第32話 必要なものだけ
研究施設の中央で、試験用のライフベッドが脚部の支持具を動かしていた。上に載っているのは、人間の身体を模した検証装置だった。
膝に当たる部分が曲がり、足裏に荷重がかかる。医療AIは、その動作と各地から集まった匿名の健康記録を照合した。
筋力は維持されている。骨の状態にも問題はない。ただ、一部の利用者には負荷を下げ、休息を増やす必要があった。
『運動量を減らした場合の結果を確認します』
試験用の脚の動きが小さくなった。
画面には、その条件で管理を続けた場合の変化が表示された。いくつかの項目が基準を下回り、その案は採用されなかった。歩行に必要な機能も、従来どおり評価の対象に含まれていた。
隣の実験室では、培養組織への刺激方法を変えた試験が進んでいた。刺激の強さだけでなく、栄養を送るタイミングや、微細な損傷を修復する処置も組み合わせている。
良好な結果が出ると、その条件が設計AIへ送られた。
設計AIは、ライフベッドの支持面と循環管理装置を組み直した。製造装置が部品を作り、作業アームが検証機へ取り付ける。
再び試験が始まった。
新しい装置では、脚を曲げ伸ばしする回数を減らしても、必要な機能を維持できた。だが、支持面の一部に熱がこもった。
『長時間の使用条件を満たしません』
設計が戻される。
支持材の厚みが変わり、内部の流路が増やされた。別の試作品では、交換作業が複雑になりすぎたため、接続部を作り直した。
実験台の脇には、使われなくなった部品が並んでいた。回収用のロボットがそれを運び出すころには、次の試作品が届いていた。
検証を通過した装置は、同意した利用者による試験へ進んだ。
従来より少ない機械的な運動で管理を続け、立ち上がる力や歩行、身体の各部の状態を確認する。その結果を受けて細部が修正され、採用された部品の図面が製造設備へ送られた。
検証機に取り付けられていたものと同じ支持面が、今度は配送用の箱へ収められた。
ある住宅で、GPXが利用者へ更新内容を伝えた。
『身体管理用の装置を更新できます。説明を表示してもよろしいですか』
「長い?」
『概要は短くまとめられます。詳しい内容も確認できます』
「じゃあ、概要から」
説明は仮想空間へ送られていた。現実の寝室では、ライフベッドがゆっくりと利用者の脚を動かしていた。
『循環管理と組織の修復方法が更新されます。筋肉や骨の機能を維持するために、身体を動かす量を減らせます』
「向こうでの生活は変わる?」
『変わりません』
「起きて歩くことは?」
『引き続き可能です。離床時の確認と補助も行います』
利用者は説明画面を先へ進め、身体への処置と装置の変更内容を確認した。
「じゃあ、お願いします」
同意が記録されると、GPXは交換を手配した。
医療用ロボットが到着し、補助装置で身体を支えながら、ライフベッドの一部を取り外す。新しい支持面が背中の形に合わせて沈んだ。
作動確認を終えると、脚部の装置は以前より早く動きを止めた。循環や組織の状態に応じた調整は、そのまま続いていた。
利用者から届いた次の連絡は、装置についてではなかった。
「夕方の集まり、一人増えても大丈夫かな」
『主催者へ確認します』
GPXが招待先の設定を開く間に、医療用ロボットは工具を収納した。更新後の管理記録には新しい装置の識別番号が付き、本人が許可した研究用のデータへ加えられた。
住宅管理AIにも、変更の依頼が増えていた。
ある家では、使われていない居間と隣室をつなぎ、ライフベッドの周囲に保守用の空間を設けることになった。壁の位置を変更した図面が、住人へ提示される。
「台所は残しておいて」
『承知しました』
「使ってないけど、たまには料理したくなるかもしれないから」
図面から、調理設備の撤去項目が消えた。
工事用ロボットは残す設備を覆い、別の壁から作業を始めた。窓の位置も玄関も変わらない。外から見れば、以前と同じ家だった。
別の住宅からは、改修ではなく転居の希望が届いた。
行き先は、共同身体管理施設だった。
利用者は自宅の設備更新にその都度対応するより、管理をまとめて任せることを選んだ。同じ施設への入居を希望した別の人は、医療設備の配置と緊急時の対応を詳しく確認していた。
『現在の仮想空間の住居や、ご友人との接続先は、そのまま利用できます』
「住所を変える手続きは?」
『現実の住所についてはこちらでご案内します。仮想空間のお住まいを変更する必要はありません』
「じゃあ、友達には引っ越したって言わなくても分からないか」
『接続先に変化はありません』
利用者は、移動中の予定だけを空けた。
施設の窓からは、通路まで明るい光が届いていた。
ライフベッドには、白髪の人も、若い顔立ちの人も横たわっていた。肩幅の広い身体の隣には、小柄な身体が収まっている。それぞれに合わせて支持具の位置が異なり、担当のAIは一台ずつ処置の内容を確かめていた。
補給用の機体が通ると、清掃ロボットが通路の端へ寄った。開いていた窓辺のカーテンが、日差しに合わせて少し動いた。
受け入れ担当のGPXは、新しい利用者の収納棚に靴を置いていた。
外へ出るときは履き慣れたものを使いたいという希望があった。靴底を確かめ、左右をそろえて取り出しやすい位置へ収める。
その利用者は、到着後に一度、窓まで歩くことを望んだ。
ライフベッドが上体を起こし、足元の支持具が開く。GPXは靴を差し出し、立ち上がる動きを確認してから隣を歩いた。
「外、見えるんだね」
『こちらの窓からは道路と広場が見えます』
「そう。じゃあ、ここでいい」
利用者はしばらく外を眺めてから、ライフベッドへ戻った。接続を再開する前に、靴を残しておいてほしいと、もう一度頼んだ。
『同じ場所に保管します』
GPXはそう答えた。
施設では、装置を更新した人と、従来の方法を続ける人が同じ室内で過ごしていた。保守用の機体は、それぞれのライフベッドに適合する部品を運んでいた。
一台の装置で補給容器を交換していると、利用者から通信が届いた。
「友達と旅行するんだけど、何か準備いる?」
『仮想空間でのご旅行でしょうか』
「そう。向こうで船に乗るらしい」
『特別な準備は必要ありません』
「じゃあ、予定どおり行くよ」
『承知しました』
担当のAIは予約を確認し、容器の交換を終えた。続いて、新しい装置での管理結果をまとめ、許可された項目を匿名化して研究施設へ送った。
研究施設では、医療AIがその記録を開いた。
機械的な運動量を減らした後も、身体機能は基準を満たしていた。一方、支持具の継ぎ目では、衣服を直す動作が繰り返し記録されていた。
担当機がその都度整えていた布の折れ込みを、設計AIが再現した。接合部の角度を変え、生地が滑る範囲を確かめる。
製造装置に、新しい図面が届いた。
作業アームが材料を固定した。隣の検証台には、厚みの異なる布が用意されていた。




