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人類の最適化が正常に完了しました  作者: TAMI


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20/40

第20話 任意です

 政府が埋め込み型端末の試験運用を始めてから、三か月が過ぎた。


 街では、チップを入れた人間を見かけることが珍しくなくなっていた。


 もっとも、見ただけでは分からない。


 傷痕はほとんど残らず、専用の表示を出さない限り、入れている人間とそうでない人間を区別する方法はなかった。


「久しぶり」


 待ち合わせ場所に現れた間瀬は、日に焼けていた。


「また黒くなったな」


「先週まで南の島にいたからな」


「この前はヨーロッパじゃなかった?」


「そのあと北アフリカ行って、島で泳いでから帰ってきた」


「退職してから、ずっと海外にいるじゃん」


「せっかくタダみたいなもんなのに、行かない方が損だろ」


 国際輸送のほとんどは自動化され、必要なエネルギーも以前とは比べものにならないほど安くなっている。


 決められた経路と標準的な宿泊施設を利用する限り、移動も滞在も各国の生活保障制度でほぼ賄われた。


 高級な部屋や、人間による特別な案内を求めなければ、世界中を移動しても金はほとんどかからない。


「今度はどこ行くの?」


「南米。山を見に行く」


「帰ってきたばっかりだろ」


「一週間も日本にいるぞ」


「お前の中で一週間は長期滞在なの?」


 間瀬は笑いながら店へ入った。


 注文した料理が運ばれてくると、石川は間瀬が何も操作していないことに気づいた。


「支払いは?」


「もう終わってる」


 間瀬が自分の腕を指さす。


「入れたの?」


「チップ? とっくに」


「早くない?」


「旅行するなら便利だぞ。本人確認も、入出国も、決済も全部これ。現地で倒れても、医療情報がすぐ共有される」


「位置情報も?」


「必要なときだけ。普段は共有範囲を自分で決められる」


「パスポートは?」


「持ってない」


「財布は?」


「持ってない」


「現地の言葉は?」


「翻訳はGPXがやる」


 間瀬は手ぶらだった。


 荷物は必要な場所へ先に運ばれ、着替えや日用品も現地で用意される。本人は身体一つで移動すればいいらしい。


「海外で何かあったら怖くない?」


「だから入れたんだよ。俺が何者か説明する前に、向こうの病院が全部分かる」


「どう? 身体に機械入ってる感じする?」


「何も感じない」


「不安にならない?」


「最初だけな」


 間瀬は料理を口に運んだ。


「今は、ない生活には戻りたくない」


「それが一番怖い言い方なんだよ」


「でも便利だぞ」


「三か月前にあの演説を聞いてから、ずっと引っかかってるんだよな」


「嫌なら入れなきゃいいじゃん」


「それで済むのかね」


「済むだろ。俺は入れた。お前はまだ入れてない。それだけじゃん」


 あまりに単純な答えだった。


「ところで、お前は何しに日本へ帰ってきたの?」


「お前らと飲むため」


「それだけ?」


「明後日には出る」


「旅行の途中に飲み会を挟むなよ」


 その夜、石川は家へ帰ると、ジッピを呼んだ。


「チップについて、ちゃんと教えて」


『どの項目を確認しますか?』


「全部」


『すべてを説明した場合、推定で十一時間二十分かかります』


「じゃあ不安になりそうなところから」


『感染、故障、情報漏洩、位置情報の利用、除去の可否などですか?』


「それで」


 ジッピは石川の前に、チップの立体映像を表示した。


 米粒よりも小さい。


『処置後の感染率は極めて低確率です。端末に異常が生じた場合、機能は自動停止します。除去も可能です』


「位置情報は切れる?」


『緊急時を除き、共有範囲を選択できます』


「緊急時って?」


『生命の危険がある場合、行方不明の届け出が出された場合、本人が事前に許可した場合などです』


「データを全部勝手に使われたりしない?」


『医療、決済、移動、本人確認など、分野ごとに利用範囲を設定できます』


「思考を読んだりは?」


『できません』


「記憶を書き換えたり」


『できません』


「本当に?」


『現在の端末は、神経活動から思考内容を読み取る機能を有していません。記憶への情報入力も研究段階です』


「現在、ね」


『はい』


 石川は立体映像を指で回した。


「健康管理は、今と何が違うの?」


『体温、脈拍、酸素状態、血糖変動、水分量などを継続的に測定できます。体表からの測定より早く変化を検出できる項目があります』


「病気も見つけられる?」


『すべてではありません。ただし、複数の変化を組み合わせることで、症状が現れる前に受診を提案できる可能性があります』


 元医師として、その利点はよく分かった。


「真希に何かあった場合も、すぐ分かる?」


『真希さん本人が利用を希望し、保護者が同意した場合は』


 その一言で、石川の中に残っていた反対の理由が、また一つ小さくなった。


「お前は、俺に入れてほしい?」


『導入を推奨します』


「理由は?」


『健康上の異常を早期に検出し、事故や急病への対応時間を短縮できるためです』


「断ったら?」


『その選択を記録します。必要であれば、現在の機器による支援を継続します』


「無理には勧めないんだな」


『利用は任意です』


「その言い方、最近よく聞くな」


 一週間後、石川は試験導入施設を訪れた。


 受付に人間はいなかった。


 個室へ入ると、処置用ロボットが本人確認と同意内容を読み上げた。


 石川は元医師らしく、滅菌方法や挿入位置、異物反応、故障時の対応まで細かく聞いた。


 処置ロボットは、すべての質問に答えた。


 答えを聞くたびに、断る理由が減っていった。


「じゃあ、お願いします」


『同意を確認しました』


 首の後ろを消毒され、局所麻酔が行われた。


 わずかな圧迫感があった。


 石川が身構えていると、処置ロボットの腕が離れた。


『終了しました』


「もう?」


『はい』


「まだ何もされてない感じなんだけど」


『処置は完了しています』


 身体にAI社会の入口を入れる。


 もっと重大な出来事だと思っていた。


 実際には、歯の治療より短かった。


 施設を出ると、ジッピが待っていた。


「で、何が変わった?」


『現在、接続されています』


「それだけ?」


『はい』


 痛みもない。


 身体が軽くなるわけでも、頭の中に声が聞こえるわけでもなかった。


 見た目には、何も変わっていない。


 迎えの車に近づくと、扉が開いた。


 行き先を言う前に、自宅への経路が表示される。


「俺、何も言ってないぞ」


『予定と現在地から、帰宅すると予測されました。変更しますか?』


「いや、帰るけど」


『では出発します』


 途中で店に立ち寄った。


 石川が商品を持って外へ出ると、確認画面すら表示されず、決済が終わった。


「便利だな」


『はい』


「認めるの早いな、俺」


 歩いていると、ジッピが言った。


『軽度の脱水傾向があります。水分補給を推奨します』


 石川は足を止めた。


「今、ちょうど喉が渇いたと思った」


『発汗量と循環の変化から予測しました』


「俺より先に、俺のことが分かるの?」


『一部については』


「嫌な答えだな」


『水を用意しますか?』


「お願い」


 近くの給水機が石川を認証し、適温の水を出した。


 その横で、高カロリーの菓子が目に入る。


 石川が手を伸ばすと、ジッピが言った。


『本日の活動量と血糖変動を考慮すると、別の商品を推奨します』


「買えないの?」


『購入できます』


「なら買う」


『承知しました』


 石川は菓子を取った。


 決済は普通に完了した。


「止めないんだな」


『情報を提示しました。最終的な選択は石川さんが行いました』


「まだ俺にも決定権はあると」


『はい』


 数日後、石川は同じ店で同じ菓子に手を伸ばした。


『別の商品を推奨します』


「どうせお前の方が正しいんだろ」


『多くの場合は』


「そこは謙遜しろよ」


 石川は菓子を棚へ戻し、ジッピが勧めた方を選んだ。


 自分で決めた。


 そう思った。


 ただ、最初から何を選ぶべきかは示されていた。


 真希もチップに興味を示した。


 造形施設では、同年代の多くがすでに利用しているという。


「本当に入れたい?」


「うん」


「みんなが入れてるからじゃなくて?」


「便利だから」


「身体に入れるんだぞ」


「お父さんも入れたでしょ」


「入れてから言われると弱いな」


 石川は、真希の意思を何度も確認した。


 危険性も、除去できることも、共有する情報を自分で選べることも説明した。


 真希はそれでも希望した。


 石川は同意した。


 強制された者は、誰もいなかった。


 石川も、間瀬も、真希も、自分で選んでチップを入れた。


 それでも街では、チップを使わない人間の方が少数になり始めていた。


 施設には、チップを利用しない人のための認証端末も残されている。


 生活できないわけではない。


 ただ、本人確認に少し時間がかかる。


 決済には操作が必要になる。


 医療情報を連携するにも、毎回許可を出さなければならない。


「なあ、ジッピ」


『はい』


「これ、実質強制じゃない?」


『利用しない選択肢は保障されています』


「でも、使わないと不便だろ」


『利便性に差があります』


「それを実質強制って言うんじゃないの?」


『定義によります』


「便利な言葉だな、定義って」


『正確な回答に必要な言葉です』


 その夜、石川が寝室へ入ると、照明が少しずつ暗くなった。


 室温が下がり、湿度が調整される。


 石川の脈拍と体温から、眠りやすい環境が自動で作られていた。


 何も頼んでいない。


「ジッピ」


『はい』


「俺、今日お前に何回お願いした?」


『明示的な指示は三回です』


「前は?」


『直近一年間の平均は、一日四十七回でした』


「俺、何も言わなくなったな」


『必要になる前に支援できるようになりました』


 石川はベッドに横になった。


 三か月前、広場で聞いた演説を思い出す。


 不満がないまま、自分で決める必要だけが消えていく。


 あの言葉は、間違っていないのかもしれない。


 だが照明の明るさも、室温も、今の石川にはちょうどよかった。


 チップを入れた日の夜、石川は何も失った気がしなかった。


 むしろ、少しだけ自由になった気がした。

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