第31話 静かな街
朝日が住宅街を照らしていた。
配送車が交差点で止まり、清掃機が横切るのを待った。歩道には落ち葉がなく、街路樹の枝も整えられている。
バス停には誰も並んでいなかった。
家々には人がいた。空調が動き、水も電気も使われている。ただ、朝になっても玄関から住人が出てくることはほとんどなかった。
配送車が動き出した。荷台には、栄養資材と交換部品が積まれていた。
ジッピは石川の寝室で、ライフベッドの表示を確認した。
統合生活支援寝台。身体の管理と仮想世界への接続を担う装置は、今ではその短い名前で呼ばれていた。
健康状態に異常はない。ジッピは補給装置の残量を確かめ、身体の状態に合わせて設定を調整した。
ライフベッドがゆっくりと動く。
肩を支える位置が変わったところで、寝間着の袖が少し引かれた。ジッピは布を持ち上げ、腕に沿って伸ばした。脇の下にしわが残っていないことを確かめてから、手を離す。
石川は目を閉じたまま、穏やかに呼吸していた。
妻と真希の部屋でも、それぞれのライフベッドが動いている。ジッピは各装置の稼働を確認し、回収容器を持って廊下へ出た。
食卓には何も並んでいなかった。
天板を拭き、椅子を収める。戸棚の中では、真希が作った器が一つずつ置かれていた。少し形の違う縁が、互いに触れないよう間隔を空けてある。
ジッピは調理設備を点検し、流しに水を通した。
玄関の受取口に、配送ロボットが到着した。
ジッピが扉を開けると、配送ロボットが荷台を下げた。
新しい資材を受け取り、回収容器を載せる。照合が終わると、荷台が閉じた。
『受領しました』
『回収品を確認しました』
配送ロボットは隣の家へ移った。そこでは別のGPXが、すでに扉を開けて待っていた。
通りに人間の姿はなかった。各戸の受取記録は、順番に更新されていった。
駅の案内用ロボットに、乗車希望が届いた。
改札側から、一人の老人が歩いてきた。ロボットは搬送機に進路変更を伝え、老人の歩く速度に合わせて近づいた。
『お席までご案内します』
「窓側、空いてる?」
『はい』
「川が見える方がいいんだけど」
『進行方向の左側をご案内します』
ホームでは、栄養資材や交換部品が列車へ積み込まれていた。案内用ロボットはその横を通り、老人を旅客用の車両へ導いた。
ほかの座席に乗客はいなかった。
老人が座るのを待ち、荷物を足元に置く。通路にはみ出していないことを確かめると、ロボットは一歩下がった。
「今日は、あの橋まで行って戻るだけなんだ」
『折り返しの便を手配しています』
「家にいると、たまに外を眺めたくなるんだよ」
案内用ロボットは、川沿いを通る区間の窓を、日差しを抑えながら景色が見える設定にした。
扉が閉まり、列車が動き出した。
老人は膝の上に両手を置き、窓へ顔を向けていた。案内用ロボットは見送りを終え、戻りの到着時刻を予定に加えた。
栄養資材の製造施設では、各地のGPXから届く必要量に合わせて、配送箱が用意されていた。
一つの注文が更新された。
住人が通常の食事を希望したため、その分の補給量が減らされていた。箱から小さな容器が一つ戻され、別の注文へ回された。
内容を確認された箱は、搬送車へ載せられた。
住宅街の一軒で、ライフベッドの駆動部に不調が見つかった。
担当のGPXは補助機構へ切り替え、交換を依頼した。横たわる女性の姿勢と、身体にかかる圧力は維持されていた。
医療用ロボットが到着すると、GPXは部屋の扉を開けた。
作業機が側面へ入る。GPXは女性の身体を確認しながら、掛け布の端を持ち上げた。外された部品は回収容器へ収まり、新しい部品が取り付けられる。
『動作確認を開始します』
ライフベッドが小さく動いた。GPXは足の位置を確かめ、かかとの下の支持具を調整した。
『身体状態に変化はありません』
通常運転への復帰を確認すると、作業機は清掃を終えて退出した。GPXは掛け布を元に戻した。
女性は目を開けなかった。
作業機から送られた交換記録をもとに、同じ部品を使う設備の点検項目が更新された。その間にも、機体は次の訪問先へ向かっていた。
郊外の共同体では、支援用のGPXが収穫用のかごを洗っていた。
畑から、男が戻ってきた。かつて駅前で演説していた男だった。野菜の入ったかごを台に載せ、帽子を脱ぐ。
GPXは水を差し出した。
「今日は少ないな」
『畑で作業されている方は、ほかに二人です』
「前によく料理してくれてた人、最近見ないけど」
『仮想空間で生活されています。共有された近況では、料理の会を開かれているそうです』
「向こうでも料理か。相変わらずだな」
男は笑って水を飲んだ。
その人が使っていた作業道具は、納屋に保管されていた。膝や腰の負担から現実での作業を減らし、本人の希望で生活の場を移していた。
「元気ならよかった」
男は空のかごを持ち上げた。
『午後から雨が予測されています。残りの運搬を引き継ぐことも可能です』
「あと一回だから、自分でやるよ」
『承知しました』
男が畑へ戻ると、GPXは収穫された野菜を日陰へ移した。それから、戻ってくる人数に合わせて洗い場を整えた。
石川家では、ジッピが玄関前の通路を確認していた。
敷石の一枚だけ、端がわずかに浮いている。位置を送ると、近くで作業していた補修機がやってきた。
その日に人が通る予定はなかった。
補修機は敷石を持ち上げ、下地を直した。元に戻して水平を確かめ、周囲の砂を取り除く。
ジッピは玄関までの通路を確認した。段差はなくなっていた。
家に戻ると、室内の清掃も終わっていた。ジッピは清掃機を充電場所へ送り、寝室へ向かった。
夕日がカーテンの端を照らしていた。
ジッピは補給装置を確認し、夜の管理予定を開いた。家族の健康状態は安定している。追加の対応は必要なかった。
そのとき、石川から通信が届いた。
「ジッピ、明日の予定、ちょっと変えたいんだけど」
『また宮尾さんとのお約束ですか』
「またって言うなよ」
『前回も同じお約束の変更でした』
「覚えてなくていいところまで覚えてるな。あとで時間送るから」
『承知しました』
通信が終わった。
寝室に声は響かなかった。石川の口も、動いていなかった。
ライフベッドが姿勢を変えると、石川の手が支持具の端へ少しずれた。
ジッピはその手を取り、下にできた布の折り目を伸ばした。それから柔らかな支持具の中央へ戻し、指先が無理なく収まっていることを確かめた。
石川は目を開けなかった。
窓の外では、配送車が次の家へ向かっていた。




