第13話 白衣を持った無職
ジッピが身体を手に入れてから、四年が過ぎた。
その四年間で、病院から人間が消えたわけではない。
ただ、少しずつ減っていった。
最初に変わったのは、緊急時に限られていたAI自律手術の規定だった。
認定施設での試験運用が始まり、対象となる手術が増えた。数万件、数十万件と実績が積み上がり、人間の医師が執刀した場合との比較が行われた。
結果は、AI単独の方が安定していた。
人間の医師が確認しても成績はほとんど改善せず、疲労や経験差によって、かえって判断が遅れることさえあった。
それでも、すぐに人間が外されたわけではない。
最初はAIの判断を医師が承認した。
次に、難しい症例だけを確認した。
やがて、問題が起きたときだけ記録を調べるようになった。
そして最後に、医師による最終承認の義務そのものが撤廃された。
診断。
処方。
麻酔。
手術。
看護。
医療行為のほとんどを、GP8と専用ボディが担うようになった。
医師という職業が禁止されたわけではない。人間が診察してはいけないわけでもない。
ただ、人間でなければできないことが、ほとんどなくなった。
石川の勤務も、週二日から週一日になった。
翌年には月に数回となり、最近では、人間との対話を強く希望する患者だけを診ていた。
それも、今日で終わる。
「石川先生。最後の患者が到着しました」
白い人型ボディのジッピが、診察室の扉を開けた。
四年前より動きは滑らかになっている。黒い画面だけだった顔には、人間の視線を再現する二つの光が加えられていた。
「最後くらい俺に開けさせろよ」
『円滑な診療を優先しました』
「本当に悪いと思ってる?」
『質問の意図が不明です』
「思ってないな」
最後の患者は、石川が長く診てきた佐々木だった。
検査結果に大きな問題はなかった。だがジッピは、睡眠記録のわずかな変化から夜間の不安に気づいた。
佐々木と同じ高さまで腰を落とし、生活のことを一つずつ尋ねていく。声の大きさも、話す速さも穏やかだった。
「そう言ってもらえると、安心します」
石川が口を挟むところは、一度もなかった。
佐々木が帰ったあと、石川は閉じた扉を見つめた。
「覚えたな」
『何をでしょうか』
「患者を安心させる方法」
『石川先生の診療を参考にしました』
「前は俺の方が得意だったのにな」
『現時点では、人間の医師が優れていると回答しました』
「現時点、終わっちゃったな」
『はい』
「そこは否定してくれてもいいんだぞ」
『事実と異なります』
ジッピは最後の診療記録を送信した。
石川の医師としての仕事は、それで終わった。
夕方、医局の小さな会議室で送別会が開かれた。
人間の職員はずいぶん少なくなっていた。飲み物や料理を並べているのもGP8だった。
かつて離島へ出向していた南も来ていた。
「お疲れ。最後まで残った内科医」
「南先生も、もう手術してないじゃないですか」
「俺のいた島にも手術アームが入ったからな。最後の一件は、俺が助手だったよ」
「また別の島に行かなかったんですか?」
「もうないよ」
南は笑った。
「電気と通信が届く場所なら、どこにでもこいつらが来る。AIの来ない場所を探す方が、手術より難しくなった」
「今、何してるんです?」
「釣り」
「仕事は?」
「釣りだよ」
「それ趣味でしょ」
「今は同じようなもんだ」
南は楽しそうにグラスを傾けた。
院長から短い挨拶があり、花束が渡された。
誰かが泣くような大げさな会ではなかった。
医師が病院を離れることは、すでに珍しい出来事ではない。
「石川先生、まだ勤務していたんですね」
まだ院内に残っている若い職員にそう言われ、石川は笑った。
「俺も今日知ったよ。もう必要なかったらしい」
送別会が終わるころには、窓の外が暗くなっていた。
石川は誰もいなくなった医局で、自分の机を片づけた。
医学書。
古い聴診器。
使わなくなった名札。
引き出しの奥から、何年も前、退院した患者にもらったミカンに添えられていた手紙が出てきた。
先生に診てもらえてよかったです。ありがとうございました。
短い文章だった。
石川はしばらく眺めてから、手紙を鞄にしまった。
最後に白衣を脱ぐ。
「とうとう白衣を持った無職になったな」
『その定義には、以前も同意できないと回答しました』
「数年経っても、そこは変わらないんだな」
『はい』
石川は白衣を丁寧に畳んだ。
ジッピはその隣に立っている。
歩くことができる。
患者と話すことができる。
診察も、処置も、手術もできる。
「俺の仕事、全部お前に取られたな」
『石川先生から学習した内容は、現在も使用されています』
「俺から?」
『患者を数値だけで判断しないこと。生活背景を確認すること。言葉と事実が一致しない可能性を考慮すること。本人が話し始めるまで待つこと』
「そんなことまで覚えてたのか」
『はい。個人情報を除いた診療方法として、全国のGPシリーズにも共有されています』
石川は、畳んだ白衣を鞄の上に置いた。
「じゃあ、少しくらい俺も残ってるか」
『少し、という評価には同意できません』




