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祝音少女《五色ノ契》〜音に選ばれた少女たちは、祝福の旋律で世界を救う〜  作者: たいしょう
第四譜 試練の変奏曲 -静と騒と虚と闇の四重奏-
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第五十八音 怒りを消さない

 赤黒い春の嵐が、踊り場を吹き荒れた。


 音が刃になって飛んでくる。けれど、その刃は外から切りつけるだけではなかった。胸の奥にある柔らかい場所を、内側から乱暴に叩いてくる。


 詠は《祝華》を床に突き立て、踏みとどまった。


 弦が軋む。指先が痺れる。耳の奥で、琴羽の叫びが何度も反響していた。


 私のことは、誰が包んでくれるの。


 その声は、敵の攻撃より痛かった。


 痛いのに、消してはいけない音だった。


「琴羽ちゃん」


 詠は嵐の中で顔を上げる。


 琴羽は《花奏鍵》の前に立ち尽くしていた。両手は鍵盤に置かれたまま震えている。春桃の光は赤黒く濁り、乱れた和音を吐き続けていた。


「違う」


 琴羽が呟く。


「違うの。こんなの、私じゃない」


 カコフォニアが笑った。


「違わない。やっと出たんだよ。きれいな顔の下に隠していた、本当の音が」


「違う」


「癒し? 包容? 優しさ? そんなものは、都合のいい飾りだ。お前の中にあったのは、羨望と寂しさと怒りだ」


 琴羽の肩が震える。


「やめて」


「やめない。もっと鳴らせ。もっと汚く、もっと激しく。調和なんて嘘だ。隠した感情こそ、本物だ」


 赤黒い波がさらに強くなる。


 澪が《音幻》を構え直し、詠の隣へ立った。水色の光が不安定に揺れている。


「詠」


「うん」


「あれは、敵の音だけじゃない」


「わかってる」


 詠は一歩踏み出した。


 嵐が正面からぶつかる。胸を叩かれ、喉が詰まる。足元が揺れた。


「詠ちゃん、来ないで」


 琴羽が叫ぶ。


「来ないでよ。こんな音、聞かないで」


「聞くよ」


 詠はもう一歩進んだ。


「聞きたい」


「だめ」


「だめじゃない」


 赤黒い和音が詠の腕を掠める。装束の袖が裂け、桜紅の光が散った。


 天音が反射的に踏み込もうとする。


「詠!」


 けれど、その一歩は雷の衝動に呑まれていた。天音の足元で《雷陣》が暴れ、拍が速く跳ねる。助けに行こうとした動きが、攻撃の勢いに変わりかける。


 理央が譜線を伸ばした。


「天音、今の拍では詠に当たる」


「わかってる」


 天音は歯を食いしばる。


「わかってるのに、止まんないんだよ」


 カコフォニアが低く笑う。


「止める必要なんてない。怒りは走らせるためにある。心配も焦りも、全部燃料にすればいい」


「うるさい」


 天音のスティックが震えた。


 だが、詠は振り返らなかった。


 今は、琴羽の音を聞く。


 そのために前へ出る。


「琴羽ちゃん」


「聞かないでって言ってるでしょ!」


 《花奏鍵》が激しく鳴った。


 音の波が詠の体を打つ。肺の空気が抜ける。膝が折れそうになる。


 それでも詠は、琴羽の目を見る。


「痛い」


 琴羽の顔が凍った。


「ごめ」


「でも、琴羽ちゃんの音だ」


 詠は《祝華》を握り直した。


「だから聞く」


「やめて。私、嫌な子だよ。みんなのこと大好きなのに、羨ましいって思った。寂しいって思った。私だけ見てほしいって思った」


「うん」


「うん、じゃないよ」


 琴羽の声が掠れる。


「そんなの、優しくない」


「優しいよ」


「違う」


「違わない」


 詠はゆっくり首を振った。


「誰かを羨ましいって思っても、誰かに見てほしいって思っても、それで琴羽ちゃんが優しくなくなるわけじゃない」


 琴羽の指が鍵盤の上で震える。


「でも、私が言ったら、みんな困る」


「困るかもしれない」


 琴羽が目を見開いた。


 詠はその反応を受け止めてから、続けた。


「でも、困ってもいいよ。わからなくても、考える。どうしたら琴羽ちゃんが寂しくないか、みんなで考える」


 澪が一歩前に出た。


「私も、気づいていなかった」


 琴羽の視線が澪へ動く。


「詠と一緒にいるのが、当たり前になっていた。琴羽がどう見ていたか、考えていなかった」


「澪ちゃんは悪くない」


「悪いかどうかじゃない」


 澪は静かに言った。


「琴羽が寂しかったなら、聞く」


 理央も譜線を張り直しながら口を開いた。


「天音との昔の話は、私にとっては記憶。でも、外から見れば壁に見えた可能性がある」


 天音が苦しそうに笑う。


「あたし、昔話になると止まらないしな」


「自覚があるなら改善余地はある」


「今それ言うか」


 短い言葉だった。


 けれど、そのやりとりに、琴羽の瞳がわずかに揺れた。


 五人の間に、ほんの少しだけ息が戻る。


 カコフォニアが舌打ちした。


「くだらない。慰め合っても、感情は消えない」


「消さない」


 詠が答えた。


 カコフォニアの複数の声が止まる。


「消さないよ。琴羽ちゃんの寂しさも、羨ましさも、怒りも。なかったことにしない」


 《祝華》の弦が低く鳴る。


「でも、カコフォニアの好きな形にはしない」


「好きな形?」


「爆発させて、壊して、こんなのが本物だって言わせる形」


 詠は琴羽へ手を伸ばした。


「琴羽ちゃん。怒っていい。寂しいって言っていい。前に出たいって言っていい」


「本当に?」


「うん」


「包んでほしいって、言っていいの?」


「言って」


 琴羽の唇が震えた。


「じゃあ」


 鍵盤から、赤黒い濁りが少しだけ引いた。


「今、包んで」


 詠は頷き、琴羽の手を取った。


 桜紅の光が、春桃の光に重なる。


 嵐は止まらない。


 けれど、琴羽の不協和音は、ほんの少しだけ形を変えた。


 怒りが消えたわけではない。寂しさが消えたわけでもない。


 ただ、誰かに届いた。


 その瞬間、天音の中で暴れていた雷が、鈍く震えた。


 琴羽の声が、雷の奥まで届いたのだ。


 私のことは、誰が包んでくれるの。


 天音はスティックを握りしめたまま、息を止めていた。


 自分は今、何をしている。


 助けようとした。守ろうとした。敵を殴り飛ばそうとした。


 でも、その拍は速すぎた。


 詠の足場を消した。澪の刃を逸らした。理央の譜線を乱した。


 そして、琴羽の声をかき消しかけた。


「あたしは」


 天音は奥歯を噛む。


 カコフォニアが近づいてくる。


「いいじゃないか。お前は強い。誰より前に出たいんだろう。仲間が泣いているなら、怒ればいい。怒りのまま叩けばいい」


 赤黒い手が、《雷陣》に触れかける。


「その方が、お前らしい」


 天音は一瞬だけ、目を閉じた。


 胸の奥にある熱は、本物だった。


 敵への怒り。琴羽を泣かせたことへの怒り。何も気づかなかった自分への怒り。


 全部ある。


 消えない。


 消したくもない。


 けれど。


 天音はスティックの先を床に置いた。


 こつん、と小さな音がした。


 暴れていた雷が、その一音に引っかかる。


「一拍」


 天音が呟く。


 カコフォニアの動きが止まった。


「二拍」


 今度は、左のスティック。


 こつん。


「三拍」


 右。


 こつん。


「四拍」


 左。


 こつん。


 雷が、少しずつ足元へ戻ってくる。


 理央が驚いたように目を細めた。


「外部制御なしで拍を戻している」


 澪が小さく息を吐く。


「天音らしい」


「らしい、って何だよ」


 天音は目を開けた。


 まだ声は荒い。手も震えている。


 それでも、拍は戻っていた。


「感情はある」


 天音はカコフォニアを見る。


「怒ってる。焦ってる。ぶっ飛ばしたいって思ってる」


「なら、そのまま鳴れ」


「違う」


 天音は《雷陣》を構え直した。


「感情に叩かせるんじゃない」


 一打。


 雷が床を走る。


 今度は、五人の足元を崩さない。


 詠の弦と、澪の水音と、琴羽の春桃の光と、理央の譜線。その全部が乗れる場所に、拍が置かれていく。


「あたしが、感情を拍にする」


 カコフォニアの赤黒い輪郭が大きく揺れた。


「抑えるのか」


「抑えない」


 天音が笑った。


 荒くて、でも確かな笑みだった。


「怒りを消さない。走らせもしない。音にする」


 《雷陣》が、深く鳴った。


 その拍に合わせて、琴羽の《花奏鍵》が小さく応えた。


 春桃の和音はまだ乱れている。


 けれど、もう一人ではなかった。


 カコフォニアが初めて、笑わなかった。


 次の一打で、戦いの形が変わる。



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