第14話 何もしなくていい日
「ジッピ、今日、水族館に行くから準備して」
朝食の皿を片づけながら、石川は言った。
『県外の水族館ですね。真希さんが見たがっていたクラゲの給餌は十一時からです。九時四十分に出発すれば、余裕を持って到着できます』
「じゃあ、それで頼む」
「クラゲ、見られるの?」
真希が椅子から身を乗り出す。
「見られるよ。ジッピが予定を組んでくれたからな」
『移動用の自動運転車と、県を跨ぐ列車を手配しました。現地到着後は、専用車両が水族館までお送りします』
「お父さんたち、着いていくだけだね」
「そういう日があってもいいだろ」
石川が病院を辞めた翌年、娘の真希が生まれた。その二年後、全国民に一人一台、生活支援AIのGPXが貸与された。
初代ジッピは病院の所有物だったため、退職と同時に返却した。今そばにいるのは、石川に割り当てられた二代目のGPXだ。初代が共有した学習内容と、石川の許可を得た対話記録を引き継いでいる。
『私は初代GP8と同一個体ではありません』
「分かってるよ。でも、ほぼジッピだ」
『ほぼ、という表現の定義が不明です』
「そこも同じだな」
九時四十分、家の前に自動運転車が来た。
近場への移動なら、いつもこの車を使う。公道での人間運転は禁止され、車は交通網と連携しながら目的地まで運んでくれる。
今日は県を跨ぐため、車で高速鉄道の駅まで行き、そこから列車に乗る。運賃はかからない。駅に着くと、改札を通ることも切符を買うこともなく、そのままホームへ向かった。
真希は窓側の席に座り、流れていく景色を眺めた。
「この電車、どこまで行くの?」
『県境を越えた先の駅まで二十八分です。到着後、車両が水族館へ向かいます』
「早いね」
「昔は駅で切符を買って、改札を通ってたんだぞ」
「なんで?」
「昔はそういう仕組みだったんだよ」
石川はそれ以上説明しなかった。今の真希にとって、電車は無料で乗れて、行きたい場所まで運んでくれるもの。それだけで十分だった。
到着した駅では、予約されていた車両が待っていた。乗り込むと、水族館まで静かに走り出す。
入口に着いたとき、真希はもう待ちきれない様子で車を降りた。
「クラゲどこ?」
『館内の混雑状況を考慮すると、先に大水槽を見てから向かうのがおすすめです』
「じゃあ、そうしよう」
順路も展示の説明も、真希の興味に合わせて案内された。大水槽の魚を眺め、イルカの動きを追い、最後にクラゲの展示室へ入る。
青い照明の中を、半透明のクラゲがゆっくり漂っていた。
「ずっと浮いてるだけなのに、きれいだね」
「そうだな」
石川は真希の隣に立った。
昼食は家族の好みや体調に合わせて用意されていた。注文も会計もない。食べ終わった食器は、片づけを担当するロボットが運んでいった。
石川がしたことといえば、真希と水槽を眺め、写真を撮り、土産物を一緒に選んだくらいだった。
帰りも、列車と自動運転車が家まで運んでくれた。家に着くころには雨が降り出していたが、濡れる前に玄関へ入れた。
上着は乾燥機へ運ばれ、風呂は沸き、夕食の支度も進んでいる。
真希は遊び疲れたのか、ソファで眠ってしまった。
石川はその隣に腰を下ろした。
「なあ、ジッピ。今日、俺何かしたっけ?」
『真希さんと遊びました』
「それだけ?」
『それ以上に必要なことがありますか』
石川は、眠っている真希の頭を撫でた。
仕事もしていない。運転もしていない。切符を買うことも、予約を取ることも、食事を作ることもなかった。
それでも、一日は十分に楽しかった。
「ないな」
何もしなくても、一日は満ちていた。




