第24話 向こうで会おう
「足やった」
宮尾から連絡が来たのは、昼食を食べ終えたころだった。
画面の中で、宮尾はベッドに横になっていた。
片足が少し高く支えられ、足首には固定具がついている。
「何した?」
「フットサル。切り返したら、身体だけ先に行った」
「足も連れてけよ」
「置いてきた結果がこれだよ」
石川は画面に顔を近づけた。
「病院は?」
「もう診てもらった。家で」
宮尾のGPXが診療用の機器を手配し、画像検査まで済ませたという。骨折はなく、しばらく足首に負担をかけずに過ごすことになっていた。
「歩ける?」
「家の中なら。でも、しばらく運動は禁止だって」
「暇になるな」
「いや、別に」
「見舞い行こうか。どうせ暇だし」
「来なくていいよ。向こうで会おう」
「向こう?」
「VR。招待送る」
通話が切れた。
すぐに、参加案内が届いた。
夕暮れのフットサルコートの画像がついている。
「お前、反省してないだろ」
石川は画面に向かって言った。
間瀬と施設で宇宙を見てから、半年ほどが過ぎていた。
その間に、家庭用の没入装置を使う人が急に増えた。
以前は施設に並んでいた設備が、今ではリクライニングチェアやベッドに収まるようになっている。
標準型なら生活支援設備の一つとして利用できた。申し込みをすればGPXが設置し、調整まで済ませてくれる。
石川の家にも、先月届いていた。
真希が造形施設の友人と共同制作をするために使っている。
石川は、まだ試していなかった。
「ジッピ。これ、宮尾のところに入れる?」
『参加できます。準備しますか』
「頼む」
書斎の椅子が倒れ、頭と首を支える部分が持ち上がった。
石川が横になると、ジッピが装着具の位置を合わせる。
「この前まで、施設行かないとできなかったのにな」
『家庭用は感覚の再現範囲が限られますが、会話や一般的な娯楽には十分対応しています』
「半年で椅子に収まったのか」
『施設用の装置も、すでに更新されています』
「ちょっとは待てよ」
『何をでしょうか』
「俺が驚き終わるまで」
視界に、宮尾からの招待が表示された。
石川は参加を選んだ。
ボールが足元へ転がってきた。
「遅い」
顔を上げると、宮尾がコートの中央に立っていた。
両足で。
「お前、足は?」
「こっちでは大丈夫」
宮尾は軽く跳ねてみせた。
そのまま駆け寄り、石川の足元からボールをさらっていく。
「怪我してるのにフットサルするなよ」
「現実でできないから、こっちでやってんだよ」
ゴールへ向かって蹴る。
ボールがネットを揺らした。
宮尾は振り返り、少し得意そうに両手を広げた。
画面越しに見た固定具は、どこにもなかった。
「痛くないのか」
「足首を動かしてるわけじゃないからな」
石川も走ってみた。
足が軽い。
膝を気にせず止まり、向きを変えられる。
普段なら少しためらう動きが、そのままできた。
「俺、今日うまくない?」
「身体の設定が軽くなってるだけだよ」
「褒めてくれてもいいだろ」
宮尾がパスを出した。
石川は受け損ねた。
ボールが靴の横を抜けていく。
「そこは直してくれないのか」
「全部うまくいったら、つまんないじゃん」
「都合のいいところだけ厳しいな」
二人で笑った。
しばらく遊んでから、コート脇のベンチに座った。
夕日はまだ同じ高さにあった。
「これ、日が暮れないの?」
「この時間が好きだから固定してる」
「贅沢だな」
宮尾はボールを足の裏で転がした。
少なくとも、目の前の宮尾は退屈そうではなかった。
「最近、毎日入ってるのか」
「大体」
「何時間くらい?」
「合計で八時間とか。長い日は十時間かな」
「仕事でもないのに?」
「仕事ないじゃん」
「まあ、そうなんだけど」
宮尾は指を折って数えた。
午前中はゲーム仲間と遊ぶ。
昼食と身体を動かす時間を挟み、午後は散歩やフットサル。
夜にはライブを見ることもあれば、友人と集まることもある。
「昨日は昔の駅前歩いてきた」
「俺らが小学生のころの?」
「そう。模型屋あっただろ。踏切のそば」
「あったな。店のおっさん、ずっとテレビ見てた」
「店の中まで作ってあるんだよ。今度行こうぜ」
石川は少し行きたくなった。
あの店で何を買ったのかは、もうよく覚えていない。
ただ、狭い通路と、天井近くまで積まれた箱は覚えていた。
「……結構、出かけてるんだな」
言ってから、石川は首をかしげた。
「いや、出かけてはないのか」
「俺の感覚だと、出かけてるけど」
「でも身体は家だろ」
「家から出る必要ある?」
宮尾は、不思議そうに聞いた。
言い返そうとして、石川はコートを見た。
風が吹いている。
友人が隣にいる。
さっきまで一緒に走り、失敗して笑っていた。
少なくとも、今日ここへ来た目的は果たしていた。
「身体は鈍るぞ」
「それは別に動かしてるよ。GPXが時間決めてくれる」
接続の合間には、いったん椅子から起きる。
食事をして、歩いて、必要な運動をする。
家庭用の運動補助装置も使うが、任せきりにはできない。予定の時間になれば、仮想空間にも通知が出るという。
「今は足を使えないから、できる範囲の内容に変えてもらった」
「ちゃんとやってるんだな」
「やらないと、うるさいからな」
『運動の実施状況は、健康維持のために確認されます』
ジッピの声がした。
「お前に言ってない」
『承知しました』
宮尾が笑った。
「久しぶりに外のコートで本気でやったら、これだよ」
宮尾は自分の足首を見下ろした。
仮想の足首には、腫れも固定具もない。
「昨日もさ、ボール追いかけた瞬間は、まだ行けると思ったんだよな」
「昔のつもりで動くから」
「こっちだと行けるんだよ」
石川は黙った。
自分もさっき、同じように走っていた。
膝をかばわずに切り返せた。
それを、少しうれしいと思った。
「でも、治ったらまた行くだろ。本物の方」
「そのつもりだったけど」
宮尾はボールを軽く蹴った。
「今は、ちょっと分かんなくなった」
「怪我した直後だからだよ」
「かもな」
宮尾は否定しなかった。
「でも、あっちでやった方がいい理由を考えないといけなくなったんだよな。前は、そんなこと考えなかったのに」
コートの入口に、参加を知らせる表示が出た。
間瀬だった。
「足、大丈夫か?」
「こっちではな」
「元気じゃん」
「見舞いの意味ないだろ、これ」
石川が言うと、間瀬が笑った。
三人で少しボールを蹴ってから、宮尾が隣に小さなテーブルを呼び出した。
椅子が三つ並び、グラスが置かれる。
間瀬は座るなり、冷たい飲み物を口にした。
「お前も普通に使うんだな」
石川が言った。
「使うよ。便利だし」
「宇宙まで行った男が、家から飲み会か」
「集まるたびに打ち上がってられるかよ」
宮尾が吹き出した。
「月の下見は?」
「やってる。滞在施設も見た」
「もう行った気にならない?」
「ならない。余計行きたくなる」
「俺は、下見で満足しそう」
「それなら、それでいいじゃん」
間瀬はグラスを置いた。
誰かが本物の方が上だと言い切ることも、仮想で十分だと説得することもなかった。
ただ、三人とも今はここにいた。
話しているうちに、宮尾が笑いながら言った。
「この前、親父にも同じこと言われたよ。実際に行かなきゃ分からないことがあるって」
石川はグラスを持つ手を止めた。
宮尾の父親は、数年前に亡くなっていた。
「……親父さん?」
「再現の方。たまに一緒に飲むんだよ」
宮尾は、石川の顔を見て少し声を落とした。
「前に話した機能、あるだろ」
「ああ」
「写真とか動画とか、残ってたからさ」
石川は宮尾の父親を知っていた。
小学生のころ、何度か家に遊びに行った。
声が大きく、テレビを見ながらでも子どもの会話に入ってくる人だった。
「似てるの?」
「結構。たまに、そんな言い方しないだろってこともあるけど」
「気にならない?」
「最初はな」
宮尾はグラスを回した。
「本物じゃないのは分かってるよ。知らなかった話を聞けるわけでもないし」
「うん」
「でも、あの声で『最近どうだ』って聞かれると、普通に話しちゃうんだよ」
石川は何も言わなかった。
人物再現の説明を、ジッピに聞いたことがある。
資料があれば、話し方や行動を推定できる。
本人が戻るわけではない。
その説明は、今も覚えていた。
宮尾は、テーブルの向こうにいる。
石川も、宮尾も、本当は別々の家にいる。
それでも、友人の話を聞いている感じは、いつもの飲み会と変わらなかった。
しばらくして、石川の視界の端に時刻が出た。
思っていたより時間が経っていた。
「そろそろ戻るわ」
「また来いよ。しばらく暇だから」
「暇じゃなさそうだけどな」
宮尾は立ち上がり、コートへ向かった。
別の友人たちが集まり始めていた。
そのうちの一人が、宮尾へ手を振った。
「足、どう?」
「だから、こっちでは大丈夫だって」
石川は笑って、退出を選んだ。
目を開けると、書斎の天井があった。
窓の外は、まだ明るかった。
頭を支えていた装置が離れ、椅子の背もたれがゆっくり起きる。
石川は両足を床につけた。
立ち上がるとき、いつもの膝の重さがあった。
『お水をどうぞ』
ジッピがコップを差し出した。
受け取って飲む。
さっきまで何度もグラスを口にしていたのに、水が喉を通ると、身体がそれを欲しがっていたのが分かった。
端末に、宮尾から写真が届いた。
コート脇のテーブルを囲む三人。
続いて、短いメッセージ。
「見舞いありがとな」
石川は笑った。
「見舞いには、なったのか」
『宮尾さんは、そう受け取ったようです』
共有画面では、試合が始まっていた。
宮尾が相手をかわし、ボールを運んでいる。
「まだ走ってるな」
『はい』
「身体の方は、ちゃんと休めてるんだよな」
『宮尾さんが共有した状態表示では、安静を維持しています』
画面の片隅に、小さな表示があった。
右足首、保護中。
そのすぐ横で、宮尾が右足を振り抜いた。
ボールがゴールへ飛んだ。
「身体休ませながら、これだけ遊べるのか」
石川は椅子に座り直した。
宮尾が外へ出ないのは、退屈を我慢しているからではなかった。
会う人も、行く場所も、やりたいことも、向こうにあった。
宮尾の身体は、家のベッドで休んでいた。
けれど本人は、夕暮れのコートを走り回っていた。
どちらを宮尾の一日と呼ぶべきなのか、石川には少し分からなくなった。




