第18話 答えのない授業
真希が十五歳になった。
中学校の卒業式を迎えた朝、石川は玄関で娘の姿を眺めていた。
「大きくなったなあ」
「昨日も同じ身長だったけど」
「今日くらい言わせろよ」
『真希さんの身長は、昨日から0.1ミリ増加したと推定されます』
「ジッピも今日くらい空気読めよ」
『成長しているという石川さんの発言を補足しました』
「補足が細かいんだよ」
真希は笑い、先に玄関を出た。
学校へ向かう車の中で、真希は自分の卒業制作を何度も確認していた。
透明な箱の中に入っているのは、青いクラゲだった。
ガラスと樹脂を組み合わせて作ったもので、丸い傘の中には小さな気泡が浮かんでいる。細い足は一本ずつ形が違い、全体も少しだけ傾いていた。
「壊れてない?」
「さっきから三回見てるぞ」
「足が細いから」
『箱の内部は固定されています。到着までに破損する確率は0.3パーセントです』
「じゃあ大丈夫か」
真希は箱を膝に戻した。
「ジッピがそう言うと、すぐ納得するな」
「お父さんより正確だから」
「反論できないのが悔しい」
学校の建物は、石川が通っていたころとそれほど変わらない。
けれど、中で行われていることは大きく変わっていた。
教室には黒板がなく、教科書もほとんど置かれていない。
国語、数学、理科、社会、英語。
知識が必要な科目は、それぞれのGPXが個別に教えていた。
理解の早い子は、年齢に関係なく先へ進む。苦手な子には、図や映像、実物を使って、分かるまで説明方法を変える。
同じ年齢の子どもが、同じ時間に同じ内容を学ぶ一斉授業は、ほとんどなくなっていた。
その代わり、学校には広い工作室や音楽室、舞台、小さな体育館がある。
子どもたちは絵を描き、楽器を演奏し、芝居を作り、身体を動かす。
一人では作れないものを、誰かと一緒に作る。
失敗したり、意見がぶつかったり、負けて悔しがったりする。
今の学校は、そういうことを経験する場所だった。
「お父さん、こっち」
真希に呼ばれ、石川は工作室へ入った。
卒業制作がいくつも並んでいる。
木で作った椅子。
絵の具が盛り上がるほど塗られた大きな絵。
音を鳴らすと形を変える、不思議な彫刻。
どれもAIに頼めば、もっと整ったものが作れる。
だが、作品の横には、作った子どもの名前が書かれていた。
「これが真希のか」
石川は青いクラゲの前に立った。
近くで見ると、やはり少し歪んでいる。
傘の大きさも左右で違い、足の一本はほかより短かった。
「水族館に行ったときのクラゲ?」
「それと、家にあるやつ」
「あの一万二千円の?」
「値段は関係ないでしょ」
「靴二十五足分だから覚えてるんだよ」
真希は自分の作品を見た。
「同じように作ろうとしたんだけど、同じにならなかった」
『形状を再現する場合、制作工程を提示できます』
「それだと意味ないの」
『なぜですか?』
「これは、私が作ったクラゲだから」
ジッピは少しだけ間を置いた。
『理解しました』
「本当に?」
『真希さんが、完成品の精度を目的としていないことは理解しました』
「まあ、それでいいや」
卒業式の前に、最後の道徳の時間があった。
保護者も後ろから見学できると聞き、石川は教室へ入った。
前に立っていたのは、この学校で唯一の人間教師だった。
人間の教師が一人いるだけでも、この学校は多い方だった。教師が一人もいない学校も、今では珍しくない。
白髪の混じった男性で、子どもたちからは秋山先生と呼ばれていた。
「今日は最後だから、少し難しい話をします」
秋山は子どもたちを見回した。
「GPXが、あなたに最も適した進路を提案しました。成功する可能性も高く、周囲の人も喜びます。でも、自分はなぜか選びたくない。そういうとき、どうしますか」
子どもたちは、それぞれ考え始めた。
一人が手を上げる。
「GPXに、選びたくない理由を分析してもらいます」
「今日はGPXに聞くのは禁止です」
「なんで?」
「答えがないから」
教室が静かになった。
「GPXは、皆さんが後悔する可能性を減らせます。向いていることも、危険なことも、自分より正確に教えてくれるでしょう」
秋山は続けた。
「それでも最後に選ぶのは、自分です。正しいと分かっていても嫌なこともある。失敗すると分かっていても、やってみたいこともある。今日は、それをどう考えるか話してください」
子どもたちは、近くの者同士で話し始めた。
GPXの提案に従うという子。
自分が嫌なら選ばないという子。
理由が分かるまで両方試すという子。
意見はまとまらなかった。
それでも秋山は、最後まで正解を教えなかった。
授業が終わると、石川は秋山に声をかけた。
「先生って、毎日来てるんですか?」
「週に三日くらいですね」
「ほかの日は?」
「将棋をしたり、釣りに行ったりしてます」
「仕事ですよね?」
「まあ、一応」
「一応?」
「家にいても暇なんで。子どもたちと何か作ってる方が面白いですから」
秋山は、卒業制作の並んだ工作室を見た。
「今月は給料で、人が作った椅子を買いました。機械製よりずっと高かったですけどね」
「給料は、そういうものを買うために?」
「ええ。生活するだけなら、なくても困りませんから」
「じゃあ、給料がなくても先生やるんですか?」
秋山は少し考えた。
「多分、やりますね」
「それ、もう趣味じゃないですか」
「そうですよ」
秋山は笑った。
「今どき、仕事なんてそんなものでしょう」
石川は、かつて宮尾に言われた言葉を思い出した。
仕事もそのうち、家庭菜園や日曜大工と同じになる。
あのときは、そんなものかと思っていた。
今では、本当にそうなっていた。
卒業式は、小さな体育館で行われた。
司会も、映像も、音楽もAIが担当している。
卒業生の名前が順番に呼ばれ、秋山が一人ずつ卒業証書を手渡した。
式が終わったあと、石川はまた秋山に聞いた。
「証書を渡すのも、AIでできますよね」
「できますよ」
「じゃあ、なんで先生が?」
「やりたいからです」
秋山は、それだけ答えて次の子と写真を撮りに行った。
帰り道、真希は卒業証書よりも、クラゲの箱を大事そうに抱えていた。
「真希は、これからどうするんだ?」
「しばらく造形施設に通うよ。ガラスもちゃんとやってみたいし」
「将来、ガラス職人になるのか?」
「分かんない」
「じゃあ、何になるんだ?」
真希は不思議そうに石川を見た。
「何にもならなくていいんでしょ?」
石川は言葉に詰まった。
「……まあ、そうなんだけどさ」
「お父さんは、私に何かになってほしいの?」
「いや」
石川は少し考えた。
「好きなものが見つかれば、それでいい」
「もう見つかってるよ」
真希は箱の中のクラゲを見た。
石川も、その青い傘をのぞき込んだ。
形は歪んでいる。
足の長さもそろっていない。
けれど、家にある一万二千円のクラゲとは、まったく違うものだった。
昔、学校は働くために必要なことを学ぶ場所だった。
今では、働かなくても生きられる子どもたちが、人間として何をしたいのかを探す場所になっていた。




