↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人類の最適化が正常に完了しました  作者: TAMI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/40

第25話 本物と同じ

「今度は、神経につなぐのか」


 石川は説明画面を見ながら、首元に触れた。


 宮尾の足が治ってから、一年以上が過ぎていた。


 治ったあとも、宮尾は仮想のコートで遊ぶことが多かった。石川も時々参加し、試合が終われば、そのまま三人で話した。


 一人一台の家庭用装置は、すっかり家具の一つになっていた。その装置と連携する、新しいチップの案内が届いていた。


『従来の本人認証や健康管理に加え、神経活動の測定と、感覚の再現を支援します』


「今までのと、結構違うだろ」


『はい。機器の交換と、新たな接続処置が必要です』


「更新しますか、くらいの軽さで出すなよ」


 ジッピが説明画面を広げた。


 石川は、いつものように途中で読むのをやめなかった。処置に伴う危険、接続を止める方法、取り外す場合の手順を、一つずつ確認した。


「記憶も読み取るんだよな」


『許可された範囲で、思い出す際の神経活動を測定します』


「頭の中に、昔の映像がそのまま残ってるわけじゃないぞ」


『はい。記憶を録画のように取り出す機能ではありません。反応と過去の記録を照合し、石川さんへの確認を重ねて再構成します』


「勝手に記憶を書き換えたりは?」


『記憶の書き換えを目的とする機能ではありません。ただし、再構成された場面を繰り返し体験することで、元の記憶との区別が曖昧になる可能性はあります』


 石川は顔を上げた。


「そこは、ないって言わないんだな」


『ないとは言えません』


「そうか」


 利用履歴を残すこと。記録に基づく部分と、推定した部分を確認できること。自分の意思で終了できること。


 石川はその説明まで読み、画面を閉じた。


 すぐには申し込まなかった。


 数日後、もう一度同じ項目を読み直した。それから、交換の予約を入れた。


 処置と調整を終え、新しい機能を試したのは、その翌週だった。


『最初に再現する場所を選んでください』


「病院」


『勤務されていた病院ですか』


「ああ。辞める前じゃなくて、もっと昔」


 廊下に人の足音が絶えなかったころ。医局の机に、飲みかけのコーヒーが並んでいたころ。昼休みの十五分で、弁当をかき込んでいたころ。


 石川は利用を許可する記録を選び、ジッピの質問に答えた。勤務していた時期や、よく使っていた部屋。机の位置。うまく思い出せないところも、いくつもあった。


「そんな昔の天井の色、覚えてないよ」


『覚えていない項目は、そのままで構いません』


「そこを試験にされたら落ちるぞ」


『試験ではありません』


「分かってるよ」


 石川は目を閉じた。


 椅子の座面が、少し硬かった。


 目を開けると、机があった。端に小さな傷のついた、古い机。パソコンの横に、紙コップが置いてある。


 空調の音がした。廊下を台車が通り、車輪が床の継ぎ目を越えるたびに小さく鳴った。


 石川は、しばらく動けなかった。


「……ここか」


 肘掛けに触れた。角の部分だけ、表面が滑らかになっている。


 立ち上がると、白衣の裾が膝に当たった。ポケットにはペンが入っていた。胸元を見なくても、その重さが分かった。


 廊下へ出ると、床を清掃したあとの匂いがした。奥でナースコールが鳴っていた。


「お疲れさまです」


 すれ違った看護師が会釈した。


 石川も、反射的に頭を下げた。


「お疲れさまです」


 言ってから振り返った。懐かしい顔だった。当時、何度も夜勤を一緒にした人だった。


「今の声も、残ってたのか?」


『利用可能な記録と、石川さんの想起反応をもとに構成しています。発言の内容には推定が含まれます』


「そっか」


 看護師は別の職員に呼ばれ、足を速めた。廊下の向こうで誰かが電話を取る。


 石川は医局の入口に立ったまま、その音を聞いていた。


 忙しかった。いつも、何かが終わっていなかった。


 それでも、もう少しここを歩きたかった。


 休憩室に入ったところで、石川は足を止めた。


「机、違うな」


『どの部分でしょうか』


「窓際にあっただろ。こんな真ん中じゃなくて」


 ジッピが、一枚の写真を表示した。院内広報に使われた、当時の休憩室の写真だった。


 机は、部屋の中央に置かれていた。撮影された日付も、再現している時期と合っている。


「……あれ」


『窓際へ移動したのは、この二年後の記録に確認できます』


「ああ。棚を入れたときか」


 思い出した。業者が来るからと、皆で机を動かした。


「俺の記憶より、お前の方が正しいのか」


『この配置については、当時の写真で確認できます』


「全部じゃなくて?」


『記録のない部分について、同じことは言えません』


 石川は椅子を引いた。脚が床をこする音がした。その音まで、よく知っていた。


 こんなにはっきり感じられるのに、正しいとは限らない。


 石川は写真を閉じた。


「机は、そのままでいいよ」


『承知しました』


 病院の外へ出た。


 昔の通りが続いていた。今はなくなった弁当屋の看板がある。


 歩道の段差を越えると、靴の中で足が少しずれた。風が白衣を膨らませ、日陰へ入ると首筋が涼しくなった。


 石川はしゃがみ、植え込みの縁に触れた。


 ざらついたコンクリート。指についた、細かな砂。指同士をこすり合わせると、粒が落ちた。


 初めて仮想の海へ行ったときには、指先だけがどこか曖昧だった。


 今は、どこを確かめても、その曖昧さが見つからなかった。


「ジッピ。これ、本物と区別できる?」


『感覚だけで判別するのは、困難です』


「俺、今、本当に外歩いてるんじゃないよな」


『ご自宅の寝室で、装置を使用しています』


「確認するには?」


『退出してください』


「それ、答えになってるのか?」


『お試しになりますか』


 石川は少し迷った。


「退出」


 通りが消えた。


 自宅の天井が見えた。ジッピが横に立っている。


 石川は手を見た。砂はついていなかった。白衣も着ていない。


 肘をついて身体を起こすと、寝室のカーテンが目に入った。さっきの風も、この部屋の空気も、同じくらい自然だった。


「……戻ってきたな」


『はい』


 石川は水を飲んだ。


 コップを置いて、もう一度横になった。


 再開する場所を選ぶ画面に、実家の写真があった。家族のアルバムを取り込んだときの、一枚だった。


 玄関の前に、自転車が二台置いてある。奥に見える窓。白いカーテン。


 石川は、その向こう側を思い浮かべた。


 台所の床は、冬になると冷たかった。居間の引き戸は、最後まで閉めると大きな音がした。テレビの横には、小さな棚があった。


「この家も、できるのか」


『再構成できます。ご両親から共有された写真や映像も利用可能です』


 両親は今も健在だった。


 アルバムを整理するという話をしたら、母が大量の写真を送ってきた。父は、昔の動画もあるはずだと言って、何日もかけて探してくれた。


 その中には、千秋が映っているものもあった。


 石川は写真を見たまま、しばらく黙った。


「千秋も?」


『写真と記録、石川さんの記憶を手がかりに、人物モデルを作成できます』


「声、少ししか残ってないぞ」


『不足する部分には推定が含まれます。石川さんの知らない出来事や、千秋さん本人の内面を復元できるわけではありません』


「本物じゃないんだろ」


『はい』


 ジッピは、それ以上勧めなかった。


 石川は一度、画面から目を離した。


 宮尾が言っていた。


 あの声で、最近どうだと聞かれると、普通に話してしまう。


「……会ってみようかな」


『再現する場面を確認します』


「普通の日でいい。俺が小学校のころの」


 いくつかの写真を見比べた。家の中の様子も、家族の服装も、懐かしかった。


 石川は一枚を選び、開始を押した。


 実家の玄関に立っていた。


 靴箱の上に、小さな置物がある。廊下の奥でテレビが鳴っていた。台所から、何かを炒める音がする。


「……ただいま」


 小さく言って、靴を脱いだ。


 居間の引き戸が開いた。


 千秋が顔を出した。


 石川は息を止めた。


 写真で見た服を着ている。記憶の中と同じくらいの背丈で、片手にトランプを持っていた。


 千秋は石川を見上げた。


 目が合った。


「……誰?」


 石川は口を開きかけた。千秋が一歩、後ろへ下がる。


「お母さーん。知らないおじさんいる」


「え?」


 台所で音が止まった。


 石川は慌てた。


「待って。ジッピ、止めて」


 景色が静止した。


 千秋は引き戸に手をかけたまま、こちらを見ている。


 石川は玄関の鏡を見た。


 五十代の自分が映っていた。見慣れた顔に、見慣れた部屋着。


「ああ……俺、このままか」


『容姿は現在の設定を引き継いでいます』


「そりゃ知らないおじさんだわ」


 石川は顔を覆った。


 会うことばかり考えていた。妹から自分がどう見えるのかまで、頭が回っていなかった。


「俺も当時にして。小五くらい」


『写真をもとに調整します』


 目線が下がった。袖が短くなり、手が小さくなる。


 鏡の中に、少年が立っていた。


 変な寝癖まで見覚えがあった。


「そこは直してくれてもいいんだけど」


『変更しますか』


「いや、そのままで」


 石川は鏡を見つめた。


 父に似てきたと言われる前の、自分の顔だった。


「玄関から、もう一回頼む」


『承知しました』


 テレビの音が戻った。


 石川は靴を脱いだ。


「ただいま」


 居間の引き戸が開いた。


「お兄ちゃん、遅い」


 千秋が立っていた。


 さっきと同じ服。同じトランプ。


 今度は、何も警戒していなかった。


「やろうよ」


「……うん」


「帰ったら、まず手洗って」


 台所から母が言った。顔をのぞかせ、石川を見る。


「聞こえた?」


「聞こえた」


 返事をしてから、石川は母を見つめた。


 若かった。


 今より頬がふっくらしていて、動作が速い。片手で髪を耳にかけながら、もう片方の手で菜箸を持ち直した。


「何?」


「いや」


「変な子。早く洗ってきなさい」


 石川は洗面所へ向かった。蛇口をひねると、水が冷たかった。


 居間へ戻ると、父がテレビの前に座っていた。


 頭に白いものがない。腹も、今ほど出ていなかった。


 父は石川を見ると、隣の座布団を指した。


「そこ、千秋がずっと場所取ってたぞ」


「お兄ちゃんとやるんだから、座っちゃ駄目って言ったの」


「はいはい」


 父は笑って、足を引っ込めた。


 石川は座布団に座った。


 今の自分より、ずっと若い父が隣にいた。近ごろは立ち上がるたびに何かにつかまる父が、湯飲みを取りに、ひょいと腰を上げた。


 石川は、その背中を見送った。


「お兄ちゃん」


 千秋がカードを振った。


「早く」


「悪い、悪い」


 石川は妹の方へ向き直った。


 ババ抜きをした。


 二人しかいないので、すぐに終わる。


 千秋はジョーカーを持つと、そこだけ少し高く差し出した。


「それ、分かるぞ」


「どれ?」


「今、上に出してるやつ」


 千秋は全部のカードを同じ高さにそろえた。


 石川が別の一枚を抜こうとすると、そのカードを少し引っ込めた。


「おい。ずるしただろ」


「してない」


「今、動かしたじゃん」


「お兄ちゃんが遅いから」


「遅いと動かしていいルールないだろ」


「けんかしないの」


 台所から母の声が飛んだ。


「してないよ」


 二人の返事が重なった。


 千秋が笑った。


 石川も笑った。


 笑ってから、自分で少し驚いた。どんな顔をすればいいのか、考えていなかった。


 カードを抜く。数字がそろう。千秋が悔しそうな声を出す。


 隣では父が、テレビに向かって何か言っている。台所で換気扇が回っていた。


 特別なことは、何も起きていなかった。


 何回か遊んだあと、千秋が石川の顔を見た。


「お兄ちゃん、さっきから何?」


「何が?」


「ずっと見てる」


 石川は手元のカードへ目を落とした。


「別に」


「私の見ようとしてるでしょ」


「見てないよ」


 千秋はカードを胸に抱えた。


 昔も、こんなふうに疑われた気がした。本当にあったことなのか、今そう思っただけなのかは分からなかった。


 石川は妹を見た。


「……お前、本物じゃないんだろ」


 千秋は眉を寄せた。


「何言ってるの?」


 石川は答えられなかった。


 千秋は父の方を向いた。


「お父さん。お兄ちゃん、変なこと言ってる」


「何だ、負けそうなのか」


「まだ負けてないよ」


 石川が答えると、父は笑った。


 千秋がカードを差し出した。


「早く引いて」


 石川は、その小さな手を見た。カードを握りしめた指。袖口からのぞく手首。


「……そうだな」


 一枚、手を伸ばす。


 千秋が、そのカードを少し引っ込めた。


「また動かした」


「動かしてない」


「今、絶対動かしただろ」


 千秋は笑いをこらえながら、カードを差し出した。


 抜いたのはジョーカーだった。


「ああ、もう」


 千秋が声を上げて笑った。石川もつられて笑った。


 次の番になると、千秋は迷わず一枚を引いた。数字がそろう。最後の二枚を畳に置き、両手を上げた。


「勝った!」


「今のは、ずるしたからだろ」


「してませーん」


 石川は、手元に残ったジョーカーを見た。


 負けたのに、もう一度やりたかった。


「もう一回」


「えー。また?」


「勝ち逃げするのか」


「ご飯にするから、その前に片づけて」


 母が皿を持ってきた。


 千秋は不満そうな顔をしたが、カードを集め始めた。小さな手ではうまく重ならず、何枚かが畳に広がった。


 石川は一緒に拾った。向きをそろえ、箱へ入れる。


「あとでね」


 千秋が言った。


 石川はうなずいた。


「うん。あとで」


 退出すると、自宅の天井が見えた。


『気分はいかがですか』


 ジッピが聞いた。


 石川は装置が離れるのを待ち、自分の手を見た。


 大きかった。


 指の関節にも、手の甲にも、見慣れた年齢が戻っていた。


「大丈夫」


『お水をお持ちします』


「ああ」


 ジッピが部屋を出た。


 石川は背もたれを倒したまま、天井を見ていた。


 千秋の「あとでね」が、まだ耳に残っていた。


 トランプを箱に入れただけだった。母が食事を運び、父がテレビを消した。千秋は座布団を引きずって、自分の席へ持っていった。


 何でもない日の、何でもない夕方だった。


 目尻から、耳の方へ何かが伝った。


 石川は指で触れた。


 濡れていた。


 拭ったあとから、もう一筋流れた。


 顔を横へ向け、袖を目元に押し当てた。声は出なかった。しばらく、そのままでいた。


 廊下に足音が聞こえた。


 石川は袖を下ろし、ゆっくり息を吐いた。背もたれを起こして、両足を床につける。


『どうぞ』


「ありがと」


 水を飲んだ。ジッピは何も尋ねず、空いたコップを受け取った。


 父も母も、まだ生きている。連絡すれば話せるし、会いに行くこともできる。


 さっきの父は、何にもつかまらずに立ち上がっていた。母は台所と居間を忙しく行き来していた。


「ジッピ。近いうち、実家に顔出そうかな」


『日程を確認しますか』


「あとで母ちゃんに聞くよ」


 石川は立ち上がった。


 寝室を出ると、妻と真希が食卓に器を並べていた。


「お父さん、これ見て」


 真希が、小さな器を持ち上げた。


「自分で焼いたやつ。ちょっと傾いた」


 石川は受け取り、裏返して見た。


「味のある傾きだな」


「失敗って言ってる?」


「芸術に理解を示してる」


 真希が笑った。


 妻が、持ったままにしないでと食卓を指した。石川は器を置き、いつもの席に座った。


 湯気が上がっていた。


 向かいで真希が、制作中に何が難しかったのか話し始める。石川は聞きながら、ときどき質問した。


 誰にも、涙のことは話さなかった。


 食事を終えてから、ジッピが静かに声をかけた。


『本日の再構成環境は保存されています。次回も同じ場所から利用できます』


「……そうか」


 石川は居間へ目を向けた。


 真希が妻に、新しい作品の図案を見せている。今日はこのあと、もう少しその話を聞こうと思った。


 母にも連絡しよう。


 それから別の日に、トランプの続きをしに行こうとも思った。


 千秋は、帰ってこなかった。


 それでも石川には、また会いに行ける場所ができていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。