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祝音少女《五色ノ契》〜音に選ばれた少女たちは、祝福の旋律で世界を救う〜  作者: たいしょう
第四譜 試練の変奏曲 -静と騒と虚と闇の四重奏-
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第五十九音 音にするための拍

 天音の一打が、踊り場の床を鳴らした。


 さっきまでの雷は、ただ速かった。強く、荒く、前へ前へと走っていた。


 今の音は違う。


 強いまま、そこに立っている。


 詠はその拍に足を置いた。澪が水色の旋律を重ねる。理央の紫夜の譜線が階段の壁を伝い、琴羽の《花奏鍵》からこぼれた春桃の和音を支えた。


 琴羽はまだ泣いていた。


 涙は止まっていない。指も震えている。


 けれど、もう鍵盤から手を離してはいなかった。


「琴羽」


 天音が前を向いたまま言う。


「泣きながらでいいから、鳴らせ」


 琴羽が息を呑む。


「怒ってても、寂しくても、羨ましくてもいい。さっきの音、ちゃんと聞こえた」


「天音ちゃん」


「だから、次は届くように鳴らせ」


 その言い方は少し乱暴だった。


 でも、琴羽はそれを聞いて、小さく笑った。


「うん」


 赤黒い濁りが、鍵盤の上で震える。


 琴羽は両手を置いた。


 今までなら、まずみんなの音を包む和音を探していた。誰かが前に出やすいように。誰かの傷が目立たないように。自分の音が強くなりすぎないように。


 今日は違う。


 琴羽は自分の胸に残る痛みを、そのまま一音目にした。


 鋭い音だった。


 寂しい音だった。


 でも、ただの不協和音ではない。


 天音の拍が、その音の足元を支える。理央の譜線が、逃げ場ではなく進む道を作る。澪の水音が、琴羽の揺れを薄めずに隣へ並ぶ。詠の《祝華》が、桜紅の弦で旋律を拾い上げる。


 カコフォニアの輪郭が揺れた。


「何をしている」


 複数の声が重なる。


「それは怒りだ。寂しさだ。欲しさだ。そんなものを混ぜたら、美しい音にはならない」


「美しくなくてもいい」


 琴羽が答えた。


 声は震えていたが、逃げてはいなかった。


「私の音だから」


 カコフォニアの赤黒い影が膨れ上がる。


「なら、もっと壊れろ。もっと叫べ。誰かに合わせるな。お前だけの感情で全部塗り潰せ」


「それは違う」


 琴羽は首を振った。


「私だけの感情だけど、私だけで終わらせたくない」


 《花奏鍵》の二段鍵盤が光る。


 春桃の音に、少しだけ濁った赤が混じる。怒りと寂しさの色だった。けれど、それは黒く沈まず、琴羽の指の下で揺れながら旋律になっていく。


「前に出たい。見てほしい。包んでほしい」


 琴羽はカコフォニアを見た。


「そう思ったこと、もう隠さない」


 タンバリンを持つ手に力が入る。


「でも、誰かを傷つけるためだけには鳴らさない」


 チン、と音が鳴った。


 軽いはずのタンバリンの音が、踊り場の空気をまっすぐ貫いた。


 天音がその音を拾う。


 《雷陣》のドラムが、四拍を刻む。


 一拍目、琴羽の足元へ。


 二拍目、詠の弦へ。


 三拍目、澪の旋律へ。


 四拍目、理央の譜線へ。


 五人の音が、初めて同じ方向を向いた。


「いくよ」


 詠が息を吸う。


「怖いままでも」


 澪が続ける。


「震えたままでも」


 琴羽が目元を拭う。


「寂しいままでも」


 天音がスティックを構える。


「怒ったままでも」


 理央が《律盤》の中心を指で叩いた。


「拍に乗せれば、音になる」


 五人の声が重なった。


「響け、五色ノ祝音」


 桜紅、水色、春桃、雷金、紫夜。


 五つの色が混ざり合い、赤黒い嵐を押し返す。


 カコフォニアが両腕を広げた。


「黙れ! 感情は爆発するものだ! 形に閉じ込めた瞬間、また誰かに都合よく並べられる!」


 その叫びに、詠は聞いた。


 敵意の奥にある、ひび割れた音。


「カコフォニア」


「その名を呼ぶな」


「あなたも、言われたんだね」


 赤黒い影が止まる。


 詠は《祝華》を構えたまま、声を落とした。


「うるさいって。乱すなって。みっともないって」


 複数の声が、わずかに乱れた。


「黙れ」


「感情を出すたびに、誰かに押さえつけられた」


「黙れ」


「だから、今度は全部壊す側に回った」


「黙れと言っている!」


 カコフォニアの叫びが、赤黒い衝撃波になって広がる。


 天音が前に出た。


「琴羽、乗れ!」


「うん!」


 ドラムとタンバリンが重なった。


 荒い。


 きれいにそろった音ではない。


 けれど、そこには意志があった。


 怒りがある。寂しさがある。焦りがある。誰かに届いてほしいという、むき出しの願いがある。


 それを詠が歌にする。


 澪が旋律を細く研ぎ、理央が譜線で支える。


 カコフォニアの衝撃波と、五人の音がぶつかった。


 階段の窓が震える。


 掲示物が壁から剥がれ、赤黒い火花が散る。


 一瞬、五人の音が押し戻された。


 カコフォニアが笑いかける。


「ほら見ろ。感情は強い。お前たちの作った形なんて」


「形じゃない」


 琴羽が言った。


 その声に、カコフォニアの笑いが止まる。


「これは、受け取ってもらうための音」


 琴羽は一歩前へ出た。


 今までなら詠の後ろにいた場所。


 今日は、隣に立つ。


「私は包むだけじゃない。前に出る」


 《花奏鍵》の光が広がる。


「でも、一人で前に出るんじゃない」


 天音が笑う。


「足元は任せろ」


 雷の拍がさらに深くなる。


 琴羽のタンバリンが、その拍の上で跳ねた。


 澪の《音幻》が赤黒い波を切り裂き、理央の《律盤》が裂け目を固定する。詠の《祝華》が最後の旋律を走らせた。


「爆発だけじゃ、届かない」


 詠が言う。


「殺した感情も、届かない」


 澪が続ける。


「抱えたまま」


 琴羽が鍵盤を叩く。


「叩きつけるんじゃなく」


 天音が四拍を刻む。


「届けるために」


 理央が譜線を結ぶ。


 五人の音が、ひとつの歌唱戦闘へ変わった。


 赤黒い嵐の中心に、春桃と雷金の拍が突き刺さる。


 カコフォニアが呻いた。


「なぜだ」


 複数の声が割れていく。


「お前たちの中にも混沌があった。怒りがあった。寂しさがあった。なのに、なぜ壊れない」


「壊れそうにはなったよ」


 琴羽が答えた。


「でも、受け取ってもらえた」


 カコフォニアの輪郭が大きく揺れる。


「受け取る」


 その言葉だけ、声が一つに近づいた。


「そんなもの」


「なかった?」


 詠が静かに聞く。


 カコフォニアは答えない。


 けれど、赤黒い影の奥で、一瞬だけ小さな音が鳴った。


 叫びではない。


 泣き声に近い音だった。


「だったら、今は聞く」


 琴羽が言った。


「あなたの怒りも、本物だと思う」


 カコフォニアが顔を歪める。


「本物なら、なぜ止める」


「本物だから」


 琴羽の声は、もう揺れていなかった。


「壊すだけで終わらせたくない」


 五人の合奏が高くなる。


 カコフォニアの赤黒い嵐が、音に押されて剥がれていく。階段の踊り場に染み込んでいた濁りが、少しずつ薄くなる。


 最後に残ったのは、いくつもの声ではなかった。


 一人分の、小さな声だった。


「受け取ってもらえるなら」


 その声は、驚くほど幼く聞こえた。


「混沌でなくても、よかったのか」


 詠は答えようとした。


 けれど、その前にカコフォニアの姿が崩れた。


 赤黒い影は霧になり、踊り場の端へ逃げるように流れていく。


 敗走。


 浄化ではない。


 救えたわけではない。


 それでも、最後に残した声だけは、五人の中に小さく残った。


 その夜、音楽準備室には、いつもより長く明かりが灯っていた。


 戦闘後の確認は終わっている。律の穴も一時的に閉じた。ミヨリは神妙な顔で、カコフォニアの気配が完全に消えたわけではないと告げてから、祝具の点検に戻った。


 五人だけが、丸椅子を寄せて座っていた。


 琴羽は膝の上でタンバリンを握っている。


「さっき言ったこと」


 誰も急かさなかった。


 琴羽は少しだけ息を吸って、続けた。


「全部、本当です」


 詠は頷いた。


 澪も、天音も、理央も、目を逸らさなかった。


「詠ちゃんと澪ちゃんが一緒にいるの、羨ましかった。天音ちゃんと理央ちゃんが昔から知ってることも、羨ましかった。私だけ、後から入ったみたいで」


「後からじゃない」


 天音がすぐに言った。


 琴羽が驚いて顔を上げる。


 天音は気まずそうに頬をかいた。


「少なくとも、今は違う。あたしが昔話しすぎてたのは、悪かった」


「悪いっていうか」


 理央が淡々と補足する。


「情報共有の範囲が偏っていた」


「それ言うと急に反省会っぽくなる」


「必要な反省ではある」


 琴羽が小さく笑った。


 その笑い声に、詠の胸が少し軽くなる。


 澪が静かに言った。


「琴羽が前に出たいときは、言って」


「うん」


「言わなくても、見落とさないようにする」


 琴羽の目がまた潤む。


「ありがとう」


 詠は琴羽の隣へ座り直した。


「包んでほしいときも、言って」


 琴羽は少し迷ってから、詠の肩に額を預けた。


「今、ちょっとだけ」


「うん」


 詠はそっと琴羽の背に手を回した。


 琴羽が小さく息を吐く。


 天音はそれを見て、何か言いかけ、やめた。代わりに《雷陣》の縁を指で軽く叩く。


 こつん。


 落ち着いた拍だった。


 琴羽のタンバリンが、それに小さく応える。


 チン。


 怒りは消えていない。


 寂しさも、羨ましさも、なかったことにはならない。


 それでも、音にできる。


 音にすれば、誰かに届く。


 窓の外で、夜の神響が静かに息をしていた。


 その静けさの向こうで、ほんの一瞬だけ、音のない穴が開いた気がした。


 何も鳴らない。


 何も残らない。


 そんな空白の気配。


 詠は顔を上げる。


 次に来る音は、怒りよりも深く、冷たかった。



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