第八音 重さが足りない、轟音響く道
三人での初合同練習が始まり、バンドらしい『形』が少しずつできてきた。
詠はギターのリズムに合わせて声を乗せ、澪はブレずに旋律を重ね、琴羽は風のような和音で全体を支えてくれる。
まだ拙い。でも、音は確かに重なり始めている。
――でも。
(まだ……足りない)
帰り道、詠はスケートを押して歩いていた。
夜の空気は少しひんやりしていて、音がよく通る。
三人の音は、確かに良かった。
琴羽の柔らかな和音が詠の旋律を包み、澪の静かなリズムがふたりを支える。
それは確かな音楽で、確かな絆だった。
なのに、なぜか物足りない感覚がある。
(もっと……根っこみたいな何かが、必要な気がする)
胸の奥の、低いところ。
そこに、まだ誰かの音が来ていない。
「……ドン、ドン……」
遠くから、空気を突き破るような音が届いた。
詠は思わず立ち止まった。
それは、雷鳴に似た打音。でも、確かに『音楽』の気配を帯びていた。
「……太鼓……?」
詠の胸が、高鳴る。
その音は、呼ばれているようだった。
(この音……たぶん、『次の仲間』だ)
ミヨリがふわりと肩に舞い降りた。
「ふぉっふぉ……雷の鼓動、ついに目覚めたかのう」
詠は音のした方角を見つめながら、そっとつぶやいた。
「……会いに行かなきゃ。雷の音に」
次なる『音』が、確かに目を覚まそうとしていた。
※ ※ ※
【同時刻 旧演奏棟・地下】
闇の中、ただひとり、火ノ宮天音は太鼓の前に立っていた。
ここは神響女学院の敷地外れにある旧演奏棟の、さらに地下。
かつては打楽器の練習室として使われていたらしいが、今は廃棄されて久しい。
割れたガラス窓。埃を被った楽器棚。壁には古びた音楽雑誌の切り抜きが一枚だけ残っていた。
天音がここを気に入っているのは、誰も来ないからだ。
古びた木床に両足をしっかりと据え、目を閉じたまま、静かに呼吸を整える。
吸って。
止めて。
吐く。
「……ドン」
一打。低く、重い音が空気を振るわせた。
「ドン、ドン……ッ」
間を詰めて打ち込むと、床や壁がわずかに震えた。
天井から埃が、音に揺れてほろほろと落ちてくる。
それは、彼女にとって『言葉』の代わりだった。
うまく話せない。
感情を言葉に変換するのが、むかしから苦手だった。
「なんで黙ってるの」と言われるたびに、黙り込んでしまう。
でも、太鼓なら。
打てば、伝わる。
ここに宿っているものが、音になる。
(これが……わたしの声)
リズムを刻みながら、天音は遠い記憶を手繰り寄せた。
理央と並んで音を出していた、あの頃のこと。
あいつのベースと、自分の太鼓が重なるとき、言葉なんていらなかった。
ただ打てばよかった。打つことが、会話だった。
今は……遠い。
ひとつ、余計な力が入った。
バンッ。
鋭い一打が、地下室に響き渡る。
空間の奥――歪んだ影が蠢いた。
虚音の気配。
(来たか)
天音は表情一つ変えず、構えを変える。
両手の撥を握り直し、太鼓の前に正対する。
打ち込む。
太鼓が吠える。雷鳴のような音が反響し、虚音の影を吹き飛ばす。
黒いノイズが散り、再び集まり、また散る。
(誰にも……渡さない)
この場所も。
この音も。
まだここにある、自分だけの何かも。
その目に宿るのは、静かな覚悟だった。
※ ※ ※
※ ※ ※
翌朝、詠は教室の窓から外を見つめていた。
(あの音……気のせいじゃないよね)
登校中にも、ほんの一瞬だが同じような音が風に混じって聞こえた。
どこか遠くで、まだ鳴っている気がする。
「ねえミヨリ、昨日の『雷みたいな音』って、やっぱり――」
「ふぉっふぉ。感じておるな、詠よ。あれは『雷陣』の胎動ぞ」
ミヨリがくるくると空中で一回転しながら、どこか誇らしげに言った。
「おぬしらの音が三つに重なり、風の輪が整ったからこそ……四つ目の音が響いたのじゃ」
「つまり、次の仲間が……」
「おるとも。そして、雷は『嵐を呼ぶ音』。近づけば、何かが起きるぞい」
「……行ってみる」
放課後、詠は澪と琴羽を誘いに行った。
澪は「わかった」とだけ言い、すぐに立ち上がった。
琴羽は少し目を丸くしてから、「……行きます」と静かにうなずいた。
ふたりとも、詠が「行く」と言えば来てくれる。
それが当たり前になっていた。
※ ※ ※
放課後の神響女学院は、授業中とは別の顔をしている。
音楽系の生徒たちがそれぞれの練習場所へ散っていき、廊下のあちこちから楽器の音が漏れ聞こえる。フルートの練習、弦楽のアンサンブル、遠くからは合唱部の声。この学院の空気は、音でできているみたいだと詠はいつも思う。
三人は中等部棟を抜け、使われていない渡り廊下を歩いた。
「ねえ、ほんとにこっちで合ってる?」
「音は……あっちからする」
澪が進行方向を見つめたまま答える。
「澪ちゃん、聞こえるの?」
「感じる、に近い。空気の密度が変わってる」
「わかります、その感じ」
琴羽がそっと言う。
「音に呼ばれてる、みたいな……ですよね」
詠も頷いた。昨日から胸の奥でずっとしている感覚。言葉にするなら、そんな感じだった。
やがて三人は、校舎群の端に差し掛かった。
「あれ……旧演奏棟?」
詠が見上げる。
煉瓦造りの古い建物。窓枠には蔦が絡み、正面扉には「立入禁止」のロープが張られていた。
「先生に怒られないかな……」
琴羽がおそるおそるロープを見る。
「音が呼んでる」
澪が迷いなく答える。
詠はロープを半歩またいで、振り返った。
「来る?」
澪はもう踏み越えていた。
琴羽は一瞬だけ躊躇して、それから両手でスカートを押さえながらそっとまたいだ。
「……行きます」
三人の足が、旧演奏棟の敷地に踏み入れた。
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