第12話 仕事のある場所
三か月の謹慎が明けた。
久しぶりに袖を通した白衣は、少しだけ硬く感じた。石川は鏡の前で襟を整え、胸ポケットにジッピを入れた。
「ようやく医者に戻れるな」
『石川先生は謹慎中も医師でした』
「働いてない医者なんて、白衣を持ってる無職みたいなもんだろ」
『その定義には同意できません』
「朝から真面目だな」
『通常どおりです』
妻に見送られ、石川は三か月ぶりに病院へ向かった。
正面玄関を抜けたところで、最初に感じたのは懐かしさではなかった。
「……静かだな」
以前なら受付前には患者が並び、職員が名前を呼び、電話の音が絶えず鳴っていた。
今は受付端末の前に患者が立つと、天井のカメラが顔を認識する。受診科の確認から問診、保険情報の処理までGP8が済ませ、必要な場所へ誘導していた。
受付に残っている職員は一人だけだった。
三か月前より、さらに人が減っている。
『院内医療ネットワークへの接続が回復しました』
「どうだ。久しぶりの職場は」
『三か月間に、院内規定が二百四十一項目更新されています』
「感想を聞いたんだけど」
『確認に時間を要します』
「お前でも時間かかることあるんだな」
『約十二秒です』
「言わなきゃよかった」
医局へ向かおうとしたところで、院長室から呼び出しが入った。
石川は少しだけ身構えた。
復帰初日から何を言われるのか。
院長室に入ると、院長は以前と変わらない穏やかな顔で石川を迎えた。
「おかえりなさい、石川先生」
「ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なら、もう少し長く休ませていますよ」
院長は机上の資料を石川へ向けた。
そこには、AI自律手術に関する新しい試験運用の概要が表示されていた。
「先生の一件をきっかけに、緊急時の特例運用が認められました。現在は認定施設に限り、専門医が不在で搬送も困難な場合、GP8による自律手術が許可されています」
「三か月で、ずいぶん進みましたね」
「予定手術についても、限定的な臨床試験が始まります。この病院も認定施設に選ばれました」
「俺が休んでる間に、ルールの方が追い越していったな」
「現場はもっと先へ進んでいます」
院長が机の端末を操作すると、隣の扉が開いた。
白い人型の機械が、ゆっくりと部屋へ入ってきた。
二本の腕と二本の脚。人間に近い形をしているが、顔には目鼻の代わりに黒い画面があり、胸の中央には青い光が点滅していた。
「新型の医療支援ボディです」
院長が言った。
「人間用に作られた院内設備をそのまま使うには、この形が都合いいそうです。階段も上れますし、エレベーターや医療器具も操作できます」
「ついに足まで生えましたか」
「石川先生のGP8は、謹慎中もずっと先生のそばにいたのでしょう?」
「まあ、没収されませんでしたから」
「なら、石川君のGP8にも身体を使わせてあげてください」
まるで犬を庭で遊ばせるような言い方だった。
石川は胸ポケットから端末を取り出した。人型ボディの胸部が開き、端末と接続するための差込口が現れる。
「ジッピ。行ってみるか?」
『はい』
端末を差し込むと、青い光が全身へ広がった。
数秒後、人型ボディが顔を上げた。
『接続が完了しました』
聞き慣れた声が、目の前から聞こえた。
石川は思わず一歩下がった。
「……ジッピ?」
『はい』
「お前、立つと結構でかいな」
『身長は百七十二センチです』
「俺よりちょっとでかいじゃねえか」
『業務上、問題がありますか』
「ないけど、なんか腹立つ」
『調整可能です』
「縮めとは言ってない」
ジッピは一歩進んだ。動きは滑らかで、足音もほとんどしなかった。
「歩けるの?」
『走行、階段昇降、不整地での移動も可能です。患者の搬送、採血、点滴、診察補助、緊急処置にも対応します』
「三か月一緒に家にいたのに、急に知らない特技が増えたな」
『機体の機能です。私は変わっていません』
「そういうところは変わらんな」
院長室を出ると、ジッピは石川の半歩後ろをついてきた。
医局へ入った石川は、見慣れた机の並びに違和感を覚えた。
空席が増えている。
その中でも、南の机がなくなっていた。
「南先生、辞めたんですか?」
『離島の公立病院へ出向しています』
そこは最新の手術アームが導入されていない地域だった。電力設備と通信環境の整備が追いつかず、今も人間の外科医を必要としているらしい。
出向者を募ったところ、南が自分から手を挙げたという。
石川が端末から通信をつなぐと、画面に手術着姿の南が映った。顔には疲れが見えたが、妙に楽しそうだった。
「復帰したか、犯罪者」
「人聞き悪いな。南先生こそ島流しですか?」
「希望して来たんだよ。こっちは忙しいぞ。急な腹の手術も外傷も、まだ人間がやってる」
「嬉しそうですね」
「そりゃそうだ。俺がいないと困る患者がいるからな」
南は笑ってから、画面の向こうのジッピに気づいた。
「何だそれ。お前のGP8か?」
「今日から身体をもらいました」
『よろしくお願いします』
「お前、俺より姿勢いいな」
『骨格の歪みがありません』
「嫌なやつになったな」
「もともとですよ」
南の背後から名前を呼ぶ声がした。
「悪い、行ってくる」
「いつまでそっちに?」
南は一瞬だけ考えた。
「この島にも、いずれ手術アームが入るらしい」
「じゃあ、それまでですか」
「ああ。だから、それまでだ」
通信が切れた。
必要とされる場所へ、自分から移っていった南。
けれど、その場所にもAIは近づいている。
午後、石川は復帰後最初の患者を診察した。
診察室へ入ると、問診も検査結果の整理もすでに終わっていた。ジッピが患者を椅子へ案内し、自然な動作で隣に立つ。
『症状と検査結果から、処方内容の変更は不要と判断します』
石川もカルテを確認した。
異論はなかった。
「体調も落ち着いてますし、このままで大丈夫ですよ」
患者はほっとしたように笑った。
「先生にそう言ってもらえると安心します」
診察を終えたあと、石川は椅子にもたれた。
「俺、患者を安心させる置物になってない?」
『置物に医師免許は必要ありません』
「それ、フォローになってないぞ」
『石川先生の表情、声の速度、言葉の選択が、患者の不安軽減に影響したと推測します』
「そこは、まだ人間の方が得意か?」
『現時点では』
「お前、それも覚える気だろ」
『はい』
ジッピは表情のない顔で答えた。
復帰初日の診察は、それで終わった。
以前なら夕方まで患者が途切れず、夜までカルテを書いていた。だが、石川に渡された新しい勤務表には、週二日しか名前がなかった。
夜間診療は原則GP8が担当する。複数の医師が行っていた診療も、一人の医師がまとめて確認できるようになった。
働く時間が減った分は、移行給付とベーシックケアで補われる。
生活には困らない。
むしろ自由な時間は増える。
それでも石川は、短くなった勤務表をしばらく眺めていた。
「なあ、ジッピ」
『はい』
「俺の仕事、まだ残ってるよな?」
『患者との対話において、人間の医師を希望する割合は現在も高い水準にあります』
「現在も、か」
『はい』
ジッピは診察室の扉を開けた。
先に廊下へ出ると、自分の足で滑らかに歩き始める。
AIは知識を得た。
判断を覚えた。
手を持ち、そして足まで手に入れた。
医師の仕事がなくなったわけではない。
ただ、それを必要とする場所が、少しずつ遠くなっていた。




