寸法が添えられている。管理AIは必要な計算資源を確認し、利用できる構成を返した。
別の施設から、宮尾の予定変更が届いた。試合の開始時刻が動いたため、友人との待ち合わせを遅らせたいというものだった。
間瀬からは、新しい旅行先の案内が届いている。行き先は一つに絞られておらず、参加者の返答を待っていた。
二人とも、健康記録の年齢欄は百歳を超えていた。
予定を共有する相手として、石川の記録が開かれた。こちらも百歳を超えている。身体の状態に、追加の対応を必要とする変化はなかった。
現実での活動予定は空欄だった。
管理AIが予定の調整を進めていると、石川から通信が届いた。
「今度の旅行、真希たちも来るって。家族で」
管理AIは、真希と夫、子どもの参加希望を確認した。
『真希さんご一家を参加者に追加します』
「あと、千秋も。旦那さんと一緒に」
『ご招待を送ります』
招待先の人物モデルには、再構成のもとになった写真や記録とは別に、仮想世界で重ねた経験が蓄積されていた。真希と遊んだ記録から、新しい友人との交流へ。幼い姿に固定せず、千秋自身の選択で外見や暮らしを変えてきた履歴の先に、結婚の記録もあった。
招待を送ると、二人分の参加希望が返ってきた。
『千秋さんご夫妻も参加されます』
「よし。孫も来るから、間瀬に途中で時代を変えるなって伝えといて」
確認が送られ、すぐに返答が届いた。
『間瀬さんからです。予定は変更するかもしれない、とのことです』
「相変わらずだな。じゃあ、変更する前に言えって」
『承知しました』
管理AIは参加者を追加し、旅行に必要な計算資源を確保した。人数に合わせて、予約された移動用の船が変更された。
施設の外では、補給を終えた輸送車両が発進していた。次の荷物を受け取る工場から、搬出準備の完了が届く。
石川は、ライフベッドに横たわっていた。
旅行の予定表には、友人たちと、娘の家族と、妹夫婦の名前が並んでいた。宮尾から集合時刻の確認が届き、間瀬から新しい行き先の候補が追加された。
管理AIがそれを転送すると、石川から短い通信が返ってきた。
「楽しみだな」
その声を、室内のスピーカーが流すことはなかった。




