第27話 もう一つの家族
「向こうでは、お父さんって呼ぶなよ」
石川が言うと、真希は自分の小さくなった手を眺めながら笑った。
「じゃあ、たっちゃん?」
「何で知ってるんだよ」
「おばあちゃんが呼んでた」
「……まあ、それでいいか」
二人は昔の実家の玄関に立っていた。
石川は小学五年生の姿だった。真希も同じころの写真をもとに容姿を変えているが、並ぶと少しだけ真希の方が背が高かった。
「お父さん、私より小さい」
「ここでは、お父さんじゃない」
「はいはい、たっちゃん」
「何か腹立つな」
真希は笑いながら、玄関を見回した。
靴箱の上の置物。壁にかかったカレンダー。廊下の奥から聞こえるテレビの音。
写真の中で見たことのある家に、今は自分の足で立っている。
「ここで育ったんだ」
「ああ。そこの柱に頭ぶつけたことある」
「何してたの?」
「忘れた。痛かったのだけ覚えてる」
居間の引き戸が開いた。
「お兄ちゃん、来た……」
千秋が顔を出し、真希に気づいて止まった。
「その子、誰?」
「真希。今日は一緒に遊ぼうと思って」
「こんにちは」
真希が挨拶すると、千秋は少しだけ石川へ近づいた。
「……こんにちは」
いつものトランプを、背中に隠すように持っていた。
台所から母が顔を出した。
「あら、お友達? 上がってもらいなさい」
「お邪魔します」
真希は頭を下げてから、石川の袖を引いた。
「おばあちゃん、若い」
「だろ」
「声、今とちょっと似てる」
「本人も、昔の動画見て同じこと言ってたよ」
小声で話していると、母に二人まとめて手を洗うよう言われた。
千秋が廊下を指した。
「洗面所、こっち」
「ありがとう」
真希がついていく。
石川は少し遅れて、その後ろを歩いた。娘と妹が、自分の育った家の廊下を並んで進んでいた。
居間へ戻ると、父がテレビの音を少し下げた。
「千秋、やっと遊び相手が増えたな」
千秋は返事をせず、座布団を一枚引っ張ってきた。真希の前へ置き、自分はその隣に座る。
「トランプ、できる?」
「できるよ。何するの?」
「ババ抜き」
「こいつ、ずるするから気をつけろよ」
石川が言うと、千秋はすぐに顔を上げた。
「してない!」
真希が笑った。
三人でカードを配った。千秋は手札の中から同じ数字を探し、そろうたびに勢いよく畳へ置いた。
初めの遠慮は、勝負が始まるとすぐになくなった。
「真希ちゃん、次」
「うん」
千秋がカードを差し出す。
一枚だけ、少し高く出ていた。
真希がそれを見て、石川と目を合わせた。
石川は小さく首を振ったが、真希はその一枚を引いた。
「あ、ジョーカー」
千秋の顔がぱっと明るくなった。
「お前まで甘やかすなよ」
石川が小声で言う。
「だって、うれしそうなんだもん」
「何の話?」
千秋が二人を交互に見た。
「千秋、強いねって話」
真希が答えると、千秋は得意そうに手札を広げ直した。
ところが次の順番で、真希から同じジョーカーを引いてしまった。
「あっ」
「顔に出すなって」
石川が言うと、真希が笑った。千秋もつられて笑い、慌てて口を閉じた。
最後に残ったのは、石川と千秋だった。
石川がカードへ手を伸ばすたび、千秋がわずかに動かす。
「また動かした」
「動かしてない」
「見ただろ、真希」
「見てなかった」
「絶対見てたじゃん」
真希は千秋の隣で笑っていた。
石川は結局ジョーカーを引き、二人から同時に歓声を浴びた。
「お前ら、組んでるだろ」
「組んでませーん」
千秋の返事をまねて、真希も同じことを言った。
石川は手札を伏せた。
「一人増えただけで、こんな不利になるか」
トランプを片づけたあと、千秋が真希に尋ねた。
「真希ちゃん、何して遊ぶの好き?」
「何か作るのが好きかな。粘土とか、ガラスとか」
「ガラス?」
「あ、ガラスは道具がいるから。今日は紙で何か作ろうか」
「折り紙あるよ」
千秋は棚から箱を持ってきた。中には折り紙と、短くなった色鉛筆が入っていた。
真希が青い紙を選ぶと、千秋も同じ色を探した。
「何作る?」
「クラゲ」
「折れるの?」
「折って、ちょっと切って。やってみよう」
真希は紙を半分に折り、角をそろえた。
千秋が隣からのぞき込む。
「こう?」
「そう。ここ押さえてから折ると、ずれにくいよ」
真希の指が、千秋の紙の端を押さえた。
石川も一枚取ったが、途中で折る向きを間違えた。真希に戻す場所を教えられ、千秋には遅いと言われた。
「お前、さっきまで分かんなかっただろ」
「もう分かるもん」
千秋は紙を裏返し、少し考えてから真希を見た。
「……次、どうするんだっけ」
「ほら見ろ」
「お兄ちゃんは自分のやって」
石川は黙って紙を折り直した。
母が子ども用のはさみを持ってきた。真希は細く切った紙を何本か用意し、丸く膨らませた傘の下につけていった。
完成したクラゲを持ち上げると、長い足が揺れた。
「できた」
千秋のクラゲは片側がへこみ、足の長さもばらばらだった。
「変な形になっちゃった」
「かわいいじゃん」
「こっち、曲がってる」
「私はこういうの好きだよ。泳いでるみたい」
真希が自分のクラゲを隣に並べた。
千秋は二つを見比べ、少し揺らしてみた。それから立ち上がり、棚の空いた場所へ自分の作品を置いた。
「お母さん、見て」
「あら、上手にできたじゃない」
「真希ちゃんに教えてもらった」
千秋が振り返った。
「真希ちゃんのも、ここ置こうよ」
「いいよ」
二つの青いクラゲが並んだ。
石川は、自分のを置く場所を探した。
「俺のは?」
千秋は石川の手元を見た。
「……それもクラゲ?」
「同じ説明聞いて作ったんだけどな」
真希が笑いながら、棚の端を空けてくれた。
その棚に、クラゲが飾られていた記憶はない。
今日、初めて三つ並んだ。
石川は部屋の保存設定を確認した。作品も、今日のやり取りも、次の訪問へ引き継がれるようになっていた。
画面を閉じると、千秋が真希に、次は何を作れるのか聞いていた。
帰る時間が近づいたころ、間瀬から連絡が届いた。
石川は二人に声をかけ、廊下へ出て通話をつないだ。
「どうした?」
「昨日、秀吉に斬られた」
「お前、今度は何したんだよ」
「歴史旅行」
「江戸行くって言ってなかった?」
「最初は江戸だったんだけど、途中で戦国まで戻ってさ」
「旅行の範囲、広すぎるだろ」
間瀬は江戸の町で蕎麦を食べ、芝居を見てから、秀吉のいる時代の城へ移ったという。
史料を参考にした街や生活を体験する見学設定と、人物に話しかけて展開を変えられる物語設定があり、途中から後者を選んだらしかった。
「で、何で斬られた?」
「秀吉って、意外と小さいですねって言った」
「何でそんなこと言ったんだよ」
「気になって」
「初対面の偉い人に言うことじゃないだろ」
間瀬は笑った。
「周りが静かになってさ。あ、まずいと思ったら刀抜かれた」
「そこまで分かりやすく怒らせたのか」
「斬られた瞬間、景色が止まって『旅をやり直しますか』って出た」
「旅行会社も大変だな」
痛みはほとんどなく、血が出るような演出もなかったという。間瀬は終了画面を見て、しばらく笑っていたらしい。
『人物の反応は、物語設定による創作です。史実上の秀吉の言動を示すものではありません』
ジッピが補足した。
「本物がどうかは知らないけど、あの秀吉は怒った」
「宇宙行った次は、歴史上の人物に斬られてるのか」
「次は信長に会ってくる」
「今度は口に気をつけろよ」
「歴史変えられるかな」
「お前の方が先に消されるぞ」
通話を終えると、背後に真希が立っていた。
「間瀬さん?」
「ああ。秀吉に斬られたって」
「何したの」
「失礼なこと言った」
真希は納得したようにうなずいた。
「向こうでも変わらないんだね」
「本当にな」
居間から千秋が呼んだ。
「真希ちゃーん。これも持って帰る?」
真希が返事をして戻っていく。
石川もそのあとに続いた。
それから数週間、真希は制作の合間に千秋へ会いに行くようになった。
二度目に訪ねたとき、青いクラゲは棚に残っていた。
千秋は真希の顔を見るなり、今度は魚を作りたいと言った。前に折ったところを覚えていて、傘の部分までは一人で作ってみせた。
石川は真希に、実家の環境へ入る招待を継続して使えるようにした。初めは毎回一緒だったが、そのうち二人だけで遊ぶ日もできた。
「今日、千秋と何したの?」
夕食の席で石川が聞くと、真希は箸を止めた。
「海。大きいクラゲ見てきた」
「俺の知らないところで遊んでるの?」
「だって、千秋ちゃんと約束したから」
「俺の妹なんだけど」
「私の友達でもあるよ」
石川は口を閉じた。
妻が隣で笑っていた。
「お父さんも来ればよかったのに」
「誘われてないぞ」
「今度誘う」
何となく取り残された気がしたが、千秋に次の約束ができているのは、うれしかった。
昔の実家で遊ぶばかりではなくなった。
山へ行き、空を飛び、真希が形を考えた大きな生き物の背中に乗った。石川も一緒に出かけた日には、千秋の方から飛び方を教えられた。
「お兄ちゃん、力入れすぎ」
「入れてないよ」
「肩、上がってる」
真希まで同じことを言うので、石川は二人の後ろを静かについていった。
真希は現実でも、変わらず制作を続けていた。
ただ、大きな作品の形を考えるときは、仮想の作業場を使うようになった。実物では持ち上げられない大きさでも、向こうなら回して眺められる。気に入った形ができると、現実の材料でどう作るかを考えた。
宮尾は海の見える家で、近所の人と新しい催しを始めた。
間瀬は歴史旅行の合間に、月旅行の準備をしていた。信長との対面がどうなったのかは、なぜか詳しく話さなかった。
石川も予定を確認することが増えた。
宮尾たちとの試合。間瀬の旅行話。千秋と真希との外出。
食事や入浴、睡眠、身体を動かす時間は現実で過ごす。ジッピに呼ばれて一度戻り、用事を済ませてから、また接続する日もあった。
どちらかを嫌いになったわけではなかった。
ただ、次に楽しみにしていることを思い浮かべると、向こうの景色が浮かぶ日が増えていた。
ある午後、石川は庭へ出た。
ミカンの木の葉が、日差しを受けて光っていた。枝先を持ち上げ、裏側を確かめる。虫に食われた跡は見当たらなかった。
「水、やった?」
『本日は必要量を補給済みです』
「枝は?」
『先週、混み合っていた部分を剪定しました』
「そうか」
石川は手を離した。
苗木を植えたころには、自分の胸ほどもなかった。今は、見上げる枝もある。よく育ったなと思った。
ジッピが、真希からの招待を知らせた。
『真希さんと千秋さんは、現在、海辺の環境を利用しています』
「今日は何してる?」
『砂で家を作っているそうです。石川さんにも手伝ってほしいと』
「また俺の作ったやつだけ変って言われそうだな」
届いた画像には、砂浜にしゃがむ二人が写っていた。途中まで積んだ砂の壁と、青いバケツが見える。
千秋の手には、石川の分らしい小さなスコップがあった。
「……俺も行こうかな」
『参加しますか』
「頼む」
石川はミカンの木をもう一度見て、家へ戻った。
庭には、午後の日差しが差し込んでいた。必要な世話は済んでいて、今日はもう、自分がしなければならないことはなかった。
窓を閉め、接続用寝台へ向かう。
向こうでは、娘と妹が待っていた。




